2015年1月31日(土)

 イスラム国なんてのが現れて世界中に重苦しい空気が漂っています。とうとう日本も対岸の火事というわけにはいかなくなりました。宗教の問題のように見えますが、その根本には貧富の問題があるのではないでしょうか。日本人は穏やかな国民として世界中に知られていますが、それもあまりにも酷い貧富の差がこれまではなかったからではないでしょうか。でも、今はそれがだんだん広がっているようで、心配でなりません。このままだと日本人も世界的「普通の国民」になってしまうのではないでしょうか。夕方の西の空にこんな雲がありました。こんな雲を見ると Every cloud has a silver lining.(あらゆる雲に銀の裏地が付いている)という諺が浮かんで来ます。今、『21世紀の資本』という本が評判で、著者の名を採った「ピゲティ現象」が世界で起ころうとしているようです。彼が来日し「日本は高所得者層に累進課税強化を」とも主張している(毎日新聞)とのこと。今の日本政府がこれを素直に受け入れるかどうかは疑問ですが、アベノミクスもこのままでは行き詰って来ていることは確かでしょう。世界終末時計は3分前だそうです。世界にも日本にも silver lining が見えているように思うのですが、政界や経済界のリーダーたちは終末時計の針を更に進めるつもりでしょうか。

2015年1月30日(金)

 夜になってから『虫眼とアニ眼』という本を読み始めました。解剖学者の養老孟司さんとアニメーション作家の宮崎駿さんの対談集です。養老さんは大の虫好きとしても有名です。いろいろな話題がありますが、子どもと自然のことが多く語られています。これは「養老さんと話して、ぼくが思ったこと」として本の最初に掲載されている宮崎さんのまとめの一部。こんな保育園や幼稚園をぜひ作って欲しいでものです。今や多くの子どもたちが育つ環境は正に水平と垂直ばかりのコンクリートで出来ています。「人を殺してみたかった」とそれを実行した女の子が2人も現れたのも、親の育て方がどうのこうのという以前の問題がたくさんありそうです。こんなのを作ってくれる市町村があればすばらいいですが、「追及されないことを真っ先に」考えている人たちが主流では無理でしょうね。でも、それで思い出したのが、「養老天命反天地」。この本の中にも出ています。「町長以下、全員荒川さんにだまされて、あんなものを作らされちゃった(笑い)。初めからあの完成図を見せたら、ウンと言うはずもないんで、現場にいっちゃ、あと1メートル削れとか、翌日行ってまた2メートル掘れとか注文をつけて、それで作っちゃった」だそうです。こんなことに騙されるなんて養老町の人たちは素晴らしい。「予想したように面白くて、予想したようにチャチ」(宮崎)だそうですが、頭の片隅にはあって「いつか」と思っていました。近いうちにぜひ行ってみようと思い始めました。

2015年1月29日(木)

 かなりの本好きではありますが、最近は読書量も減って来たし、できるだけ買わずに図書館を利用することにしています。市立の図書館になくても他市や府の図書館にあれば取り寄せてくれるので便利です。でもいつも手元に置いておきたくて買ったのが最新の野鳥図鑑です。野鳥撮影の趣味ができて10年ほどですが、基本的には日常生活で出会った鳥を撮るだけです。珍しい鳥がいると聞いても大勢がカメラを並べているようなところへは行こうとは思いませんし、遠くへ鳥だけが目的で出かけることもまずありません。そんなわけで私が出会った野鳥の数も恐らく200には達していません。写真を撮っているのも150種くらいでしょうか。身の回りによくいる鳥はもう知ってるので、新しい鳥に出会う確率は非常に下がっています。それでも、偶に初めての鳥に出会うことがあります。そんな時に確認するために必要なのが野鳥図鑑です。左の2冊は入門用でイラスト簡単な解説が付いています。右は野鳥マニアも使う図鑑で1種にいくつも写真と詳しい説明が付いています。それぞれ旧版は持っていたのですが、DNAによる鑑定法が導入されて野鳥の分類が若干変更になりました。同種だとされていたものが別種となったり、その反対になったり。左のは1冊600円(税別)ですし、薄いので持ち運びにも邪魔になりません。庭に来る鳥などに興味を持った人にもお勧めです。ただし、図鑑を見てわかるようになるには少なくても10種くらいは知っている必要があります。初めは図鑑を見ても同じように見えるのがたくさんあってわからないのです。右のはかなり分厚で持ち運びには適しませんし、4000円(税別)です。ところが普通に注文しても現在は手に入りません。別口で手に入れましたが、なかなかの人気のようで再販待ちになっているようです。

2015年1月28日(水)

 国道からちょっと引っ込んだところにある民家風なんですが、「夢工房〇〇」という看板が出ています。知らなければ何を作っているのだろうと思うところですが、レストランでした。今日はここで昼食でした。玄関を入ると座敷に通されました。広い部屋にテーブルと椅子が並んでいて先客が何組もいて満員のようでした。コース料理でしたが魚・蟹・肉・茶碗蒸・釜飯など品数もなかりあって味もよかったしのですが、料金は先日の創作中華のレストランよりも安かったようです。もっとも、あるグループの新年会に招待されて連れて行ってもらったので私は料金を払っていません。4年前からやっているそうですが、ここも女性客が多いようでした。女性たちの味に関するネットワークにはいつも感心します。

2015年1月27日(火)

 こんな本が新聞の書評に出ていて気になっていました。「学び直しの英語」をやっている人向けの本のようです。英文法を今更学ぶ必要はないのですが、私も「学び直しの英語」を教え始めたので参考になるかなとは思っていました。でも、買って読むほどのこともないとも思っていました。ところが「カーリル」という便利なサイトがあって、どこの図書館にその本があるかを簡単に調べられます。念のために調べてみると、何と、我が市の図書館にこの本があったのです。しかも、こんな本を読む人が私以外にもいたようで既に借り出されていました。やっと連絡が入ったので借りて来て少し読んでみました。でも、案の定、あまり参考にはなりそうにありませんでした。考え方としてはおもしろいのですが、「学び直し」の人たちに適しているかどうかは大いに疑問に思いました。大人になってから学ぶには法則的なことを知って学んだ方が能率的です。私もまずそれを教えていますが、ずっと簡単な基本的なことのみ教えます。習っている人たちにはそれでも難しいようです。でも、自動車の運転をしている人はほとんど無意識にやってますが、その前には試学科や実技があって試験にも受かっているはずです。外国語の習得を目指す場合も、必須の文法的なことは学んでから、それを意識しなくてもいいように練習や訓練をする必要があると思います。

2015年1月26日(月)

 天気は下り坂でまた寒波が来るとか。ちょっと春のような天気が続いていましたが、まだまだ真冬ですからね。昨日の昼食会は「中華料理」のコースだったんですが、これはそのうちの1品。豆腐の上に鯛の〇〇が乗ってます。見かけも味も中華料理らしからぬものばかりでした。「創作中華料理」だそうですが、見かけも味も「和風」。中国人もメンバーに入ってたので、どんな言葉を聞けるかも楽しみにしていましたが、風邪でダウンとのことで残念でした。メニューはその時々でシェフにお任せ。何か出て来るかは「その時のお楽しみ」ということです。このレストランは店の外観からして変わっています。時々前を通っていましたが、看板も大きなものは出ていないので美容院かなと思っていました。女性には人気の店のようです。

2015年1月25日(日)

 KAIFA(かいづか国際交流協会)で私が参加している会の昼食会がありました。その後で、近くで行われた「日本語サロン交流会」(日本語を習っている外国から来た人たちと彼らにボランティアで教えている人たちの交流会) に参加しました。私は今は外国人には直接は教えていませんが、日本語を教えたい人たちのための講座を担当しています。司会者がまず聞いたのは「お国の言葉で新年の挨拶状をどういうか」でした。これはタイから来た女性が書いた言葉です。齧ったこともない私には全く読めない文字です。他の人たちもそうなので、その下に書いてもらったのがローマ字。これなら何とか読めます。日本の学校で「ローマ字は英語の発音の邪魔になる」と言って今は教えなくなっているようです。これはあまりにも短絡過ぎる考えだと思います。ローマ字を知っていれば、どんな国の言葉でも一応の音を表記できて読めるようにできます。日本語のようにカナがない中国語でも発音表記に使っているのです。英語を勉強する時にだって知らない単語の発音も想像できるようになるし、覚える手助けにもなるでしょう。私自身は小学校で習ったローマ字は日本の文字とほとんど変わらずに読めるようになっていました。だから、中学校で英語を習い始めてもほとんど抵抗はありませんでした。自分の子供達にもローマ字はちゃんと教えました。2人とも英語は嫌いにはならなかったようです。

2015年1月24日(土)

 天気もよくてまた春のような日でした。昼食を兼ねて久しぶりにまた海辺の喫茶店へ。何しろ、土日しか開いてなくて、それもいつもとは限らない気まぐれ喫茶店。猫ちゃんも淡路島が浮かぶ春のような瀬戸内海を眺めていました。もう1匹いるんですが、2匹とも人懐っこくてすぐ膝に上がりたがります。猫も嫌いではないのですが、ズボンに毛が付くので拒否。他に客はなくてマスターとしばらくお喋り。やっと腰をあげて帰っていると、散歩途中のSさんにバッタリ。数年前にスカンディナビア半島を一緒に旅したアメリカ人。また、喫茶店に戻ってコーヒーを飲みながらしばらくお喋り。帰宅して間も無くお通夜に出かけました。「感動的な」というのもおかしいかもしれませんが、そんなお通夜でした。帰って見た奥さんの挨拶状も愛と感謝に溢れていました。心に残るお別れでした。

2015年1月23日(金)

 今日は訃報に2つ接しました。1つは小・中・高の同級生。同窓会の案内は届いているはずだけど、どの同窓会の案内の返事もないし、もちろん一度も出て来たことがなかった男。駅で女性に声を掛けられたのが彼の妹。私は顔を覚えていなかったけど彼女は私を覚えていた。「兄は3年も前に亡くなった」とのと。もう1つは近所の人。この人も年齢はほぼ同じ。同じ年頃やより若い人が逝ってしまうのはより寂しさを感じます。写真は淡路島の室津パーキングエリアからの夕日。私も人生の黄昏。まだあの世には行きたくないけれど、大阪と高知を後どれくらい往復できるだろうと考えてしまいます。

2015年1月22日(木)

 昨日は冬に戻った日でしたが、今日は風がかなり強かったものの手袋は不要な暖かさでした。菜の花も所々に咲いていてもう春の気配もします。田んぼの縁からタシギらしきのが飛び立ちましたが、草の中や2番穂・3番穂のある田んぼの中に降りたのでは見つけられません。一昨日クサシギがいた浅瀬を遠くから注意して見たら、いそうな気配。幸い、土手道には木が植わってるので、見つからないように注意して写真が撮れそうなところまで近づきました。後ろ向きでしたが、数枚シャッターを押せました。もうちょっと近づいてみようとファインダーから目を離すと飛んでしまいました。犬を連れた女性が近づいて来ていました。散歩道の鳥撮りはよくこんなことで終わります。

2015年1月21日(水)

 今夜炊いた玄米の炊き込みご飯です。数日分になるので残りは冷凍します。小豆と野菜がいろいろ入ってますが、味噌汁も野菜たっぷりの具沢山にします。これに出来合のや簡単に作れる1〜3品を加えたのが一人暮らしの時の夕食です。魚類はたいがい加わりますが、肉類は滅多に食べません。が、見ていただきたいのは釜の方です。使っている人はあまりいないと思いますが、電気の圧力鍋です。いつもこれを使うわけではありませんが、必需品です。タイマーがあるので、セットしたらほっとけます。冬はブリ大根もよくしますが、骨まで食べられるようになるので無駄がありません。手の込んだこともしませんし、味もいいとは言えませんが、野菜をたくさん食べることとバランスには気をつけているつもりです。

2015年1月20日(火)

 大寒でしたが、昼間は春のような暖かい日でした。しばらく行ってなかった川沿いの道を上流に歩いてみました。田んぼのあっちこっちで耕運機が動いて春の準備をしているようでした。鳥の姿は見るのですが、こちらが気がつく前に逃げて行くのがほとんど。何だったのかもわかりません。川沿いの道がなくなるあたりまで行ってやっと目の前の木でウロチョロしている小鳥がいてくれました。「な〜んだ」というところでしたが、ジョウビタキのメスは大好きなので数枚撮りました。すると、水の上を上流から下流へ飛んで行ったちょっと大きな鳥がいました。背中は黒っぽくて尾と腹は真っ白。ハテ何だろう? 下ってみることにしました。しばらく行くといました。川の中に。ちょっと遠かったんですが、何とか撮れました。クサシギ(草鴫)のようです。

2015年1月19日(月)

またかなり寒くなって来ました。雲空で風もありましたが、買いたいものあったので午後はまた自転車で出かけて来ました。ヨシガモはいましたが、もう1種見つけたいのがありました。オナガガモ(尾長鴨)が初めて来ていると聞いたのですが、ここではまだ見たことがありませんでした。ここにはカルガモとヒドリガモとマガモが非常に多くいます。マガモとヒドリガモの群の中をみていると、、、。手前はマガモですが、「いました、いました」。オナガガモは尾だけでなく、首も長いのですが、風があるせいか縮めています。どうやらオス・メス併せて少なくても4羽はいるようです。もっといたかもしませんが、遠くもあったし拡がっていたので数えられませんでした。

2015年1月18日(日)

 12月から帰省の度に探していました。「今冬は来てないのかな〜」と淋しく思っていましたが、今日になってやっと見つけました。ヨシガ(葦鴨)です。雌は見当たりませんでしたが、雄が2羽いました。雌は非常に地味ですが、雄はナポレオンハットの異称のある大変優美な鴨です。尻のところでカールして垂れ下がっているのは尾羽ではありません。ヨシガモに限らず潜れない鴨の餌取りはユーモラスです。

 餌取りの様子は動画で。写真の左上に現れるマークをクリックしてください。


2015年1月17日(土)

 昨日ほどの暖かさはありませんでしたが、真冬としては今日もまずまずの天気でした。高知市の東方にある香南市野市のあるお宅まで出かけていました。初めてのところではありませんが、あまり馴染みはないところです。その帰りに見たのがこの夕日。山の多い高知県でもこんな大きな夕日が見られるところがありました。ここは高知平野の中心部で香長平野とも言われるところでだからです。南は土佐湾に面していて広々としているところです。米どころでもあります。

2015年1月16日(金)

 自分の物も整理しなければならない年齢なりましたが、捨てられない世代なのでなかなかできません。父が亡くなって20 年以上、母は10年以上になりますが、彼らの物もまだほとんど始末できていません。しょっちゅう帰省するので仏壇も置いたまま。8月の浸水で1階に置いてあった物はほとんど捨てざるを得なくなったのは、不幸中の幸いでした。でも2階にあった着物はそのままでした。従弟の妻が古着再生をしていることを知ったので、使えそうな物は持って行ってもらいました。母の着物は地味なものばかりですが、今日、寄ったらこんな物を記念にくれました。さて、我が妻は着てくれるでしょうか。

2015年1月15日(木)

 最近は電子辞書が大流行りです。大きなカバンでも入りきらないほどの冊数の辞書がポケットにも入るほどの大きさになり、発音まで聴けるのですから便利です。私も英語では使っていますが、確認する時のため。調べたり学習するのにはお勧めできません。写真は小中学生用の辞書です。子どもや孫が使ったのが家で眠っていないでしょうか。大概はほとんど新品の状態ではないかと思います。これが、「英語をちょっと思い出してみようか」というシニアの人たちに実にいいのです。ちょっと時間のある時にどのページでもいいので開いてみてください。そしてそこで目についたところを読んでみてください。字も大きいので老眼鏡も不要だと思います。説明も易しく書かれています。「へー、そうだったのか」と納得されることがきっとたくさんあると思います。入門用の英和辞典は実によくできていますので、なければ新しいのを買ってみても損にはならないと思います。およそ1万語は出ていますので、これから英語をやり直してみようという人たちにも勧めています。

2015年1月14日(水)

 日本の英語教育は「中高で6年も勉強させ、さらに短大や大学で数年勉強させても、日常会話すら満足にできない」とずっと批判されて来ました。そして中学校の教科書は会話中心になったようです。でも、結果がよくなったと言えるでしょうか。今も大学や大学院で教えている私の友人は「最近の学生は本が読めないし、書くこともできない」とボヤいています。しかも、それは英語を専門とする学生だちのことです。私たちの時代以前の人たちは、たとえ英語を苦手に思っている人たちが多かったとしても、今の学生たちよりは英語そのものはできたのではないかと思います。ペラペラと喋れなくても読んだり書いたりすることをある程度できる人はずっと多かったのではないでしょうか。「日常会話」に重点を置きすぎた結果、読むことも書くこともできない人たちが増えたのではないかと思います。40年前に英語教育をめぐって「平泉・渡辺論争」という大論争がありました。簡単に言えば、参議院議員だった平泉渡氏の論は「英語を強制することはない。英語は国民の約5%が使えるようになればいい。大学入試からも外せ」というものでした。それに対して英語学者の渡辺昇一氏は「亡国の『英語教育改革試案』」と批判し、「学校教育は洗剤能力の開発に尽きる」「英語教師は伝統的な方法にゆるぎない自信を持て」「英語学習は知力の極限まで使ってやる母国語との格闘だ」と主張しました。そして40年後の2人の対談が昨日の毎日新聞に掲載されていました。2人の主張は平行線のままですが、2人とも小学校からの英語教育には強く反対しています。そして一時テレビでも人気者だった鳥飼久美子立教大特任教授も「これまでの改革の総括や検証もないままに、経済界に引きずられた政治家の短絡的な思いつきだ。一昔前と英語教育の中身は激変している。あまりに実情を知らない」と批判しています。私もそうですが、英語教育に関わって来た者にはこういう考えが多いのではないかと思います。でも、私は「激変している」とも思いませんし、従来の英語教育には決定的に足りなかったことがあると思っています。

2015年1月13日(火)

 近くの書店で立ち読み、いや、坐り読みをして来ました。最近は椅子を置いてくれてあるのでゆっくり中を見ることができます。これは 『Analog (アナログ)』という雑誌に載っていた真空管アンプです。デジタル全盛の世の中ですが、音楽再生の世界ではアナログが徐々に復活しています。暮にNHKのラジオ放送でも75回転のレコードを再生する特集をしていました。昔のレコードもちゃんと引きだせばびっくりするような音が出るものです。私はトランジスターの出始めからオーディオの世界に入ったので、真空管アンプに拘るほどのマニアではありません。でも、LPレコードは持ってますし、プレーヤーはまだ置いてはあります。こんな雑誌を手に取るようになったのはOMBC (松原インターネット放送局で「アナログ横丁」(毎週土曜日 19:00~20:00 ) をやっているMさんと親しくなったせいのようです。私のオーディオ熱も少しずつ復活しているみだいです。

2015年1月12日(月)

 毎年9月に「せんなん里海さくらフェスティバル」という音楽と清掃活動を結びつけた催しが行われています。「自然と本の会」でも清掃活動で参加しています。今日はそのための会議があって里海公園へ出かけていました。暮から新年にかけて風邪を引いた人は案外多くて、親しい人が欠席していました。私もまだちゃんとは治っていないので、あまり出かけたくはなかったのですが、、、。行きは急いでいたので余裕がありませんでしたが、帰りは何か変わったものはいないかとキョロキョロしながら自転車を走らせました。珍しい鳥は見あたりませんでしたが、スズメの群があっちへこっち飛び回っていました。身近にいるスズメですが、少し近づくとすぐに飛んでしまうので写真を撮るのは案外難しいのです。これも満足な写真ではありませんし、群の一部です。スズメが減ったと言われていますが、ここらあたりでは減ったという実感はないくらいいます。ところで、スズメ・カラス・シラサギ・カモというのは恐らく誰でも知っている鳥です。でも、種名を現しているのは1つだけで他は総称だというのは知らない人が案外多いのではないでしょうか。

2015年1月11日(日)

  暗いニュースが多い中で、先日の新聞にジジュウカラガンが絶滅危惧から復活した話が出ていました。雁にもいろいろな種がいますが、かつて、この運動をしている団体の事務局長と親しくなり、私も会員になっていました。そして「雁の里親の会」の会員として右のようなメダルをもらっています。私の名前と雁の足環の番号が彫り込まれています。その番号の足環を付けている雁の里親が私だということです。会員になった実感のわくいいメダルだと思っています。お誘いが何度かありましたが、寒い所にはあまり行きたくない私は一度も行ったことはありません。また、そのうちの1羽が私の雁だとも思ったことはありません。でも、僅かな会費でも役立って成果が上がったということは実にうれしいことです。もう会費を払う必要もなくなっています。こんなことは珍しいことです。

2015年1月10日(土)

 昨日も今日も午後は出かけねばならず、夕日を見ながら帰りました。我が街の夕日はどこから見ても素晴らしいといつも思っています。こんなところに沈む夕日も大きくて素晴らし眺めです。これは私だけではなくて他の人たちもそのようです。この街に引っ越して来てからは他所へ夕日を見に行くことはなくなったと何人もから聞きました。山が迫っている私の田舎ではこんな大きな夕日を見たことがなかったので、いつも感動して眺めています。残念ながら朝日が素晴らしいという話は聞きませんが、これは私が朝にはあまり強くないことだけでもなさそうです。日が出る方は山がかなり迫っているのです。

2015年1月9日(金)

 昨日行ったJR明石駅前に明石城があります。天守閣はなくて隅櫓が2つあります。その堀にユリカモメ(百合鴎)の群がいました。そして白鳥が2羽。よく見ると嘴の基部に瘤があります。コブハクチョウ(瘤白鳥)でした。珍しいには違いありませんが、私たちには「な~んだ」ということになります。冬に日本にやって来るのはたいがいコハクチョウ(小白鳥)かオオハクチョウ(大白鳥)です。ユリカモメと同じように冬になってここにやって来たのなら珍鳥ということになりますが、どうやらここで飼われているようです。動物園などでも飼われていることが多くて、偶にそれらが逃げ出して野生化しているものもいるようですが、野生で飛来したものならバーダーが大騒ぎしているでしょう。

2015年1月8日(木)

 急に思い立ってこんなものを観て来ました。正確にはこれで投影する星空です。我が家のロフトから遥かに眺めている明石大橋のちょっと向こうの子午線135°にある明石天文科学館のプラネタリュームです。1960年から稼働し続けている日本で一番古いものだそうです。ドイツのカール・ツアイス・イエナ社製で、まだ東ドイツが実在していた時代のもの。もちろんコンピューター制御ではなく手動です。そんなものがまだ現役で主役を務めているなんて凄いことです。ドイツは忌まわしい歴史も持っていて、あまり好きな国ではありませんが、製品作りではほんとうに信頼できる国だと思います。日本にも古い物を大切にする精神が一部には残っていますが、一般的にはあまりにもアメリカ化されてしまいました。私は新しい物は好きですが、「使い慣れた物が壊れたら新しく買うしかない」というのは感心できません。

2015年1月7日(水)

 午前中はいい天気だったのに、午後からは曇ってしまってまた少し寒くなりました。でも、気分は悪くなかったので自転車で少し遠出を決意しました。隣の市の池に暮からセイタカシギ(背高鴫)が2羽来ていると聞いていたので行ってみました。ツクシガモ(筑紫鴨)も久しぶりに来ていたそうですが、池の水を抜かれて飛んで行ってしまったとか。セイタカシギは浅瀬ができて喜んでいるのでしょう。この地方では去年の4月の1羽以来2度目です。最初は見当たりませんでしたが、1羽は見つけました。このスマートさには惚れ惚れします。その後、いつもの河口にも回ってみました。ウミネコやヒドリガモ・マガモ・コガモなどはいましたが、ミヤコドリの姿はありませんでした。動画は写真の左上に現れるマークをクリックしてご覧ください。

2015年1月6日(火)

 また寒波がやって来ました。こうなると風邪の引き直しが怖くてますます外に出られなくます。でも篭ってばかりはいられませんので、雨さえ降らなければ明日は外でちょっと動いてみようと思っています。私の部屋からの夕方の風景です。天気がよければ午前中は南の窓から、午後はこの西の大きな窓から部屋の中に日が入ります。暖房は不要なくらいになります。夏の日の入りはずっと右の方になりますが如何に日当たりを防ぐかが重要になります。右側に見えているのはそのために下の庭からのキーウィの枝です。

2015年1月5日(月)

 今日も外に出ないのはもったいない日でしたが、私は書きあがった賀状を出しに近所のポストまで出かけただけ。残りの賀状もやっと宛名書きは終わりました。これから裏の印刷した余白にほんの一言を手書きするのが私の拘り。この万年筆が先日ちょっと触れたモンブランのです。もっとも、1970年に買ったままなのはキャップに入る先の部分だけです。他の部分は残念ながら新しいのです。でも、一部、と言っても肝心のところですが、は残してでも、買って何年経っていても修理してくれるのです。これはそう高価なものではありませんが、「一流品」とはそういうものだそうです。揃いで買ったウェッジウッドのティーカップでも何年経っても補充ができます。僅か数年で「部品がないので修理できません」と言われる国のメーカーは見習って欲しいものです。

2015年1月4日(日)

 今日は外に出たいような天気でしたが、またも籠りっきりの日でした。気分はまずまずでしたが、寝てばかりいるわけにもいきません。この頃は文章を書いてもほとんどパソコンですが、久しぶりにペンを持ってかなり書きました。そんなわけで、また今日の写真ではありません。この草むらにアオジ(青鵐)♀が2羽いるんですが、わかるでしょうか。近所のKさんとこにの庭には去年からやって来ていますが、普通はこんなところて草の実を食べている鳥です。チョロチョロとよく動くので写真を撮るにはかなり苦労するんですが、動いてくれなければどこにいるかがわかりません。初めて名前を知ると、青くもないのになぜ青が付いているのか不思議に思います。アオサギなんて大きな鳥もいます。日本語の青の範囲はかなり広いのです。アオジ♂は首のところが緑色だからだとか。「鵐」は「しとと」とも読んでホオジロ類を現す言葉だったそうです。

2015年1月3日(土)

 やっと気分がよくなりました。私の賀状はいつも年が明けてからデザインも考えて印刷します。今年は出遅れてしまいましたが、やっと印刷は完了しました。しかし、宛名と一言は手書きに拘っているので本当はこれからが大変です。でも、2日くらいで何とかなるでしょう。少し、余裕が出来たのでヒクイナの動画も年賀用に仕立てみました。一部は昨日のと同じで2番煎じになりますが、ご覧いただければ幸いです。写真の左上のマークをクリックしてください。

2015年1月2日(金)

 本当に寝正月をしたのは初めてではないでしょうか。今日もほとんど寝てばかりでした。一人暮らしの時に病気で家で寝てなければならないことがありましたが、それは惨めな気分でした。家族がいるのは有難いことです。しかし、まだ少しましになったかなという程度。年賀状もたくさん戴いていますが、私のは年が明けてから準備して返事を書くのが常。例年ならもう半分は終わっているはずのころですが、今年はまだ準備さえできていません。戴いている方はお許しを。風邪引きの代償にヒクイナを見つけましたが、今日はその動画です。写真の左上のマークをクリックしてご覧ください。

2015年1月1日(木)

 新年おめでとうございます。みなさんはきっといい日だったでしょうね。私の方もヒクイナが綺麗な尻尾もわかるように撮れたのは嬉しいことです。動画も撮れたので年賀用に加工しようと思っていましたが、調子に乗りすぎたのか久しぶりの風邪で最悪の状態です。1〜2日したらよくなると思いますが、引いたら長引くのが常だからどうなるでしょう。静養に努めます。

2014年12月31日(水)

 午前中は日があたり風もなくいい天気でしたが、午後になると予報どおり急激に曇って来ました。夕方にはついに振り出しました。しばらくはまた厳しい寒さになるようです。ひょっとしたら雪の新年でしょうか。夜になってから街に出て来ました。ほとんどの店が夜はシャッターが閉まっています。市電だけが華やかな電飾で輝いていました。若者2人は観光客のようです。これからどこかへ行くのでしょうか。さて、駅付近で年越し蕎麦を食べようと思っていたのですが、ありつけませんでした。バスの中で眠りながら年越しです。みなさん、いいお年をお迎えください。

2014年12月30日(火)

 今日も外出はしませんでしたので、裏の水辺を注意していました。ヒクイナの食事時間がだいたい決まっているかと思っていましたが、そうでもないようです。昨日とは全く違う時刻でした。昨日よりはましな写真が撮れましたが、再掲載はもっといいのが撮れてからにします。しかし、見つけた時はだいたい姿を消す寸前ですからうまくはいきません。遠くに目をやると、30mほど離れている川の方で何か動いていました。新しいカメラで撮ってみました。オオバンですが、遠い割にはピントがよく合っていて解像度もなかなかいいようす。このメーカーのレンズは日本のデジカメでは唯一Leica製です。カメラがデジタルになる前に写真を始めた者にはLeicaは憧れの品でした。デジカメに付いていてもその品質は保たれているようです。今度のデジカメでも再認識しました。ドイツ製と言えば、40数年前の初めてのヨーロッパ旅行で記念に買ったMont Blanc の万年筆は今も愛用しています。日本の製品のあるものはその質においてはまだまだドイツに追いついていないのかもしれません。

2014年12月29日(月)

 雨は止んで今朝は霜の代わりに霧が出ていました。今日も外には出ませんでしたが、ふと外を見ると水辺で何か動いているのに気がつきました。どうやらヒクイナ(緋水鶏)のようです。急いでカメラの用意をしたのですが、ガラス越しでこんな写真しか撮れませんでした。この鳥は警戒心が強く開けたところで長居をすることはありません。最初に出会って写真も撮ったのは6月でしたが、3月に撮った写真もあります。でも真冬は初めてです。まだら模様のクイナが「冬水鶏」と呼ばれるのに対してヒクイナは「夏水鶏」と呼ばれています。『枕草子』や『徒然草』に登場する水鶏はヒクイナということになっています。しかし、夏水鶏というのは間違いかもしれません。少なくてもここには年中いるということがわかった出会いでした。

2014年12月28日(日)

 雨で外出しませんしたので、これは昨日の写真です。モズはカメラを構えても逃げないので、ジョウビタキとともに撮りやすい鳥です。でも背景がこんなんだとカメラによってはオートではピントがなかなか合ってくれませんが、これはなかなか良く撮れたと思ってます。実はここ数日の写真は新しいデジカメによるもの。ただし、新製品ではありません。少し大きめですが、胸のポケットにも何とか入ります。それで焦点距離が工学で24mm〜720mm (35mm版換算)。手ブレ補正もかなり強力なようです。昨日の夜景も手持ちでした。三脚は基本的に使わない私には鳥撮りにも使える「お散歩カメラ」として大いに気に入ってます。

2014年12月27日(土)

 ちょっと風邪気味なんですが、午後になってからまた墓地へ。家を出てすぐにモズ♀がいていいのが撮れました。国道から墓地の方に入る谷川沿いの道に入ったところ、私の自転車に驚いたようでカワガラスらしいのが水面をバタバタと橋の下に入りました。自転車を止めて覗いて見ると、今度は追っかけられないほど遠くへ行ってしまいました。帰りに見たキセキレイは何度も撮ってますが、カワガラスはまだ撮ってないので残念。出合頭の鳥撮りは出会っても半分以上は逃げられます。2時間墓地の掃除をしてやっと半分。後はまたにして帰宅。それから食料の買い出しに。途中で樹上にツグミの群を見つけたけどカメラを出した途端に飛ばれてしまいました。買い物が終わるとすっかり暗くなっいましたが、池の畔の道を帰って来ました。カモたちの鳴き声が響いていました。

2014年12月26日(金)

 今日も一応いい天気だったので、夏も秋も行けなかった墓地の掃除にやっと行って来ました。案の定、竹や木が幾本も倒れていました。まず、その片付けから。何とか終わったところで、もう疲れてしまいました。日があたらないところなので、汗もかきませんでした。それどころか寒くなって来たので終わりにしました。でも、谷奥から出て来るとまだこんな明るさでした。今の家は川沿いの道のずっと先にあります。左手の白いコンクリートの建物は小学校です。その向こうに中学校もあります。墓地も写真を撮ったところも今は隣町ですが、校区は昔の村のままで残っています。新たな合併で元の村がまた1つになることを望んでいましたが、実現しませんでした。

2014年12月25日(木)

 今日も風はあまりなく比較的暖かでした。本州には多くはないようですが、高知県には栴檀の木がたくさんあります。この木は「♪楝(おうち)散る川辺の宿の …」と「夏は来ぬ」に出て来る楝です。「栴檀は双葉より芳し」の栴檀は別種だとのことです。川端の栴檀の木で賑やかな声がすると思ったらムクドリ(椋鳥)が群れていました。ムクドリは街路樹に集まって糞害を与えて嫌われ者ですが、田舎でこんなところにいる分にはそう迷惑な鳥ではありません。栴檀の実を食べても誰も文句は言いませんし、悪い景色ではありません。

2014年12月24日(水)

 キリスト教徒でもクリスマスを祝わない人たちがいることを先日知りました。ましてやクリスチャンではない私にはクリスマスはほとんど関係ないのですが、クリスマスカードが外国から届いていました。返礼をしないわけにもいかないのですが、カードを買いに行く間もなくクリスマスが近づきました。そこでメール用に動画を作って送りました。野鳥に関心がある人たちなので喜んでもらえたのではないかと思っています。動画は写真左上に現れるマークをクリックしてください。

2014年12月23日(火)

 少し寒さが和らぎましたが、今日も午後は出かけねばなりませんでした。風はほとんどなかったので海辺を通ってみました。夕陽がきれいだったので、明日もいい天気でしょう。これは昔は波有手(ぼうで)と呼ばれていたところの漁港です。難読地名ですが地図からは消えた地名です。でも祭の組などでは今も使われています。中国語から来た読み方かと思ったんですが、中国語の発音に近いのは「波」だけなので違うようです。「旅する民俗学者」とも言われた宮本常一が2度も訪れていたところです。明治の初め頃に「自由になった」ということでここから朝鮮半島にまで漁船で出かけていた漁師がいたそうです。宮本常一は彼の話を聞きに訪れていたのです。その宮本常一の旅の跡を辿って本を書いた人がいます。そして彼もまたここを訪れています。それはその旅を『「忘れられた日本人」の舞台を旅する』(河出書房新社)として本にした木村哲也という人。彼はここの「いいね」にも名前を出してくれる宿毛の村宏さんの息子さん。縁というのはどこにあるかわかりませんね。

2014年12月22日(月)

 相変わらずの寒さですが、自転車で買い物に行きました。途中にちょっと回って通りたくなる池があるのですが、土手に葛や他の草が蔓延って通れなくなっていました。そこが通れるようになっていました。私のような散歩で通る人たちのためではないと思いますが、手入れをしてくれている人たちに感謝です。しかし、刈り取ったまま残されている葛の茎がチェーンに挟まってちょっと難儀をしたところもありました。でも、ともかく通れるようになったのはありがたいことです。池の水は抜かれていますが、ここも鳥たちが割といるところです。確かめたことはありませんが、それなりに餌になるものがいるのでしょう。カワウたちが同じ方向を見ていました。何か気になるものがいたようですが、私にはわかりませんでした。

2014年12月21日(日)

 今日もかなり忙しい日でしたが、会合に遅れそうで急いでいると道端でこんな鳥がいるのを見つけました。冬に訪れるツグミの若鳥のようです。近づくと逃げましたが、どうやら飛べないようでした。「落鳥はそのままにしておけ」というのが原則ですが、怪我していれば助けてやらねばなりません。片手で簡単に捕まえることができました。時間があれば動物病院に運んでやるところでしたが、慌てていたのであまり頭が回らず少し安全そうなところに置いておきました。今考えると、そのまま持って行ってから何とかしてやった方がよかったかなと思います。でも、今更どうしようもありません。難しいことでしょうが、無事生き延びてくれることを祈るのみです。ツグミはかつては焼鳥の代表で、カスミ網で捕まえられて数も減っていたようです。今はカスミ網の使用も禁止になり、どんな野鳥も捕まえることも飼うことも禁止されています。従ってツグミの数も増えているようですが、年によってほとんど姿を見ない時もあります。今日はこの冬で初めてのツグミとの出会いでしたが、後味はよくありません。

2014年12月20日(土)

 雨の1日でしたが、友の誘いでほんとうに久しぶりにバレーを観て来ました。場所は神戸文化ホール。演目は「くるみ割り人形」の2幕。素朴な感想ですが、人間の体があんなに軽々と動くのが不思議でした。私にはあまり馴染みがない神戸ですが、このホールは以前に何かで来たことがありました。しかし、それが何だったか私も友も思い出せません。2人とも歳ですね。終わったらすっかり日が暮れていましたが、夕食は2時間ほどかけて大阪湾の反対側に戻って来て客は私以外誰もいない喫茶店でしました。マスターと話があったからですが、潮騒の音を聞きながら先ほどまでいた神戸の方の灯を彼方に眺めるのもいいものでした。この喫茶店は粗末な建物ですが、薪ストーブもあって海も見えるし雰囲気は悪くありません。ここでまたライブなどいろいろやることを提案しています。

2014年12月19日(金)

 久しぶりに早起きして、「自然と本の会」の仲間6人と2年ぶりで湖北(琵琶湖の北の方)へ鳥見の旅。異常に寒くなった12月なので心配していましたが、風もなく意外に暖かい日で助かりました。大阪府の南部からだから片道4時間ほどかかりました。いつもは湖岸や田んぼの中を歩いて、名物になっているオオワシ(大鷲)は野鳥センターのスコープで見せてもらって満足していました。今日は湖とは反対側の山本山の近くへまず行きました。オオワシはオホーツク海で繁殖するそうで、本州まで渡って来るのは少ないそうです。ここが南限かも知れません。たった1羽ですが、今年で17年目だとのことです。かなり評判を呼んでいますので、観光バスで訪れている人たちもいました。近づいたとは言っても山の中腹の木に止まっているので、その場所を教えてもらっても自分ではなかなか見えません。やっと双眼鏡の中に入れても、カメラを構えるとまたどこだかわからなくなります。そんなことを何度か繰り返してやっとカメラで捉えることが出来ました。これが国の天然記念物になっているオオワシ♀です。かなりのお婆ちゃんだということです。湖の方にはヒシクリ(菱喰)やコハクチョウ(小白鳥)やカンムリカイツブリ(冠鳰)もいました。

2014年12月19日(木)

 Walkers の shortbread はなかなかいい味でした。箱の2人の人物は Bonnie Prince Charlie(ボニー・プリンス・チャーリー)と Flora MacDonald (フローラ・マクドナルド)です。Bonnie は beautiful という意味で、彼は大変な美男子だったようです。彼女はスコットランドの豪族の娘。しかし、この2人は恋人同士だったわけではありません。Bonnie Prince Charlie は英国を追われた王の息子。その王位を取り返すためにスコットランドに上陸し、ジャコバイト党 (the Jacobites) の支援を受けて、破竹の勢いでEdinburgh(エディンバラ)を落とし、更に南下して Derby(ダービー)まで行きます。しかし、そこで反撃にあい退却の一路。ついに Culloden (カローデン)というところで彼の軍は殲滅させられます。Bonnie は高地地方を転々と逃げ回りますが、Flora の助けで彼女のメイドに扮装させられてスカイ島(Skye Island)に落ち延びます。そのスカイ島へ逃げるボートのことが歌の歌詞になっています。ご存知の「ロッホ・ロ-モンド (The Bonnie Banks of Loch Lomond) なども彼に関連した歌です。"My Bonnie Lies Over the Ocean" という歌も彼のことを歌っているとも言われています。Bonnie は更に大陸に落ち延びますが、不遇のまま生涯を閉じたようです。多くのスコットランドの若者たちを死の国に送り込んだ張本人ですが、スコットランドでは美化されて永遠の命を与えられているようです。

2014年12月17日(水)

 各地で大荒れの天候でしたが、こちらでも久しぶりに関西空港へ渡る電車がストップするという強風の1日でした。寒さには弱い私ですが、朝から自転車で市内の中心部へ出かけていました。行きは大したことはなかったのですが、帰りは向かい風で上り坂が多いのでちょと難儀をしました。でも自転車から降りたのはほんの少しの間でした。ギアの効果は大きなものですね。そして夜も出かけていたので、風と寒さはまともに体験しました。寒さに割と強くなったのは年のせいで感覚が鈍くなっているのかも知れませんが、去年あたりから乾燥生姜をせっせと摂取している効果が出ているのかな、とも思っています。ところで、まだ口には入ってませんが、こんなものを手に入れました。テレビの『マッサン』でエリーが「スカイ・ボート・ソング (The Skye Boat Song) を歌っていたことがあります。そのメロディーは知っていたのですが、歌詞や内容は知らなかったので調べているうちにこのバッタークッキーに辿り着きました。あの歌はスコットランドでは子守歌になっているそうですが、歌詞には悲壮な歴史が秘められていました。タータンと共にその主人公がこの会社の製品のシンボルともなっていてパッケージに使われています。

2014年12月16日(火)

 クリスマスが近づくと日本でもあっちこっちでイリューミネーションが出現するようになりました。このイリューミネーションは市役所のですが、残念ながら我が市ではありません。青色が多くて寒さが一層厳しく感じられる照明ですが、3人のノーベル賞を受賞者に敬意を表しているのでしょうか。最近は外国旅行から遠ざかっていますが、あの晩餐会の場所やノーベル博物館へは行ったのもいい思い出になりました。近くに泊まっていたのでノーベル博物館は無料の時を選んで入ることができました。レストランの椅子の裏の受賞者の署名はアナログで楽しかったのですが、博物館の展示は旧市街にあるにしてはあまりにも電子化されていて何か物足りない感じがしました。あの博物館よりは旧市街をぶらついていた時の方が楽しい気分でした。

2014年12月15日(月)

 11月15日に池の浮桟橋でミズカメムシの写真を撮っていた人の本が我が阪南市立の図書館に2冊ありました。『日本原色カメムシ図鑑』と『原色川虫図鑑』です。「昆虫の写真を撮るのが楽しくてしかたがない高井」幹夫という人でした。もう退職されている年齢ですが、高知県農林技術センターにお勤めだったようです。「昆虫では飯が食えない」と聞いていますが、好きな昆虫採集を仕事にできた幸せな人の1人のようです。地球上で一番多い生き物が昆虫だそうですが、その昆虫の中のカメムシだけでも55,000種ほど知られているそうです。川の中の虫だってどれだけいることか。写真を撮るのが好きでも、こんな小さな生き物は私の手には負えません。また出会えたらいろいろ聞いてみたいものです。

2014年12月14日(日)

 今日はまた小さな同窓会に行って来ました。少人数なのにほとんど半世紀ぶりの顔もありました。場所は岸和田駅から10分ほど歩いた料理屋。酒はほとんど飲まない私ですが、場所選びを任されたのでちょっと縁ががあった昔馴染みの店。NHKの朝のドラマだった「カーネーション」に登場した料理は全て作っていたというところ。大女将はドラマに登場もしていたとのことですが、それには全く気がつきませんでした。ランチメニューということでしたが、量もあり味はよい上にうれしい値段でした。かなり賑わっていたのに長時間の楽しい「男子会」をやらせてもらい、特別サービスもありました。駅まで戻ると、貝塚に住んでいる2人が歩いて帰るというので付き合いました。写真は貝塚の昔の商家が並んでいるところ。そこに2人の親しい人が住んでいます。そのうちの1件に寄ってまたおしゃべりをして来ました。選挙結果はあまりおもしろくありませんが、寒さは気にならない楽しい半日でした。

2014年12月13日(土)

 「自然と本の会」で毎年行っているバード・カービングのバッジ作りの日でした。先生には大阪湾の向こう側の西宮から来ていたいています。バード・カービングと言っても、原形は作ってくれているのでやるのは最後の工程の磨きと色塗りだけです。それもブローチやバッジにするので半面だけです。それでも2時間ほどはかかりますが、世界で1つだけのブローチやバッジが出来上がります。子どもたちにもできるだけ参加して欲しかったのですが、今年も行事がいろいろ重なっていたようで3名だけでした。1組の親子がこんな感想を寄せてくれました。「色をぬるのがむずかしかったけど、じょうずにできたのでうれしかった。(シュンペイ)子どもといっしょに作って楽しかったです。よい体験ができました。(アツコ)」。多くの大人たちももちろん楽しくやってました。残念ながら、私はいつも見てるだけで終わっています。

2014年12月12日(金)

 雨は降ってなかったので夕方、運動を兼ねて自転車で出かけていました。最後に "Closed" と出ている海岸縁の喫茶店にも寄りました。薪ストーブの傍でご満悦の子猫ちゃんたちがいました。名前を聞くと「ない」とのこと。彼らは「海岸猫」、つまり野良猫でした。「可哀そうだから入れてやってるだけ」とか。私の方は夜になって、これとは対照的なところ、元小学校の体育館へ出かけました。体育館が夏は非常に暑くて、冬は非常に寒いことはバレーボール部の顧問(監督)だったのでよく知っています。そこは市民の交流の場として再整備されたところだから、冷暖房は設置されているだろうと思っていましたが、それは甘いか考えでした。親しい何人かの市会議員の顔も見えたので訴えておきましたが、彼らもそれはわかっていました。ストーブは用意されていましたが、無いよりはいいという程度だったでしょう。よく鳥の写真を撮りに出かける川の水源部に産業廃棄物処理施設が計画されていて、その現状とこれからのことを聞くための会でした。その水源地は和歌山県になるのですが、地盤的にも大変弱いことがわかっています。下流になる大阪府側にも影響がないはずがありません。地元の人たちは結束して反対をしているのですが、見通しはあまり明るくないようです。こちら側も市民が立ち上がっているのです。寒さにもめげずかなりの人たちが参加していました。

2014年12月11日(木)

 雨が降って寒い日でした。最近では珍しく特に用事もなかったので終日家で過ごしていたら、思いがけなく素敵な本が届きました。高島さん、ありがとうございました。写真もすばらしいのですが、散りばめられた言葉がいいですね。知ってたのもありますが、知らなかったのもたくさん。表紙はジョウビタキ(尉鶲)ですが、尉は「炭火が灰になったもので、その色から灰色の頭髪を連想し、老翁を意味するようになった言葉」とちゃんと出てます。見慣れた鳥ですが、チャンスがあれば写真を撮りたくなるカワセミは漢字では翡翠。「翡」は雄で翠が「雌」だとか。「そに鳥」ともいい「青の枕詞」で、宝石の翡翠はその青からだとのこと。ちょっとした時間にあっちこっち拾い読みするのにいい本です。俳句で使える言葉もかなり覚えそうです。

2014年12月10日(水)

 「自然と本の会」の会報『自然ふれあい便り42号』が出来ました。今号からカラー印刷としました。A5版で12ページです。こんなものでも業者に頼むとかなり高くつくと思いますが、編集から版下(印刷用の原稿)作成と印刷まですべて自前です。これまではモノクロのレーザープリンターを使っていました。それでも謄写版に比べると写真もかなりきれいでした。でも、植物や鳥の写真・イラストなど、「カラーだったらいいのに」と思うことがよくありました。インクジェットプリンターを併用して「一部カラー」という方法もないわけではありませんが、手間と時間がかかります。調べてみるとカラーレーザープリンターもかなり安くなっていて、我が会の小さな予算でも買える金額でした。インクジェットプリンターがカラーはきれいだと言われているので、ちょっと心配でしたが杞憂に終わりました。普通紙ではカラー写真でも十分きれいに出ています。カラーになるとトナー代はそう安くはありませんが、インクジェットよりは安いし、スピードもやはり速いのがいいところです。ただ、少々面倒なところもあるので私の負担が増えたのがちょっと難です。でも、嫌いなことではないので後継者が育つまでやろうと思っています。

2014年12月9日(火)

 ちょっと寒さが緩んで割と暖かい日でしたので、午後の散歩にミヤコドリの様子を見にで行ってみました。見つかったのは1羽だけでしたが、波打ち際でせっせと貝を獲っていました。川を少し遡ってみるとマガモ・ヒドリガモ・カルガモ・コガモの群が浅瀬で餌獲りをしていました。久しぶりにコガモ♂の写真を載せてみます。コガモ(小鴨)は文字通り他のカモ類に比べると小型で可愛い感じがします。雌は他のカモたちと同様に地味ですが、雄のこの顔を初めて見たときには驚きました。まるで仮面を被っているようです。もう見慣れましたが、この顔を見るといつも楽しくなります。

2014年12月8日(月)

 この泉南地方にもう半世紀ほど住んでいますが、我が家は夫婦とも高知県で生まれて育っているので食文化は高知にいるときとあまり変わっていません。鰹のタタキだとかイタドリの煮物は食卓にはよく上りますが、ガッチョだとかシャコだとかいうものは家では食べたことがありません。「大阪の家庭にはたこ焼き器が必ずある」なんてことも我が家にはあてはまりません。高知とは違った海産物が豊かなこの地方にいてちょっと寂しい気もしてますが、今日は「ごより」なんてものもあることを知りました。もっとも、これは泉南でも岸和田の食べ物のようです。「ごより」は「御選」と書くようです。地引網にかかった魚類で商品にならなかった屑のようなものの中から選んだ小さな魚や蝦などを干したものを言うとのことです。それが食べ物だから「御」を付けたのだと教えてもらいました。「ごより」の実物は見せてもらいましたが、それを材料にした料理は残念ながら今日は味わえませんでした。

2014年12月7日(日)

 「マリアと猫の手」の Jazz&Popsの生声ライブの2回目がありました。15名で満席なので多くの人に声を掛けられないのが残念。店名も秘密ではないけれどあえて書きません。ちょっと早いけどクリスマスバージョンでした。オープニングはフェアリー(fairy)と名乗るゲストのフルートで「カンツリーロード」。もう1人ショーナ(seanna)と名乗る女性のゲストがいてカーペンターズのカレンもびっくりしそうな低音。タロウさんも前回と同様にギターで協力。猫の手のキーボードもスピーカーを前回の後で紹介したタイムドメイン・ミニになって実にいい音が出ていました。マリアも前回より落ち着いていい声が出ていてショーナとの「アメィジング・グレィス」のデュエットはなかなかいい味でした。次回はもう少し広い場所になりそうで、もう少し多くの方々に参加してもらえそうです。でも、「できるだけマイクを通さないで」というのが私の要求です。

2014年12月6日(土)

 朝は海岸の清掃でした。寒いので心配しましたが、思ったよりも多くの人たちが集まってくれました。会員12名に加えていつものように海上保安庁の職員の方たちも4名が参加してくれました。気温は2℃でしたが、思っていたほど風はあたらない場所で助かりました。相変わらずプラスチック系のゴミがたくさんありました。漁網だと思われる網もありました。自分たちが魚を獲る海なのに、その道具もちゃんと始末ができない人たちがいるようです。大きな流木も砂に半分埋まった状態でしたが、私たちは手を出さずにいました。ところが、海上保安庁の方たちが4人で持ち上げて邪魔にならないところへどけてくれました。さすがに日ごろ訓練をしている人たちです。そんなわけで1時間ちょっとでしたが、ゴミ袋12個と車輪など大型ゴミが集まりました。かなりきれいになりましたが、1週間もすればまた元の木阿弥でしょうね。

2014年12月5日(金)

 四国でも雪が積って大渋滞が起こっているようで、今日もなかなか寒い日でした。時間があればミヤコドリの様子を見に行ってみるつもりでしたが、残念ながら行けませんでした。従ってこれは少し前の写真です。アサリなど二枚貝が多くておいしいと評判のところですので、彼らはここをなかなか気に入っているようです。このまま越冬してくれることを鳥好きの人たちは望んでいるのですが、この寒さでもいてくれるでしょうか。ところで、古典の『伊勢物語』で「名にしおわばいざ事問はむ都鳥わが想う人は在りや亡しやと」と歌われた都鳥はこのミヤコドリではなく、ユリカモメだというのが常識になっています。しかし、改めて伊勢物語を読んでみると、ユリカモメだとは断定できないのです。都鳥とはいいながら、都の京では見られない鳥だと書かれています。それがどうして都鳥になるのでしょうか。「ミヤと鳴く鳥だから」という説もあります。鳴き声がミヤと聞こえるのはウミネコが一番です。そもそも、昔の人たちが現在のバードウォッチャーがするようにカモメ類を区別していたとも思えません。また、この写真の今は珍しくなっているミヤコドリが当時はもっと多かったのではないかという説もあります。そして、この鳥がなぜミヤコドリ(都鳥)と呼ばれるようになったかもどうも謎なのです。鳴き声はミヤに近い音でないようです。身近で見られるとは思わなかった喜びの鳥ですが、私には謎が深まるばかりの鳥でもあります。

2014年12月4日(木)

 『和泉名所図会』という江戸時代末期にできた本で神於寺と貝掛の松をあたってみました。神於寺は「じんおじ」とかなが振ってあります。今はかなり下にある宝勝権現が山の頂上付近にあったようです。本堂は恐らく今の位置でしょうが、既に建物はかなり少なくなっているようです。同じ本に「貝掛松」についての記述もあります。図はありません。「貝掛松 貝掛村にあり 土人曰 むかし盗賊ありて神於寺の什寶の法螺を取て此地を通るに其貝吹ざるに大に鳴る 神於寺より此の音を聞て追手をかくる 盗人恐れて此所の路傍の松にかけ逃去ると云云」。今日、近くの病院へインフルエンザの予防注射に行って待合室にあった本を手に取ると、行遭堂(いきあいどう)というのが目につきました。そこは盗まれた神於寺の法螺貝を取り戻すための追手の人々が集合したところだとか。ちょっと興味を持ち始めるとこんな出会いもありました。

2014年12月3日(水)

 今日は昨日よりも更に寒かったようです。昨日訪れたところは岸和田市の神於山(こうのやま)でした。まず、行ったのは神於山の南面です。途中で教えてもらったところを上がって行くと、このあたりの古い民家のような長屋門がありました。そこに「天台宗 神於寺寺務所」と書かれていました。でも寺らしい建物は見当たりません。ともかく聞いてみようと中に入りました。声を掛けても呼び鈴を押してみても誰も出て来ません。諦めて、多くの人が利用する登山口へ回って頂上を目指して歩きました。頂上の展望所に着く少し手前に分かれ道があり、ちゃんと「神於寺0.9km」と書いてありました。頂上で撮った写真が昨日の写真です。上は寒かったので、そこに戻って昼食をとってから神於寺を目指して下りてみることにしました。途中の道は紅葉が大変きれいで京都など行かなくても十分なくらいでした。かなり下ったところで寺の屋根のようなものが紅葉の間から見えて来ました。そのあたりにいくつかの建物があり、やはりそこが神於寺でした。そこで納得がいきました。先の寺務所の前の道が石段だったら、上に寺があると思ったでしょう。でも車でそのまま通れる道で先に建物は見えなかったので寺は別のところだと思ってしまいました。下りて行くとやはり元の寺務所の前に出ました。こんどは住職だという平服の男性が出て来てくれました。「貝掛」の話をするとちゃんと知っていました。そして、この寺の事を書いた冊子を2冊出してくれました。貝も保存されているとのことでした。宝物をそう簡単には見せくれそうになかったので次回にして、一応の目的を達して帰って来た次第です。

2014年12月2日(火)

 真冬なみの寒さという1日でしたが、友人の案内でちょっとした山歩きをして来ました。奥さんが山裾まで車で2人を運んでくれ、迎えにも来てくれました。低い山ながら頂上からの見晴は非常によくて関西空港や神戸の山並みはもちろん、花火で有名なPL教団の白い塔もよく見えていました。落ち葉の小道や紅葉もなかなか見事でした。しかし、今日の第一の目的は山歩きではありませんでした。その山裾にあるはずの寺に行ってみたかったのです。今住んでいるところに貝掛という地名がありますが、その寺と深い関係があるのです。昔、その寺から宝貝(法螺貝だったのでしょう)を盗んでこの近くまで逃げて来た男がいたそうです。ところが、その貝が大きな音で鳴り始めた、恐くなったその男はそこにあった松の木にその貝を掛けて逃げて行ったそうです。その松は今はもちろんありませんが、地名の由来として語り継がれています。ところが、案内してもらった友人も山には何度も登ったことがあっても、そんな寺があるなんて全く知らなかったとのこと。昔はその山に100を超す堂塔のある大きな寺院だったそうですが、今は訪れる人もあまりいない小さな寺になっていましが、ちゃんと残っていました。そして例の貝もその寺に戻されていて現存するということを知ることができました。でも、長くなるのでその話はまた日を改めたいと思います。

2014年12月 1日(月)

 12月になった途端に天気が悪くなり寒さも訪れました。しばらくは寒さが続くようです。寒さに備えて生姜をせっせと摂りたいと思っています。今日訪れたお宅の庭にこんな花が咲いていました。ジンジャーだとのこと。ジンジャーは Ginger で生姜のことですが、花を見たのは初めてのような気がします。しかし、調べてみると食べる生姜と園芸用とはよく似ていても属が違うとのことです。これは多分、後者だと思いますが、残念ながら私には断定ができません。生姜はよく見ていても花が咲いているところを見たことがありません。花が咲く前に畑から無くなってしまうからでしょうか。観賞用の方は本来は ginger lily と言っていたようですが、lily が取れてしまったようです。和名では縮砂または花縮砂というようですが、あまり使わないとのことです。日本語では生姜とジンジャーは違うということを知りました。

2014年11月30日(日)

 約40年前の教え子たちの同窓会に呼ばれて出席しました。同窓会にはあまり出席していないのですが、この人たちのは前回、と言っても20年前、も出席しています。忘れることも多くなっていますが、不思議にほとんど全部の人たちの名前も顔も覚えていました。でも、宴席になると酒に弱いこともあって自分の席を動かないので、話が出来たのはわずかな人たちで残念でした。まだ還暦前の人たちでそれそれの職場で重要ポストに就いている人たちが多いようでした。ちょっと弱体化している日本を支えてくれている人たちだと感じました。後少し踏ん張ってもらって、後の人たちを育ててバトンタッチして欲しいと思います。しかし、驚いたのは既に鬼籍に入っている人が意外に多かったことです。そんな人たちの顔も思い出して会っておきたかったなと思いました。幸いまだこの世で活躍できている人たちは体も頭も共に元気を保ってまた再会して欲しいと思います。15才も違うのでちょっと厚かましいですが、私もその日を楽しみにしていたいと思います。記念品としてこんな似顔絵をいただきました。ちょっと男前に描きすぎのようです。今は見る影もなくなった髪の毛もこの頃はこれくらいはあったでしょうし、団子鼻もこのとおりだと思います。しかし、目は残念ながらこんなにパッチリしてません。でも、うれしい贈り物でした。

2014年11月29日(土)

 たくさん送ってもらったカボチャを少しずつ薄切りにして干してみることにしました。台所にある金網は小さいので少ししか干せません。近くのホームセンターで物色してみましたが、台所用品のところにはこれだと思うものがありませんでした。でも、他の用品が並んでいるところでこんな網を見つけました。台所用のものよりもずっと大きくて内径が36cmあります。しかも目の大きさが違う網が3つ付いています。値段は1080円。これに決めました。3段重ねにすることもできるし、2段重ねで1枚は虫除けにもできます。道具本来の目的外の用法を見出すのは楽しいことです。

2014年11月28日(金)

 関西空港の対岸を電車の駅6つ分を「素敵歩き」。65才~80才の爺さんばかり8人になりました。海岸に清水がわき出ている弘法清水と言われるところ、恐らく市内で一番りっぱな寺である本願寺別院、馴染みの菓子屋にも寄ったりしながらブラブラ歩きです。とぎれとぎれにある海岸の遊歩道を通りよく行く河口に到着。ミヤコドリ3羽がまだ留まっていました。来てから約1ヵ月ですが、餌になる2枚貝が豊富なところなので気に入ったのでしょう。もう少し寒くなったらどうかわかりませんが、このまま年越しをしてくれるかも知れません。対岸にはハクセンシオマネキがたくさんいる干潟があるのですが、残念ながら潮が満ちていて見えませんでした。いつもは弁当持参ですが、今日の中間点くらいのところに地産地消の店があって、「漁師ん家」という食堂で昼食。近くに漁港があるので、主にそこで上がったものを出しているのでしょう。もちろん魚は新鮮ですし、量もたっぷりあって値段もかなり安めです。私が注文したのはマグロ丼。マグロがたっぷり乗っていました。写真は1切れ食べてから撮ったのですが、これで650円。アナゴ天ぷら丼は大きなアナゴの天ぷらが2つも乗っていて、満腹どころか食べきれない人もいました。それで850円。次回はそれに挑戦してみようと思っています。そこから後の半分を歩いて本日は終了。約2万歩でした。14kmほどでしょうか。

2014年11月27日(木)

 ぐずついた天気が続いていましたが、いい天気が戻って来ました。こんな雑誌が届きました。発行元は高知市にある「平和資料館・草の家」ですが、送り主はこの中に「詩歌を武器にー槇村浩の足跡を追ってー」という記事を書いている和歌山の友人Kさん。槇村浩は「まきむらこう」と読みます。関西では著名な木津川計さんが同じ号で「高知には三人の先覚者がいた。坂本龍馬、幸徳秋水、槇村浩である。三人とも志半ばで無念と非業の死を余儀なくされた」と紹介しています。幼時には神童と言われながら、刑務所での拷問が元で26才でこの世を去らざるをえなかったプロレタリア詩人です。代表作は『間島パルチザンの歌』。私は伝記も読み、詩集も読んでいますが、広く浅くの輩なのでそれで終わっています。でも、彼は大変興味を持って調べ、関連の旅にも参加して私よりはずっと詳しくなっています。ピースボートの旅でも語り、この特集号にも寄稿したというわけです。実際は2年前に発行される予定だったのですが、少し手伝った彼の原稿も活字でやっと読めました。

2014年11月26日(水)

 家庭菜園をやっている友からカボチャのいろいろが届きました。カボチャは私の毎朝の必需品です。親譲りで血圧が高くなるので食べ物で何とかならないかと努めていました。しかし、酢だとか粉寒天だとか、いいと言われるものをいろいろ摂ってみても一向に効果が現れませんでした。ある年上の友がカボチャの効能を書いた記事を送ってくれました。カボチャは嫌いではないし高価でもないので、少量ながら毎朝食べることにしました。何ヵ月か続けているとかなりひどい立ち眩みが起こるようになりました。血圧が下がり過ぎているのではないかと思いました。もう飲まなくてもいい状態ではないかと思いますが、飲まないのも心配なので一応医者には行って薬はもらっています。しかし、量はかなり少なくなっています。同じものでも体質にもよって効く人と効かない人があるでしょうが、血圧の高い人は試してみてください。

2014年11月25日(火)

 久しぶりの雨でした。干し柿がなかなかうまく出来ていましたが、留守にしてそのまま置いておくと全て食べられていたことがあります。多分、鳥たちだと思います。それで半日で届くので宅急便で送ってみました。何とかそのままでいてくれるだとうと思ったのですが、届いた時には半分は形が崩れていて干せない状態だったそうです。それでも半分以上は何とか干せましたが、形が崩れてしまったのは更に干してから鍋で煮てみました。渋柿のジャムが出来ました。渋柿のジャム・柚子を加えた甘柿のジャム・甘柿だけのジャムの3種類が出来ました。渋柿のが色も濃くて一番甘くなって粘りもあります。餅や饅頭の餡にも使えそうです。柚子を加えて煮た甘柿のはちょっと酔っぱさがあります。甘柿だけのもかなりの甘さです。3種の柿ジャムを作ってみた結論は「甘くても渋くても日に干して熟させて水分もかなり飛ばしておけばジャムが簡単にできる」ということです。皮は固いうちに剥ぐ方が樂なので柿酢用にして、甘柿はそのまま口に入れてもよし、渋柿同様に干しておいてジャムにしてもよし。餅や饅頭の餡かケーキに入れてみてもいいかなというところです。ケーキは作ったことがないので何方かやってみてください。

2014年11月24日(月)

 まだ11月でも冬の気配が強くなりましたが、今日も昼間はいい天気でした。カンムリカイツブリ(冠鳰)が来ていると聞いて自転車でちょっと遠出をして来ました。ここ大阪府の南部でも初めてというわけではありませんが、かなり珍しい鳥です。繁殖の南限は琵琶湖だと言われていましたが、今はもう少し南になっているようです。求愛行動はかなり面白い鳥なので、こちらでも繁殖してくれたらいいのですが。かなり遠かったのでこんな写真が精いっぱいでしたが、カイツブリ類の中では一番の大型でスマートです。冠羽が見事なので嘗ての英国では婦人の帽子の飾りに使われて絶滅の危機に瀕していたそうです。上流階級の婦人たちが立ち上がり、現在の王立鳥類保護協会(Royal Society of Protecting Birds) が出来たと言われています。しかし、RSPBのシンボルは Avocet ソリハシセイタカシギ(反嘴背高鴫)で、日本では稀な旅鳥または冬鳥だと言われている鳥です。でも、Avocet という自転車の部品メーカーがあるようで、私の自転車のサドルには Avocet と書いてあって身近に感じます。

2014年11月23日(日)

 今度は長野県の白馬村や小谷村などで大地震。死者は1人も出なかったのは幸いでしたが、これから寒さに向かうというのに住む家を奪われてしまった人たちがたくさん出ました。日本中でいつどんな災害が起こるかわからない時代になりました。近くの原発には影響がなかったようですが、福島も未だに Not "under control" だというのに、それを忘れたかのように原発を再稼働させていることに対する天の警告ではないでしょうか。神城断層が動いたということですが、神城は懐かしいところです。40年ほど前、学生村というのがありました。幾夏かその地区の民宿で大学受験を控えた高校生たちに付き合ったことがありました。あの民宿にはもうしばらく行ってませんが、今もあれば大きな被害を受けたでしょう。一方、自然はもっと穏やかに人間たちに警告を発しているのかも知れません。まだ紫陽花が咲いていましたが、実は庭には鈴虫花がまだ咲いています。ところが日当たりのいい川端に目をやると喇叭水仙がもう咲いていました。「沈黙の春」も近そうですし、植物も季節がわからなかくなっているのかも知れません。

2014年11月22日(土)

 14日から吊るした柿は今朝は中まで完全に軟らかくなっていました。後は更に水分が抜けて色も濃くなって来るのを待つだけです。「柿酢」という情報を戴いたので早速やってみました。これまでは捨てていた皮が必要だということで、生ゴミも減って一石二鳥です。普通は丸ごとの実を使うようですが、熟して剥く皮には実の部分がかなり残っています。捨てるのはヘタだけで、1個からジャムと酢と両方できるとは嬉しいことです。壺では中が見えないので瓶に入れました。このままで雑菌が繁殖しなければ柿酢ができるということですが、さて、どうなるでしょうか。今日は熟れ過ぎの新高梨も手に入ったので、熟れた柿と1個ずつでジャムにしてみました。これもなかなかいい味です。

2014年11月21日(金)

 しばらく会っていない身内の人たちを訪問して来ました。JRの駅からの帰り、いつもは通らない道を歩きました。その途中にこんな看板があります。元は父たちが依頼した看板屋の作でしたが、見る影もなくなっていたのを私の母校でもある地元の中学生たちが作り直してくれました。「きたぞえきちま」と読みます。このあたりの若い庄屋でした。右手に入った山際に屋敷跡があります。「思ひきや亡き数にだに入らずしてまたも都の春を迎えし」と彫られた石碑が建っています。勤王の志士でした。死をいつも意識していたことが伺えます。坂本龍馬の元で蝦夷地調査などしています。司馬遼太郎の『龍馬が行く』では池田屋で階段を降りて騒ぎの様子を見に行き、真っ先に斬り殺された人物です。真偽のほどは定かではありません。父が伝記を書いていますが、残部はありません。興味のある方は佐川町立「青山(せいざん)文庫」などでご覧ください。

2014年11月20日(木)

 初夏の写真ではありません。昨日、投入堂の後で行ったオオタオ山で撮ったものです。山というより広場がある峠なのでオオタオは「大峠」でしょうか。山は意味が忘れられて後から付けたものかもしれません。そこに紅葉のシーズンだというのに紫陽花が咲いていました。山では季節外れに枯れかかって青いところが少し残っているのは幾度か見たことがあります。しかし、幾つもの花がこんなに青い状態でまだあるとは驚きました。やはり異常気象のせいでしょうか。植物にとっても戸惑いの時代でしょうか。

2014年11月19日(水)

 島根県に有名な「投入堂」がありますが、高知県にも「土佐の投入堂」があります。私は以前に行ったことがあるのですが、仲間が行きたいというのでまた行って来ました。聖神社が正式の名前ですが、谷上の巨大な岩の窪みにお堂があるのでこう呼ばれています。明治時代に造られていたそうですが、荒れ放題になっていたのを1人の大工さんが中心になって修復しました。そして参拝道も対岸から眺めるための道も造られてれています。その大工さんが保存会の代表で、前回には案内してもらいました。今回もお願いしたのですが、他の用事が入っているということで私が記憶を頼りに案内することになりました。少し迷うところもありましたが、狭い急坂を登り写真のとおり対岸から眺めておいて、更に登って狭くなった谷を渡り、かなりの下ってからまた急な道を登って聖神社に参拝して来ました。その後もあるのですが、今日の報告はこれくらいにしておきます。

2014年11月18日(火)

 車を手放し免許証も返上したので、食料品買い出しには自転車を愛用。泥除けも荷台もありませんので、ナップサックを背負って行きます。雨の日はまず乗らないのでいいのですが、舗装してない小さな道も走るので雨上がりの日にはかなりの泥跳ねがあります。泥除けを付けようと思いましたが、荷台兼用のがあったのでそれを注文しました。今朝、届いたので取り付けました。違和感はありません。荷台は小さいし重量制限は10kgなので大したものは乗せられません。それでも、買物の時に背負う分量は少し減りそうです。スピードメーターも付けたので走行距離も分かって乗るのがより楽しくなりました。

2014年11月17日(月)

 よく散歩に行く池には渡りの鴨類はまだあまり来ていません。カルガモやオオバンは年中いますが、ヒドリガモが目立って来たところです。マガモも少しいます。カモ類のオスのほとんどはなかなか派手な色や模様をしていて目立つので、種類はすぐにわかります。しかし、メスはちょっと見にはどれもよく似ていて単独でいられると困ります。明らかに違うのが1羽いました。どうやらオカヨシガモ(岡葦鴨)のメスのようです。このカモはオスも地味でオカの付かないヨシガモ(葦鴨)とは大違いですが、上品な感じがして好きな人が多い鴨です。この池にはヨシガモは毎年来ていますが、オカヨシガモは初めてではないかと思います。うれしいことです。オスも来てくれるといいのですが。

2014年11月16日(日)

 友達から誘いがあって「村の駅」(「道の駅」ではありません)のオープンの式典に行ってみました。挨拶やテープカットがあって、環頭太鼓(環頭太刀というのが村にある国宝だから)という和太鼓の演奏がありました。ほとんどが女性でしたが、なかなか迫力がありました。最後は餅投げ。駐車場ですが、反対側にもあって子供達と付き添いはそちらにいました。飽食の時代ですが、縁起物ということで、驚くほどの人々が集まっていました。私はしばらく写真を撮ってから参加。拾えなくてもいいし、1つ拾えたらいいやと思って後ろの方にいました。偶に飛んで来る程度でしたが、左手はカメラを抑えていたので右手だけでしたが、うまい具合に1個取れました。もういいとも思ったのですが、粘っていたら3個になったところで終了。人数が多かったので取れなかった人もいたようです。眼鏡を外して頑張っていた友達は2つで、欲のなかった私の方が多いという結果になりました。世の中はこんなものかも知れませんね。

2014年11月15日(土)

 今日も昼間はかなり暖かく秋らしい日でした。高知県に国宝は2つしかないそうですが、今日はこの村にあるその1つの年1回の公開日でした。3年前のグラウンド・ワーク研修会で出会ったBさんが見に来るというので、ちょっと足を伸ばしてもらって散歩コースの池まで来てもらいました。こちらの方には何度か来たことがあるそうですが、「こんなところがあるとは知らなかった」とのことでした。そんな人は案外多いのです。ここは高知県、いや、四国で最初のグラウンド・ワーク発祥の地でもあるのです。浮き桟橋の上で水の中を覗き込んで何か撮影している人がいました。「何を撮ってるんですか」と問うと「ミズカメムシ」だとのこと。水面で泳いでいる2〜3mmくらいの小さな虫でした。「図鑑用に撮影している」とのことでした。『カメムシ図鑑』の著者の1人であるTさんでした。いい人に出会えました。今年はカメムシに縁がある年のようです。

2014年11月14日(金)

 甘柿は口でも処理してますが、そうは食べられません。味噌汁にも入れます。これは私の発見。味噌汁が実においしくなりま。軟らかくなり過ぎたのはいくつか集めてジャム用。耐熱容器に入れて電子レンジで様子を見ながら加熱。30分ほどでできました。これは昨夜。今朝、食パンに付けて食べてみました。砂糖は全然入れてませんが十分すぎるほどの甘さでした。渋柿は例年はまた別の友達が取りに来るのですが、今年は不要だとのこと。26個しか有りませんでしたが、自分で処理しなければなりません。ついうっかりと甘柿と同じように枝を切ってしまったのが間違い。紐で吊るせるのは4個だけ。後は竹串に刺して両端を縄に通して吊るさねばならなかったので少し手間がかかりました。でも、寒さがやって来て天気がいいので早くでき上がりそうです。

2014年11月13日(木)

 迷惑なような、ありがたいような柿です。家のこの部分が建てられる前から植わっていました。道路端の家なんですが、元は道路と少し離れていました。その頃は交通量も今よりは少なくて砂利道でした。でも舗装が繰り返されると共に道幅も広がり、側溝にも蓋がされて道路と家がくっついてしまいました。従って落ちた実は道路に激突で割れてしまいます。車の上に落ちたのもあるでしょう。熟して来るとその数は更に増えます。根元から切ってしまえば世話はないのですが、それもする気にならず今日に至っています。今日は屋根にも上がって枝も切りながら全部採りました。道路の上になっている枝は全部切られて、根元はコンクリートで固められている状態です。でも、毎年また枝を伸ばしてたくさん実をつけるのです。今年もかなり落ちていたのに150個ほどありました。こんなのでも欲しいという友達がいて、毎年2/3は持って行ってくれます。残りの1/3とまだ渋柿が少しあるので、これから数日は柿の実と格闘です。

2014年11月12日(水)

 小さな目立たない花ですが、これでも菊科だそうです。田んぼの周りなどちょっと湿ったところにあります。名前はタカサブロウ(高三郎)。墨斗草(ぼくとそう)という名もあります。一説によると、貧しかった高三郎という人がこの茎の汁で字を書いていたからだとか。昔の人は墨が買えないほど貧しくても工夫して勉強したのですね。汁を搾ってみましたが、残念ながら墨の代用になるほど濃い色ではありませんでした。時間をかけるとか何かすれば濃くなるのかもしれませんが、まだそこまではやってません。

2014年11月11日(火)

 明日から寒くなるということですが、今日もまずまずのいい天気でした。午後になってから他の目的もあってミヤコドリの様子も見て来ました。1羽はどこへ行ったのか相変わらず見られませんでしたが、3羽はまだいました。今日で11日目です。貝を採りに水に入ったり、砂浜に上がって居眠りをしたりしていました。三脚に巨大レンズのカメラを据えた人たちも4人頑張っていました。帰宅したら夕暮れが迫っていましたが、しばらく行ってないので近所の田んぼへも行ってみました。田んぼの土手にツリガネジンジン(釣鐘人参)がまだ咲いていました。NHKの朝の「マッサン」が好評のようですが、エリーの故郷・スコットランドにもこれに非常に近い種の秋咲きの花があります。ブルーベル=(Scottish) Bluebell (スコットランドの釣鐘草)です。"The Bluebells of Scotland" という歌も有名です。戦争に行って帰って来ない若者の無事を祈る乙女の歌です。明治時代に日本語にも訳されていますが、「美しき」という題名で親が子を思う歌になっています。なお、イングランド (England) にも Bluebell があってこちらが有名ですが、これはイングランドの春を告げる花で品種がかなり違います。アメリカでも Bluebell はまた違う品種をいうようです。

2014年11月10日(月)

 今日はまたいい天気になりました。11時過ぎにパソコンに向かっていると、部屋の外からツピッ・ツピッ・ツピッという声が聞こえて来ました。戸を開けずに探してみると、やはりシジュウカラ(四十雀)でした。テレビのアンテナに止まって鳴いていました。胸のネクタイを見るとどうやらオスのちょっと若い個体のようです。何日か前にメジロの鳴き声も聞いたのですが、姿は見えませんでした。我が家に現れるのはすぐに飛んで行ってしまいますが、近所のKさんとこには庭にアオジ(青鵐)が来て滞在しています。去年の11月ごろに初めて現れて、アオちゃんと名前をつけて米粒などやっていました。しばらく姿を消していましたが、冬が近づいてまた戻って来たとのことです。餌をくれるところをちゃんと覚えているようです。

2014年11月9日(日)

 雨の一日でしたが、大した降りではなかったので今日も出かけて来ました。かなり名の売れた音楽家から、それほどでもない人たちや学生まで出演するコンサート。無料でもう10年以上、毎年11月に行われています。決まった出演者もいますが、他はどんな人が出るのかわからないところも楽しいところです。今日の一番は84才という男性のピアノ演奏。近所の爺ちゃんが普段着でやって来たという感じでしたが、全て暗譜で華麗な演奏で聴衆は嬉しい驚きでした。「シェルブールの雨傘」「ある愛の詩」「アメイジング・グレイス」「枯葉」「ヘイジュード」というポピュラー曲をジャズ調で次々と華麗に演奏して楽しませてくれました。大学中退で「何時の間にか夜の音楽環境に沈没。平成10年頃、脱出」と経歴のところには書かれていました。素人の域ではないと思うので、ナイトクラブででも演奏していたのでしょうか。いろいろあったことでしょうが、楽しい老後を過ごされているようです。

2014年11月8日(土)

 今日も郷里から本(というより雑誌)が届きました。故郷の村の隣町で発行されている郷土史の雑誌です。私は歴史の研究をしているわけではありませんが、この町に住んでいた『セルボーンの博物誌』の翻訳者・西谷退三の関係で最近はよく原稿を出しています。明治期に33号、昭和・平成で50号という伝統のある郷土誌なのですが、「この号でしばらく休刊か」という話が出ていたので心配していました。でも、何とか継続の方向になったようでホッとしました。今号には改訂途中の『「セルボーンの博物誌」の鳥たち』の最初の部分を載せてもらいましたが、何かと忙しくなって出した分からあまり進んでいません。昨日の『石礫』といい、今日の『霧生関』といい、「♪怠り諌むる」冬は来ぬ、ということだと受け止めました。来春には何とか仕上がるように励みたいと思っています。

2014年11月7日(金)

 今日も別の用事で隣の市まで自転車で約14キロの往復。汗もかかないし寒くもなく自転車はまだしばらくは快適です。残念ながら鳥撮りの時間はありませんでした。帰ったら高校の同級生から歌集が届いていました。高校時代は私は小さくなっていましたが、彼女はそのころから目立っていました。凡才の私ですが、彼女の歌はどれもよくわかります。高知駅の官舎で亡くなった石川啄木の父・一禎と啄木の句碑が高知駅前に建っていますが、その中心になったのも彼女です。「一禎の色紙の行方問うて来し一本の電話が縁(えにし)の初めなり」「苦しくも離散死別の父子にしてけふ土佐の地の歌碑にて見(まみ)ゆ」。原子力発電所が1台も稼働せずとも、この3年、電力にさして支障はありませんでした。まだ福島原発もまともに処理できていないのに、川内原発にgoサインが出されました。司馬遼太郎が指摘していたように日本人のどうしようもない忘れやすさでしょうか。「メルトダウンつひにはメルトスルーと言う汚染の水は昼夜分かたず」「『想定外』許されるごと言ひてをり想定せざりしこと自問せず」。彼女は九条の会でも中心的人物ですが、絵も相当な腕前です。才媛にはいつまでたっても敵いません。

2014年11月6日(木)

 隣の市へ出かけて旧友2人と久しぶりに会って昼食。その後、少し足を延ばして長慶寺というお寺へ。何度か来ているところですが、新しい搭を建てているところで、建築中は初めて見ました。きれいな彫刻も施してありました。親方と弟子らしい2人がいたので聞いてみると、もう一層造って裳階(もこし)も付けて六層にみえる三重塔になるのだということです。裳階(もこし)は裳層とも書くようですが、飾り屋根かと思っていたら風雨除けの庇だそうです。この寺にはまだ新しく見える三重塔や多宝塔もあります。かなり豊かなようです。帰りかけると坂の下の結婚式場から白無垢姿の花嫁さんと紋付袴の花婿さんがカメラマンに先導されて上って来るところでした。「おめでとうございます」と声を掛けると花嫁さんから「ありがとうございます」という爽やかな声が返って来ました。駅まで行って旧友たちと別れて鳥見もして楽しい気分で帰って来ました。往復約20キロの自転車散歩でした。

2014年11月5日(水)

 私が子どものころはまだ旧暦(太陰暦)が生きていました。だから閏年は同じ月が2回あるのもよく知っていましたが、9月が2回あるのは171年ぶりだとは思い至りませんでした。今夜の月は「後の十三夜」だそうですが、残念ながら雲が多くて隙間からちょっと顔を出しただけでした。どうやら台風20号の影響のようです。海上を通ってくれるようでホッとしました。今年は初めての鳥たちにもかなり出会いましたが、初めて見た昆虫や初めてではなくても名前は知らなかったものがいくつかありました。忘れないうちにまとめてみました。ナナフシだけはまだ特定の名前がわかりません。臭ーいだけだとと思っていたカメムシも非常にきれいで、あまり臭くないのもいるのを知りました。また屁ひり虫の仲間でミイデラゴミムシというのは三井寺がついている理由も面白いのですが、最後っ屁は何と100℃という温度だというので驚きました。

2014年11月4日(火)

 今日も快晴でしたので夕方になってまた河口へ行ってみました。1日から来ているミヤコドリはまだいましたが、1羽は別行動を取っているらしく3羽しか見えませんでした。鳥の方と違ってあまり注目している人はいないようですが、7月には花が咲いていたハマゴウ(浜栲)の実が熟れて来ました。手に取って嗅いでみるといい香がします。この実を陰干しして乾燥させると蔓荊子(まんけいし)という生薬になるそうです。滋養・強壮・解熱・消炎に効果があるとか。煎じて飲んでもいいし、風呂に入れてもいいそうですが素人には量がわからないので控えておきます。

2014年11月3日(月)

 今日は快晴でしたが、「自然と本の会」の用事で部屋の中で過ごす時間が長い日でした。午前中は会報誌「自然ふれあい便り」の編集部会議。午後は市立図書館の行事でまた「自然工作」の指導でした。同じ市内であっても主体の団体が違うと参加する親子もまた違います。私を含めてほとんどは手伝いに過ぎませんが、主担者は材料集めが大変です。日ごろから心掛けているので何とかなっているようですが、本当は材料集めから参加者にやって欲しいものです。でも、時間的なこともあって実現していません。森の中でキャンプなどする団体があればそうして欲しいと思います。写真は工作の材料の1つなのですが、私たちには珍しい月桃の実です。また沖縄ですが、沖縄の人たちには馴染みのある植物です。私は高知で栽培されているのを見たことがあります。なかなかの有用植物のようです。抗菌作用・抗酸化作用・美白作用・保湿作用・血圧降下作用などがあり、石鹸・化粧水・茶などにもしても使われるようです。

2014年11月2日(日)

 また曇で時折小雨という日でした。大阪市内へ出かけましたが、ちょっと時間があったので戎橋へ行ってみました。橋を渡れば心斎橋筋の入り口。そこも新しいビルになって昔の面影もありませんが、「戎橋劇場」という名画座がありました。55円で古い名作映画が2本立てで観られたので、学生時代にはよく来たものでした。新しくなったグリコの看板の「絵が動く」様子をテレビでやってましたが、時間によるようで全然変化がなくてちょっとガッカリ。今日の目的地は阪神電車で千鳥橋というところ。そこの此花区民ホールでの「大阪三線クラブ15周年感謝祭」の招待券をもらったからでした。出演者は沖縄出身者少なかったのではないかと思いますが、沖縄では歌と踊りが生活の一部になっていることを実感しました。新作も含めて楽しい歌と踊り数々でしたが、歴史的に見れば、それも辛さ哀しさを紛らす面もあったのかなとも思いました。一昨日に続いて沖縄の魂に触れる日となりました。

2014年11月1日(土)

 今日もどんよりと曇っていましたが、雨はまた少しだけでした。午後になって「ミヤコドリが来ている」という知らせが入ったので出かけて来ました。初めて飛来した4月は1羽だけでしたが、今度は4羽いました。背景は関西国際空港です。2枚貝(多分、アサリ)の中身を上手に食べているところも観察できました。時折、場所を移動して休憩していたので飛び姿も何とか撮ることができました。好物の餌がたくさんあるので、しばらくいてくれるでしょう。ひょっとするとこれから毎年来てくれるかも知れません。今日は少数の鳥撮りしかいませんでしが、明日はきっとたくさん押し寄せるでしょう。私にとってはいいタイミングでした。

2014年10月31日(金)

 この頃は天気が1日で変わってしまいます。今日は雲っていて時折小雨が降りました。「標的の村」という沖縄のドキュメンタリー映画を観ました。これでも独立国なのかという現実がまだ続いています。保守側も基地反対に回り出したという沖縄の知事選挙が近づいています。どうなるでしょう。それに比べるとどうということもない問題ですが、この鳥は何でしょうか。シラサギという分には問題ないのですが、種としてはそんな鳥はいません。つい最近まではここらにいるのはダイサギかコサギだと思っていたのですが、カラシラサギに出会って以来悩ましいのが目につくようになりました。口の切れ目が目の後ろまで入っていないので、ダイサギでないことは確かです。コサギは嘴と脚が年中黒くて足先が黄色です。残念ながら足先は見えませんが、嘴と脚が黒とも言えない気もします。残るはアマサギ、チュウサギ、はたまたカラシラサギあるいはクロサギの白色型かですが、、、。

2014年10月30日(木)

 ちょっと時間ができたので男里川へ行ってみました。汽水域でウミネコがいつものように水浴びをしていました。ちょっと上流へ歩いているとここでは珍しくカワセミに出会いました。そしてこれも珍しくはないのですが最近はあまり見かけなかったイソシギ(磯鴫)もいました。イソシギは映画を思い出す人も多いと思いますが、私はボルネオ島の近くのチガ島を思い出します。まだ鳥撮りに慣れていない頃に、偶々行く機会があったのがリゾート地になっているその島。森の中でサイチョウにも出会ったのですが、写真は撮れませんでした。夕方、海岸で見かけて何とか撮れたのがイソシギでした。ピッピッピと鳴きながら飛ぶのですぐわかります。そして、尻尾を上下に振りながらヒョコヒョコ歩く姿は何となく微笑ましくなります。

2014年10月29日(水)

 いい天気で昼は丁度の暖かさですが、夜はかなり冷えるようになりました。まだ10月は終わっていないのに、もう11月の後半のような感じがします。すっかり葉を落としてしまった我が家のキーウィの木に若葉が芽を出しています。これから寒さに向かうというのにどうなるのでしょう。これでは来春に葉を付けられない枝が増えるのではないでしょうか。イタドリが芽を出して育っていたのにも驚きましたが、そんな植物は1つや2つではないようです。異常気象に植物も騙されるようになって来ました。若葉のない春や初夏にならなければいいのですが。

2014年10月28日(火)

 渡って来るカモたちが増えて来ました。カモ類のオスはだいたいきれいな色と模様でよくわかるのですが、メスとなると地味な縞模様で区別するのがなかなか難しくなります。しかし、見慣れてくるとだんだん違いがわかるようになって来るものです。さて、この顔は? 嘴も含めてですが、どうもこれまで見たことがありません。かなり珍しいシマアジ(縞味)♀ だと思うのですが、自信はありません。オスとペアだったらもっと自信を持って言えるのですが、残念ながらいたのはこれ1羽でした。シマアジとは魚のような名前ですが、カモが食糧になっていた頃にかなりいい味だったのが名前の由来だそうです。

2014年10月27日(月)

 昨夜は突然の雷雨。今日も午前中はいい天気でしたが急に曇って来て雨が降りました。しばらく秋らしいいい天気が続いていましたが、また変な天候になって来ました。先日撮った写真ですが、細長いのも丸っこいのもテイカカズラ(定家葛)に成っている物なんですが、一方は実ではありません。左側の細長い対(1つはわかりにくですが)になったのが実です。右側のは寄生する虫によって作られた虫瘤(むしこぶ)です。割ってみると小さな虫がいます。虫瘤はいろいろな植物にできていて形も様々です。テイカカズラの名前はもちろ藤原定家から来ています。後白河帝の第三皇女式子内親王を死後も忘れられず、「定家の墓から生えたこの葛が式子内親王の墓を抱きしめた」からだということです。6月頃にプロペラのような白い5弁の花がたくさん咲き、6月の誕生花にもなっています。園芸用にも栽培され、花言葉は「依存」「栄誉」「優雅」「優美な女性」だそうです。

2014年10月26(日)

 今日もいい天気でしたが、「親子カーニバル」という行事で我が「自然と本の会」は室内での自然工作教室。木の実や枝などを利用しながら見本を参考にしながら自分で好きな物を作ってもらいます。材料集めがなかなか大変ですが、大勢でなければ何とかなっています。昨日も雨の場合は室内で自然工作の予定でしたが、材料が足りるかどうか心配していました。いい天気だったのでホッとしたのが実情です。自分で絵や字を書いて缶バッジにするサービスもしました。小さなこどもたちは実にユニークな絵を描くので見ていても楽しくなります。私はちょっと早めに抜けさせてもらって、知人が出品している美術展にも顔を出しました。いい季節になると行事が重なるのでハシゴをしなければならない人も多かったようです。

2014年10月25日(土)

 ちょっと雲の多い日でしたが、まずまずの天気でした。市内の鳥取ダムの下の公園での行事でした。嘗てはこのダムが決壊して下流に大洪水を引き起こしたところです。教育員会主催の「放課後わくわく教室」の合同行事で「自然に親しませたい」という要請を受けて「自然と本の会」が担当しました。これまでも子どもたち相手の観察会もしていますが、今回は始まって以来の大人数相手となりました。子どもたちだけで79名。それに保護者の参加もあって124名という人数でした。あまりにも人数が多いので10班に分かれて「ネイチャービンゴ」というゲーム形式での観察会となりました。「手のひらより大きな葉っぱ」「動物の残したもの」「トゲのある植物」「鳥の声」などといったものをグループで探してビンゴの完成を目指すのです。賞品はありませんでしたが、みんな楽しんでやっていました。ほとんどのグループが5×5のマスに全部〇が付いていました。「びっくりしたもの」というのもありましたが、イタドリが芽を出して食べられるくらいになっていて、私がびっくりしました。短時間でしたが、日ごろは見過ごしている自然のものに大いに興味を持った子どもたちも大人たちも多かったようです。私たちも初めての体験でしたが、かなりの手ごたえを感じた半日でした。

2014年10月24日(金)

 またいい天気が続くようになりました。前回と1名が入れ替わった6名のメンバーの「素敵歩き」で大阪府で一番大きな溜池=久米田池へ行って来ました。JR久米田駅に集合して、池に向かって歩いていると小さな池と古墳がありました。丁度、そこにいた人に尋ねると「橘諸兄の墓だと言われているけれど、、、」と。その人は「明日、泉州検定を受ける」ということで、地域の歴史には詳しい人でした。他にも小さな円墳や前方後円墳があり、そこまで案内してくれました。久米田池には既にたくさんのカモ類が来ていましたが、灌漑の役目が終わって目下は水を減らしているところでした。鮒の養殖が100年近く続いていて、捕獲するために間もなく完全に水を抜いてしまうそうです。久米田池資料館でその鮒の行方を尋ねてみると、何と北海道だとのことでした。大部分はヘラブナとして北海道に出荷されているとのことです。約2.6kmの池の周囲も歩いてみました。途中の木陰で昼食をとりました。池の向こうには主に奈良県の山々=二上山や大和葛木山に金剛山(左から。右の一番高いのが金剛山)も見えていました。昼食後は久米田寺に寄って、帰り道で光明皇后の遺髪塚にも寄って久米田駅に戻って解散しました。

2014年11月23日(木)

 海辺に自転車散歩に行きました。夕陽がきれいでその写真を撮っていたのですが、白い猫に餌をやっている婆さんがいました。写真を撮ってもいいかと聞くと「どうぞ」と言ってくれたのですが、猫の写真だけにしておきます。ペルシャ猫なんだそうですが、左の耳の後ろに傷をしています。「自分でひっかくから治らない」と言ってました。引っ越しした人が置いて行ったのだそうです。それで毎日2回ここで餌をやっているのだそうですが、全然なつかないと言ってました。見たところは安心して食べているようだったんですが、「触らせてもくれない」と言っていました。なるほど、満足するだけ食べたら見向きもせずに去って行きました。人間を信用していないのか、朝夕に餌をもらっていてもこんな猫もいるんですね。飼い主は可愛くなかったから捨てて行ったのしょうか。ペットを家族以上に可愛がる人もいるかと思うと、平気で捨ててしまう人もいます。飼うならやはり「最後まで」というのが当然のことではないでしょうか。堤防沿いにこの猫同様に捨てたらたのか野良猫がたくさんいますが、ちゃんと餌をくれる人がいるようです。

2014年11月22日(水)

 時折雨の降る天気でしたが、うまい具合に傘なしでも濡れずに移動ができました。まだ天気には恵まれているようです。バスの中で隣に座った私と同年くらいの男性の服装は普通でしたが、遍路杖を持っていたので尋ねると「三度目の歩き遍路の途中だけど」とのこと。足摺岬の金剛福寺まで来たけれど、天気が悪くなったので止めて帰るところだとのことでした。「逆打ちはしたことがない。信仰心もあるわけではないけれど、病みつきになって順番に三度目を歩いている」とのことでした。こんなお遍路さんもいるんですね。その人は三ノ宮で下車しました。私の方は順調に最寄り電車の駅まで帰り着いたのですが、コンパスカードの不足分を清算しようとしたら、小銭が10円足りません。清算機が受け付ける紙幣は1000円のみ。財布には1000円がありませんでした。この時間は無人駅です。インターフォンのブザーを押すと返事がありました。一番手前の通路を出て券売機で清算せよとのこと。こんな場合も遠隔操作でちゃんと対応できるようになっていることを初体験しました。

2014年10月21日(火)

 数日前に生産農家で新高梨を買って家に送ったのですが、商品にならないものを「ジュース用に」と沢山もらいました。しかし、そのままで食べた方が面倒もないし、おいしいと思って毎日1個食べていました。でも、やはりジャムにもしてみようと小さなの1個だけで挑戦してみました。柿と同様に電子レンジで簡単にできると思ったんですが、、、。水分が多いせいか意外と時間がかかりました。砂糖と酸味は少し加えましたが、いい加減です。白っぽい色がこんな風になって何とかできました。いい味ですが、私には甘すぎました。次は砂糖なしでやってみます。

2014年10月20日(月)

 夜のうちに雨が降ったようですが、登山の疲れでよく眠っていたようで全然知りませんでした。今日は屋根の上での作業日でしたので外出はしませんでした。写真は昨日の帰りに寄った奥祖谷の名頃(なごろ)集落の人形たちと私。案山子が住民の何倍もいると評判になっている案山子の里です。10年ほど前に大阪から戻った女性が一人で作っているそうです。私たち以外にも見に来ている人たちはいましたが、住民たちの姿はついぞ見かけませんでした。ともあれ、自分が楽しいことをして多くの人たちも楽しんでくれるのはいい人生の過ごし方ですね。「祖谷 人形」で検索すると多くの記事や動画が見られます。 

2014年10月19日(日)

 今日も快晴。台風のために1週間延期した剣山(つるぎさん)に登ってきました。標高1950mで同じく四国にある石鎚山に次いで西日本第二の高峰ですが、山容はなだらかで石鎚山とはかなり違った印象です。石鎚山の方が距離的に近くてかなりの回数行ってますが、剣山は約半世紀ぶりでした。紅葉にはまだ間がありますが、登山口の駐車場は満杯で路上駐車もかなり下から続いていました。2台の車で行きましたが、何とか路上に空いた場所が見つかってヤレヤレ。記憶ではリフトを降りて少しあるけば長城の積りでしたが、40分ほど歩かねばなりませんでした。快晴で眺めもいいし、寒くもなく暑くもなくて快適でした。頂上付近は木道になっていて半世紀前とはかなり違った印象でした。眺望は360度で気分爽快でした。写真は頂上から隣のジロウギュウを眺めたところ。縦走して来たかったのですが、もう体力に自信がありません。

2014年10月18日(日)

 ちょっと買い物に出ただけで、片付けの続きと屋根のペンキ塗りで1日が終わり ました。そこで昨日行った大樽の滝を紹介。植物で有名な横倉山の向かいの山の中腹にあり、ここらでは有名な滝です。下の道から歩けば1時間ほどかかりますが、上の駐車場まで車で行けば徒歩15分ほどで着きますます。ただし、対向車があると困る道です。駐車場には落差34mと書いてありますが、滝の側には32mと書いてありました。快晴が続いていますが、台風の後なのでかなりの水量で迫力がありました。私は1人でも何度も来ていますが、相棒は初めてで感激していました。近くにログハウスを建てている人がいます。寂しいところですが、夏は涼しくていいでしょうね。

2014年10月17日(土)

 今日も快晴の秋日和。ちょっと遠出もしていたし、話題の選択に困るくらいです。まずはNHK-TVでも取り上げられて全国にも名が売れたという「平野みどり」さんを紹介。彼女の右手の下にいるのが私です。身長6メートルの巨大案山子です。21才で婚活中だそうですが、なかなか相手が現れないようです。近所に住む夫妻が生みの親。夫の方は私の高校の1年下だそうですが、私は出会った記憶がありません。一緒に行った仲間が親しい人だというので家に寄ってみましたが、残念ながら留守でした。

2014年10月16日(金)

「気持ち悪るー」と思われるでしょうが、これは益虫の頭部です。時に家に現れます。長い足が8本ならクモですが、これは15対もあります。全身の写真なら、大概の人がわかるゲジゲジです。でも、実名は単にゲジ。背で呼吸をするそうで、色の変わったところが気門のようです。肉食でムカデの仲間ですが、毒は少なく人間には害がないそうです。それどころか、ゴキブリが好物みたいなので見つけても殺さないでください。

2014年10月15日(木)

 以前にはもっと多かったと思うんですが、珍しく秋らしい好天気でした。あっちこっちからモズの高鳴きが聞こえて来ます。モズは秋から冬にかけてはメスもオスも単独で過ごすので、この時期は激しい縄張り争いをしています。写真はメスです。「百舌鳥の高鳴き七十五日」といいますが、初高鳴きを聞いてから75日で初霜が降りるということだそうです。でも、実際は30日くらいだったこともあるとのこと。まだ11月にも間がありますが、コハクチョウがやって来たところがあるようです。冬の到来は早そうです。

2014年10月14日(水)

 川の水嵩が増すと家の中にいろいろな虫が入って来ます。こんなのも来ましたが、ヘヒリムシ(屁放虫)だということは知っていました。写真を撮る間はじっとしていてくれましたが、外へ出してやろうと思ったら走りだしました。部屋の隅で止まったところを割り箸で摘んだところ、案の定、かなりの白い気体を吹き出しました。体にはかからなかったのでどうということもありませんでしたが、調べてみると高温で刺激があるとか。そして、ほんとうの名前はミイデラゴミムシ(三井寺塵虫)だそうです。名前は三井寺の円満院門跡にある「放屁合戦絵巻」という鳥羽絵からだとか。屁で闘いをしている面白い絵でした。

2014年10月12日(月)

 フェイスブックのアプリを再導入したら様子は変りましたが、写真はアップできるようになりました。高知県中央部の村の17時20分ごろの様子です。どうやら台風の中心部に入ったようです。現在、17時38分はもっと青空が広がっています。しばらくするとまた一荒れするんでしょうね。
(17時58分追加)と、思ったんですが、ひまわりの画像を見ると台風の形ではなくなっています。雲の様子から判断すると、このまま晴れてしまいそうなんですが、、、。TVなどではそんなことは言ってません。さて、どうなるんでしょう。

2014年10月11日(日)

 台風の影響のようで雨模様。何故かタブレットから写真がアップできなくなっていて本日の更新は断念。

2014年10月10日(土)

 5年目になる「自然を楽しむ講座」の本年度の4回目「星空を楽しむ」がありました。太陽が顔を出してくれていたら太陽望遠鏡で黒点とフレアも見せてもらえることになっていました。薄日は射していたので大丈夫かと思ったら、太陽がちゃんと出ていないとダメだということで室内の講座だけになりました。先日の皆既月食の写真や動画を導入に夜空を楽しむための基礎知識の講義がありました。小学生が1人参加していましたが、私よりは知識を持っているようで熱心に聞いていました。地上の動植物を楽しむのと同じように、夜空も季節ごとに現れる代表的な星や星座くらいは知っていないとダメだと痛感しました。詳しい資料はいただいたので、少し勉強してみようかと思っています。

2014年10月10日(金)

 昨日よりは空も少し明るい日でした。ノーベル平和賞が17才のマララさんに行きましたね。彼女の活動の大いなる助けになってくれるといいのですが、かの国の政治情勢はなかなか難しいようです。午後はまた自転車散歩(ポタリングともいうようです)に出かけました。自転車だと歩くよりは広範囲に移動できるのがいいところです。ちょっと買い物をしてからまた海を覗いて山の方へも行ってみました。イチモンジセセリ(一文字挵)が小さい花に来ていました。普通の蝶がいなくなる頃に目につくようになるのがセセリチョウ(挵蝶)類です。後翅の白い紋が一文字に並んでいるのが名前の由来です。この花はイヌコウジュ(犬香薷)ではないかと思います。植物名にイヌのついているのはたくさんありますが、「(似てるけど)役に立たない」ことを意味しているのだそうです。香薷とはナギナタコウジュ(薙刀香薷)のことで、それには解熱作用があるそうです。*ヤマハッカ(山薄荷)だろうという指摘を受けました。

2014年10月9日(木)

 アスベスト泉南訴訟に最高裁の判決が出て患者たちの長い苦しみが少し和らいだでしょうか。それは少し明るいニュースでしたが、信じられないような我が子虐待のニュースがいくつも報道されました。暗い日本になりました。超大型の台風が近づいているせいか、空も昨日とはまたうって変わった鬱陶しさでした。しかし、夕方になってもまだ雨は降りそうになかったので、先日掃除をした浜に行ってみました。イモカタバミの根を確かめてみたくなったからでした。でも、不思議なことにいくら探しても見つかりません。花がきれいなので誰かが持って行ったのでしょうか。保護しているハマボウフウ(浜防風)はどうということがありませんが、そこにもうペットボトルがいくつもあるし、波打ち際にも大きなゴミが流れ着いています。目についた大きなものは少し集めましたが、掃除をしてもすぐに元の木阿弥になるのは悲しいことです。

2014年10月8日(水)

 昼間は雲一つない天気だったのに夜になると雲が出てきましたが、皆既月食は何とか見られました。天候不順で今年はダメかと思っていたトサジョウロウホトトギス(土佐上臈杜鵑)の花が1輪だけ咲いていました。庭にある故郷の植物の1つです。これだけは地面で育たないと思うので鉢植えにしてあります。数年たった鉢のは完全に枯れてしまいましたが、分けてあった鉢のが枯れずに残っていました。でも葉はボロボロです。今年はもっと分けておこうと思いますが、気候的にも適していないので難しいところです。野生のものは高知県の山中の知る人ぞ知るところでしか見られません。非常によく似ているのがキイジョウロウホトトギス(紀伊上臈杜鵑)です。文字どおり和歌山県原産です。野生でもかなり多いようですし、園芸店でも売っています。今日出かけた農産物・海産物の直売所にも1鉢出ていて1,880円という値段が付いていました。

2014年10月7日(火)

 昨日とはうって変って秋日和でした。久しぶりに田んぼのある方を歩いて来ました。水がしみ出ている山際の道に金平糖のように見える蕾と花がついている植物がありました。よく似たのが3種類ほどあります。ママコノシリヌグイ(継子の尻拭)は茎に鋭い棘がたくさんあるのですぐにわかります。棘がそれほどないのがミゾソバ(溝蕎麦)とアキノウナギツカミ(秋の鰻攫)です。葉っぱの形からこれはどうやら後者のようです。ママコノシリヌギグイの方が鰻が攫めそうですが、これにも棘があるので鰻が攫めそうだということのようです。直径が2mmくらいの花ですが、縞々が見えると思ったら寸取虫のようなのが来ていました。虫の名前はわかりませんが、これはセンチどころかミリ取り虫というところです。花が咲くということはそれぞれ迎えたい虫がいるからですね。写真を撮らなければこんな小さな花の虫なんて気がつかないで通り過ぎているところでした。しかし、小さいのでピンとがなかなか合わない上に、風で花は揺れているし、自分の手も揺れているしでこれがせいいっぱいの写真です。

 2014年10月6日(月)

 台風一過、まるで晩秋のような天気になりました。ムラサキカタバミ(紫酢漿草)に似ていますが、ちょっと大きいかなと思う花が咲いていました。名前があまりよくありませんが、イモカタバミ(芋酢漿草)だそうです。根が芋のようだからだそうですが、南アメリカ原産で江戸時代の末か明治時代の初めに観賞用として日本に持って来られたようです。野生化して日本中で見られるようです。こんな植物は実に多いですね。でも、カタバミの類で私が好きなのはシャムロック(shamrock)です。アイルランドの国花になっています。その昔アイルランドへ行ったのと、馴染みだったその名の紅茶の店が思い出されるからです。店名の由来はマスターがアイルランドで仕事をしていたからです。病気で閉店していましたが、亡くなったと風の便りに聞きました。大阪市内にあったムジカも閉店したし、紅茶を目当に行けるところがなくなってしまったのも寂しいことです。

2014年10月5日(日)

 台風が近づいているので今日こそ雨だろうと思っていたら、またも降りませんでした。朝は「自然と本の会の」海岸の清掃でした。大阪湾は静かなものです。「嵐の前の静けさ」でなければいいのですが。会員以外に海上保安庁の職員の方々もいつものように参加してくれました。またすぐ近くの施設の所長さんもいつものように来てくれていました。相変わらずビニール系のゴミや瓶や缶などもありましたが、花火の後始末をしていない様子も見られました。かなり大きな木も流れ着いていましたが、それらは爺ちゃんと孫の共同作業で集められました。子どもたちがもっともっと参加して欲しいと思いますが、習い事やクラブ活動などがあって難しいようです。1時間半ほどで15袋のゴミが集まり、かなりきれいになりました。しかし、台風の後は元の木阿弥になっているでしょう。イタチゴッコですが、続けねば仕方がありません。

2014年10月4日(土)

 また大型の台風が2つも近づいているようで心配です。そのせいかどうかはわかりませんが、風も出ていて昨日までとは違ってかなり涼しい日でした。自転車の前輪のブレーキの効きが悪いと思って確かめたら、ブレーキシューが片側ほとんどすり減っていました。点検しないで乗っているのは危険ですね。ホームセンターで買って来て取り換えました。タイヤも溝がなくなっていますが、取り替えは7000円ほどかかるとのことです。そろそろ新しい自転車にした方がいいかも知れません。ヤブランの花を撮ってみました。たくさんある蕾がいっせいに咲くというわけではなさそうです。咲いているのもあればもう散っているのもあり、まだ咲いていないのもあります。小さいけど結構きれいです。

2014年10月3日(金)

 今日はてっきり雨だと思っていたら、意外にいい天気でした。午後は隣の市まで行かねばなりませんでしたが、自転車で往復しました。寄り道もしたので片道が約8km。自転車にはよく乗るのですが、年のせいか時々思わぬところでバランスを失って自転車を倒したりします。日ごろの体操のせいか幸い怪我をしたことはないのですが、ヘルメットを被った方がいいなとは思っていました。でも、自転車用のヘルメットはどうも好きになれません。何かないかなと思っていたら、プラスチックのインナーキャップというのが見つかりました。帽子はいつも被っているので、これを中に入れておけばヘルメットの代用になりそうです。値段も手ごろだったので注文して今朝届きました。よく被っているハンティングには合いませんでしたが、台湾にヤイロチョウ調査に行った時にもらった帽子(前部に八色鳥の刺繍がしてあって、左右に「救八色鳥」「反湖水庫」の刺繍があります)に入れてみるとピッタリでした。それを被って行ったのですが、頭も蒸れなくていい具合でした。冬場は毛糸の帽子でいけそうです。

2014年10月2日(木)

 庭の池の縁に妖精がたくさん現れました。リリオペ(Liriope)とも呼ばれるヤブラン(薮蘭)です。リリオペとはギリシャ神話の泉の妖精です。まだ花はあまり咲いてませんが、蕾がたくさん付いています。これだけあると蕾でもよく目立ちます。原産は日本・台湾・中国本土で多年草であまり日があたらないところでもよく育ち、寒さにも強い植物です。野生のものもあるそうですが、関東以西だというからちょっと不思議な気がします。根には滋養強壮・鎮咳・強心利尿作用があり、大葉麦門冬(だいようばくもんどう)という生薬になるとのこと。古名は山菅(やますげ)だそうです。英名は Lily turf (リリーターフ=百合+芝生)ですが、グラウンドカバーにも使われるからでしょう。 ともあれ、ほったらかしでもよく育つ植物です。

2014年10月1日(水)

 今日も昼間はかなりの暑さでした。午後、少し時間ができたので久しぶりに男里川を覗きに行ってみました。残念ながら渡り鳥や珍しい鳥たちの姿は見えませんでした。川の少し上流にダイサギとコサギが群れているところがありました。これまではダイサギやコサギがいても大して注意しませんでしたが、この前のカラシラサギ(らしい)のように、ひょっと別種がいるのではないかと思うようになりました。中央のペットボトルが残念なところですが、おもしろい姿が撮れました。まるでダンスをしているように見えますが、餌をめぐってちょっと諍いをした後です。両方とも嘴が黒くて足先が黄色いのでコサギだと思います。カラシラサギやクロサギなんて滅多にいません。チュウサギも渡り鳥で絶滅危惧種ですので、こちらでは見たことがありません。ここらあたりにいる大きい白い鳥はダイサギということになります。

2014年9月30日(火)

 私が住んでいるところは山手の新興住宅地ですが、それでも最初の頃に建てられた家は50年近くになります。それくらいたつと住む人も年取ったり、亡くなったりで空家もかなり増えて来ました。地元の人たちが多く住んでいる昔から地区に建っている古民家と称するのがふさわしい(50年たったら古民家だそうですが)家にも空家が目立ちます。その一方で海のすぐ近くなど、危険ではないかと思われる場所が住宅地として整備されて新しい家が次々と建っています。ここらあたりは津波が来てもそれほどは被害のないところだと思いますが、それでもあまり海に近いと危険の度合いは高いと思います。新しい家は気持ちがいいものですが、50年以上前に建てられた家が住む人も守る人もいなくなって次々と崩壊して行くのを見るのはやりきれない気持ちがします。日本人も古民家を手にいれて住むことをもっと考えて欲しいと思います。写真の家など日本家らしいかなりりっぱなものですが、既にあっちこっち崩れかけています。こうなる前に手を入れて住めるようにする手段はないものでしょうか。こんなところにも政治の助けがもっと必要だと思います。

2014年9月29日(月)

 またりっぱな句集をいただきました。知人が父上が遺していた俳句を集めて1冊の本に仕上げたものです。父上へのいい供養になると思いますが、多くの時間とかなりのお金がかかったことだと思います。それをいただくのは何となく気が引けますが、ありがたいことです。句集はページ数が多くても1ページに3つならんでいるだけですので、時間はそうかからずに全部に目を通せます。経験豊かな人ほど日ごろ使わない言葉や漢字を使うので浅学の身は苦労します。だいたいはふりがながありません。「鳰」はカイツブリですが、「にお」と読むのが普通です。かなり前のことですが、琵琶湖のことを「鳰の湖(におのうみ)」ということもついでに知りました。今回は「糶声のたかぶる磯の桜鯛」という句の「糶」が難問でした。漢和辞典でも何で引くのか苦労しましたが「せり」でした。「競り声」ならわかるのですが、漢字にも雰囲気があるのでこんな字を使われたのでしょう。この句集では「花馬酔木丹後は今日も翳りたる」が好きな句でした。これなんかも中学生くらいだったら読めないかも知れません。

2014年9月28日(日)

 8人で満席になるという小さな小さなカフェで「マリアと猫の手+太郎」のジャズ&ポップスのライブがありました。私が陰の仕掛け人ですが、テーブルをのけても15人が限度で特定の人にしか声を掛けられませんでした。「せっかくのいい声も安物のマイクを通しては台無し。ここなら生で歌えるだろう」とまだ勉強中のマリアにプレッシャーをかけて実現。マスターも全面協力でいいコンサートでした。多くの人に来ていただけないのが残念ですが、ひょっとするとOMBC(松原インターネット放送= http://www.ombc.jp/)の土曜日19:00~20:00の「アナログ横丁」で紹介されるかも知れません。なお、インターネット放送はラジオでは聞けない放送です。パソコンかタブレットかスマートフォンで聞くことができます。

2014年9月27日(土)

 今日もいい天気でまだ夏を思わせる暑さでしたが、かなりの時間外出していました。帰って来てテレビを点けて驚きました。御嶽山が爆発したとのこと。登山していて火山灰に埋まってしまった人もいるとか。桜島や富士山も爆発の時期が近づいているという話を聞いたことがあります。人災・天災共にどこで何が起こるかわからない日本になってしまいました。こちらはさして変わったことはありませんでしたが、出歩いていて通りの植え込みで咲いている花が気になっていたので調べてみました。アルベリア(albelia) と呼ばれる園芸種のようです。和名はハナゾノツクバネウツギ(花園衝羽根空木)だそうですが、あまり使われないとのこと。19世紀にイタリアで作出されたもので、半常緑でありながら寒さにも強く花期が長いのが特徴だそうです。

2014年9月26日(金)

 関西空港にジョギングとウォーキングのコースが出来たというので「素敵歩き」の仲間で行って来ました。メンバーは60才台の半ばから80才までの男ばかりで私を入れて6人。月1回あっちこっちへ歩きに出かけています。今日のコースは第一ターミナルから第二ターミナルまでの往復6km。第二ターミナルは格安航空用の施設で、ふつうはバスで行くところです。いつもはただ通り過ぎるところをゆっくり見るのも悪くはありません。空港も裏から見ると工場のようでした。初めての第二ターミナルでしたが、プレファブの建物ながら内部はかなりきれいでした。第一ターミナルに戻って昼食をして解散しました。途中のわずかな緑地には「そらパーク」なんて書いてありますが、影になるような木はなくて、まだ強い日差しの中を舗装された道路を歩くのはいつもより疲れました。ヒバリが空で盛んに囀っていました。Peach色に塗られたラピート(南海電鉄のふつうは青色の空港特急)にも出会いました。

2014年9月25日(木)

 割とよく行くところですが、道路より高いところにある池の畔を通ってみました。しばらく草刈をしてくれていないので草が伸び放題になっていてまるで薮漕ぎでした。その中にこんな花が咲いていました。「マメ科の花だけど、萩にも似ているな」と思って調べてみると、やはりマメ科だけどメドハギ(蓍萩)という名前でした。図鑑にあった名前の由来は「占いに使う筮(めどき)に用いたから」だとのこと。広辞苑で「めどき」を引いてみると「【筮】占いに用いる細い棒。蓍萩の茎50本を一組として用いる。後世は多く竹で作り、これを筮竹(ぜいちく)という」とありました。占いに興味はなくても筮竹は知ってはいましたが、その元がこの植物だったとは初めて知りました。

2014年9月24日(水)

 またもやりきれない事件がありました。どうしてこんなに残忍な輩が跋扈するようになったのでしょう。台風もまた近づいているようですが、こちらにはあまり影響はなしですみそうです。昨日の鳥ですが、カラシラサギではなくてクロサギ(黒鷺)の白色系ではないかという意見があります。野鳥に馴染みのない方は黒い鷺がいるのかと思われるでしょうが、ちゃんといるのです。私が撮ったのがありますので、http://selborne.exblog.jp/m2007-09-01/でご覧ください。「白い黒鷺」なんて理屈に合いませんが、そんなのがいるということは知っていました。「嘴が比較的大きいのと足が黒くない」ことを考えると、クロサギの白色系だと考えられます。これもこちらでは滅多に見られない鳥です。でも、両方とも個体差が大きいとのことですので、私にはどちらともまだ判断ができません。

2014年9月23日(火)

 自転車で買い物に行く途中、「ああ、見慣れた鳥たちだと」行き過ぎていましたが、思い直して戻って撮ったのがこの写真です。「ラッキー」でした。最近は水がほとんどない池でダイサギとコガモの番と共に餌を漁っていました。コサギかなと思ったのですが嘴も足先も違っていました。どうやらカラシラサギ(唐白鷺)のようです。以前に写真を撮った知人がいて、「そんなのがいるのか」と思っていましたが、意外なところで出会いました。「朝鮮半島周辺と中国南部にのみ分布する世界的にも数が少ない稀少種。夏季に朝鮮半島西岸や黄河河口域で繁殖し、冬季になると台湾や東南アジアに南下し越冬する。日本には越冬のため九州や南西諸島にまれに飛来(迷鳥、もしくはまれな冬鳥)する」とのことです。

2014年9月22日(月)

 今朝の毎日新聞(大阪版)にこんな記事が出ています。「今頃になって」という感じですが、「学校内で制度的にどんな変化が起こっているか」ということは世間にはなかなか伝わらないものです。学校図書館には本来は司書教諭を置かねばならないことになっています。それが財政的に難しいというので従来は実習助手を専任として費用を抑えていたのです。必要とされる学歴や資格から実習助手の方が教諭よりは低い賃金体系になっているからです。それさえも削ってしまったわけです。教師たちは私が勤めていた頃の何倍も忙しくなっているようです。やたらと提出書類が増えてもいるそうです。そしてかつては全国でも上位だった賃金も今では最下位近くです。「選択の幅を拡げるべきだ」ということで全府一学区の大学区制も実施されました。学校に金をかけなくても「教師も生徒も競争させれば学力は上がる」と考えているようです。果たてこれでいいのでしょうかね。

2014年9月21日(日)

 列車を待っているとキバナコスモスにツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)♀がやって来ました。列車を入れて撮りたかったのですが、乗らねばならかったので余裕がありませんでした。一般的に鳥は雄の方がカラフルですが、蝶は雌が派手なようです。ツマグロヒョウモンの雄は豹のような紋だけですが、雌の羽の先には白黒青の紋があります。これが名前の由来でしょう。もっと小さくて毒のあるカバマダラ(樺斑)に似せているとのことですが、幼虫ともに毒はないそうです。ツマグロヒョウモンはよく見ますが、カバマダラにはまだ出会ったことがありません。

2014年9月20日(土)

 つい最近までは全く縁のなかったところ、左のHさん(は馴染みの古民家再生おじさん)の事務所で月1回の「おとなの英語塾」を始めてしまいました。前回に誘われて断り切れずに参加していた私と同い年だという I さんが「楽しかったー。仕事でも必要になった娘にもぜひ受けさせたい」とのこと。そこで、彼女の休日にもう一度開講ということになりました。2時間たっぷりですが、「えー?2時間も経ってたんですか」と言ってくださったので、十分に楽しんでいただいたようです。英語以外のこともたくさん学んでいただいたと思います。いい年齢になった親子が席を並べて勉強するなんて、とても素敵なことではないでしょうか。実は私も小中学校の同級生と異郷で60年ぶりに席を並べて学んでいることがあります。学校時代には味わえなかった楽しい大切な時間だと思っています。

2014年9月19日(金)

 近くの店で欲しい物がなかったので、ちょと雨を心配しながら6kmほど離れた(偶に行く)馴染みの青果店へ行って来ました。いくら買ってもおまけはしてくれない店ですが、安くていいものがあります。途中で白い曼珠沙華がかなり目に付きました。帰りに調整池に寄ってみると萩も咲いていました。数珠玉を採っているひとがいると思ったら、私に野山の小さな花を楽しむことを教えてくれた「師匠」でした。しばらく話して別れ際に「メダカ池に小さな変わった花が咲いているよ」と教えてくれました。名前は知らないので帰って調べるとのこと。なるほど初めて見る花です。水の中から出ていますが、ガガイモの花に似ています。それを手掛かりに私も調べてみるとガガイモとは無関係でしたが、ガガブタ(鏡蓋)だとわかりました。ガガとは影のことだとか。影=鏡ということでしょうか。絶滅危惧種になっているようです。

2014年9月18日(木)

 用事ができて午前中にまた隣町へ行ってきました。この建物は小学校の片隅にひっそりと建っていて知る人ぞ知る建物だったのですが、つい最近ここに移築されたばかりです。名教館は「めいこうかん」と読みます。藩政時代は士分の教育の場であり、明治時代になり小学校となった由緒ある建物です。植物学者の牧野富太郎が通った唯一の学校でした。ここで学んだことのレベルは高く、誰もが行くようになった尋常小学校になると彼は「学ぶことがない」と辞めてしまったのです。ところで、この建物はまるで新築ではありませんか。莫大な費用をかけて移築したのですから、せめて古い建物らしく見えるような塗装をすべきではないでしょうか。この近くの牧野富太郎の家もしかりです。こんなものに莫大な金を使うのなら、なぜ現存している西谷退三旧居(昨日載せた建物)や彼の遺稿を世に出した森下雨村の旧居(つい最近まで残っていました)を保全しなかったのでしょう。

2014年9月17日(水)

 昼過ぎに高低差約70mある隣町へ行って来ました。行きはずっと上り坂なので、マウンテンバイクでも覚悟が要ります。それでも今日も降りることなく坂を上れました。久しぶりなので会いたい人や行きたいところが幾つもあり、買い物もしたので帰りは薄暗くなっていました。見たくないけど行ったのがこの西谷退三旧居です。町長も変わったというのに、文化財のこの建物にはまだ何の手も加えられず、崩壊寸前のままでした。もっとも、もう修復は無理な状態でしょう。その一方で何度も移築されたり、疑問を持たざるを得ない新築された建物があるのです。そんな状態なのも民度がそれくらいだから、ということで諦めねばならないのでしょうか。

2014年9月16日(火)

 夏に戻った暑い1日でした。浸水のお陰で日頃は気にしていない高い所にも目が行くようになりました。1階なのでしばらく使っていない寝室の天井扇の羽根の飾りに異常があるのに気づきました。脚立を持って行って羽根に触ると何だかグラ付いています。よく見ると3枚とも取り付けネジが緩んでいました。気付かずに使い続けていたら飛んでもないことになっていたかしれません。年数が経ったものは適宜点検をしなければダメですね。ところで、従弟の「ギャラリーオープン記念 手作り木工作品展」が10月10日(金)〜19日(日)まで行われます。目下せっせと作品を増やしているところです。可能な方はぜひ行ってやってください。このギャラリーはプレファブなんですが、そうは見えない仕上げになっていてそれも見ものかもしれません。

2014年9月15日(月)

 昨日に続いて百年舎へ出かけたのは「月1回のおとなの英語塾」の体験会をすることになったからでした。急だったので人数は少なかったのですが、誘われて恐る恐る参加した人も大いに喜んでくれて「楽しかった!」と言ってくれました。それで、来月から本格的に始めることになりました。それも嬉しかったのですが、もっと嬉しかったことは帰りに紀貫之が土佐の国主として赴任していた時の屋敷跡や国衙跡、国分寺へ行けたことです。参加していたHさんが連れて行ってくれました。貫之が任期を終えて京に帰る道中記が『土佐日記』ですが、それに私が普段住んでいる阪南市あたりも出て来るのです。気になっていながらなかなか行けなかった所だったのです。

2014年9月14日(日)

 国の文化財になっている「百年舎(ひゃくねんや)」という古民家に行って来ました。高知市を挟んで反対側にあるのでJRで1時間ほどかかります。駅からはすぐ近くで、入り口には馬車が置いてあります。2回目なのですが、前回は庭を見ただけでした。今回はここで昼食をして来ました。蕎麦と寿司の組み合わせでなかなかいい味でした。庭に出るとブチックやイタリアンレストランなどもあります。左手にあるのが蔵ですが、中を改装して仲間の古民家再生おじさんが事務所にしています。ここでしばらく話しているうちに、明日午後もまた来ることになってしまいました。明日はどんな人たちに会えるか大いに楽しみです。

2014年9月13日(土)

 昼間は暑くても夜は毛布がないと寝られないくらい涼しくなって来ました。雨は夜の間に降ってくれていろいろと好都合です。彼岸花がもう満開になっていました。モンキアゲハがやって来ていました。翅の一部が欠損しているのですが、これも黄色の紋にはなっていません。昨日の続きの建具屋もどきは終わって、引き戸が快適に動くようになりました。片付け・修繕はそこで中断して、仲間のお遊び用のビニールハウスへ出かけました。採れたばかりの鳴門金時で作った芋天などご馳走になりながら楽しい語らいをして来ました。

2014年9月12日(金)

 動かなくなった戸があって、やっと敷居から外して建具屋もどきをやってました。かなり重たいガラス戸の上下を少しずつ削っては嵌め、また外しては削りで腰にもかなり応えました。まだ完了というところへは行きませんでしたが、疲れたので近所の従弟のところへ行ってきました。彼も私と同業でしたが、退職後は趣味の家具作りに励んでいます。弟子入りも修行もしていませんが、腕は私など足下にも及ばないプロなみです。販売もしています。無垢の木で釘は全く使わずに伝統の挿木細工で小さな額縁から整理箱に机や椅子、2人でも抱えられないような大きなテーブルまで。今日はこんな面白いテーブルの脚のニス塗りをしていました。欅の1枚板の天板が向こうに見えています。脚と同一の木から採ったものです。最近、作品を展示するギャラーも独力で造りました。我が従弟ながら感心するばかりです。

2014年9月11日(木)

 昨夜は雨が降ってましたが、今朝はいい天気になっていました。今朝6時38分の風景です。普段はこんなところですが、8月初めのような長時間の豪雨になると湖になってしまうのです。子供のころはこの家ではありませんでしたが、毎年のことでした。でも川が溢れると流れはなくなるので物や家が流されるということはないし、泳ぎさえできれば命の危険もまずないところです。平常はなかなかいいところなんですよ。1ヶ月自然の乾燥に任せて床はかなり乾いたので、今日から本格的な後始末と修繕の日々です。マイペースでやる方が気が楽なのですが、和歌山から助っ人が来てくれているので進行は早いと思います。

2014年9月10日(水)

 道端でキツネノマゴ(狐の孫)が咲き始めていました。小さな小さな花です。なぜ狐の孫なのかはっきりしないようですが、花が咲く房状のところが狐の尾に似ているのと関連があるのかも知れません。近縁種はないそうですが、最近2度載せたスズムシバナはキツネノマゴ科です。花の咲き方が似ているようには思いますが、こんな小さな花がもっと目立つ植物の科名になっているのも門外漢には不思議な気がします。

2014年9月9日(火)

 重陽の節句。USオープンテニスで快進撃の錦織も最後は残念でした。でも凄いことですね。スーパームーンも今夜は雲が多くて出てくる頃の大きなのは見えなくて残念でした。地面で吸水中の大型の蝶々モンキアゲハ(紋黄揚羽)に出会いました。黄色いところがないのにおかしな名前です。白い紋が時が経つと黄色になって来るというのですが、これも残念ながらそんなのに出会ったことはありません。よく見ると赤い模様もあります。もっとふさわしい名前がありそうに思いますが、これも誰かが登録したので変えるわけにはいかないということですね。

2014年9月8日(月)

 今夜なのか明日の夜なのかはっきりしませんが、ともかくスーパームーンがよく見えた夜でした。昨日の新聞の投稿欄ですが、こんなのがありました。ただ社会的風景を詠んだだけの俳句「梅雨空に『憲法守れ』の女性でも」が一方的意見だとは。公務員が現政権の意向にこれほど過敏に反応するとは名月に黒雲がかかったようなものです。「恐れ入る」どころの状況ではありません。私の感性でも「いちゃもん」でしかありません。この記事にも書いてあるとおり、まるで戦前・戦時中の言論統制です。ヘイトスピーチも抑制できない現状の一方で良識ある庶民の俳句にまで文句をつけて掲載しないとは。「ついにここまで来たか」と驚かざるをえません。首相を始め、全ての公務員は憲法を護る義務があったのではないですかね。

2014年9月7日(日)

 雨が夜の間に降ってくれたので、意外にいい天気になりました。午前中は「せんなん里海さくらフェス」という催しに「自然と本の会」も参加して、軽音楽部の高校生約30人を案内して大阪府で唯一残る自然海岸の清掃。ゴミだらけだった海岸が1時間足らずでずいぶんきれいになりました。ついでに少し植物の知識を持って帰ってもらいました。午後は彼らもプロの中に入って参加するコンサートがありました。本来ならそちらに参加するはずでしたが、昨日撮れなった鳥の方により魅力を感じてコンサートは遠慮。昨日より時間が早かったので潮が引いて河口の方には家族連れや釣り人の姿がありました。これではダメだと思いましたが、川の少し上流を探してみるといてくれました。中洲にいるのがわかるでしょうか。肉眼で見るとこんな具合です。ツバメチドリ(燕千鳥)です。尻尾が燕に似ているのが名前の由来ですが、ムクドリくらいの大きさです。

2014年9月6日(土)

 「珍しい鳥が来ている」という知らせをもらっていましたが、午前中は会議に出席しなければならず、午後は「はなてぃカレッジ」の2回目がありそちらにも出席しました。市内に「和紙の布」を作っている会社があり(社名も同じです)、そこが今度は木糸(もくいと)を開発したという話に魅力があったからです。嘗てはこの街でも花形だった繊維産業は厳し状況です。しかし、オーガニックコットンの生産(別の会社)や和紙と間伐材で布を作って未来につなげようとしている会社があります。そこの社長の話がありました。今回は出た甲斐がありました。終わってから鳥見に直行しましたが、飛んでいるのをやっと見られただけで写真は撮れませんでした。もうしばらくいてくれることを期待して引き上げて来ました。

2014年9月4日(木)

 一昨日行ったところで、気になっていた家です。駅も近くて便利なところなんですが、路地をちょっと入るとこんな廃屋がありました。そこそこの家だったと思われますが、こうなってしまうとどうしようもないでしょうね。取り壊すのにもかなりの金がかかる世の中ですし、更地にすると税金も増えるようです。新しい家をどんどん建てなくても昔の家の方がずっと長持ちする材料が使われています。我が家の周りでも空家が増えています。まだ使えるうちに改造して売るなり貸すなりできればいいのですが、、、。こういうところにも国の制度が地に着いてないところが現れているようです。もっと足元を守らなければ国民が滅びます。

2014年9月3日(水)

 今日も午後は出かけねばならなくなったので、池の畔をちょっと歩いてみました。クズ(葛)が生い茂って道がわからないほどになっていました。クズの花もなかなかきれいなのですが、こんな小さな黄色い花もたくさん咲いていました。ヘクソカズラと同じ時期に咲きます。これも蔓性でヒメクズ(姫葛)という名もあるノアズキ(野小豆)です。クズに比べるとずっと小さいので道を塞ぐほどのことはありません。小豆の原種かと思っていたこともありますが、どうやら違うようです。小豆の原種はよく似たヤブツルアズキ(藪蔓小豆)なんだそうです。残念ながらそちらはまだ見たことがありません。

2014年9月2日(火)

 大阪市内で人と会う約束があり少し早めに出かけました。その前に気になっていた「平野町ぐるみ博物館」を訪れてみたかったからです。駅に地図くらいあるだろうとろくに調べもせずに出かけたのですが、期待に反して掲示の地図もないし観光案内所のようなものもありません。仕方がないので付近をぶらついてみることにしました。大きな寺の屋根が見えたので行ってみると融通宗総本山大念仏寺」でした。参道の傍らに一茶の句碑がありました。「春風や順禮ともかねり供養」。濁点はありませんが、中ほどは「どもが」と読むようです。一茶が33才の春に旅の途中でここを通って、今も伝わる「ねり供養」を見て詠んだものだそうです。「ねり供養」は「万部おねり」として5月1日~5日に行われるこの寺の最大の伝統行事だとのことです。

2014年9月1日(月)

 先日のスズムシバナですが、かなり咲いて来ました。この花は葉の下から出て来るおもしろ咲き方をします。そして日のあたるところだと半日で落ちてしまうので場所によっては見ることが難しい花です。ところで、ヘクソカズラと違ってこちらは綽名が通用している花です。本当の名前はスズムシソウ(鈴虫草)なんですが、スズムシソウにはもう1種あるのでこう呼ばれるようになったようです。そちらは蘭科で栽培されているのは見たことがありますが、絶滅危惧種で野生のものを見ることはまず無理な花です。本当に鈴虫のような花が咲くのです。そのせいか、そちらに名前を独占されています。そちらをスズムシラン(鈴虫蘭)にした方が誰もが納得したと思いますが、そうなってないのがおもしろところですかね。

2014年8月31日(日)

 10時ごろまではいい天気でしたが、予報どおり曇って来ました。でも雨は降りませんでした。こんな花があっちこっちに咲いています。蔓性の多年草です。和名はヘクソカズラ(屁糞蔓)。命名者はイヌノフグリ(犬の陰嚢)と同じく牧野富太郎博士のようです。揉むと不快な臭いがするからだとのこと。お灸の跡に似ているというのでヤイトバナ(灸花)という名もありますし、可愛い花なのでサオトメカズラ(早乙女蔓)最後のが一番よさそうですが、はやり本名が一番通用しているようです。牧野博士も名前を付ける植物が多すぎたのでしょうが、サオトメカズラと命名されていたらもっと人気が出た花かもしれません。

2014年8月30日(土)

 太平洋高気圧が張り出して来たのか、昨日とは打って変わったいい天気になり気温も上がりました。もう一度、オオソリハシシギを撮ろうと思って出かけたのですが、見当たりませんでした。河口の砂浜一面にハママツナ(浜松菜)の大群落ができています。これほど広がっているところは珍しいかも知れません。それを手前にゲートタワービルから連絡橋と関西空港を眺めたところです。葉が松に似ているのが名前の由来です。1年草で晩秋には紅葉します。こんないい天気がもっと続いて欲しいのですが、どうやら日替わりのようで残念です。

2014年8月29日(金)

 午後になってから自転車散歩で久しぶりに河口まで行きました。空模様はよくなかったのですが、大丈夫だろうと思っていたら着いた途端にポツポツと降り出しました。雨具の用意はしていたのですが、大した雨ではなかったのでそのままで少しうろついていました。突堤の傍の砂浜で貝掘りをしていた男性が1人いるだけでしたが、釣竿を持った男性も現れました。何が釣れるのかと聞くと、「釣れるかどうかわからないけどタコ」だとのこと。見ていたい気もしましたが、波打ち際から川の方を廻ってみました。目に付いたのはウミネコの群とアオサギだけ。彼らとは全く別のところに1羽だけウミネコがいて羽繕いをしていました。左足をずっと上げたままだったので怪我でもしていたのかも知れません。雨がかなり降って来たので退散したのですが、少し離れたところにキアシシギとオオソリハシシギもいました。残念ながら遠かったのと雨とで見せられる写真にはなりませんでした。

2014年8月28日(木)

 時折、ポロポロとする天気でしたが、午後の会議の後に久しぶりに以前の散歩道を歩いてみました。メジロの小群に出会いました。この折れた枝の中に何かいるらしく入れ替わり立ち替わり突っついていました。自分で捕ったことはありませんが、メジロは何度も飼って何度も死なせたことのある鳥です。その頃は野鳥を飼うことも食べることも禁止されていませんでした。未だに目白と間違えている人もいる鴬は飼ったことがないのですが、思い出が1つあります。ある時、友達からもらって飼おうと思って持って帰ったのですが、目白については何も言わなかった父から「鴬は絶対死なすから逃がしてやれ」と繰り返し言われてしぶしぶ放したことがありました。翌日、その友達にはさんざん文句を言われました。

2014年8月27日(水)

 8月は暑さが足りなかった分、9月は残暑が厳しいとも言われています。しかし、8月も残り少なくなって何となく秋の気配もするようになってきました。庭のスズムシバナ(鈴虫花)が1輪咲いています。「どこが鈴虫か」という花ですが、鈴虫が鳴くころに咲くからでしょう。西谷退三の屋敷の外の谷川にあって彼が好きだった花です。我が家でも野生に近い育て方でかなりよく伸びています。葉っぱはかなり虫食いになっています。消毒はしないからですが、犯人ならぬ犯虫は上の方と右の方に写っています。ベニシジミやイチモンジセセリもヒラヒラしていました。

2014年8月26日(火)

 相変わらず天気はよくありませんが、日もかなりあたって暑い日でした。被災地にも日照りがあるといいのですが。毎日新聞の夕刊のこんなコラムが目にとまりました。写真の顔を見てもわかりませんでしたが、就職先と名前ははっきりと覚えていました。私が教師になって最初の担任をした生徒の1人に間違いありません。彼のその後に特に関心を持っていたわけでもないので、監督をしていることも知らなかったし、「都市対抗野球で10年連続出場で表彰されたが、試合には一度も出ていない」なんてことも初めて知りました。常務取締役だったということなので、仕事の方では重要ポストを占めていたことがわります。その一方で下積みの経験に花を咲かせた名監督としてこの企画の第1回に取り上げられたのでしょう。彼が私のことを覚えているかどうかもわかりませんが、私が覚えていることも彼が野球部員で歌が上手だったことくらいです。でも、教え子の1人が登場したうれしいコラムでした。

2014年8月25日(月)

 今度は北の果ての礼文島でも50年に一度の大雨が降り2人亡くなったとか。もう日本国中どこでど集中豪雨があるかわかりませんね。ここ大阪府南部でも相変わらず雨が続いていますが、こんな空も見えていて大雨の降りそうな雲は上空にはありません。夕方出かける時はポロポロとしていましたが、傘はささずとも駅まで行けました。行先でも帰りでも傘は不用でした。高知に比べるとほんとうに雨の少ないところだと改めて実感しています。

2014年8月24日(日)

 今日は大阪府の北部で大雨の被害が出ているようですが、南部のここは相変わらず大した雨は降っていません。しかし、昨日掃除をした男里川の菟砥(うど)橋の橋脚で11号台風の時の増水の跡が見られます。警戒水域の中ほどまで増水していたようです。今回だけの結果ではないでしょうが、よく見ると橋脚のところが深くえぐられています。「コンクリートの橋が流される」なんてことも起こりえることが想像できます。かつて上流のダムが決壊してここらあたりも大惨事になったことがあるようです。この流域にも「記録的大雨」の降らないことを祈るのみです。 

2014年8月23日(土)

 夜はかなりの雨が降りましたが、朝にはいい天気になっていました。男里川環境保全活動の清掃と観察会でした。子どもたちを中心とした一般参加が期待されていましたが、日が悪かったのか宣伝不足なのか一般参加はゼロでした。でも参加者は23名で川の中へも入ってゴミ拾いをしました。相変わらずビニール系のゴミが目立ちます。1時間ほどでかなりきれいになりました。観察会も童心に返ってそれぞれ楽しんでいました。台風のせいか水生の生き物の種類はかなり少なくなっていました。ウナギの稚魚はいましたが、アユは捕れていませんでした。午後は別のボランティアの会議で私にはまた忙しい1日でした。

2014年8月22日(金)

 句集が1冊・俳誌2冊・短歌雑誌1冊・短歌誌からのコピーページ1部が届いていました。俳句はかつての教え子ですが、短歌の方は友人・知人。それぞれかなりの域に達している人たちです。とりわけ俳句の久保純夫氏は現代俳句協会の重鎮。いわゆる花鳥風月を詠んだものはほとんどありません。季語はあるものも、ないものも自由なようです。しばらく本を読む時間もなければ読む気力もありませんでしたが、今日はゴロゴロしながらあっちを読みこっちを読みで時間を過ごしました。もちろん昼寝もたっぷりしましたが、夜になってもまだ眠い状態です。広島の人たちのことを考えると申し訳ないような1日でした。

2014年8月21日(木)

 今日も降ったり止んだりでした。時間が止まったような2週間でした。来る日も来る日もひたすら洗い。乾かしたいけど、天気が悪いので乾きません。できる限りゼロに近づける作業なのですが、乾かないのでそのための基礎作業で終わりました。日常生活の場ならそうはいきませんが、自然乾燥待ちということで一旦終了にしました。自分の体もかなり湿ってきたので阪南砂漠で乾かします。高速バスは眠っていて気がついたらいつもと違う道を走っていました。土砂崩れでもあったようです。まずまず予定どおりに難波到着。いつもは素通りのナンバウォークで夕食。「数量限定」で目について、よく働いた自分への褒美と絶滅危惧種になったニホンウナギ (かどうかはわかりませんが) の食い納めかもしれないとこんなものを食べました。

2014年8月20日(水)

 今度は広島市の山手で豪雨による惨劇がありました。幼い命も失われたようです。危険地帯ではあったようですが、どこで何が起こるかわからない世の中になりました。こちらは今日は大した雨ではないけれど、降ったり止んだりで太陽は顔を出してくれませんでした。やっと倉庫に手がつけられました。懐かしい薬缶が目に着きました。洗っただけで磨いていないので、汚らしいのですが銅の打ち出しです。骨董的値打ちはあるかもしれません。我が家にまだ田んぼがあった頃、野良ではこれで茶を沸かしていました。およそ60年ぶりに湯を沸かしてみました。飲んでみると、何だかまろやかな味がしました。

2014年8月19日(火)

 土砂降りかと思うとカーと日があたったり、の連続で変な天気でした。ともかく日があたるということは乾きが早いのでありがたいことです。突然の雨に濡らしてしまっては元も子もないですが、、、。このレトロな扇風機も多分、祖父が買ったものです。最近のプラスチック主体のと違ってほとんど金属です。扇風機は何台にもなりましたが、これもまだ現役で動いていました。38年前の浸水では2階に置いてあってモーターは浸からなかったと思いますが、今回は1階の床で完全に水没していました。できるだけ乾かして回転部に注油して試してみました。ヤレ嬉しや、回転しました。ところが、、、。煙が出てきてブレーカーが落ちてしまいました。さて、どうしたものか。

2014年8月18日(月)

 早朝は時折の土砂降りの繰り返しでしたが、7時前には南の空に青空が拡がって来ました。ラジオのお天気姉さんが「太平洋の高気圧が強くなって来たので青空が見られるようになるでしょう」という風なことを言っていました。「これだな。今日はいい天気になりそうだ」と期待していたんですが、しばらくすると青空は消えてしまいました。そしてまた時折の土砂降りの連続の1日となってしまいました。村の災害のゴミ集めも今日で最後でした。私の今回の後始末もほぼ終わりましたが、床が乾かないことには元の生活ができるようにはなりません。「阪南砂漠」が懐かしくなって来ました。

2014年8月17日(日)

 今日も雨を覚悟していましたが、意外にも時折日もあたるという比較的恵まれた天気になりました。豪雨は近畿地方の北部に行ってしまったようで、あちらが気の毒なことになっているようです。命を失った人もあるようですが、この村にはそんなこんな人はいません。水没危険地帯ではあっても命の危険はあまりありません。相変わらず洗ったり干したりが続いています。ほとんどの家はもう終わってるでしょうが、1人なのでなかなか捗りません。夕方、畑の桜の養生に行って来ました。切ってから一雨あったし今更何の効果もないかもしれませんが、できることはしておくことにしました。従弟に石灰硫黄合剤を頼んであったんですが、何と代わりに木工ボンドを持ってきてくれました。確かに切り口から水は入らなくなりますが、それでいいものかどうか。2人とも素人ですから、ダメモトの実験ということになります。

2014年8月16日(土)

 今日も一日中雨。乾くどころかあっちこっちに黴が生えてきました。体にも生えそうなくらいです。天気図を見ると低気圧が高気圧にサンドイッチされている上に行く手も遮られています。これでは動きたくても動けない状態で雨がしばらく続きそうです。困ったことです。今日洗った物の中にこんなものがあります。ほとんどは祖父の代のものだと思いますが、骨董的価値はまずないと思います。三代続きの下戸の家なんですが、祖父や父の代には「土佐のお客」をしていたからでしょう。皿鉢も何枚かはあります。 祖父は旅籠屋をしていたこともあるそうですから、その時代のものもあるかもしれません。私にはもはや無用の陶器類ですが、捨てられずに残してしまいました。

2014年8月15日(金)

 朝は小降りになっていましたが、1日中休みなしに降っていました。そして時折、雷鳴と共に土砂降りでした。昼過ぎには川がとうとういっぱいになってきました。これから更に何時間も降り続くと氾濫しますが、幸い雨雲と雷鳴は東の方へ移ったようです。24時間以上、なんて降り方をしなければこの家は床上浸水なんてことにはならないはずです。それにしても「想定外」なんてことは、責任ある立場の人が言うべきことではありませんね。「無策であった」と言っているようなものです。明日は近畿地方で大雨だと言ってますが、「阪南砂漠」でも雷鳴が轟くでしょうか。

2014年8月14日(木)

 朝から小雨が降ったり止んだりでした。この1週間の食料は持ち込み・差し入れ・保存でほとんど間に合ってましたが、とうとう底を突いて来ました。雨の止み間に自転車で村の中央部へ買い出しにでかけました。着いたのは1時頃でしたが昼食がまだだったので1軒の店に入りました。メニューを見て、「オムライス街道」が有名になっているのを思い出しました。村長の提案で 1)村特産のシュガー・トマトを使うこと 2)できるだけ地場の野菜を使うこと 3)食べるみんなを笑顔にすること が条件だそうです。と、言っても村のことだからわずか6軒。それぞれ特色があり、値段も違います。 全店を回れば1品無料で、抽選で景品もありだそうです。これは750円。味は悪くはありませんでしたが、オムライスは村長のようには好きなれそうにないのでスタンプを集めることにはならないでしょう。夕方から雨が本格的になり、雷鳴も轟いています。また長時間降り続けないことを祈るのみです。一時停電にもなりました。

2014年8月13日(水)

 今日は雨かと思っていましたが、意外にもいい天気で助かりました。片づけはなかなか捗りませんが、やっと目処がついてきました。近所へも出かける余裕はあまりありませんが、息抜きに出かけてみるとこんなところもありました。この修復も大変だと思います。右の高いところにある家も危険だと思いますが、案外大丈夫なようです。それぞれ運不運ですかね。私は災害の後始末は何度もしていても、その災害の現場にいることからはいつも免れているので運はいい方かもしれません。そう思って明日も励みます。

2014年8月12日(火)

 今頃、藤の花が咲いています。これも異変の兆候でしょうか。実はこの藤は蔓をあまり伸ばさせてもらえないのです。屋根の上に伸びようとすると太陽光発電パネルを日陰にしてしまうので切られてしまうし、隣の木犀や梛に伸びても切られてしまいます。今回は3ヶ月ほど自由に伸びることができたので、やっと花を咲かせることができたのかもしれませんが。植えられた場所が悪くて気の毒ではあります。(これはナツフジ=夏藤だとのことです)台風11号の被害はないと思っていたのですが、ちょっと離れたところにある畑に植えられている「桜の枝が折れて車のあたるので除けて欲しい」とのこと。他の木も道の邪魔をしていたので、従弟や友達にも助けてもらってかなり切って来ました。「桜切る馬鹿」と言いますが、仕方がありません。

2014年8月11日(月)

 水害の後始末を今日も終日やってました。大きな物は片付いていますが、次々とやる事が出てきます。そのご褒美がありましたよ。私が見たのは昨日ですが、いつもより大きくて明るい月が見られます。地球に最も近い位置につきがいるのだそうで、スーパームーンというのだそうです。今夜は残念ながら曇っていて見えないので昨夜の写真ですが、スーパームーンなんて実は知らずに撮りました。いつも見るものより大きくて明るく思えたので、不思議に思って調べてみたらそういうことでした。今年は2回目で、9月9日にもう1回見られるそうです。重陽の節句も楽しみです。

2014年8月10日(日)

 昨夜の10時ごろから風が強くなり、雨も降り続けになりました。風の心配はまずしなくていい家ですが、夜中に何度も水は見に行きました。その都度水位が上がって来ていました。これはひょっとすると、と思い始めた頃に明るくなって来て風も雨も止みました。床まで20cmくらいのところで止まりました。これはしばらくたった6時半ごろの近くの橋の状況です。ここへは水の中を行きました。橋の上と前後の少しの部分だけ道路が出ています。向こう側の道路は水が浅いのでここまで車がやって来たりUターンしたりしていました。この橋の下にイワツバメが毎年巣を作って雛を孵していましたが、今年は全く姿を見せませんでした。何があったのだろうと思っていましたが、これだったのかと思い到りました。他の理由もあるかもしれませんが、足長蜂も洪水になる年は川端に巣を作らないし、力芝も蔓を延ばさないといいます。野生の生き物の予知能力には驚嘆せざるをえません。

2014年8月9日(土)

 この頃は家にいれば昼寝、出かけて会議の時も居眠りの毎日でしたが、この3日は食事の時に休んでいるだけで昼寝もなしで過ごしています。雨の1日でしたが、今日も残っている泥を洗い落としたり、ゴミに出さずに残った衣類を洗ったりで終わりました。全自動の洗濯機は使えませんが、二層式のが動いたので大助かりです。特に脱水ができるのがありがたいです。こういう時は構造の簡単なのが強いですね。これは18時の家の裏の状態ですが、これくらいの増水はしばしばあることです。手前に入れたのはコガネグモ。たくさんいます。11号が近づいていて避難勧告が出ていますが、非難するつもりはありません。全村が水没危険地か崩落危険地のような村なので、まさかの出水に備えて建ててあるこの家の2階の方が安全です。それにしても、この家で台風の時を過ごすのは何十年ぶりかです。

2014年8月8日(金)

 この箱型火鉢は恐らく大正時代の製作で、祖父が購入したもののようです。私が子供のころはまだ現役でした。燃料革命が起こって炭を暖房に使うことがなくなったので無用の長物になっていました。1975年(昭和50年)の集中豪雨で2階の床まで浸水した時にゴミと一緒にダンプカーに乗せらて捨てられるところでした。それを私が見つけて降ろさせました。その翌年も2階までの浸水がありましたが、その時は帰省していなかったのか、この火鉢がどこにあったのか全く記憶がありません。それから28年、今回もこの火鉢は1階にあったのでまた水没していました。3度も水害を乗り越えた火鉢です。灰と底の土は水を吸って重いので捨てましたが、父が修理していたこともあってしっかりしています。具体的にはまだ考えてませんが、今度は何らかの形で活かして使ってやりたいと思っています。暖房以外にいいアイデアが浮かぶといいのですが。

2014年8月7日(木)

 天気はまずまず。午前7時半から1人で作業開始。9時過ぎには従弟2人と古民家再生協会のHさんも来てくださった。濡れていても置いておきたいものだけ残して畳やソファーベッドなど搬出。まだ整理ができずに残っていた父母の遺物の衣類も抽斗があかなくなったタンスとともにゴミ収集車に持って行ってもらいました。なかなか処分できなくて困っていたものが無くなって各部屋がかなりスッキリしましたが、床の泥を洗い落として排水するのが一苦労。午後には義弟夫婦も来てくれたので、1階の大部分はあらかた終了。でも、まだ離れの私の部屋はまだ手を付けてません。そちらは一人でゆっくりやるつもりですが、明日は雨のようです。乾燥もしなければなりませんが、焦っても仕方がありません。何とかなるでしょう。この状態を初めて見る義妹は「驚いたでしょう」と言いましたが、何度も体験している私には想定内で驚きはありません。でも、もう体験したくないことではあります。

2014年8月6日(水)

 3日に床上浸水したとわかっていた日高村の家の状況は予想どおりでした。床に置いてあったものは目も当てられない状態で散らばっていますし、床も畳も泥だらけです。冷蔵庫も3段の一番下の野菜室には泥水がいっぱい溜まっていました。2段目の冷凍食品ももちろんダメになっていそうですが、電源を入れてみると嬉しいことにちゃんと作動しました。この分なら洗濯機も無事かもしれません。まずは散乱している物を処分して泥水を洗い流して乾燥しなければなりませんが、2階でも生活できるようになってますので暮らしは大丈夫です。近所よりは遅くなってますが、従弟たちや友達も助けてくれるので明日中にはかなり片付くでしょう。

2014年8月5日(火)

 やっと雨がやんで朝は青空も見えて日もあたっていました。7時から近所の桜並木の清掃に出ていました。が、やがて風が吹き出して雲も多くなって来ました。台風12号の崩れた低気圧の影響でしょうか。後になった11号も来ています。進路予想図を見ていると今度は関西地方に大きな影響を与えないかと心配です。第二室戸台風を大阪で体験しているだけに毎年ビクビクしています。今度もあまり被害のないところを通過して欲しいものです。空模様はよくありませんが、風があるので大阪湾の対岸が我が家からよく見えています。関西空港を離陸したばかりの飛行機も入れて撮ってみました。手持ちでもこんな写真が撮れるので最近のデジカメは凄いです。

2014年8月4日(月)

 こんな本があるのを知りました。と、いうのは「七つの子」というカラスの歌が気になりだしたからです。嫌われもののカラスもこの歌のおかげで幾分好感をもたれている向きもあるようです。「7才の子なのか、7羽の子なのか」ということが問題になる歌です。「7才のカラスではもう雛ではないだろうから7羽だ」というのがどうやら定説のようです。外国人の歌手にも人気があり「7羽」で訳した歌詞で歌っています。しかし、鳥のことが少しわかってくると、ハシボソガラスにしろハシブトガラスにしろ、1つの巣に7羽もいるということは考えられないことです。仮に7個の卵を産んだとしても、孵って育つのはせいぜい3羽だそうです。だとすると、この7はなんなのでしょう。思い至ったことは、野口雨情は鳥の生態については全く知らなかったということです。カラスの子といいながら、実は人間の子どものことを考えていて「7才の子=7つの子」となったのではないでしょうか。

2014年8月3日(日)

 今日は雨がやむかと思っていましたが、昨日ほどではなかったけれどまだ降り続けでした。高知の田舎の我が家はこれまでどおりどうということもないだろうと思っていました。ところが、ところが、どうやら38年ぶりに床上浸水しているようです。38年前には2年続きでしたが2階まで浸水しました。それに比べれば大したことはないのですが、、、。幸い、38年前と違って普段は誰も住んでいないので心配することはそうありません。ところで、今日は「自然を楽しむ講座」で「私が出会った甲虫たち」という話を聞きました。50年来の親しい人ですが、専門的な話を聞いたのは初めてでした。彼が集めた標本も少し持って来てくれましたが、バイオリンムシなんてのもありました。熱帯地方でサルノコシカケを食べていてそこに来る虫も食べるのだそうです。彼は自分の名前がついた甲虫をいくつも持っていますが、甲虫を含めて昆虫にはまだまだ未発見のものが無尽蔵にいるのだそうです。

2014年8月2日(土)

 台風12号の影響で高知県では大雨のようですが、こちらも珍しく24時間以上降り続いています。でも、シトシトと降っているという感じで大した雨ではありません。生憎、今日も朝から市の中心部へ出かけねばなりませんでした。久しぶりに100円のコミュニティバスを利用しました。そして午前中は男性だけでヨガの初体験。他の人たちはかなり苦しんでいましたが、私は真向法を日ごろやっているのでかなり余裕がありました。それでも日ごろやっていないところはやはり苦しくて追加すべき運動がわかりました。午後は「はなてぃカレッジ」と名付けられた市民講座。私は受講というよりは録画の補助的なことをやってました。この写真は我が庭のメダカ池。夜は小雨になって隣町の花火が見られましたが、気づくのが遅れて写真は撮り損ないました。

2014年8月1日(金)

 蝉たちにとっては「我が世の夏」というところでしょうか。庭にもいくつも穴が開いていますし、抜け殻もあっちこっちに見られるようになりました。松の木の枝に止まっているクマゼミを真横から撮ることができました。私の部屋は2階で西側の窓が大きいので午後はかなりの暑さになります。でも、半分はキーウィの枝を庭から伸ばして緑の日除けにしています。それで部屋に陽が入るのはかなり防げています。朝は蝉たちがそこにも来て鳴いてくれるのでいい目覚ましになっています。喧しいといえば喧しいのですが、悪くはない気分です。