2015年7月31日(金)

 今日も嫌になるほどのいい天気でした。夕方には部屋に西日もあたるし、暑さには強い私も我慢できなくなりました。エアコンを入れて家にいるよりは図書館に行くことにしました。写真はその帰りに田んぼの中にあるホルトの木を入れて我が家のある丘陵地を撮ったものです。ところがあるはずの本が職員3人が探してくれたのに見つかりませんでした。それは『泉佐野の祭りと盆踊り』という本です。「佐野くどき」とう盆踊りの歌があるのですが、その中にウチワヤンマになった長太郎さんの手がかりがあることがわかったのです。今はほとんど埋め立てられているのですが、「籠池という大きな池にだけウチワヤンマがいてチョウタロウと呼んでいた」と83才になるOさんから聞いたのです。この池は江戸中期に出来たらしいのですが、漏水がなかなか止まらないので自ら申し出て人柱になったのが千代松長太郎という人でした。人柱の話は泉佐野にもあったのです。だとするとウチワヤンマをチョウタロウと呼んだのは泉佐野だけだったようで、長柄の人柱とは関係がないようです。「千代松長太郎」のことをもっと知りたいと思っての図書館行きでしたが、今日は無駄足でした。

2015年7月30日(木)

 夜もいい天気で月がきれいでしたが、風があっても生温くてやはり盛夏。満月は明日のようです。今日も午後は電車で出かけねばなりませんでしたが、駅からは20分ほどの徒歩。日向を歩くのはやはりかなり疲れますし、それから2時間ほど立って講義をしたので更に疲れました。日本の諺の話をしたのですが、中国の故事に由来するものが実に多いのです。しかし、日本生まれももちろんあります。その中でも大阪生まれもあるので特に紹介しました。「雉も鳴かずば撃たれまい」というのですが、淀川に架かる長柄(ながら)橋にまつわる伝説から来ています。今も長柄橋はありますが、推古天皇の時代のことで川の流れも変わってその位置は今のところではないようです。その伝説にも諸説ありますが、「物言わじ 父は長柄の人柱 雉も鳴かずば 射られざらまし」という歌が元です。父が言わなくてもいいことを言ったために長柄橋の人柱になったことで、その娘がほとんど物を言わなくなり婚家から返されることになりました。その途中の長柄橋のたもとで突然、雉の声がしたのです。その雉は射られて死んでしまいました。その時にその娘(嫁ですが)の口から出たのが上記の歌だということです。この話と昨日のウチワヤンマが関係あるとは思ってもいませんでしが、今日は新たな話が入って来ました。ウチワヤンマにチョウタロウという呼び名があることも紹介したのですが、それは人柱になった父親の名前だというのです。姓は巌氏(いわじ)ということになっているので巌氏長太郎だったのでしょうか。「人柱になった人の生まれ変わりだから、いつも水の中の杭に止まっているのだ」と私が聞いた人は父親から教えられたそうです。そういえば杭があればよく止まっています。

2015年7月29日(水)

 朝は曇っていましたが、また晴れて来ました。どうせ暑いのなら晴れて暑い方がいいですね。池にウチワヤンマ(団扇蜻蜓)がいました。オニヤンマくらの大きさですが、尻尾の先の下側に突起があります。それが団扇のように見えのが名前の由来のようです。温暖化の影響でしょうが、最近は南方系のタイワンウチワヤンマ(台湾団扇蜻蜓)もいます。胸の部分の模様と団扇の部分が少し違います。また合成ですが、右下がタイワンウチワヤンマです。丁度1年前に別の池で撮ったものです。ところで、ウチワヤンマをこの地方(泉州か泉南か)ではチョウタロウというのだそうです。60代の半ばの人に聞いたのですが、この地方で生まれていてもトンボ捕りが遊びの1つでなくなった時代の人たちは知らないのかも知れません。私はこの地方の出身ではないのでもちろん初めて聞きましたし、子供のころにはこんなトンボは見たこともありませんでした。でも大変うれしい名前です。長太郎という名を持つ友人がいるので教えてやろうと思っています。

2015年7月28日(火)

 午後は予定があったのでほんとうは家でのんびりしていたかったのですが、午前中に鳥撮り案内をすることになりました。私と同じく定年後に野鳥撮影を始めたかつての教え子夫妻です。機材は私よりりっぱな物を持っていますが、経験は私の方が勝っているようです。いくつかの場所を回ったのですが、残念ながら一番の目的の鳥には出会えませんでした。時間帯が悪かったようです。でも、オオバンやカイツブリのかなり成長した雛の食事風景に出会うことができました。小さな体ながら潜水が得意なカイツブリは魚食、オオバンは草食であることがよくわかりました。これは合成写真ですが、手前がカイツブリで鮒を食べているようです。向こう側がオオバンで藻の類を食べているようです。真昼間の炎天下でかなりの時間を過ごしましたが、昨日の曇空とは違って私にはむしろ快適でした。もちろん、水分補給は十分にしています。

 2015年7月27日(月)

 孫のお供で映画「アリのままでいたい」を観に行きました。隣の市のシネマかと思っていたら、和歌山市だとのこと。と、いっても各駅停車の電車で5つ目。和歌山市内に点在していた和歌山大学が大阪府に近い山の上にキャンパスを移してから、そこに住宅地が出来、駅と大型の商業施設が出来て意外に便利なところになりました。高知との往復を自分の車でしていた頃にはよく通っていたところですが、この駅で下りるのは初めてでした。夏休みとはいえ、大学生の姿が目立ちました。大学は山の上にありますが、電車の駅と商業施設が麓に出来たとことで学生たちはずいぶん便利になったようです。映画の方は昆虫写真家の栗林慧が撮影した蟻の目線で見た昆虫の世界。観客は10名ほどで私のように子どもとその付添がほとんどでした。3Dになっていましたが、眼鏡はなくても大した違いはないように思いましたが、昆虫大好きな孫は食い入るように観ていました。特製のカメラで撮った生態動画はすばらしいものですが、私は熊田千佳慕の細密画の原画を思い出していました。  

2015年7月26日(日)

 今日も炎暑の1日でしたが、調布市で軽飛行機に飛び込まれた家の人たちは何とも気の毒なことでした。搭乗者で死ななかった人もいるというのに、日曜部の朝を寛いでいたであろう何の関わりもない女性が命を奪われてしまいました。不測の事故とはいえ、住宅地に落ちるしかなかったのでしょうか。ほんとうに何が起こるかわからない世の中です。が、私の方はまずは平和な1日でした。午後はまた自転車で30分ほどの移動。でも、会議ではなく以前には時々行っていたイタリアンの店の2階での「マリアと猫の手」のライブ。彼女たちもだんだん上手になってきましたし、新たな仲間も加わってさらに楽しくなりました。気楽に楽しめるところがともかくいいところです。

2015年7月24日(土)

 今日もなかなか暑い日でしたし、忙しい日でもありました。午前中は直前になってしまったのですが、夜の「海蛍観賞会」のための資料の作り直しをしていました。午後は9月6日(日)に行われる「せんなん里海さくらフェス」のための会議。以外に向かい風があって約30分も自転車で行くのは快適というわけにはいきませんでした。途中の自然海岸には水上スクーターが集結していてちょっと不気味でした。浜もかなり荒れていました。里海公園の方も海水浴客で賑わっていましたが、私は室内の会議で2時間半も過ごさねばなりませんでした。暑くはないとはいえ、これもなかなか辛いところです。終了後はハマボウフウの浜の方に戻って馴染みの喫茶店で夕食。その後、公民館へ「海蛍観賞会」に参加の人たちに説明と引率のために行きました。毎年、やっているのに今年も見るのは初めてだという人たちがほとんどでした。今年は新しい助っ人もいて助かりました。約70名を引率して約10分歩いて浜辺へ。暗くなった浜の方では準備が整っていました。今年も事故なく十分に楽しんでいただいたようでホッとしました。

2015年7月24日(金)

 台風の進路にも影響を与えた高気圧のせいで、朝からなかなか暑い日になりました。「素的歩き」の仲間と1年ぶりにアオバズク(青葉木菟)に会いに出かけました。ただし、みなそこそこの年齢なので今日はあまり歩かずに車での移動が主でした。去年は雛が1羽でしたが、今年は3羽生まれていました。全部を一度に画面に入れるのは難しかったのですが、やっと写せたのがありました。中央のはっきりわかる2羽は親ですが、子供たち3羽はどこにいるかわかるでしょうか。左上に雛の1羽を填め込みました。ところでフクロウのうち耳(羽角)があるのをミミズクというのですが、アオバズクは耳がないのにミミズクだそうです。何にでも例外はあるものですが、不思議なことです。この後、歴史探索も兼ねて3か所に行ったのですが、野鳥以外の出会いもいろいろ。久し振りの人や名前だけ知っていた人との出会いもありましたが、熱中症になったのか気分が悪いという人の手助けもしました。最期に行った河口では盗難にあったらしい女性のカバンが放置されているのを見つけました。その中に現金は残ってなさそうでしたが、カード類や手紙や写真があり、大切なものだろうと思いました。警官が来て詳しく調べたら銀行のカードや免許証もあってその場からの連絡で盗難届が出ていることがわかりました。カバンはやって来た若い警官が持って帰ったのですが、連絡して待っていた私たちには何の言葉もありませんでした。「連絡ありがとうございました」とでも言ってくれたら、私たちはもっとうれしい気分になったのですが、、、。

2015年7月23日(木)

 期待どおり雨は止んでくれたので、予定どおり土曜日の「海蛍観賞会」の予行に行って来ました。よく載せる浜です。庭園化で問題になっていたところは既に手入れはされないようになっていますが、植えられたハマユウ(浜木綿)が咲いていました。自生のものではありませんが、もはや仕方がないこと。そのままで増えていってこれも名物になるでしょう。ウミホタルはいつも4~5人で採取していますが、やはり薄暗い7時台はダメでした。暗くなって明石大橋のライトアップも見えるようになるとかなり採れました。土曜日は人数が多くなり過ぎたので、特別に参加していただいた野鳥の会の人たちも満足してもらったようです。台風はかなり西よりになったようだし、土曜日も大丈夫だろうと思います。

2015年7月22日(水)

 梅雨明け宣言があってもまた梅雨のような雨の1日でした。台風もまた近づいているし週末は行事が続いているのでちょっと心配です。昨日の散歩で見つけていた3cmほどの昆虫です。コンクリートの上で何をしていたのかわかりませんが、死んでいたわけではりません。「アブかな」と思ったんですが、名前は知りませんでした。尻尾の先が白いのが特徴で調べるとすぐにわかりました。これはオスのようですが、シオヤトンボ(塩屋蜻蛉)と同じく、その白いのが塩を連想するところからシオヤアブ(塩屋虻)というようです。目立つのは尻尾ですが、口の方にもっと大きな特徴があるそうです。毒は持たないそうですが、スズメバチ(雀蜂)すら一発で噛み殺してしまうという昆虫界の殺し屋ナンバーワンだとか。でも近づいてもスズメバチのように人間を襲うということはなさそうなので、私たちは恐れる必要はなさそうです。


2015年7月21日(火)

 昨日は1日中家にいたので、午後は散歩に出ました。それほどいい天気でもなかったけれど、青空も見えていて日は結構あたっていました。でも、風があってそう暑くはない散歩でした。大きな溜池の土手道を歩いているとこんな豆がたくさんぶら下っている植物がありました。どうやらクサネム(草合歓)のようです。名前は合歓の木に似ているからだとか。田んぼの困り者だそうですが、こんなところでは被害はないでしょう。キチョウ(黄蝶)の食草だそうです。そういえば近くでヒラヒラとしていました。空を見るとおもしろい形の雲も浮かんでいました。ちょっと秋のような感じもした散歩道でした。

2015年7月20日(月)

 梅雨明けということですが、天気はあまりよくなりそうにはありません。消滅していた台風12号も近づいているようです。憂鬱な気分がまだまだ続きそうです。高校生による理由不明の殺人事件がまたも起こり、同年齢の若者が高速道路を2人乗りのバイクで逆走して死んでしまったり、水泳中の死亡事故に加えて、水中の感電死で2人の父親が亡くなるなど、信じがたいような事件や事故も次々と起こっています。直接の関係はなさそうに思えますが、私にはそれもこれも現在の政治が影響しいているように思えて仕方がありません。若者たちも見通しの立たない社会に不安が募り苛立っているのではないでしょうか。悩みがあってもそれを相談する人も場もないので内向するのみ。突発的に人を殺してしまうか自分が死ぬかが彼らが思いつく解決策なのではないでしょうか。「おとなしく目立たない」といわれる人たちほどそうなりがちではないでしょうか。せめて夕焼け空のように明日に希望の持てる政治をして欲しいものです。

2015年7月19日(日)

 また梅雨空が戻って来て蒸し暑い1日でしたが、夕方には少し日もあたっていました。夕方の日光が部屋に入るようになったので、仕舞ってあった日除けを張ることにしました。作業をしていると腕にチクリと痛みが走りました。カポックの枝に触れたことはわかっていましたが、棘はないはずです。よく見るとこんなのがいました。イラガの幼虫です。イラガにもいろいろな種類があるようですが、ともかく棘がたくさんあります。虫刺されにはあまり強くはないのですが、こんなのは大騒ぎするほどの毒は持っていません。憎いことは憎いのですが、たくさんいるようでもないのでそのままにしておきました。

2015年7月18日(土)

 「阪南砂漠」といわれる我が街は雨も風も大したことがなく台風が過ぎましたが、かなりの被害が出たところもあるようです。死亡者もあったようですし、電車もなかりの時間ストップしていたようです。今日は台風一過のいい天気になりましたが、これも1日しか続かないようです。いろいろと明るい気持ちにはなれない日々です。もう何度目かですが、またこんなものを頂戴しました。喜ぶべきことなのですが、実はあまりうれしい気にもなれないのです。私たちの会は名前はそこそこ知られるようになっていますが、NPOでも一般社団法人でもないただの市民団体です。有志の集まりで運営されているので金もなく、事務所のようなものも持っていません。飾るところもないし、こんなのがたくさんできると保存する場所にも困ってしまいます。目立つ大きさにしたいのもわかりますが、もっと小さくするか、私たちの活動に役立つものにしてくれるとかできないものか、と思ってしまいました。

2015年7月17日(金)

 台風は室戸に上陸しましたが、大阪の方へは向かわずホッとしました。が、また各地で大きな被害が出ているようです。土砂崩れも起こっていますが、木を植えるのならぜひ広葉樹にして欲しいものです。これは田舎の家の柿の木ですが、コンクリートで固めた土台のところから出て来て立ち上がっています。それなのに毎年かなりの実を付けていました。しかし、こちら側は道路なので交通妨害にもなります。そこで、去年の秋には切り過ぎたかなと思うくらい枝を切ってしまいました。春になっても葉が出て来ないのでさすがに枯れたかな、と思っていたのですが、、、。今はこんな下の方からも葉が出て来ています。上の方ももちろんかなり復活しました。広葉樹がいかに強いかの1つの証明だと思います。枝や葉はなくなっても地下にしっかりと根を張っているのでまた新たな枝や葉を出すことができます。針葉樹は保水力も少ないし、根もあまり深くは張れないのでこうはいきません。台風や地震にも弱いのです。戦後の植林の結果、日本の山は針葉樹が圧倒的に多くなりました。それが災害を増やしてもいるようです。実の成る広葉樹は野生の動物たちに餌も提供するし、災害防止にも役立つはずです。金もかかることですが、私に残されているわずかな山にも自分は収穫できなくても実の成る広葉樹を植えたいと改めて思いました。

2015年7月16日(木)

 郷里の高知で台風が恐ろしいと思ったことはなかったのですが、大学2年の時に大阪で体験した第二室戸台風以来恐ろしくなりました。土曜日でしたが、フランス語の授業があったし、朝は風も吹いていなかったので大学へ行っていました。講義が終わったのが11時ごろ。そのころから風が吹き始めました。そして帰りの電車に乗ったのですが、阪和線から南海高野線に乗り換える三国ヶ丘まで来ると風もかなり強くなり電車はストップ。台風が過ぎ去るまで駅のホームで待っていなければなりませんでした。その間に恐ろしいと思ったことはありませんでした。2時間ほどだったでしょうか。風がやっと収まっても電車は動きません。仕方なく線路を5駅分歩いて下宿へ帰りました。下宿はかなりの屋敷で大きな門があり、玄関まで並木もありました。でも、何だか明るいのです。ふと見上げると2階の私の部屋と隣りあっている部屋の戸がありません。2階が吹き抜かれて屋根がやっと残っている状態でした。5人の下宿人がいたのですが、残っていた者は1階で頭に座布団を縛りつけて壁を支えて震えていたとか。2階の自分の部屋に行ってみると窓はもちろんありませんし、本棚も倒れて本も散乱していました。丁度、試験の前で慌てました。家の外に飛ばされているものもありましたが、試験に必要な本は全部見つかってホッとしました。しかし、それから1週間ほどは電気も来ないし、雨も降って来るしで、試験勉強は大学の図書館でやって帰ったものでした。試験が終わったら、屋根の修理のために兵庫県にある下宿の主の弟という人のところに古瓦を取りにみんなで出かけたのも今となってはいい思い出ではあります。しかし、台風銀座といわれた高知で育っている私は家が少々揺れても平気でしたから、下宿に残っていたら2階で寝ていたかも知れません。そして、今頃はこの世にいなかったかも知れないと思います。実際は恐ろしい目にはあっていないのですが、台風が恐くなりました。毎年、大阪湾に入って来るのを恐れているのですが、もう半世紀以上無事でした。写真は我が家のロフトからの今夜の大阪湾の方ですが、台風がこちらに向かっているのでいつもと違って避難して来ている船はあまりいないようです。今回も第三室戸台風にならないように願っています。

2015年7月15日(水)

 台風がまともに向かって来ているようですが、久しぶりにいい天気の日でした。外を歩くと暑そうでしたが、PCでやっておきたいことがあったので外へはちょっと出ただけでした。部屋の中だと扇風機だけで涼しいくらいで快適でした。夕方、庭で見つけたシュレーゲルアオガエルです。ちょっと大きめだったし、鳴いてもいなかったので雌ではないかと思います。川田正子が歌った「蛙の笛」のカエルはこれです。まさに「月夜の田んぼでコロロコロコロ」と鳴きます。偶々行った彼女のコンサートで「カジカガエルの声を聞いてこれだと思った」と言ってましたが、カジカは田んぼでなど鳴きません。その時は「カジカであるはずがない」ことはわかっていましたが、シュレーゲルアオガエルの名前は知りませんでした。シュレーゲルはオランダのライデン博物館館長だった人の名前で、れっきとした日本の蛙です。シーボルトが持ち帰った標本で名前が付けられたからだそうです。ニホンアマガエルとよく似てますが、少し小さくて鼻から眼とその後ろに黒い線があるので違いはすぐにわかります。

2015年7月14日(火)

 一晩中かなり激しく降ってましたが、朝は止んで青空が現れていました。でも雲は多いままでした。ここらはこんな状態の1日でしたが、西の方は相変わらず雨雲が立ち込めていました。台風11号がまともに向かって来ているようです。風よりは雨が心配です。夕方ちょっと歩きに出ましたが、30分ほどで汗びっしょりになりました。ちょっと考えていることがあって川端に生えている桑の葉を持って帰りました。蚕を飼っているわけではないので自分のためなんですが、どう処理するかはまだ思案中です。

2015年7月13日(月)

 トサジロー(土佐次郎)という鶏です。かなり野生味のある鶏ですが、土佐地鶏の雄とロードアイランドレッドの雌の雑種第1代としてしか存在しないそうです。だから「トサジロー」。土佐一郎や土佐三郎はいません。土佐地鶏は小さいし、ロードアイランドレッドは大きいので自然の状態での交配は難しくて人工受精でできるのだそうです。子供の頃は卵が大好きでしたが、こんな鶏の卵はありませんでした。名前は知ってましたが、コレステロール値を心配しなければならなくなってからは積極的には食べなくなったので、あまり関心はありませんでした。でも、この姿を見ると飼ってみたくなります。こんな飼い方の鶏の卵だったら安心です。この鶏には相棒がいたのですが、猫に殺されてしまったそうです。鼠を獲らなくなった猫でも狩猟本能は残っているようです。

2015年7月12日(日)

 1日中ほとんど雨でしたが、先月と同じ海辺で住む友人宅でのピザパーティーに出かけて来ました。前回は家から友人の車で行ったので1時間足らず。今回は単独で最寄りのJR駅まで出かけ、列車に1時間10分ほど乗り、待っててくれたその町の友人の車で30分ほど。歩いた時間も入れると2時間ほどのちょっとした旅になりました。メンバーは少し変わっていましたが、先月同様においしく楽しい語らいでした。我が「自然と本の会」の工作で実をよく使っているゲットウ(月桃)の花が咲いていました。ゲットウには芳香に加え、抗菌・防カビ・防虫効果などがあり、化粧品にも利用されています。何度か見ている植物ですが、花は初めてでした。

2015年7月11日(土)

 直射日光にあたらなくても、湿度が高く暑い日でした。熱中症なった人もあるようですが、かなり歩いても私は水分補給は欠かさずしているせいか無事でした。こんな田舎道にもアメリカネナシカズラが目立つようになりました。1970年頃に緑化植物に着いて日本に入って来たとのことですが、全国で勢力を伸ばしているようです。根も葉もなくて黄色い糸のような蔓植物ですが、覆った植物の汁を吸って成長しています。いっそ、雑草対策で利用できないでしょうか。

2015年7月10日(金)

 7月ともなると日があたると真夏という気温になって、今までの涼しさはどこかへ行ってしまいました。休耕田でケリ(鳧)が3羽いてほとんど動かずにじっとしていました。巣作りでもするつもりかと思いましが、単に休憩していたのでしょうか。その更に向こうの方からオオヨシキリ(大葦切・行々子)の声が聞こえて来たので、畦を通って近くづいてみました。少なくても3羽は鳴いていましたが、残念ながら姿を見つけることはできませんでした。ところで、例のオリンピック用の競技場は建設費の見積もりはほとんどしていなかったとか。建築家の安藤さんには好感を持っていただけに態度にもガッカリ。どんな事情があったのか、一番の責任者が最終決定の会議に欠席したのですから。建設費も更にどれくらい膨らむかわからないでしょう。政治家ができないのなら、「流石、安藤さん」という解決の道を提示してケリを付けて欲しいものです。

2015年7月9日(木)

 豪雨があったところもあるようですが、雨はあまり降らずに夕方になって急に日があたって一気に暑くなってしまいました。近所にノウゼンカズラの花がたくさん咲いています。中国から渡来したもので薬用だったそうです。利尿作用などがあるようです。夏の季語になっていますが、漢字では凌霄花と書くようです。まともに読めば「りょうしょうか」でしょうか。これも知らなければ読めない日本の漢字の典型です。今日は「日本語ボランティア養成講座」というのがあって、講師を務めて来ました。外国人に日本語を教えるための講座です。その中で日本の漢字がいかに難しいかという例で「1番にやって来たのは杜鵑の番だった。杜鵑は植物にもあって杜鵑草とも書く」というのを出したんですが「杜鵑の番」は誰も読めませんでした。何十年も日本語に接せして来た我々でも読めない漢字はざらにあります。日本語は音的にはそんなに難しくないと思うのですが、書くと非常に難しくなってしまいます。「中国語の方がずっと易しい」と言ったイギリス人がいましたが、日々感じている日本語の漢字の難しさです。


2015年7月8日(水)

 今日もだいたい雨でしたが、梅雨空と同じく鬱陶しいこと、悲惨な事件が世の中では続いています。奈良の誘拐事件の少女は無事でとりあえずはよかったのですが、命を奪われた事件はやりきれません。父親がカッとなって自宅に放火して子供たちが亡くなったというのも悲惨ですし、中学生の飛び込み自殺もです。せっかく交換日誌を担任とやりながら、教師の方は文字面さえも読めてなかったというのも理解しがたいことです。教師もほんとうのところは生徒と向かい合えていない状況があったのでしょうか。国レベルではオリンピック施設がまた気の遠くなるような膨大な予算で建設されようとしています。"Fukushima is under control." と共にそのデザインが東京オリンピック招致の大きな要素になったということですが、福島の問題もまだまだ解決には程遠い状況です。これからどれだけ多くの費用をつぎ込まねばならないのかもわからない状態です。それなのにまた膨大なつけを将来の国民に残してこの国はどうなるのでしょう。大阪市や大阪府のレベルでは「他の目的には使ってはならない」学力テストの結果を高校の入学資格に無理やりに使おうとしています。現在の指導者たちはそろって自分たちの意に沿わぬ法律は無理矢理の解釈で合法だと押し通そうとしているようです。そんな状況では憂さ晴らしにもなりませんが、近所の元幼稚園が今は老智園?になっていて、童謡・唱歌を歌うというので行ってみました。思った以上に多くの参加者がありましたが、ほとんどは女性で男性は1/5ほどでした。私の好きな「夏は来ぬ」もあったのですが、「卯の花」は説明されたのに「楝(おうち)」は知らなかったようで、何の説明もありませんでした。休憩時間に尋ねるとやはり3人も指導者がいたのに何も知らないようでした。説明するはめになりましたが、それで思い出したのが何年か前に疑似動画を作っていたことです。「卯の花」や「橘」はともかく「楝=栴檀」や「水鶏(くいな)」は多くの人には珍しいと思います。水鶏は鳴き声も入れてあります。

2015年7月7日(火)

 七夕ですが、星空は無理なようです。気象衛星ひまわり8号が今日から運用だそうですが、3つの台風がくっきりと写っていて不気味です。まだ台風の影響はなくて朝から小雨でしたが、昼過ぎには止んでくれたので散歩に出かけることはできました。庭にこんなのがいました。怪獣のような姿ですが、なかなかユーモラスな顔をしています。毒蛇に擬態しているのだそうですが、蛇にしては短か過ぎます。効果があるのでしょうか。でも、目のような模様と併せると恐れる鳥もいるかも知れません。ベニスズメの幼虫のようです。鳥にもベニスズメがいますが、もちろこれはズズメガの1種。スズメガは世界中に1200種もいるそうです。成虫はホバリングしながら花の蜜を吸っているのがよく見られます。幼虫の時は葉っぱを食べるので少しは害にもなりますが、こんなのがいてくれると梅雨の鬱陶しさも忘れます。

2015年7月6日(月)

 私たちの会の会員ではないのですが、植物好きということで以前から何となく知っていて時々出会うので少し話をする人がいました。姓だけは知っていましたし、我が家からそう遠くはないところに住んでいることも知っていました。でも、親しいわけでもなく特に用事もなかったのですが、ある人の要請で会う必要が出て来ました。ところが、知っているのは顔と姓だけで電話番号は知りませんでした。家へ行ってみるしかありませんでした。昨日も行ってみたのですが、残念ながら留守でした。今日も雨が止んだ夕方に出かけてみたら、幸い在宅でした。突然で驚いたことだと思いますが、部屋に招じ入れられました。話を始める前にに目についたのが机の上の見事な蒸気機関車の模型。山に行くのが好きで植物の好きな人がこんな趣味も持っているとは思いませんでした。部品を自分で加工して少しずつ作っているようです。今の私はこんなことをする根気はないのですが、子どものころにはグライダーや飛行機を組み立てたりするのは好きだったのでまだ興味は残っています。そこで写真を撮らせてもらいました。大人になってからこういう趣味を持っている人をちょっと羨ましくも思いました。

2015年7月5日(日)

 虫や小さな動物が大好きな孫がトノサマガエルを6匹も捕まえて来ていました。でも、狭いところに閉じ込めておくのは可哀そうです。説得してやっと元のところへ放してやることになりました。しかし、ちょっ遠いのでいつでも行けるわけではありません。今日を逃したら1週間先になりそうなので、夕方でしたが行って来ました。カエルたちは放された最初は戸惑っているようでしたが、やがてピョンピョンと田んぼの中へ入って行きました。私は免許書を返上したので、往復は娘、つまりその孫の運転でした。彼女は初めて行ったところでしたが、「空気が違う。また来たい」と言っていました。そんな素敵なところですが、実は隣の和歌山県なのです。元土佐藩士による最後の公認の仇討の場所も近いところです。この更に上流の山に産業廃棄物処理場が計画されています。この川の水は地元の人たちの水道にも使われているのですが、下流は大阪府の私たちの市なのです。当然、私たちにも影響がないわけではありません。上流から河口まで貴重な動植物もまだまだたくさんいるところです。なかなか厳しい闘いになっているようですが、ぜひともこの川の自然は守らねばならないと思いを新たにした日でもありました。

2015年7月4日(土)

 シシトウやピーマンも自分では使ったことがほとんどないのですが、もっと大きな色鮮やかなパプリカを今日初めて試してみました。「〇〇元気で留守がいい」の最後の日でしたので、テレビで知った変わった使い方を試してみました。パプリカは熱には大変強くて焼いて真っ黒に焦がしてもそれは表皮だけで、中は左のように元の鮮やかな色で残っています。ビタミンPを多く含んでいてビタミンCを壊れにくくし抗酸化作用を高める効果を持つ野菜だそうです。サラダの色取りに使うだけではもったいない。これで握りずしを作ったらおいしいのだそうです。私は得意の苺ご飯でやってみたいと思ったんですが、今日のところは梅干しを入れて炊いたご飯に載せて食べてみました。それでも味はまずまずというところでしたが、これから独自の簡単レシピを考えてみようと思っています。

2015年7月3日(金)

 今日も午後は隣の市まで出かけていましたが、久しぶりにハクセンシオマネキにも会って来ました。甲羅の横幅が2cmくらいの小さな蟹です。色は白っぽくて雄の片方の鋏が極端に大きくて、それで潮を招いているように見えるのが名前の由来です。満潮時にも水に浸からず干潮時にも乾いてしまわない干潟にしかいないので、場所的にはかなり限らます。絶滅危惧種ですが、ここりなかなりたくさんいます。メスは両方の鋏を使いますが、オスは小さな方の鋏で砂をせっせと口に運んでいます。その中に含まれている珪藻やバクテリアを食べているのだそうです。砂は出すので巣穴の回りにには小さな砂粒がたくさんあります。近づくと一斉に穴の中に隠れてしまいますが、じっとしているとまたぞろぞろと出て来ます。なかなかかわいいものですが、もっと大きな巣穴もあってアシハラガニやヤマトオサガニなども出て来ます。鳥はセッカが鳴いていましたが、なかなか止まってくれない鳥なので写真は撮れませんでした。

2015年7月2日(木)

 近隣の街の通りを歩いているとこんな実が成っているのに気がつきました。何の木だろうと思ったら「エゴノキ」と書いてありました。それなら花は見たことがあったのですが、実は初めてだったかも知れません。名前は「えぐい=えごい」からなんだそうですが、毒ではないようです。花はなかなかきれいだし、この木を植えておくとヤマガラ(山雀)がよく来てくれるはずです。できれば庭に植えておきたいと思っているのですが、まだ苗に行き当たりません。よく通るところなのにこれまでは気がつきませんでした。この実が熟れたらもらって来て実生で育ててみようかとも思いました。材としては緻密で粘り気があるので、将棋の駒に使われるとか。別名はチシャノキ(萵苣の木)だそうです。


2015年7月1日(水)

 朝は台風のような天気でしたが、11時前に収まってくれました。昼食の約束があって出かけねばならなかったのでホッとしました。そしてそこで素的な本のプレゼントがありました。本屋で見て私を思い出して買って来てくれたというのですから嬉しさも一入です。21種の野鳥のイラストとその鳴き声の楽譜と文章が載せられています。CDが付いていてその鳥の鳴き声とピアノの音が入っています。20種は日本の鳥なのですが、何故か日本にはいないはずのナイチンゲールが入っています。ヨーロッパでは随一の鳴鳥とされていて「夜鳴き鶯」とも訳されている鳥です。私も数少ない訪英の折にできれば聴いてみたいと思っていましたが、もはや絶滅危惧種になっていて姿はおろか声を聴くことも難しいようでした。1789年に出版された『セルボーンの博物誌』にもその調べを記録しようとしたことが載っています。「隣人で素晴らしい耳を持っていると評判の人が言っていることですが、この村あたりのフクロウは3つの異なった調べ、変ト調または嬰ヘ調と変ロ調と変イ調で鳴きます。… ナイティンゲールに関してはあまりにも短くて変調が激しいので確定できないとのことです。篭の中や部屋の中だったら、音調はもっとはっきりしたものになると思われます。この人はヨーロッパアマツバメや他のいくつかの小鳥も調べを定めようとしたのですが、お手上げだそうです」と。今は録音もされているので自分が生の声を聴いたことがなくても、楽譜にすることはそう難しいことではないのでしょう。セルボーニアンとしての私には本当にうれしい本でした。

2015年6月30日(火)

 今年ももう半分過ぎてしまいましたが、また、日本の安全神話が消える事件が新幹線の中で起こされてしまいました。かつては世界一安全だと言われていた国がこうして、内からも徐々に綻びて行っているように思います。そして、母国語の文章ですらまともに解釈できない国語力しか持ち合わせていないのではないかと思う政治家たちが自分たちが政権与党という奢りでこの国の安全を更に危うくしようとしているのではないでしょうか。「小学生から英語を強制」という政策も意図は同じではないのかと疑いたくなります。母国語の基本ができていないうちに外国語をしゃべることだけができても、結果は悲惨なことにしかならないことは既に証明されています。こんな記事を書いたら例の「勉強会」の人たちに「潰すべき新聞」の最たるものになるのではないかと思う記事も今日の毎日新聞夕刊に出ていました。1段目左の抜けた部分は「まず憲法は国家権力を縛る目的で制定するもので、国民を縛り、従わせるためのものではないのです。これが立憲主義、つまり近代国家の基本であり憲法を守る義務すら国民に押」で2段目に続きます。

2015年6月29日(月)

 今日も夕方までは爽やかでしたが、だんだんと暑さが戻って来ているようです。気温の変化が激しいので大風邪を引いて「2日間は安静に」と医者から申し渡された友人がいます。私の方は何とか無事で過ごしています。これもよく出歩いているからだろうと思っています。1日1回は外に出て汗を掻くくらいの運動をするのがいいようです。植えたばかりの田の中によくケリ(鳧)がいます。こちらではあまり珍しくはないのですが、四国にはめったにいない鳥です。地上にいると白いところも黒いところもあまり目立ちませんが、飛び上がると白と黒が非常にはっきりして遠くだと別の鳥かと思うくらいです。でも、けたたましい鳴き声は独特なので、すぐにケリだとわかります。大変気が強い鳥で猫や犬でも追い払います。田にいてもケリはケリですが、私はタゲリ(田鳧)を見たいと思っているのですが、なかなかお目にかかれません。

2015年6月28日(日)

 南九州や東北では大雨だというのに、こちらはまるで5月の爽やかな天気でした。9時半からハマボウフウとハマヒルガオのある浜の清掃でした。私のかつての教え子と息子2人も加わってくれてうれしい日でもありましたが、掃除が終わりに近づいたころに、バーベキューの用意をした人たちが何台もの車でやって来ました。私たちが掃除をしているのを見て「これはまずいかなー」という風をしていたので「バーベキューが禁じられているわけではないので、後始末をちゃんとしておいてくれたらいいと思いますよ。掃除も手伝ってもらえたらなおいいですが」と伝えました。安堵したようで、2人が手伝ってくれました。その1人とこちらの子供たちがテトラポッドの中へも入ってやってくれたので、普段はできないところもかなりきれいになりました。清掃が終わって浜を離れましたが、昼前にまた行ってみると写真のような光景でした。バーベキューは3組に増えていて、水上スクーターが何台も大きな音をたてて走り回っていました。眺めとしてはそう悪くもありませんが、騒音はかなりのものです。浜のすぐ上には福祉施設が3つもあります。静かな環境を望んでいるはずです。それに狭い道路の半分をかなりの距離で大型の車が占拠していました。浜も海もそれぞれの楽しみ方がありますが、どこか別のところの海になってしまった光景は地元の私たちにはうれしいものではありません。

2015年6月27日(土)

 小雨の1日でしたが、夕方、歩いて買い物兼散歩に行って来ました。戻ってしばらくパソコンの前に坐っていましたが、窓の外でジジー・ジジーというかなり大きな声が聞こえて来ました。バルコニーに日除けに延ばしているキーウィの葉の中からのようでした。手の届く距離だと思うのですが、探しても姿は全く見えませんでした。無理に探すと飛んで行ってしまうだろうとそのままにして部屋に戻りました。すると、しばらくして網戸に止まって鳴きだしました。コゲラでした。どうやら巣立ちしたばかりであまり飛べないようでした。親を呼んでいたのでしょうか。網戸から降りても飛んでは行きませんでした。捕まえられましたが、飼うわけにもいかないので、そのままで様子を見ることにしました。そのうち庭の松の木にも1羽来ていたので、親だったのかも知れません。夕食後、用事があって近所のTさんとこへ寄ったら、「近所の空家の松の木にコゲラの巣があるのを見つけた」と教えてくれました。ほんの一飛びの距離でした。巣だったばかりの飛翔で疲れてしまったのでしょう。

2015年6月26日(金)

 庭にツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)が来ていました。これはメスですが、翅の裏と表の模様がこのように全く違うのが蝶だと思って間違いないようです。この蝶の翅の表は毒を持つカバマダラ(樺斑)にそっくりだそうで、それに擬態していると言われています。しかし、カバマダラは日本では棲息していないようです。偶に見られる迷蝶だそうです。そんなのに擬態して効果があるのでしょうか。毒といえば、民主主義を殺してしまうような毒が一部の国会議員や小説家とは名乗って欲しくない人の口から出て来ました。私が学生の頃なら、街はデモ隊で埋まっていたでしょうが、日本人は本当におとなしくなりました。その一方で毎日のように人殺しが報じられている国になってしまいました。

2015年6月25日(木)

 我が家の火鉢利用の水槽でホテイアオイ(布袋葵)の花が咲きました。葉柄が膨らんでいるのを布袋さんの腹に見立てての名前のようですが、英名のウォーター・ヒアシンス (Water Hyacinth) は花のきれいさを現しているようです。家庭の池や鉢で育てている分にはいいのですが、繁殖力が非常に強くて広い池でも短期間で水面を埋め尽くしてしまいます。野性化しているところも多く、場所によっては水上交通や漁業に悪影響も与えるし、腐敗すると悪臭を出し環境にも悪影響を与えるので「青い悪魔」とも言われているそうです。「きれいなものには注意せよ」ということでしょう。原産地は南アメリカだそうで、寒さには弱くて冬にはたいてい枯れてしまうのは幸いというところでしょう。明治時代に観賞用として持ち込まれたようですが、排除すべき「特定外来種」には指定されていませんが、「要注意外来生物」になっています。でも、涼しそうな花で暑さも和らげてくれます。

2015年6月24日(水)

 最近は海外からの観光客をよく見かけるようになりましたが、中国からの人々も多いようです。猫の「たま駅長」が亡くなったそうですが、そこにもたくさんの中国人が来ていました。「爆買」で潤っている業者も多いようですが、問題はマナー。恐らくそういう状況を反映しての需要があってでしょうが、中国語に訳された日本のエチケットの本をもらいました。簡潔に書かれていて日本でもなかなか評判がいいようです。三枝理恵子とう人の本ですが、イラストレーターの名前はどこにも出ていません。しかし、独特の優美なラインですぐに誰かはわかります。貝塚の実家にいながら様々な分野で独特の優美なラインのイラストで活躍しているYocoのストです。彼女の父上から頂戴しました。中国語を学ぶ人のテキストに使えば日本のマナーを再確認することにもなり一挙両得だと思います。このページは料理屋さんなどにもあればいいのではないでしょうか。

2015年6月23日(火)

 今年も桑の実のジャムを作りたいと思っていたのですが、帰省するのが遅すぎて池のほとりの実はすでにありませんでした。その桑の実と共に思い出にあるのがシャーシャブです。グイミとも言っていましたが、両方とも方言で正式にはグミ(茱萸)だそうです。シャーシャーブと呼んでいたのは食べ過ぎると下痢をするからかも知れません。これはそうたくさんは食べられませんでしたが、桑の実は熟れていればかなり多く食べられました。ところが唇にその色が着いてしまうので、帰ってから食べ過ぎを叱られたこともあります。桑の実が出てくる歌と言えば『赤とんぼ』なんですが、外国でも歌うと感激されるそうですが、その英訳で驚いたところがあります。「山の畑の桑の実を小籠に摘んだは幻か」の部分が "Mountain fields in late November ・・・ Mulberry trees and treasures we would gather・・・” (11月も遅い山の畑で桑の木と宝ものを私たちは集めたものだった)と訳されています。 "Mulberry trees and treasures" が「桑の実」のことなら「11月」なんてとんでもない誤訳です。桑の実が秋にあるはずがありません。訳者は日本に長く住んでいるアメリカ人で自分で歌ってもいてかなり有名になっている人ですが、どうやら桑の実を食べたことも見たこともないようです。しかも、この訳について彼自身が次のように書いています。「日本語の歌詞では11月とは明記されていません。けれども、Novemberという言葉は響きがきれいで、とても歌に合っている(singable)ので、入れました」と。November を使いたければ 桑でなくて秋になる木の実にすべきでしょう。「赤とんぼが飛んでいるのだから秋だ」と思ったんでしょうが、桑の実が成るのは初夏。「赤とんぼ」は赤い色のトンボの総称ですが、初夏にもよく飛んでいます。

2015年6月22日(月)

 雨は降りませんでしたが、また梅雨空に逆戻り。そこでまたアジサイです。「紫陽花という漢字は中国ではアジサイではなく八仙花がアジサイだ」と18日に書きましたが、これもまたそうではないとのことです。牧野富太郎の『植物一日一題』に次のように載っていました。「私はこれまで数度にわたって、アジサイが紫陽花でないこと、また燕子花がカキツバタではないことについて世人に教えてきた。けれども膏肓に入った病はなかなか癒らなく、世の中の十中ほとんど十の人々はみな痼疾で倒れてゆくのである。哀れむべきではないか。そして俳人、歌人、生花の人などは真っ先に猛省せねばならぬはずだ」と書き出し、白楽天(白居易)の詩「何年植向仙壇上 早晩移植到梵家 雖在人間人不識 与君名作紫陽花」とその題注も引用した上で次のように指摘しています。「考えてみれば、これがどうしてアジサイになるのだろうか。アジサイをこの詩の植物にあてはめて、初めて公にしたのは源順の『和名類聚鈔』だが、これはじつに馬鹿げた事実相違のことを書いたものだ。今この詩を幾度繰り返して読んでみてもチットもそれがアジサイとはなっておらず、単に紫花を開く山の木の花であるというに過ぎず、それ以外には何の想像もつかないものである。ましてや元来アジサイは日本固有のガクアジサイを親としてそれから出た花で断じて中国の植物ではないから、これが白楽天の詩にある道理がないではないか。従来学者によっては我がアジサイを中国の八仙花などにあてているが、それは無論間違いである。そしてまたアジサイは中国の繍毬ならびに粉団花に似たところがないでもないが、これも全く別の品である」と断じています。「アジサイはアジサイで他の花ではない」ということでしょうか。さすが牧野富太郎は「いごっそう」の典型ですが、学問的にはそうでも紫陽花という漢字は何となくアジサイにぴったりなんですけどね。

2015年6月21日(日)

 午後は「せんなん里海公園」で9月6日に行われる行事のための会議があって出かけました。雨だと嫌だなと思っていたら、意外にもいい天気になりました。自転車で20分。会議が終わると5時を回っていましたが、日が暮れるのが随分遅くなりました。海沿いの道を通り、清掃をしている2ヶ所の浜辺を見て帰りました。これはハマヒルガオとハマボウフウが繁茂していて港湾局に立札を立ててもらった浜です。遠くには積乱雲も浮かんでいて梅雨が明けたのではないかと思える天気になっていました。もう2つの植物の花も終わりましたが、今度の日曜日にはまたここの清掃をします。一見ゴミはなさそうですが、ちょっと見えないところにはたくさんあるのです。日曜日でいい天気になったからでしょうが、またバーベキューが行われていたようで一団の人々が帰り支度をしていました。立札が功を奏しているようで、後始末はちゃんとなされていてバーベキューの跡はわかりませんでした。

2015年6月20日(土)

 蝶や蛾の翅を裏から見ることはなかなか難しいのですが、窓ガラスに止まっていました。最近ヒラヒラと飛んでいるのがよく見られるウメエダシャク(梅枝尺)です。いわゆる尺取虫の1種の成虫です。名前のとおり梅にもいますが、桜・桃などにもいて大量発生すると葉がなくなってしまうので「抹殺すべき害虫」ということになっているようです。でも、なかなかそういうわけにもいかないようで割とよく見られます。日本では一般的に蝶は好かれますが、蛾というと嫌う人が多いようです。ところが、蛾の中にもなかなかきれいなのがいます。蝶と蛾の区別の仕方もいろいろ言われますが、どれも確かなものではないようです。素人考えで100%ではないかも知れませんが、私は「翅の表と裏の色や模様が違うのが蝶、同じものが蛾」だと思っています。もっとも、学問的には蝶と蛾の区別はないようですし、区別しない国もあるようです。

2015年6月19日(金)

 いい天気とも言えなかったけど、雨の心配はない日でした。午後は池の方へ散歩に出ましたが、鳥は途中の田んぼでコサギとダイサギを見たくらいです。しかし、これまでちゃんと見たことがなかったハンゲショウ(半夏生)に出会いました。花が咲く時期に葉が白くなって虫集めの応援をするという不思議な植物です。葉が全部白くなるわけではないので漢字では半化粧とも書くようです。季節の半夏生(夏至から11日目)の頃に白くなるからだという説もあるようです。花の時期が終わると葉の白は消えるそうだからこれもまた不思議です。

2015年6月18日(木)

 九州ではまた豪雨のようですが、こちらは今のところ小雨で終始しています。しかし、昨年に続いてイワツバメの姿は見られないし、去年まで喧しかった仰々子(オオヨシキリ)の声も姿もありません。また豪雨の前兆でなければいいのですが。雨が似合うアジサイには赤い色のもあるのを知りました。パリジェンヌいう名です。アジサイはそもそもかのシーボルトがヨーロッパに紹介したもので、日本のガクアジアイが原種だそうです。バラと同様にたくさんの種類が作り出されました。紫陽花の字は中国からの借り物ですが、中国では別の花のようです。中国では八仙花がアジサイです。仙は仙人のことですが、仙八色鶫は八色鳥です。多雨のところに渡って来るのが八色鳥です。越冬地は中国南部ではないかと思っているのですが、探訪は果たせぬままです。

2015年6月17日(水)

 明るい空になっていたので、久しぶりに朝食前の散歩に行きました。田んぼにカルガモの小群がいましたが、変わったのが1羽目に着きました。オナガガモの雄でした。カルガモは年中いるのですが、このオナガガモはカルガモのメスと仲良くなって居残ったのでしょうか。ともかく珍しいことです。しかし、イワツバメの姿は今年も全く見られないし、毎年川の中の葦で喧しく鳴いていたオオヨシキリも全くいません。また洪水になるのでしょうか。

2015年6月16日(火)

 朝は雨が止んでいましたが、昼前からまた降り出しました。四万十町の仲間の家のピザ窯が完成して、初窯のお呼ばれで友人と出かけて来ました。友人は元ピザ屋なので、窯造りのアドヴァイスもした窯です。今日は生地の作り方からの指導でした。集まったのはホスト夫妻も含めて10人。私は窯の暖めを仰せつかって焼く前の火焚きをしていました。子供のころの風呂焚きが役立って薪をうまく燃やせました。後はおしゃべりをしながら、次々と出来上がったのを食べていただけです。さすが、元プロの指導で最初からいい味の焼き上がりでした。冷やしそうめんやプリンの持ち込みもあって夕食に差し支えるほどの大満足の楽しいパーティーでした。

2015年6月15日(月)

 2ヵ月ぶりに故郷です。夕方、駅に着いたら小雨が降ってました。ちょっと遠回りをして池と田んぼを眺めなら帰りました。紫陽花はやはり雨が似合います。ちょっと期待していた桑の実はもうありませんでした。山からホトトギスの声が聞こえていましたが、鳥の姿はアオサギくらいでした。居着いているカモたちもいるはずですが、草が伸びているので見えません。夏はトンボの姿は見られますが、鳥の姿がほとんど見られないのでつまりません。

2015年6月14日(日)

 世界で一番有名な亀の甲羅をご存知でしょうか。それは大英自然史博物館に展示されています。生きていた時の名前をティモシーといいます。『セルボーンの博物誌』を書いたギルバート・ホワイトが叔母が亡くなった後で引き取って飼っていたものですが、ギルバート・ホワイトが亡くなった1年後にこのカメも死にました。推定年齢65才です。英国では一時ペットとして陸亀を飼うことが流行っていたそうです。このカメは北アフリカ産のようです。このカメのティモシーを主人公にした本(邦題『リクガメの憂鬱 博物学者と暮らした亀の生活と意見』)が数年前に出版されています。同じ年に私は瓢箪から駒のようなことで『「セルボーンの博物誌」の鳥たち』いう本を作ったのですが、気になるところや加えたいことがあってその改訂作業をこのところずっとしていました。やっと本文の最後に到達しました。鳥ではないので前回には載せていなかったのですが、今回はギルバート・ホワイトとは切り離せない「カヤネズミ」と「陸亀ティモシー」を加えました。本にするにはまだかなりの作業が残っていますが、やっと一息ついたというところです。

2015年6月13日(土)

 鳥の写真をよく撮りに行く男里川の水源は隣の和歌山県にあります。その1つが日本最後の公認の仇討の場所(土佐藩士によるもので坂本龍馬や勝海舟の援助があったとのこと)の近くの集落の奥にあります。今夜はそこで蛍観賞会がありました。初めて行く人たちが一緒だったので、まだ明るいうちに行って川沿いに散策しました。小3の昆虫大好きな孫も一緒に行ったのですが、川の傍の溝でオニヤンマのヤゴを見つけました。成虫のトンボももちろんたくさん飛んでいました。上流から下流まで目下のところは生き物も豊かな川なのです。ところがこの水源部の山の頂上近くに産業廃棄物処理場が計画されています。この川の伏流水で日本酒も作られています。産業廃棄物は90%以上の再利用を実現していて「100%を目指している」いるという企業も出ています。原子力発電所についても福島のことはもう忘れたかのような発言が最近は目立つようになりました。金儲けが目的の企業であっても、将来に禍根を残す埋め立てなどろいう安易な方法ではない方に頭を働かせて欲しいものです。

2015年6月12日(金)

 梅雨らしい湿度の多い日でしたが、雨でなくて幸いでした。久し振りに珍しい鳥に会えました。雄が子育てをする鳥の世界では稀なタマシギ(玉鴫)です。雌が雄よりもきれいな鳥としても有名です。「こんなところで?」というような場所であっけなく見ることができました。開けた田んぼの中ですが、田んぼ自体が開発で残された数少ないものです。長年同じところに巣を作っているようで、かなり安心しているようでした。この環境はいつまでも残してやって欲しいものです。2ヶ所に巣があって雄が卵を抱いて坐っていました。写真はその1つで、餌取りに巣を開けていて帰って来て巣に上がろうとしているところです。卵が4つあるようです。こちらの巣は田植えの前に作られたようで、そこを避けて稲が餓えられているでよく見えました。もう一方は田植えの後で作ったようで、稲の畝の中に作っていてちょっと見づらくなっていました。雌も見たいと思って探しましたが見あたりませんでした。雌は卵を産むとしばらくはその近くにいるようですが、次の相手を求めて行ってしまうようです。雄が卵を抱いて孵してその後も面倒をみます。

2015年6月11日(木)

 こちらは大した雨ではありませんでしたが、九州では豪雨による被害が出ています。鹿児島のSさんに連絡したら被害はないようで、明日からヤイロチョウの撮影のために山に入るとのことでした。彼は既にすばらしい映像を撮っているのですが、ハイビジョンで撮りたいとここ何年か挑戦しています。私も少し付き合ったことがありますが、最近は数が減っていてうまく行ってません。今年はうまく行くことを祈っています。こちらは小雨の中で府の港湾局の人たちと大阪府で唯一ほんの少しだけ残された自然の浜の保全についての打ち合わせがありました。クズに代わってハマウド(浜独活)が林立していました。そして、体つきの割には小さな小さな白い花が咲いていました。そこにアカスジカメムシ(赤筋亀虫)が数匹来ていました。カメムシでも嫌な臭いは出さないようで、この色は鳥たち餌になるおを免れるための警戒色のようです。セリ科の植物にいます。つまり、ハマウドもセリ科だという証明のようなものです。ハマウドの葉は天ぷらなどで食べられるようです。


 天気は相変わらず日替わり状態です。明日の方が降って欲しくなかったのですが、今日がいい天気でした。「なでしこジャパン」が何とか初戦を突破しました。私たちが学生のころには女子サッカーるなんて考えられませんでしたが、時代が変わりましたね。女性が挑戦していたのは野球の方が早かったと思うのですが、サッカーがかなり先に行ってしまいました。ところでちょと珍しいナデシコ(撫子)が咲いているとの情報をもらっていたので行って来ました。シロバナハマナデシコ(白花浜撫子)です。別名をフジナデシコ(藤撫子)という普通のハマナデシコはちょいちょい見るのですが、白い花のは初めてでした。園芸種のナデシコもありますが、ハマナデシコはその名のとおり海岸部にある野生種です。これも海岸の近くにはあったのですが、石垣の下から出ていました。コンクリートの割れ目から出ているところも近くにありました。「根性〇〇」というのが流行ったことがありますが、野生のものは逞しいものです。環境さえ整えばわずかな隙間からも出て来ます。シロバナハマナデシコは1968年に愛知県で発見されたのだそうです。私よりもかなり若いことになります。海岸部にも外来種の植物が拡がっていますが、これは在来種として認定されているそうです。

2015年6月9日(火)

 明日はいい天気のようです。ロフトから大阪湾を照らしながら淡路島に沈む夕日が見られました。写真では電線や電柱が邪魔ですが、肉眼ではそういうものを意識せずに見ることができるので結構いい眺めです。"Home, sweet home" という気持ちですが、日本の歌では「埴生の宿」。埴(はに)とは「質の緻密や黄赤色の粘土」のことだそうです。埴輪はそれが輪のよう並んでいたからでしょう。「埴生の宿」とは土壁の粗末な家のことのようです。「埴生の宿」の歌詞は「庭の千草」と同じ里見義(ただし)作。「庭の千草」の元歌は”The Last Rose of Summer”ですが、薔薇が白菊に変えられたりして元の歌とはかなり違っています。「埴生の宿」の方はかなり近い意味です。ところで、薔薇という字は読めてもなかなか書けない漢字ですが、元の中国では「玫瑰」が普通だそうです。だからその歌の中国語名は「夏天最后的玫瑰」(文字通り「夏の最後の薔薇」)のようです。"Home, Sweet Home" は「可爱的家」だそうです。 「可愛い家」とか「愛すべき家」ということでしょう。英語の方も日本語の方も結構難しい歌詞なのですが、中国では子どもの歌になっているようです。メロディーは同じでも、歌われる国によって受け取り方には違いがあるようです。ついでの知ったかぶりですが、「可爱」という中国語は日本語が元だそうです。

2015年6月8日(月)

 午前中は何とか降らずにいてくれましたが、午後には小雨ながら梅雨らしい天気になりました。紫陽花のシーズンですが、私の部屋の外のバルコニーでこんな小さな花が咲いています。名前はオリヅルラン(折鶴蘭)ですが、蘭科の植物ではないようで、リュウゼツラン亜科となっています。ランナーと呼ばれる茎が伸びてその先に花が咲きます。その様子が折鶴に似ているのが名前の由来のようです。欄の花にも少し似ているからでしょうか。ランナーを出さないシャムオリヅルランというのもあるそうです。南アフリカあたりが原産地のようですが、乾燥にも過湿にも寒さにも大変強くてほとんど放ったらかしでもよく育つ観葉植物です。忙しい人でもこなんのが身近に1つでもあると気分が安らぐのではないでしょうか。室内清浄効果もかなり高いようです。今度はボルネオでも地震がありキナバル山で日本人の死者も出ました。私もキナバル公園から頂上を見て、いつか登ってみたいと思っていた山です。でも、もうその力はなくなりました。彼の人はドイツへ出かけて自説を繰り返しています。"Fukushima is under control. " ならサミットを福島でやってみればいいのにと思います。

2015年6月7日(日)

 まだいい天気が続いていますが、長袖が欲しい気温でした。私は外国の人から「何教徒ですか」と聞かれたら迷うことなく「仏教徒」と答えるでしょうが、信仰心はほとんどゼロです。でも、寺を訪れるのは嫌いではありません。それぞれに由緒があり、興味を牽くもおがあります。この地方も寺が多いところですが、昨日もいつもと違う道を通ってみたら「徳川吉宗公由縁寺院」と書かれた幟が立っている小さな寺の前を通りました。塀も何もないところに由緒書きが書いてありました。吉宗公がまだ紀州藩主だった当時の参勤交代の時の宿所にもなっていたそうで、お手植えのカイヅカイブキが樹齢300年以上だとのことです。「吉宗公のお知恵・改革精神をご縁として学業成就・開運招福をお願いしてみてください。望みが叶うかも知れません」などと書かれていて賽銭箱も置いてありました。「かも知れません」というところがいいですね。

2015年6月6日(土)

 今日はまたいい天気になったので、午後は買いたいものついでの自転車散歩に出ました。市内での買い物のつもりだったんですが、紫陽花寺と言われている隣の市の長慶寺へ行ってみたくなって足を伸ばしました。長慶寺へは何度も行ったるのですが、紫陽花の咲いている頃は初めてでした。ちょっと早かったのかも知れませんが、結構咲いていて何人かの人が写真を撮っていました。でも紫陽花が似合うのはやはり雨の日ですかね。由緒あるお寺でなかなか立派な建物も建っていますが、今また新しい三重の塔を建てています。しかし、戦後は廃寺同然になっていたのだそうです。小田原出身の現住職がご夫婦で天秤棒を担いでの庭つくりから始めたのだそうです。今があるのはその人柄があってのことでしょう。11軒しかなかった檀家も850軒になっているそうです。その住職が「戦争なんか絶対あきません。自分で自分の首を絞めるのと一緒です」と呼び掛け人になり「九条の会」が泉南市にもできたそうです。その中に私の教え子の名前も何人か見えたことはうれしいことでした。

2015年6月5日(金)

 昨日とはまたうって変わって梅雨らしい天気になりましたが、「自然と本の会」の恒例になった「聴鳥会」の日でした。野鳥の姿よりは声を聞こうという探鳥会です。行先は市内のかつては府のキャンプ場があったところですが、毎日のように出かけている人もいます。私も行きたいとは思っているのですが、なかなか行けないでいます。半年ぶりでした。駐車場に着いたら早速いい声が聞こえて来ました。遥か彼方の桧の天辺でオオルリが鳴いていました。声も姿もきれいな鳥です。後でもっと近くでも見られましたが、ウグイスやサンコウチョウの声もよく聞こえていました。雨は昼過ぎまでは大丈夫だろうと思っていたら、10時ごろにはもう降り始めました。ちょっと早かったのですが、あまり降らないうちにと昼食になりました。その時にサンコウチョウが飛んで来たそうですが、残念ながら見たのはEさん1人だけでした。最近ここへよく来ているSさんに巣が見えるところへも案内してもらったのですが、私の目にはちゃんと入りませんでした。最近は視力も落ちて来たいるようです。雨も割と降って来たので、12時前に駐車場に戻りました。午後は出かけるところがあったので、車に載せて行ってもらってた愛用の折りたたみ自転車でみんなよりも先に出発しました。ほとんど下りで楽でしたが、家まで30分ほとかかりました。ところで、あの人の行いを「たった1人のクーデター」と詠った詩人がいるそうです。彼の思いどおりに事が運べば次は徴兵制が出て来るでしょう。与党が推薦した学者でさえ、憲法違反と答弁したのです。日本ではかの立場の人は収賄で逮捕されても「憲法違反」では逮捕されないのでしょうか。

2015年6月4日(木)

 日本には「庭の千草」として伝わっている歌は "The Last Rose of Summer" というアイルランドの歌ですが、そのバラ「オールド・ブラッシュ(Old Blush)」は隣の市の Austin English Rose Garden でも見られませんでした。大変育てやすい四季咲きの蔓バラだそうですから自分で育ててみればいいのですが、どうもバラは苦手です。でもアイルランドは英文学に登場する作家は多いし、遥か昔に訪れたことのある国でもあってずっと興味は持ち続けています。自分の部屋の目隠しにもアイルランドの妖精が Irish Coffee (アイリッシュ・コフィ―=ウィスキーを入れたコーヒー)のレシピを掲げている tea cloth (小テーブルクロス)を使っていました。ところが半世紀近くたって、ボロボロになって来ました。また行って買ってくればいいのですが、その機会はもうなさそうです。ところが親しいSさんが行くというので、代わりの品を買って来てもらうことにしました。今度は女性の絵があって6つものレシピが書かれているものになりました。ウィスキーは好きではありませんが、Irish Coffee は何度か飲んだこともあるし、自分でも作ってみたことがあります。こんどのも作ってみてもいいなとは思いますが、コーヒーよりはずっと面倒なようです。その気になるかどうかが問題です。

2015年6月2日(水)

 雨になったと思ったら突然の「梅雨入り宣言」でした。豪雨があった地方もあるようですが、こちらの雨は午後には止んでしまいました。長江の雨もはやく止んで沈没船の中に閉じ込められている人たちを早く助けて欲しいものです。海外旅行でも何が起こるかわからない時代になってしまいましたが、日本国内でも危険がいっぱいです。かつて、夜間に外国から来ている人にボランティアで日本語を教えていたことがありましたが、その帰りに町の裏通りを歩いて一緒に駅まで帰ったことがあります。その時に「こんなところを夜歩いても大丈夫ですか」と言われたました。「日本だから大丈夫」と答えました。しかし、今はそんな返事が出来なくなりました。子どもたちの学校への行き返りも付添や見守りが必要な時代です。しかも都会よりも田舎の方が危険が多くて、田舎の子どもの方が自動車で送り迎えされることが多いのでより体力が落ちているとか。体育館などの床に腰を下ろしていて、そのままでは立ち上がれない子供も増えているとのことです。生活のあり方全体を考え直さないと「便利の裏の危険」がますます増えているように思います。

2015年6月2日(火)

 天災に人災に、どこで何が起こるかわからない時代になりました。年金機構がまた大失態をやらかしました。事の性質は違うとは言え、本質は変わっていないのではないでしょうか。国外では長江で客船が添付したとのこと。ほとんどの乗客がまだ不明のままだというのに船長と機関長が救助されているとは、何だか韓国のフェリー転覆と同じような結果になっているようです。それより恐ろしいのMERS(中東呼吸器症候群)コロナウイルスが 韓国で拡大しているとのこと。絶対に日本に持ち込んで欲しくないものです。国民の命を守るためにやってもらわねばならないことは、国外に自衛隊を派遣することよりももっと身近にあります。写真はイソヒヨドリのメスですが、畑でスズメがくわえていた虫を横取りしようとしていて逃げられて近くの小屋の屋根に載せてある石に止まったところです。私が近づいたのでスズメを襲うのをやめたのかも知れません。しばらくこちらを睨んでいましたが、やがて飛んで行きました。鳥の世界の生きる厳しも伝わって来た日でした。

2015年6月1日(月)

 今日もちょっと涼しい日でした。昨日の会の帰りにある店にちょっと寄ってみたのですが、いつもはせいぜい3台か4台くらいしか停まっていなかった駐車場がほとんど埋まっていました。Y電気の「閉店セール」の最終日でした。電気製品の他に日用品や菓子類なども置くようになっていましたが、客足は伸びなかったようです。「閉店セール」と言っても名前だけの場合もありますが、本社が拡張路線を変更して店数を減らすと発表されていたので本当に閉店してしまうようです。欲しいもので割安なものがあれば何か買ってもいいくらいの気持ちで覗いてみましたが、普段より安くなっているものは見当たりませんでした。しかし、空になっている棚もいくつかあったのでかなりの人が買った行ったようです。「閉店セール」の名前だけで客が集まるようです。いつもこの半分でも客があれば閉店の対象にはならなかったでしょうが、いつ行っても客より店員の数が多いような店ではいずれこの日が来ると思っていました。不況の時でも強いと言われていたパチンコ店も最近は閉店が続いています。その1つの跡地にコンビニが出来ていましたが、その隣にスーパーも開店していて賑わっていました。しかし、コンビニにもスーパーも数は多いのでなかなか厳しいようです。

2015年5月31日(日)

 5月最後の日も天気はよかったのですが、昨日とは違ってちょっと肌寒いくらいでした。午後は「阪南市九条の会七周年記念のつどい」に出かけました。私も呼びかけ人にはなっているのですが、偶にビラ配りの手伝いをしているくらいで何もできていない状態です。催しや会場の準備や今日もいろいろしていただいたみなさんに感謝しなければなりません。著名な女性弁護士の講演と知った人たちがいるマンドリン楽団の演奏がありました。話はわかりやすく、マンドリンの演奏も楽しいものでしたし、隣の市にも「九条の会」が出来たというニュースもありました。しかし、参加者の中には相変わらず若い人たちは見られませんでしたし、顔を見せていた市長は挨拶だけで「公務のため」と退場。顔を出すだけでも称賛に値するのでしょうが、土曜日にも「公務」とは便利な言葉です。この会が7年も続いていることは称賛すべきことですが、状況がいい方に向かっているとは思えません。声なき声でも上げ続けることが大事ですが、具体的には自分が何もできないので心も肌寒い日でした。

2015年5月30日(土)

 孫たちの運動会ということで小学校へ行きました。運動会や体育大会はやはり秋がいいと思うのですが、この頃は初夏になってしまいました。でも、子供たちの成長を見るだけでなく、久し振りの知人たちに会えるのもいいですね。全国で廃校が続いていますが、小学校がなくなれば地元の住民の絆も薄れるでしょう。まだ真夏の暑さはないものの、見る方も日向ではかなり辛いものがありました。生徒たちの席には影がないのでかなりの暑さだったと思いますが、水分補給の時間も設けられていて気分が悪くなる者もいなかったようです。勝ち負けを争ってもこんなのは楽しく平和な光景でした。国会では「静かにしてくださいよ。学校で習いませんでしたか」と言った本人が、すぐ後で何度も野次を飛ばすというお粗末で審議がストップ。空いた口が塞がりません。これでは危険はもっと身近にあることにも気がつかないのは当然かも知れません。今日もまた火山の噴火や地震がありましたし、理不尽な殺人事件もまた報道されています。

2015年5月29日(金)

 今日もなかなか暑い日でしたが、ちょっと遠出をして久しぶりにレコード音楽を聴いて来ました。開放的なかなり広いロビーでの月1回の催しです。自分のレコードを持って行ってもいいし、ただ聴きに行くだけでもいいのです。無料です。自分の家ではなかなか聴けない音量でかなり上等の機器で聴かせてくれます。カートリッジもたくさん用意されていました。消えゆくアナログですが、レコードは完全に復活してます。いい装置で聴くと驚くような音が出て来ます。写真はEP盤(45回転/分)をかけているところです。 Auld Lang Syne(蛍の光)でしたが、音楽そのものはよかったのですが雑音がなかり入っていました。音溝を固い針でなぞって音を拾うので使い過ぎると仕方のないことです。デジタルの場合はそういうことはまずないし、取扱いもかなり乱暴でも音の劣化はないので気楽です。自分の家でアナログ再生をするのは手間ですが、こういう催しがあれば気楽に参加して楽しめます。しかし、場所の問題や機器の問題もあって我が市ではちょっと難しいようです。

2015年5月28日(木)

 この暑さにもう待っておれないと思ったのか、庭の紫陽花が咲き始めました。いかにも紫陽花という色のもありますが、残念ながら両方とも名前は知りません。たくさんの種類があることだけは知っているのですが、我が家の花咲か婆さんも固有名詞は知りませんでした。今日の毎日新聞に『憲法守って国滅ぶ』などの著書があるという慶応大学名誉教授・小林節 氏の「脅迫で不安突く手口」とタイトルがつけられた意見が載っていました。これにそっくりの手口でやっている人は他にもいて先ごろ引退を宣言しましたが、共に「選挙で選ばれることが全てで、選ばれれば自分の思うままにしていい」と思っているようです。『安倍晋三首相は、今にも他国が攻めて来そうな調子で集団自衛権や安保法制の必要性を訴えている。全体として日米安保条約は機能しており、デマや脅迫で人々の不安心理を突く手口だ。・・・憲法9条2項は自衛隊が海外で戦争することを認めない。「海外での軍事行動は違憲」と私たちは愚直に言い続けなければならない。・・・海外派遣の事前、事後に、国会が承認するかどうか判断するという。それは法令上そう書くに過ぎず、官邸と自民党、政府と国会の力関係をみれば事前不承認はあり得ない。過去、イラクやアフガニスタンなどへの自衛隊派遣は、時限立法で終わりを厳密に区切ってやってきた。今回の安保法制は、いつでも、いつまでも海外派遣できる「恒久法」として整備される。その意味をよく考えて欲しい』と。この記事のすぐ隣に「自衛官54人が自殺 防衛省 インド洋やイラク派遣」という見出しの記事が出ていました。

2015年5月27日(水)

 隣の家のアンテナンでイソヒヨドリが相変わらずきれいな声で鳴いています。姿も声も美しいので好きな鳥ですが、ツバメの卵を食べた奴かも知れないと思うとその顔が獰猛に見えて来ました。彼らも生きねばならないので仕方がないことですが、、、。ツバメたちは近所のTさんとこでは卵を盗られても雛を食べられてもやって来てまた卵を産んでいるようですが、我が家のはもう諦めたのか姿を見なくなりました。このイソヒヨドリ♂はこの後飛び立って我が家の1階の屋根に下りたと思ったら虫を咥えていました。流石に鳥たちはいい目をしています。その写真は近すぎて撮れなかったのが残念でした。今日もいい天気で気温はもう真夏なみでしたが、まだ地面が熱を持っていないのと湿度のせいでそれほど暑さは感じませんでした。しかし、暑さで大勢の人が亡くなっている国もあるようです。日本だけでなく世界中で異変が起こっています。温暖化のせいだとすれば、戦争などしている時ではなさそうです。このままでは人間も絶滅せざるをえないようです。

2015年5月26日(火)

 今日もういい天気でした。今朝、庭に出てみると睡蓮の花が咲いていました。自分で植えたものではないので種類は知りませんが、園芸種だと思います。日本に自生の睡蓮は1種類しかなくて、花が白いのでヒツジグサと呼ばれていたようです。「ヒツジグサ」で思い出すのは「琵琶湖周航の歌」の元歌だということです。好きな歌の1つですが、「今日は今津か長浜か」という部分があります。今津は長浜の対岸にあります。そこに「琵琶湖周航の歌資料館」というのがあります。もうかなり前に偶々そこへ行ったのですが、その時にそこからも竹生島へ渡れることを知りました。しかし、まだ一度も行ったことがありませんので、今年は行きたいなと思っていますが、自転車で琵琶湖一周もしてみたいなと思っています。ところで、国会が気になるのですが、かつての斎藤隆夫の大演説を聞きたいものです。それでも破滅へも行進は止められなかったのですが、、、。


2015年5月25日(月)

 今日も午前中はいい天気でしたが、午後は雲が多くなりました。昨日のバーベキューが気になるので、散歩も兼ねてまた浜辺へ行ってみました。消し炭を埋めたらしいところと少しのゴミは残っていましたが、昨日のことを知らなければわからないくらいに痕跡はなくなっていました。ヤレヤレでした。気になるのがこの浜にできた庭園です。こんな池も作られていてカメがいました。私でもわかるミシシッピーアカミミガメです。ペット用に売られているミドリガメが大きくなって野生化したもので「要注意外来生物」としてリストアップされています。このカメのせいで私たちが子どものころにはよく見ていたニホンイシガメが姿を消しつつあるようです。農業用の溜池でも、カメがいると思って見るとほとんど全てこれです。ペットとして飼ったら最後まで家で面倒を見て欲しいものです。アライグマもそうですが、手に負えなくなって「殺すのも可哀そうだ」というので捨てられたものが野生化して増えています。そして在来種を駆逐したり、作物に害を与えたりしています。動物でも植物でも外来の彼らが悪いのではないのですが、、、。

2015年5月24日(日)

 午後は市のホールで1時30分開演で、隣の県の和歌山大学の交響楽団の「プロムナードコンサート」というのがあって出かけました。雨になるどころか昨日よりもいい天気で助かりました。友だちと昼食を一緒にすることにしていたので、12時前に行きました。ところが、もうたくさん並んでいました。知り合いもいたので聞いてみると「入場券以外に招待券をたくさん出していて席が足りないくらいらしい」とのこと。整理をしている学生に聞いてみると「遅くなっても入場券を持っていれば入れますが、立ち見になるかも知れません」とのことです。「そんな馬鹿な」と一応抗議はしましたが、急いで食事に行きました。戻って来てもまだ1時にはなってませんでしたが、既に席はほとんど埋まっていました。前の2列はまだ空きがあったので何とか坐ることはできました。市内の成人の合唱団も出演してたので、そのせいもあって聴衆が多かったようです。気楽なコンサートを楽しめましたが、ちょっと頭を傾げるところもありました。ハマボウフウの浜の立札が落ちているのが気になっていたので、終わってから修理に行きました。堤防の内側の道路にたくさん車が止まっていてなんだか賑やかでした。堤防の上に上がってみると、すぐ下でバーベキューをやってました。2つの植物群の間の砂地だったので、黙って立札を修理して帰って来ました。後始末をちゃんとしておいてくれたら問題はないのですが、次々と心配なことが起こる浜になってきました。

2015年5月23日(土)

 トンボ好きのTさんに誘われて紀伊半島の南端までハッチョウトンボ(八丁蜻蛉)を見に行って来ました。ハッチョウトンボは体調1.8~2.2cmで世界最小のトンボです。「尾張の国矢田河原の八丁畷(はっちょうなわて)に多数生息したのでこの名がある」(広辞苑)のだそうです。何十年ぶりかで橋杭岩を見て、古座川町の湿田まで車で3時間ほどでした。途中の「月野瀬温泉ぼたん荘」というところで休憩して場所も教えてもらいましたが、要所要所にちゃんと案内板が出ていました。平成4年に見つけられて平成12年から古座川町の天然記念物に指定されて保護されているそうです。小さいので最初はなかなか目に入りませんでしたが、手を伸ばせば届くようなところにたくさんいました。真っ赤なのがオスです。狭い場所でしたが、私たちの他に来ている人はいなかったのでゆっくり写真も写すことができました。ぼたん荘で昼食をして帰って来ました。

2015年5月22日(金)

 昔の職場の先輩が海の近くに住んでいます。家の建て替えをしていたので、しばらく行ってませんでした。訪ねてみると家は完成していたのですが、表札の姓は同じでしたが名前がなくなっていました。呼び鈴を押して訪ねてみると、「離れにいます」とのことで安心しました。そちらも建て替えたようですが、息子さんの家族と住むところを交換したようです。「足が痛い」とは言っているものの元気でした。すぐ近くなのにハマボウフウとハマヒルガオの花を見たことがないというので、案内しました。堤防があるので普通に歩いていても見えないところです。両方の花はまだ咲いていて喜んでくれました。私の今日の目的は2つの海浜植物の群落を見ることではなく、離れたところにちょっとした「庭」が出来ているのでそれを確認に行ったのです。湧水があったところですが、石で囲んだ池もできています。元々あまりきれいでなかったところをきれいにしてくれているし、他のところのゴミも拾ってくれているようなのでありがたいことです。でも、だんだんエスカレートして来て茄子まで植えて菜園にもなっています。ゴルフの練習場にされるよりはずっといいことですが、数少なくなっている自然の浜にあまり手を入れ過ぎるのもどうかと思います。善意で楽しんでやっているのだろうし、これ以上拡げられるのはうれしくなし、悩ましい問題です。

2015年5月21日(木)

 今日も快晴でしたが、涼しくて快適でした。しかし、気持ちは暗い日でした。ツバメが6個の卵を抱きだして1週間経ちました。そろそろ孵るかと、今朝、留守の間にと思って巣の中を覗いて見ました。何と卵が1個もありません。昨日は暗くなってもメスが坐っていたはずなので、暗いうちに異変があったようです。巣には何の異常もないようなので、何者かが卵だけ持ち去ったことなります。外に出てみるとカラスが2羽のツバメに追っかけられているのを見ました。ひょっとして我が家に来ていたツバメだったのでしょうか。鳴き声がよくしていたイソヒヨドリに食べられたのかも知れません。イタチも考えられますが、イタチだったら巣が壊されているのではないでしょうか。半屋内なので外敵が入って来ることはまずないと思っていたのですが、甘かったようです。卵がなくなった巣に時折ツバメはやって来ています。どんな思いでしょう。

 隣の市の山の中にある David Austin English Rose Garden へ久しぶりに行って来ました。「庭の千草のバラ」があるということをどこかで読んだのを思い出したのです。「庭の千草」という歌に出てくるのは白菊なんですが、元の歌はアイルランド民謡 "The Last Rose of Summer" (夏の最後のバラ)なのでバラです。日本はずっと南にあって夏は暑くて湿度も多い国なので5月から6月がバラのシーズンですが、北国では夏がシーズンのようです。バラは元々中国が原産のようですが、この歌のバラは (Chinese) Old Blush (blush は「顔を赤らめる」またはその色)だと言われています。歴史的に大変重要な品種なんだそうです。ピンクの花で四季咲きで、暖かいところでは年中咲き続けるのだそうです。四季咲きだからアイルランドのような北国でも夏の終わりでも咲くのでしょう。バラ園は山の中といってもそれほど高いところではありませんので、自転車を降りずに登るつもりでした。しかし、少々暑い日でもあり坂も長かったので無理は避けました。押して歩いたところもありましたが、50分ほどで到着。自分で探していてまず目についたのが写真の "Scarborough Fair" 。これも歌があるバラです。"Tess of the D'Urberbilles" など小説の主人公の名前のもたくさんあります。時間短縮のために売店の女性に目的のバラの在り処を聞いてみました。一覧表で調べてくれたのですが、「ありません」とのこと。「カタログにはあります」というので写真カタログを見たのですが、名前は載っているのに写真はありませんでした。ちょっとガッカリ。いい運動にはなりました。

2015年5月19日(火)

 昨夜、「男里川で魚が大量に死んでいる」という情報が入って来ました。今朝は雨も止んでいたので自分でも確かめに行ってみました。男里川は河口からの短い距離でその上流は2つに分かれています。隣の泉南市を流れる支流が金熊寺(きんゆうじ)川で、魚が死んでいたのはそちらの川でした。鯉などの大きな魚が数匹浮いているのは見えましたが、大量というほどは見えませんでした。川沿いに自転車で遡ってみると堰堤の工事をしているところがありました。その上流へも行ってみましたが、上流では見られませんでした。元のところへ戻って川沿いで畑仕事をしている以前から顔見知りの夫婦に聞いてみました。「今日は水が濁っているので見えないけれど、昨日は鯉や鯰や鰻が大量に沈んでいた」とのことでした。話していてわかったことは、堰堤工事で大量の生コンを使っているとのことでした。原因は恐らくその灰汁(あく)だと思います。今時、そんな工事をするなんて信じられません。この鯉でもこれだけ大きくなるには何年もかかっているでしょう。稚魚も多分かなり死んだことでしょう。川の生態系に大きな影響を与えたに違いありません。その後の情報で府の土木部にも警察にも知らせが行っているとのことだったので、目下はその返事待ちです。

2015年5月18日(月)

 天気がなかなか安定しません。午後の早いうちに「まだ降らないだろう」と思って出かけていたら帰りにはもう降られました。大阪都構想にも決断が下されましたが、何らかの変革を望んでいる人よりも不安に感じる人の方がより多かったということでしょう。この頃は保守派が何かを変えようとし、革新派が-を守ろうとしている構図になっています。本来ならその反対のはずですが、世の中が変になってしまったように思います。英語教育も反対もある中で小学校どころか幼稚園から始めているところもあるようです。私も英語がそこそこできることで大いに楽しく暮らせていましそ、まだ広い意味では英語教育に関わっています。そして、できるだけ多くの人々が英語もつかえるようになって欲しいと思っています。しかし、日本がアメリカの州の1つのようになってしまうのは嫌なことです。早期英語教育を推進しようとしている人たちもどうやら保守派、あるいは右派と言われる人たちのようです。その人たちこそ「日本語教育をもっと充実させよ」と主張してもいいと思うのですが、そんな声は全く聞こえて来ないのは何故でしょうか。これもずっと不思議に思っていることです。日本は外交力をもっと持たねばならない国です。母国語で説得や討論もできない人たちが英語でそれができるようになるでしょうか。写真は昨日のものですが、今度はハマボウフウの群落の中にハマヒルガオが進出しているところです。かなり広い浜で二手に別れて大群落になっています。私たちが守っていると言っても、特に世話をしているわけではありません。彼らにとっては環境がいいので勝手に伸びているのです。学校教育もこれと同じではないでしょうか。

2015年5月17日(日)

 昨日とは変わって快晴。明日はまた悪くなりそうなのでまた日替わりになって来ました。午後は久し振りに庭仕事を少してからちょっと海岸へ。昨日の浜でもハマヒルガオ(浜昼顔)が咲いていましたが、今日は清掃活動をしているもう1つの浜です。ここにはハマヒルガオがもっとたくさんありますが、ハマボウフウ(浜防風)も大群落が出来ています。最近は広い砂浜がなくなっているのでこんな光景は珍しくなっています。以前は2つの植物のある場所が完全に別れていましたが、ハマヒルガオの群落の中にもハマボウフウが少しあるし、ハマボウフウの群落にもハマヒルガオが進出しています。ハマボウフウは食用や薬用になりますが、花はハマヒルガオの方がきれいです。ハマヒルガオの群落の中のハマボウフウに焦点をあててみました。

2015年5月16日(土)

 天気予報では9時ごろには雨が止むことになっていましたが、小雨ながら降り続く中で海岸清掃でした。何人来てくれるだろうと心配でしたが、9人になりまずまずでした。ちょっと見たところではゴミはあまりなさそうでしたが、隅っこの方やテトラポッドの中や砂に埋まっていたりで1時間半ほどやって11袋でした。午後もこの場所と関連があるのですが、9月6日の音楽と清掃活動を結びつけた活動「せんなん里海さくらフェス」の運営委員会があったので私には忙しい日でした。3年目になり私たちの会の活動は変わりませんが、これまでは音楽の方は有名プロを呼んでいたのですが、これからは地元の演奏者をもっと呼ぼうという方向に向かっています。会場になる「せんなん里海公園」は大阪府立の公園なのですが、残念ながら府民にはあまり知られていません。もっと知名度を上げることも活動の目的ですが、やはり「継続は力」でしょうか。阪南市出身で観光大使になっている星田(元の「ほっしゃん」が知られているかも)さんにMC(Master of Ceremony 司会)をやってもらえないか、という話も出ていました。

2015年5月15日(金)

 かなり暑い日でしたが、自転車散歩で隣の市まで遠出をしました。午後の2時間半ほどをあっちこっち行ってましたが、帰って風呂に入ったら首の後ろがヒリヒリ。日焼けしてたようです。第一の目的地は「泉南石綿の碑」でした。4月19日に除幕式があったようですが、留守にしていたこともあって最近まで知りませんでした。この地方では紡績と共に石綿の生産が盛んで、その甚大な被害も出ていたことをこの地方に住むようになってから何十年も知りませんでした。知ったのは裁判の模様が報道されるようになってからでした。私の故郷の方からも「金の卵」と言われて大阪にやって来て、こんな工場で働いて命を落としたり、苦しみを背負った人たちもいたかも知れません。2014年10月に「深刻な被害の出ていることを知りながら、経済優先で有効な規制策を取らなかったのは国の責任である」ことを認めて原告側の勝利で結審しました。命は戻って来ませんが、その勝利と被害を忘れないようにと原告者たちが賠償費の一部を出し合って建たそうです。自然石の「泉南石綿の碑」と「新緑を吸い込みいや増す悲しみぞ息ほしき人のあるを知るゆえ」という歌碑がありました。その他に『「泉南石綿の碑」由来』の金属製の説明版に工場のあった場所を示す地図、そしてこの詩も掲示されていました。工場の半分近くは我が阪南市にもあったようです。これから国会で審議に入ろうとしている法案の結果が、遠い将来またこのような碑で反省を示されることにならないように願っています。

2015年5月14日(木)

 朝は昨日のようにいい天気でしたが、雲が多くなって来て午後はついに雨になってしまいました。今年も庭の陰でガンセキラン(岩石蘭)が咲きました。野生ではもうほとんど見られない花です。販売もされていますが、これは高知県の海辺に住む知人からもらって来たものです。その人は野生がほとんど消えかけているので栽培を始めて、野生に戻すこともしたそうです。なかなかいい群落になっているそうですが、まだそれはまだ見ていません。我が庭でも少しずつは広がっているようです。一方、ツバメは巣の中にいる時間が長くなって中を覗くのが難しくなって来ました。でも時々は留守にするので覗いて見たら卵が6個になっていました。我が身の回りは平和なものですが、、、。

2015年5月13日(水)

 「台風一過」が5月の言葉になるかと思うほどいい天気になりました。風があったので汗を掻くほどではありませんでしたが、かなり高い気温でした。最近は自転車散歩が多かったのですが、今日は田んぼや溜池の周りを歩いてみました。こちらの田んぼでは水が張られたところもありますが、田植えの準備はまだ先のようです。こんなところを見ると高知は南国かなと思います。いろいろなトンボがよくいる溜池まで足を伸ばしてみるとヨツボシトンボがいました。ハバヒロトンボほどではないのですが、かなりずんぐりしたトンボです。最近は生息環境が減っていて、ところにより絶滅危惧種になっているようです。私にも珍しいトンボでした。ツバメの卵は今朝見たら5個になっていました。午後も数は増えていませんでした。メスが巣にいる時間が長くなって来たし、夜も巣にいるようになったので抱卵に入ったのかも知れません。オスはめったに姿を見せません。

2015年5月12日(火)

 5月の台風とは驚きました。思いついたことがあって雨が降らないうちにとキタムラカメラへ自転車で出かけましたが、帰りにはもう降り始めました。キタムラで買って来たものはゴジラという三脚です。これでデジカメを取り付けてツバメの iPad mini で観察及び撮影ができるようにしました。Wi-Fiでのカメラの遠隔操作はやったことがなかったのですが、動画も撮れるので便利なものですね。これで窓や戸を開けなくてもツバメの行動がよく見えるようになりました。でももう一工夫しないと巣の中は撮影できないので、ツバメが留守の間に鏡を使っての撮影です。ツバメが気にしないところに鏡を付けて巣の中が見えるようにできないかと思っているのですが、まだそこまではできていません。t卵は4個になりました。後2個くらいは産むのではないかと思います。

2015年5月11日(月)

 最近、『バイリンガリズム入門』という本を読んだのですが、『バイリンガル入門』ではなく『バイリンガリズム入門』なので「バイリンガルをどのように研究するか」という本です。バイリンガル(=2ヵ国語を使えるようになること)に興味はあっても、今更、研究をしよとは思わないのでそれにはあまり興味はないのです。ただ、よく知っている人がこの本の共著者になっていたのが目についたので読んでみようと思ったのです。1人はオーストラリア人と、もう1人はイギリス(ウエールズ)人と結婚している男性です。国際結婚をしている友人や知人は他にも何組かいるのですが、その子供たちの多くはバイリンガルになっているようです。でも、そのようには育てていない人もいます。両親が国際結婚だったら、子どもはバイリンガルになるとは限らないのです。それなりの努力や環境づくりも必要なようです。「子どもの時に2ヵ国語ができるようになれば、外国語で苦労しなくていいだろう」と思うかもしれませんが、母国語が2つのバイリンガルにはそれなりの悩みもあるようです。それはさておき、この本を読んで私にとって一番の収穫は「モノリンガル(1ヵ国語のみ使える人)に比べて、バイリンガルは後天的なものであってもアルツハイマー症の発症が4~5年遅い」という研究結果が出ていたことです。「外国語の勉強は、たとえ出来るようにならなくても、ボケ防止に一番いい」と誰彼に言っていたことの裏付けが与えられました。ツバメの卵は3つになっていました。

2015年5月10日(日)

 もう台風がやって来ているようですが、今日はまたいい天気でした。2ヵ月ほど前に新しい農産物直売所が出来ていたのに、最近まで知らなかったので午後はそこを覗きに行ってみました。もう品物の数はあまりなかったせいか、客もあまりいませんでした。我が田舎のと比べるとやはりちょっと高いでしょうか。ともあれ、選択肢が増えたことはありがたいことです。そこからはよく行く河口が近いのでそちらへも自転車を向けました。日曜日でもあり、潮もかなり引いていたので家族連れや犬の散歩をさせている人たちがいて鳥撮りにはよくありませんでした。浜には降りずに堤防の上から写真を撮って帰って来ました。昨夜は忘れていたのですが、ツバメの巣を覗いてみました。卵を2つ産んでいました。もう中は覗けなくなっているので見るには鏡が必要です。これは鏡に映して撮った写真を上から見たように処理したものです。

2015年5月9日(土)

 難波で不発弾が見つかっていたということで、朝は南海電車もストップで高島屋やその他の商業施設も閉店だったようです。住民にも避難が呼びかけられていました。幸い、無事に撤去できたようですが、まだ大空襲の傷跡が地下には眠っていました。なのにまた戦争ができる国にしようとしているようです。夕方に「九条の会」のビラ配りがあり、久しぶりにそれに参加しようと思っていました。市立図書館で借りた本の返却期限の日でもあったのでどうしても出かけねばなりませんでした。他市の図書館から借りてもらった本だったので延長ができません。別の用事もあり早めに出かけたかったのですが、雨は午後には止むという予報だったのになかなか止んでくれませんでした。しかし、まだ完読はできていなかったので好都合ではありました。4時ごろには止んでくれたので本の返却にもビラ配りにも間にあいました。雨が降ると自転車では出かけるのは嫌になります。反応は高校生くらいはまだいいのですが、気になるのはそれより少し上くらいの若者が避けて通る率が高いことです。そんな若者が多いのが投票率の悪さにも現れているのかも知れません。

2015年5月8日(金)

 ツバメは2羽がかなり長くいることが多くなりました。巣の周りが高くなって、カメラを天上にくっつけても中は撮れなくなりました。夜になって彼らがいない間に脚立に上がって鏡を使って見てみましたが、まだ卵は産んでませんでした。いつ産むのか、全部で何個産むのか大いに気になるところです。そして、何日で孵るのでしょうか。子どものころの家にもツバメが来ていたと思いますが、それほど関心を持って見たことはありませんでした。観察というほとのことはしていませんが、野生の可愛いい生き物が身近にいるということはなかなか楽しいものです。

2015年5月6日(木)

 雨は夜のうちに降っていたようで、曇り空でしたが日中は降りませんでした。庭のマーガレットの花の上でこんなのを見つけました。よく見る割にはトカゲについての知識は全くないのですが、この本名はニホンカナヘビというようです。青い筋の入ったのがニホントカゲのようです。ヤモリも時折見かけますが、どれも可愛いと思います。しかし、水の中にいるイモリはあまり好きではありません。オオトカゲはボルネオのチガ島に行った時にすぐ近くで見ました。あんなのが向かって来ると怖いでしょうね。また、あの赤い腹のイモリはどうも好きにはなれません。子どものころ、網で魚捕りをしていて時折入っていて慌てて逃がしたものでした。ツバメの巣はもう完成ではないかと思いますが、仕上げをしているようで卵はまだ産んでいません。

2015年5月6日(水)

 今日はまた雲が多くなって来ました。ここらでは雨はあまり降りませんが、いい天気もあまり続きません。しかし、我が家の庭も緑が濃くなり花も盛りになって来ました。シランも咲いていますが、ガンセキランも間もなく咲きそうです。ブロック塀を覆っているムベ(郁子)の花も咲いています。毎年花も咲き実もなっていると思うのですが、これまではあまり気にしていませんでした。「むべなるかな」という言葉も知っていましたが、ふと気が向いて調べてみたらムベそのものでした。今の近江八幡市の北津田というところに狩りにやって来られた天智天皇が8人の男子を持つ健康な老夫婦に出会ったのだそうです。健康で長寿の理由を尋ねると珍しい果物を差し出したとのこと。それを食べてみたところ他大変お気にめされて「むべなるかな」と答えられたのがこの果物の語源だそうです。でも郁子と書くのは何故でしょう。それはまだ調べていませんが、それ以来、この地からムベの実が朝廷に献上されていたとのことです。ところがある時期から途絶えていたそうですが、町興しに利用しようと献上を復活したという話です。アケビの実は食べたことがありますが、割けないムベの実はこれまでは食べてみたこともありませんでした。秋がちょと楽しみになりました。

2015年5月5日(火)

 昨日とはかわって子どもの日を祝うような好天気でしたが、9時半から午後3時まで室内にいました。他の多くの団体と共に子どもたちへのサービスの日でした。スタートからかなりの賑わいでしたが、私たちの会はいつもの自然工作。見本はありますが、子どもたちは自分のアイデアでいろいろなものを作ります。私たちは材料の提供とその手助けです。「毎年この日に作っていて家に飾ってあるので子どもの成長がわかる」という声もありました。。私も枝を切ってやったりはしますが、描いた絵を缶バッジにしてやる役割。偶には大人も作って喜んでいました。これもなかなか人気があります。昨日と連続の行事で少々疲れて帰って来ると、ツバメたちは相変わらずせっせと巣作りに励んでいました。3日目でもうほとんど完成ではないかと思います。この写真は彼らがもうやって来ない暗くなってから撮りました。中には枯草が敷き詰められています。台が広くてもこんな隅っこに作っています。

2015年5月4日(月)

 かなりの雨が降ると思っていましたが、空模様は悪いものの雨は全く降りませんでした。天気予報は完全に外れでした。恒例になっている「水棲生物観察会」の日でした。毎年かなりの賑わいで遠くからの親子も来て、多い時には80名ほども参加者がありました。ところが、今日は天気のせいかわずか10名ほどでちょっと寂しい人数でした。気温もかなり下がっていて半袖では寒いくらいでした。当然、水の中も寒いのですが、子どもたちも子どもに返った大人たちも喜々として水の中に入っていました。何故かフグが死んだフグが何匹もいましたが、ウナギやボラの稚魚やカゲロウやヤゴも捕れていました。グッピーらしきのも1匹いましたが、これは持って帰って飼った方がいい魚です。私は他の用事があってちょっと早めに退散しましたが、明日も「子どもの日フェスティバル」で自然工作と缶バッジ作りに行かねばなりません。こんな行事は私は子どもたちの見守りと手伝いだけですが、それでも顔くらいは出さねばと思っているので連日では辛いところもあります。

2015年5月3日(日)

 天気はまた下り坂のようです。夕方には少し雨が降り始めました。私が作った巣台をメスはすぐ気に入ったようですが、オスの方はどうもあまり気が進まなかったようです。でもついに「ここでいいとしようか」ということにしたようです。やっと2羽で止まるのが見られました。オスの方はなかなか見事は尻尾の長さです。ツバメの世界ではオスは尻尾の長さで持て方が違うそうです。これは昨日の夕方の写真です。今朝からせっせと泥運びが始まっています。私の方は偶に覗くだけですが、嫌っていた妻の方が深い関心を持って観察しています。実はもう1羽来ていて「三角関係ではないか」などと言ってます。そうかも知れませんが、鳥たちの世界でもヘルパーという存在が知られています。そして、昨日は私の留守中でもいいからと、庭の池のヤゴの調査を「自然と本の会」の若い会員のTさんにしてもらいました。私では種類は判断できないし、小学生の孫の方が強い興味を持っているので教えられるTさんにお願いしました。去年見たトンボから判断すると5種類はいるのではないかと思っていましたが、結果はクロイトトンボ・シオカラトンボ・コシアキトンボの3種類ということでした。時期を変えたらまた違う種類がみつかるかもしれません。

2015年5月2日(土)

 我が家にはツバメの巣はありません。主夫の私は野鳥大好きなのですが、花作りが趣味の庭や1階の方に権限を持つ主婦の方は鳥たちに蕾や花を食べられたり、糞をされるのを好まないのです。ツバメも毎年やって来てガレージに巣をしようとするのですが、彼女がいろいろな防止策をして諦めさせていました。ところが今年はツバメたちもかなりの住宅難のようで、一向に諦めることなくあっちこっちに泥をくっつけていたそうです。このセンサーライトの上も彼女が塞いでいたのですが、他のところを諦めてついに電球の上に泥をくっつけ始めるに及んで彼女が根負けしたようです。「電球の上に作られたら困るので棚を作ってやって」とのこと。私の方は喜々として物置にしている屋根裏に潜り込んで丁度の板切れを探してきました。ドリルで壁に穴も開けねばなりませんでしたが、短時間で工作を終えました。やがて2羽のツバメが様子を見にやって来て、1羽は棚の上にしばらく止まっていましたが、もう1羽は気に入らないのか棚には乗らずに車庫の中で飛び回っていました。そのうちに私は出かけたのですが、さて、彼らはここに巣をするでしょうか。巣を作ってくれたら子育ての観察ができてうれしいのですが、「さあ、どうぞ」となると案外「もういい」と言って来ないかも知れません。ともかくしばらく様子見です。

2015年5月1日(金)

 我が家にはツバメの巣はありません。主夫の私は野鳥大好きなのですが、花作りが趣味の庭や1階の方に権限を持つ主婦の方は鳥たちに蕾や花を食べられたり、糞をされるのを好まないのです。ツバメも毎年やって来てガレージに巣をしようとするのですが、彼女がいろいろな防止策をして諦めさせていました。ところが今年はツバメたちもかなりの住宅難のようで、一向に諦めることなくあっちこっちに泥をくっつけていたそうです。このセンサーライトの上も彼女が塞いでいたのですが、他のところを諦めてついに電球の上に泥をくっつけ始めるに及んで彼女が根負けしたようです。「電球の上に作られたら困るので棚を作ってやって」とのこと。私の方は喜々として物置にしている屋根裏に潜り込んで丁度の板切れを探してきました。ドリルで壁に穴も開けねばなりませんでしたが、短時間で工作を終えました。やがて2羽のツバメが様子を見にやって来て、1羽は棚の上にしばらく止まっていましたが、もう1羽は気に入らないのか棚には乗らずに車庫の中で飛び回っていました。そのうちに私は出かけたのですが、さて、彼らはここに巣をするでしょうか。巣を作ってくれたら子育ての観察ができてうれしいのですが、「さあ、どうぞ」となると案外「もういい」と言って来ないかも知れません。ともかくしばらく様子見です。

2015年4月30日(木)

 とうとう4月も終わりました。屋根の上にあったテレビとFMのアンテナをやっと撤去しました。この家に住み始めて以来ですから、40年近くなります。昨年から映りが悪くなったので光ケーブルにしていましたが、自分でやらねばならないので冬になったこともあり延び延びになっていました。さて、いざやろうとすると、鉄の部分は完全に錆びついてしまっていて、ネジを緩るめて外すことはできなくなっていました。要所要所を切断せざるをえませんでした。電動鋸では音が大きくなって近所迷惑になるので手動にしました。ギコギコやるのはなかなかやっかいでした。まだ必要があって残してあるケーブルもあるのですが、アンテナは無くなりすっきりしました。

2015年4月29日(水)

 ゴールデンウィーク初日の祭日でしたが、そんなことは今の私には関係なし。今日もほとんど1日中家を離れていました。もっとも、今日は室内だったので体は楽でした。午前中は月1で20年ほどやっている英語の講座でしたが、午後は「ヌーヌー」という名の小さな小さな喫茶店での3回目の「マリアと猫の手」のライブ。和私を「師匠」(少なくても音楽のではありません)と呼んでくれる人なので「ここならマイクなしで歌えるだろう」と紹介したのです。写真は伴奏の「猫の手」に代ってゲストの「鷹の爪」(変わった芸名ばかりです)のギター伴奏で歌っているところ。最初は不安だったという彼女の声もかなりよく出るようになって来たと思います。本人の少し自信がついたと言ってました。ゲストはもう1人「ショーナ」という女性のヴォーカルがいました。彼女は2回目ですが、女性とは思えないような低音の持ち主。彼女の歌も磨きがかかるのを期待しているところです。少ない聴衆の半分ほどは私が声を掛けた人たちでしたが、そうでない人の中に懐かしい人もいて嬉しい午後でした。

2015年4月28日(火)

 しばらく前から大型のシギ類が河口にやって来ています。嘴が下に曲がっているチュウシャクシギ(中杓鴫)の群の中に違うのが1羽混ざっています。嘴がやや上に反っているオオソリハシシギ(大反嘴鴫)です。保護色で見にくいですが、チュウシャクシギ2羽の間にいます。ずっと小さいソリハシシギもいますが、最近は姿を見ていません。嘴が下向きでもっと大きなダイシャクシギ(大杓鴫)は来ている時もあります。体の大きさや足の長さもいろいろですが、嘴の形も実に様々で面白いと思います。長かったり短かったり、真っ直ぐだったり上下に反っていたり。それぞれが何を食べるかによって適した形になったのでしょう。渡り鳥の食べ物がいつまでもあるような河口の姿を護りたいと思いますが、水源部の山に一企業によって産業廃棄物の埋め立て地が計画されていて心配なことです。産業廃棄物を埋めて処理するのではなく、できる限り再利用する方向に転じなければならないと思います。焼却したり埋めてりするのではなく、徹底分類を目指して90%以上の再利用を実現している企業もあるようです。(「夢の扉+」など)その会社はそれに満足せず100%を目指しているそうです。「産業廃棄物や下水は都市の鉱山だ」とも言われています。先の企業も自然破壊や汚染になる埋め立て地を造って多くの人々の反感を買ってまで金儲けをするのではなく、捨てられた物を再利用して金儲けをする企業に転身して欲しいものです。

2015年4月27日(月)

 今日もいい天気でしたが、昨日に続いての行事で山の植物観察と清掃に出かけました。山登りをする人たちのマナーは大変よくなっているので、山道やその付近にはほとんどゴミは見られません。それでも車で来られる登り口や休憩所になっている場所にはまだまだ捨てられています。それより困るのは最近はバイクで山登りをする人たちが少し増えていることでしょう。今日は出会いませんでしたが、轍が見られました。本人はスリルがあって快感でしょうが、歩いて登っている者にとっては大型の野生動物に出会うよりもずっと危険です。スポーツの1種ではあるでそうが、限られた場所でやって欲しいものです。2年前には土佐のミツバツツジの満開に出会いましたが、今年は既に終わっていて数輪残っているだけでした。今日おしてもらったのですが、コバノガマズミの花がよく咲いていました。どんな漢字だろうと調べてみると小葉蒲染でした。ゴミ拾いの苦労はなくて楽しい山歩きでしたが、休憩も食事時間も入れてですが6時間半もかかりました。夜も出かける予定があったのですが、昼寝をする時間もなかったので疲れが出て更なる外出は取りやめました。

2015年4月26日(日)

 「すべて世は事も無し」とはなかなかいかない世の中です。ネパールで大地震だとのこと。地震国日本は全力で支援して欲しいものです。ほんとうにいつどこで何が起こるかわかない世の中ですが、こちらは今日もまずまず平穏な1日でした。しかし、それほどの田舎でもないのに市内で100年以上続いた小学校が今年度で廃校になります。近くに新しい小学校が出来ているので統合されるのですが、古くから地域に住んでいる人たちには寂しいことでしょう。今日はその運動場と体育館を使っての多くのボランテァ団体による「阪南岬こどもまつり」でした。子どもの日の行事とは別に、毎年この時期に小学校を移動しながら開催されています。自然と本の会も「自然の素材を使った工作と缶バッチ作り」で参加でした。子供たち自身による催しもあって子どもたちも活躍していましたが、市内にある高校の生徒たちも参加して大いに盛り上がっていました。この小学校にもいい思い出を加えることができたのではないでしょうか。

2015年4月25日(木)

 海辺でしたが、空地もあって開けたところにを歩いているとヒバリ(雲雀)の声が降って来ました。空に溶け込んでしまって姿は見られませんでしたが、そんな時にいつも頭に浮かぶのが上田敏の名訳「春の朝(あした)」です。原作は英国のロバート・ブラウニング(Robert Browning) の "Pippa's Song "(ピパの歌) です。"Pippa Passes " (ピパが通る) という詩劇の一節で、Pippa というのは少女の名前です。教科書に載っていて私たちの年代の者は誰でも知っていましたが、今はどうでしょうか
「時は春、/日は朝、/朝は七時、/片岡に露みちて、/揚雲雀なのりいで、/蝸牛枝に這ひ、/神、そらに知ろしめす。/すべて世は事も無し。(The year's at the spring,/ And day's at the morn;/ Morning's at seven;/ The hill-side's dew-pearled;/ The lark's on the wing;/ The snail's on the thorn;/ God's in his heaven -- / All's right with the world!) 」原詩にほぼ忠実に訳されています。
 鳴き声を聞きながら歩いているとすぐ近くの草むらに降りている1羽に気つきました。かなり近づいても逃げず、草の実を啄んでいるようでした。朝7時ではなく11時前でしたが、正に詩のとおり私の回りでは平和な時が過ぎていました。

2015年4月24日(金)

 日照不足だというのに、雨は降りそうでないもののまたも曇り空。午前中は家の裏側、午後は畑の草刈りでした。機械を使えばそう苦労はないでしょうが、大怪我の元なので鎌で手刈りです。ここは畑にある小屋への入り口です。道の縁にも草が蔓延っていて、通り道になっている人たちたちの迷惑になるので気にはなっていました。やっと道に近い方だけやりました。畑としては活用していないので、草ぼうぼうでも自分は構わないのですが、最近は家が増えて住宅地ようになって来たので放っておくわけにもいかないのです。サッサと売ってしまえば世話は無いのですが、持ってるだけで豊かな気分なのです。

2015年4月23日(木)

 日照不足だというのに、雨は降りそうでないもののまたも曇り空。午前中は家の裏側、午後は畑の草刈りでした。機械を使えばそう苦労はないでしょうが、大怪我の元なので鎌で手刈りです。ここは畑にある小屋への入り口です。道の縁にも草が蔓延っていて、通り道になっている人たちたちの迷惑になるので気にはなっていました。やっと道に近い方だけやりました。畑としては活用していないので、草ぼうぼうでも自分は構わないのですが、最近は家が増えて住宅地ようになって来たので放っておくわけにもいかないのです。サッサと売ってしまえば世話は無いのですが、持ってるだけで豊かな気分なのです。

2015年4月22日(水)

 天気は期待したほどよくはなく、午前中はちょっと寒いくらいでした。しかし、花の季節は確実に移っていて躑躅や皐月がどこでも綺麗です。街に出ましたが、こんなところで久しぶりに八色鳥に出逢いました。もっとも生きているのではありません。そろそろ渡ってくる季節ですが、温暖化の影響か去年は数がぐっと減っていました。今年は寒い日が多い感じですが、彼らにはどんな影響があるでしょう。ここから更に歩いて山の上の病院へ見舞いに行きました。津波には大丈夫なところだし、見晴らしもいいのですが、車がないと不便なところではありました。病人はまずまずようで安心しました。屋上に庭園ができていて、そこも花がきれいでした。

2015年4月21日(火)

 いい天気になりました。全国的に日照不足のようなので、しばらく続いて欲しいものです。田んぼの縁などにこんなのが生えています。子どものころはイタドリ (虎杖)と同じくこの茎もよく齧っていました。塩があればよりいい味でした。確か、スリカンボと言っていたように思いますが、スイカンボが訛っていたのだと思います。スイカンボもスカンポと同じくイタドリだと思う人も多いようですが、「スカンポ」と聞いて私が思い浮かべるのはこれなんです。正式名はスイバ (酸葉) です。左の方に花も見えていますが、花もイタドリに似ています。ただし、イタドリの花はもっと遅く咲きます。また、イタドリとは違ってこれが食卓に上ることはありませんでした。今は齧る子どももいないでしょうが、子ども専用の食草でした。でも漢方薬にはなるようです。

2015年4月20日(月)

 夜の間にかなりの雨が降っていて川の水が増えていました。午前中はまだ少し降っていたので、庭の蕗を採りました。茎は塩揉みしてから茹でて皮剥き。これは何度もやりたくありません。葉はそのままで2〜3回湯がけばいいとのことですが、重曹をほんの少しだけ使ってみました。筍と3種類できましたが、更にアク抜くために水に浸けてあります。午後は雨もやんだので、川端を散歩。鳥の姿はあまりなくて戻って来たら、川のゴミを取っている人がいました。嬉しくなって近づいて声をかけると、先月会った区長さんでした。福祉センターでの私の発言を受けて調査してくれていましたが、日曜日毎に集まってゴミ拾いを始めたとのこと。今日は「増水の時にしか見えないゴミがあるから」とのこと。私にも声を掛けてくれるよう頼んでおきました。

2015年4月19日(日)

 今日は雨模様で終日家でゴソゴソ。片づけが少しだけ進みました。昨日、竹藪にあったユキモチソウ(雪餅草)です。葉も斑入りでなかなかきれいでした。他に知っているのはマムシグサ(蝮草)とウラシマソウ(浦島草)ですが、テンナンショウ(天南星)属は世界中で150種ほど、日本にも30種ほどあるそうです。球茎はシュウ酸が強くて食料には向かないそうですが、それでも工夫をして食べる地域もあるそうです。それぞれに食べられる工夫がるのでしょう。かつてイギリスの湖水地方で林を案内してもらった人が「日本ではシダの芽(ワラビやゼンマイだと思いました)を食べるそうだが、あんな発癌性のあるものを食べるとは信じられない」と言われたことを思い出します。アク抜きなんてことを知らないだろうヨーロッパの人々がそう思うのも当然だろうと思いました。

2015年4月18日(土)

 タケノコを掘ってきました。墓地の周辺が竹藪になっています。掘るのはちょっと苦労しますが、小さいうちなら大した手間でもなく、食料にもできて一挙両得。これは入り口への道の真ん中に出ていたもので、丁度いい大きさでした。とんでもないところに出て来るので困るのです。もう1本もっと奥に同じくらいの大きさのがありました。後は大きくなり過ぎていたので切り倒して来ました。例年はこの時期にいないので大きくなり過ぎて、後で大分苦労して切り倒していました。筍のうちなら軟らかいので楽なものです。さて、後の処理ですが、実はやったことがありませんでした。アク抜きには色々な方法があるようですが、皮を剥いで重曹を入れて煮るのが一番簡単なようなのでやってみました。

2015年4月17日(金)

 雨かと思いきや、快晴でした。でも、西風が吹いて気温は1ヶ月前みたいでした。放ったらかしの狭い庭を埋めて蕗と三葉が背の高さを競っています。日がよくあたるところには蓬も生えています。その蓬にやっと手をつけましたが、葉は摘み取っておきました。パンに入れて焼いてみたら結構いけました。次いで蓬餅にも挑戦。茹でてあく抜きをして刻んでおき、芋も少し餅米に加えて水も適当でパン焼き機にセット。ちょっと心配でしたが、ちゃんと食べられるのができました。家にばかりいるのにはもったいない日だったので、しばらくして川端歩きに出かけました。クサシギはやはりいて飛び姿が見られました。ツグミもまだいました。

2015年4月16日(水)

 関西や関東から土佐の海辺や山間部に移住して田舎暮らしを楽しんでいる人たちがたくさんいます。縁があってそんな人たちと仲間付き合いをしています。今日は村の仲間と久しぶりに太平洋岸の集落を訪問しました。ピザ窯を作るというので、そのアドヴァイス(私ではなく、ピザ焼き職業にしていた友人)が主たる目的でした。そこは海からは少し離れているのですが、来るべき南海地震による津波に備えて避難場所が家のすぐ上にできていました。そのために狭かった家の前の道も広くなって舗装されているという変わりようにちょっと驚きました。「やがて」ではなくて、明日かもしれないので着々と備えが整えられていますね。他の仲間もそこに集まってきて賑やかに昼食をご馳走にもなりました。

2015年4月15日(水)

 今日も午前中は風があってちょっと寒かったのですが、幸い荒れ模様ではありませんでした。4月にしては寒い日が続いていても山の木々は若葉が目立ってきました。田植えもかなり進んでいます。こんなに早くても「年にお米が二度取れる」の二期作ではありません。台風の襲来時に花期を避ける早稲種なのです。先人たちは自然に逆らわぬように工夫をしてきたのですが、異常が年々酷くなっているようです。作物を栽培している人たちは特に頭を痛めていることでしょう。異常気象は地球の温暖化のせいだといわれながら、「温暖化防止」は口ばかりで、世界中で実効が上がっていません。なのに人間は戦争をやめることもできませんし、憲法を無視して戦争ができる国にしようとしている国もあります。人類は滅び待つしかないのでしょうか。

2015年4月14日(火)

 福井地裁に大拍手。九州では雹が降ったそうですが、こちらは風は少々あったものの晴れたり曇ったりのまずまずの天気でした。池端の道で久しぶりに勘太郎に出会いました。正式名はシーボルトミミズ。写っている私の靴の最大幅は12cmなので、30cmはあります。猪や八色鳥の貴重な食糧だと言われています。これくらい大きければ食べ応えはあるでしょう。寿命は2年だそうなので、これは今年が最後の年でしょう。卵を産んで命は絶えます。翌年には孵化して1年目の個体になります。親と子が同じ年にいることはないのです。馴染みのない方は田島征彦の『みみずのかんたろう』という絵本で見てください。

2015年4月13日(月)

 異常な気候が続いていて、ところにより大雨が降ったり雹が降ったりという1日でした。私のいたところでは幸い大した雨も降らず、少し寒かったくらいでした。昨日の写真ですが、そんな時でも渡り鳥たちはせっせと餌を食べて次の渡りに備えているようです。ヒドリガモとコガモはかなり遅くまでいて早くやっても来ます。ここは河口でも海に面した波打ち際です。こんなのを夢中撮っていると、背の方に来ていたというオグロシギが来ていたそうです。仲間が呼んでくれたそうですが、その声で逃げたということです。私はその声にも気づきませんでした。残念!

2015年4月12日(日)

 明日はまた雨だとのことですが、今日もまずまずの天気でした。ちょっと遅かったのですが、虎杖(いたどり)採りの後に孫たちのお遊びの付き合いで里海公園へ。虎杖は郷土の春の山菜ですが、こちらではまだ蕨(わらび)や薇(ぜんまい)ほど知られていないのでそこそこ採れました。後始末はちょっとやっかいですが、我が家には欠かせない春の食べ物です。里海公園は海辺の断崖を埋め立てて公園にしたところで、散歩したり海遊びをするにはいいところです。ビーチバレー場もあります。でも、私のように田舎で育っている者にはどうもしっくり来ないところがあります。設計者や施行者には田舎の海の原風景がなかったのではないかと思います。陸上部分も街の公園と大差ない作りですが、海辺も人工そのものです。タイドプールも作られていて、生き物たちにもそれなりに役だってはいるようですし、子ども連れでやって来た家族にもそう危険ではない遊び場を提供しています。でも、これも水泳プールのようにコンクリートで四角に作らなくてもよかったのではないかと思います。それを考えても、子供の頃に自然の中で遊ぶ体験は貴重だと思います。

2015年4月11日(土)

 会議にはできるだけ出たくないのですが、昨日に続いて今日も午前中は抜けられない会議がありました。今日のは「自然と本の会」の総会で主宰者なので出たくないなどとは言ってられませんが、いつもより出席者が多くてうれしい気分でした。午後は寒さも緩んで天気もよくなったので河口へまた鳥見に行ってみました。チュウシャクシギなどが来ていると聞きましたが、まだ数が少なくて長時間はいない私の目には止まりませんでした。カモ類やカモメ類はまだたくさん残っていますが、入れ替わりもしているようです。ハマシギの腹も少し黒くなっているようですが、ユリカモメの顔はすっかり変わっていました。まだ少し斑模様ですが、頭の半分はもうすぐ真っ黒になるでしょう。冬羽の時とはまったく別の鳥のように見えます。ちょっと沖にいたヒドリガモとユリカモメです。

 暖かくなるかと思ったら雨でまた寒い1日でした。先日の毎日新聞夕刊のコラムに「数字が語る高知」というのが出ていました。記者も高知県出身か勤務の経験がある人でしょう。高知県は太平洋に向かって弓なりの長い海岸を持っている県です。南海地震が起これば大きな被害が起こることは目に見えています。堤防の工事が間に合って欲しいものですが、しょっちゅう帰省している私もいつ遭遇するかはわかりません。前回の南海地震の時はまだ小さかったのですが、よく覚えています。海辺ではないので津波の心配はなかったのですが、近くで大きな崖崩れがあり潰れた家がありました。そこの男の子が足を挟まれて出られないと大騒ぎをしていました。無事救出されたのですが、やがて行くことになる村の小学校で1年生の担任になった先生の家でした。その崖崩れの後は今も残っていてしょっちゅう見ているので忘れられません。もう1つの夜の街の数字の方は「飲めないので大阪に逃げて来た」と称している私にはあまり関係のないことですが、うまいと言われる酒は友人・知人に紹介して不思議がられています。今もわざわざ高知から取り寄せて飲んでいる人が何人もいます。呑兵衛の県にはやはりうまい酒が多いのでしょう。

2015年4月9日(木)

 雨も止んで寒さも緩んで来たので、午後は自転車散歩に出ました。まず河口へ行ってみました。もう貝毒が出ていると放送されていたので、貝獲りに来ている人はいませんでした。私よりはずっと熱心な野鳥仲間が2人いました。でも、珍しい鳥は来ていないようでした。潮がかなり引いていたので4日に海遊びをした浜辺へも行ってみました。手前の植物はハマボウフウです。浜と離岸堤の間の海が盛り上がって見えていました。浅くなっているところで岩も少し現れていました。20日前後の昼過ぎが一番潮が引くようなので、その時なら完全に水の上に出ているでしょう。昔は子供たちがよく泳いでいたところのようです。今もかなり安全だと思われるところですが、普段は子供の姿を見たことがありません。犬の散歩に来ている大人はいて、「海浜植物を保護しています」と書いた立札があっても、平気で踏づけてい行ってました。少々は踏まれても大丈夫なようですが、、、。

2015年4月8日(木)

 今日は雪が降ったところもあったようで、こちらでも更に寒くなったので終日家にいました。これは昨日の萬福寺で撮った写真ですが、ここに来てこの寺が初めてではなかったことを思い出しました。この魚は鯉なのか草魚なのかわかりませんが、咥えているのは玉ではなく泡なのだそうです。咥えているというより、泡を吐き出しているところだということです。泡を吐き出して煩悩から解放されることを現しているのだとか。これは魚梆(かいぱん=開版)と呼ばれていて、他にもいくつかある時刻を知らせたり集合をかけたりする時に叩く板の1つだとのことです。日本のどの宗派の寺にもある木魚はこれが元だそうです。それにしても開版なら「かいぱん」と読めないこともないですが、魚梆では全く読めません。面白いといえば面白いのですが、日本の漢字は「どんな読み方でもできる」ようですね。最近はそれが子供の名前にまで広がっているようです。

2015年4月7日(火)

 1ヵ月ほど逆戻りした気温でしたが、友の誘いで久しぶりに京都へ。目的は国立博物館で今日から始まった「狩野派 永徳の後継者たち」展。寒さのせいか、いつものように並ぶ必要はなくて助かりました。さすがに見応えはありましたが、数が多いので疲れました。昼食は友がネットで見つけていた七条駅の近くの和食の店に入りました。なかなか混んでいました。ちょっと待たされてから、注文したのは「宮津港からの天然ブリの照り焼き+物集女産の筍ご飯+小鉢2品+味噌汁+デザート」という日替わり定食でした。ご飯はお代わり自由で800円でした。なかなかいい味で、今年初めての筍だし2人ともお代わりをしました。「初めて来たけどおいしかった」というと大変喜んでくれました。その後は萬福寺へ。ここで「普茶料理」を味わってみたいと思っているのですが、それは時間的なこともありまたのお楽しみというところです。

 やっと春らしい日がやって来たと思ったら、それが続く日は少なくて天気も安定しませんね。また寒い日がやって来るという予報が出ています。「花冷え」という言葉もありますが、どうやらそんな程度ではなさそうです。春らしい日々がなく夏になってしまうのかも知れませんが、月日が飛んで行く感じで日々を過ごしています。いつも目の間の関心を引くことが優先する生活に少し反省もしています。2008年に「瓢箪から駒」の形でできた『「セルボーの博物誌」の鳥たち』の改訂版の作業が途中で止まったままになっているのですが、何とか少しでも進めるように表紙のデザインを考えました。右が改訂版の表紙になる予定です。旧版とほとんど同じですが、違いがわかるでしょうか。作業が遅れたのでいいこともありました。描いてもらった鳥の元絵はちゃんと色が付けられているのですが、費用の関係で残念ながらカラーにすることはできませんでした。まだ解決せねばならない問題がありますが、今度は何とかカラー版で出来るのではないかと思っています。ともかく本文の改訂作業を終わらさねばどうにもならないので、ここらで公表して自分に発破をかけることにしました。

2015年4月5日(日)

 予想したほどの雨ではありませんしたが、外出予定はとりやめてほとんど終日パソコンの前で過ごしていました。久しぶりに苺ご飯を土鍋で炊いてみました。まだやったことがない人のために紹介しておきます。季節を感じるし、色はピンクになりますが、お祝の赤飯の代わりとしてもいいと思います。酢を入れなくても少し寿司のような味になります。今回は白米2合+押し麦1号と苺1パックを使いました。苺は安いので結構。洗ってヘタを取ったらこのように入れて水も定量どおりで足す必要はありません。電気釜でももちろん結構。これで普通に炊けば出来上がります。炊きあがっても苺の形は残っているので、シャモジで潰して混ぜ込みます。それでピンクのご飯の出来上がりです。

2015年4月4日(土)

 「西鳥取公民館と自然と本の会共催」の「春の浜辺を楽しもう」が実施できてホットしました。大潮の日なのでこんな企画をしたのですが、生憎雨が心配される日になってしまいました。せめて午前中だけ降らないでくれたらと願っていましたが、願が通じて意外にもいい天気になってくれました。今回はいつも行事が重なってしまう「子どもNPOはらっぱ」の協賛を得たので、子どもたちもたくさんの参加がありました。まずは少しの間ゴミ拾いをしてもらってから、基本的には自由に遊んでもらいました。残念ながら午前中はまだそれほどの引き潮にはなっていませんでしたが、水の中に入って貝を採ったり海草を採ったりしている子どもも大人もいました。アドヴァイザーをお願いしたのは子ども時代にここで遊んだ体験を持ち、子ども大好きの元小学校の校長先生。海の生き物には大変詳しい人です。昔はここがどんなふうだったかも話してくださいました。自分の獲物について熱心に質問している子どもたちもいて頼もしく思いました。しかし、午後には曇ってしまって夕方には雨が降り始めたので、皆既日食は見られませんでした。


2015年4月3日(金)

 予報どおり天気は朝からかなり怪しくて時折ポロポロ降っていましたが、予定どおり「素敵歩き」決行。雨になると邪魔なのでステッキは誰も使わない素敵歩きになりました。本日の参加者は7名。メンバーは他にもいますが、爺ちゃんばかり。場所は貝塚の二色ノ浜。昔は大阪の海水浴場として名高いところでしたが、埋め立てられて昔のようではありません。貝塚はかなりよく知っていますが、今日の桜がたくさん植わった公園は初めてでした。そこで桜を眺めながら昼食をしましたが、風がつよくなって来て降られるとまずいので予定を早めて引き返し。帰り道でこの地方へやって来た時から名前だけは知っていた「戎さん」へも初めて参詣しました。途中でついに雨具が必要な雨になりましたが、私は午後は用事があって別れました。他の人たちはかつては本願寺も置かれたことがある願泉寺の見学に。岸和田は城下町ですが、貝塚は願泉寺の寺内町が発展したところです。普通は本堂には入れてくれないのですが、特別に案内してもらう約束が出来ていました。

2015年4月2日(木)

 いい天気だったので市内の桜の名所に行ってみようと出かけたのですが、途中で目的地を変更しました。少し前に「樹木葬墓地」の新聞折り込み広告が入っていたのを思い出しました。そこで途中から別の谷を奥へ入って墓地の見学をして来ました。途中までは池の観察会で何度か行ったことがあるのですが、その更に奥は初めて行くところでした。ずっと上り坂になっていましたが、自転車でもそう苦しくない程度の坂でしたが家から30分ほどかかりました。電車の駅からはかなり遠いと言えるところです。途中には工場がいくつかありました。20年ほど前から墓地になっているところのようですが、あまり売れなかったようです。事務所の女性が案内してくれました。残りの区画を狭くして新しい形式の墓地として、今は少し売れているようでした。樹木葬墓地もその1つでしたが、やはり名ばかりでした。自然の再生や保全もしようというものではありませんでした。13年間はずらっと並んでいるコンクリートの円形の穴の中に骨壺2つを納め、その後は中央にある桜の木の下に合葬するとのことでした。45万円を最初に払えばいいとのことでした。費用も安いし、ともかく墓が欲しいという人にはいいのかも知れません。そこそこ売れているようでした。その他にも新しい形の墓所がいくつかありました。石にこんな絵を描いたのや絵やガラスに絵や字を彫り込んだのもいくつかありました。実はここでも桜を期待していたのですが、あまりきれいなのはありませんでした。

2015年4月1日(水)

 とうとう4月。真冬なみの寒さがやって来ていて、急に暖かすぎるくらいになったので開花を待っていた桜が一斉に花を開きました。もはや私には関係ないことながら入学式までもつかなと思っていましたが、それも危うくなってきました。また雨が近づいているようなので散ってしまうかもしれません。こう気温の変化が激しいと生物すべてにとってなかなか辛いことです。私の方は何とか元気で今日も結構忙しい日になりましたが、「自然と本の会」の機関誌『自然ふれあい便りNo.43』がやっと完成に近づきました。このトンボの写真を並べた表紙はかなり苦労しましたが、版下(印刷用の原稿)作成から印刷まで全て自前でやっています。手間はななかな大変ですが、金のない会では経費節約もあって仕方のないことです。モノクロでもレーザープリンターで印刷すると結構きれいでした。でも、植物や鳥の写真も多いのでカラー版が望まれていました。インクジェットプリンターでは部数が多いと時間がかかり過ぎるし、インク代もかなり高くつきます。しかし、私たちの会でも個人でも買えるくらいにカラーレーザー(またはLED)プリンターが安くなっています。そして色はインクジェットに劣ると言われていましたが、普通紙への印刷では却ってきれいなくらいになっています。と、いってもやはりカラーは比較的高くつくので、カラー版の配布は正会員のみとしています。

 とうとう3月も終わりましたね。暖かくなって桜もいっせいに咲き始めましたが、ヒヨドリに喰われた庭の木蓮もそこそこの花をつけてくれました。もうヒヨドリは来なくなりましたが、無惨な傷跡のある花弁もあります。午後は4月4日(土)の「春の海辺を楽しもう」の打ち合わせもあって出かけていました。行きは主に国道沿いに自転車を走らせましたが、帰りは海沿いにしました。掃除をしている2ヶ所の浜も見て来ましたが、嫌と言うほどのゴミがまた溜まっていました。その1ヵ所で4月4日の行事をするのですが、ゴミ拾いも加えねばならないようです。子どもたちにゴミ拾いをしてもらうのも悪くはないでしょう。天気がちょっと心配になって来ましたが、変化が早そうなので大丈夫かなとも思っています。

2015年3月30日(月)

 今日はまた実にいい天気になりました。ちょっと出かけてはいたのですが、昨日行った泉佐野の「葛葉の井の渕(くずはのいのふち)」の碑を載せておきます。ここは田んぼの中の湧水池です。残念ながら、1軒の家の塀が接していて、周りも水の中もあまりきれいではありません。でも、昔の面影は残っているようです。ところで、「渕」という言葉で私が思い浮かべるのはもう少し大きな流れが淀んでいる部分で、人の背の何倍もあるくらい深いところです。泉南市で見た「渕」というところもそうでしたが、両方とも幅も深さも大したことはありません。ちょっと戸惑いを感じたのですが、この地方ではそう呼んでいるのでそれに従うしかありません。それはともかく、この水が入る田んぼで作った米で酒が造られて販売されているようです。そのことも以前から知っていたのですが、酒好きではないのでそのままになっていました。機会があれば手に入れて飲んでみようとは思っています。

2015年3月29日(日)

 雨模様でしたが、「ぬきず」のいくつかを見に行くというので仲間に加えてもらいました。「ぬきず」とは昨日知ったばかりの言葉です。「抜き水」が訛ったとの解釈がされているようです。ここらあたりも「和泉の国」の一部なので水が湧き出ているところは古来多かったはずです。我が市にももちろんいくつかありますが、今日の場所は隣の泉南市。まず行ったのが八反川というところ。「ぬきず」の水が川になったところですが、川というより溝でした。昔はもう少し幅があったのでしょうか。八反の田畑を潤すほどの豊かな水があったのだそうです。こういうところがあることは知っていましたが、行ったのは初めてでした。コンクリートで固められていますが、おもしろい形で少し幅が広くなっているところがあります。洗濯をしたり野菜を洗ったりしていたところが残されているようです。この後、もう1つの「ぬきず」を見て予定は終了で案内してもらった人は所用があるとのことで先に帰りました。私が「泉佐野にもっと自然の様子が残っているところがある」というと、残り3人が行きたいとのことで案内しました。それは犬鳴川の滝壺の水が湧き出ていると伝えられている「葛葉の井の渕」。田んぼの中に小さな池のようなところがあって、そこには謂れを書いた碑も建てられています。

2015年3月28日(土)

 ずいぶん暖かくなりました。昼食を兼ねて自転車であっちこっち回って来ました。公民館にも寄りましたが、せっかく親しくなった職員が2人もいなくなるようです。そういえば今年度も後少しです。昼食をした喫茶店で出会った自転車乗りは暑いと言ってましたが、私はそれほどでもありませんでした。その人は「最高時速43キロ出した」と言ってたので、そうとうな健脚です。その近くにゴルフ練習場にされていた浜辺があります。しばらく前に連絡を受けていましたが、なかなか行けませんでしたのでそこも目的地でした。こんな立札が2本立てられていました。ハマヒルガオが生えているところの両側にあるのですが、実はそのずっと向こうにハマボウフウがあるのです。それがこの浜の代名詞にもなっているのでもっと大切なのですが、港湾局の人たちは知らなかったようです。でも、こんなのがあるのはあまりいい眺めではありません。掲示する場所も考えた方がよさそうです。

 あまり観ることのないBSの民間放送で偶々「ジョン万次郎」に関する番組があるのを知りました。彼のことは坂本龍馬と同じように否応なく子どものころからかなりの知識が頭に入っています。伝記もいくつか読みましたし、彼が書いたABC・・・ も掛け軸になっているを見たこともあります。そして、国弘正雄さんのところで触れた『ジョン万エンケレセ』を書いた永国淳哉さんとも親しくなったので、表には出ていないいろいろな話も聞かせてもらっています。今日のゲストにはやはり土佐出身の作家で伝記を書いた山本一力さんが出ていました。5人が乗り組んだ漁船は嵐にあって鳥島に流れ着き、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助されたのが特に万次郎にとっては幸運でした。船長のホイット・フィールドに気に入られてまだ少年だった彼のみがアメリカ本土に行き、日本では不可能だった小学校で勉強まですることができたのです。しかし、彼が学校に行ったは1年ちょっとだった思います。それであれだけの知識や技術を身につけて帰って来たのですから、やはり凄い人物です。救助された5人のうち、1人はハワイで亡くなり、1人は結婚して残り、3人が日本に戻って来ました。万次郎は見出されて江戸に出て活躍しますが、他の2人(船長とその弟)出港地の宇佐(土佐のUSAと地元では洒落て言ってます)でひっそりと生涯を閉じました。そしてハワイで亡くなったもう1人の弟と3人の墓が宇佐の山手にありますが、知っている人はあまりいません。

2015年3月26日(木)

 今日は少し暖かくなりました。テグスはヒヨドリがよく止まるフェンスの方に張ってみましたが、一方だけでは当然効果なし。何とか木蓮を囲むように張ってみましたが、上は開いています。これではまだダメだろうと思いますが、テグスが光っているので警戒してくれないかと思ってるんですが、、、。ところで「テグス」という言葉は子どもの頃から「釣り糸」の代名詞として使っているのですが、どこから来た言葉だろうとふと疑問に思いました。今はほとんどがナイロンかテフロン製のようですが、調べてみると漢字では「天蚕糸」。「楓蚕(ふうさん)・樟蚕(くすさん)の幼虫の体内から絹糸腺を取り、酸に浸し、引き伸ばし乾かして精製した白色透明の糸。多くは釣糸に用いる」(広辞苑)そうです。「楓蚕は中国南部・インドに産し」とも書いてあります。だとすると輸入品だということになります。更に調べてみると発祥の地は大阪でした。江戸時代中期、鳴門の堂ノ浦の漁師が道修町で長崎経由で輸入していた薬用の草根木皮を包んだ油紙を括ってある半透明の糸に目を付けたそうです。落ちていたものを拾って引張ってみると実に強く「水中でも糸とは見えないはずだから、これで一本釣りをすれば大いに釣れる」と思ったとのこと。それを知った店の主人がその効果を試させてから商品化したとのことです。(徳島県立博物館のサイトなどから)しかし、テグスの発音は「手ぐすね引く」から来たのではないかと思います「くすね(薬煉)」とは松脂(まつやに)と油を煮てねったもの。粘着力が強いので、糸・弦などに塗って強くする」(広辞苑)だとのことですから。

2015年3月25日(水)

 まるで2月に戻ったような寒さですが、庭の木蓮の蕾は膨らんで花を咲かそうとしています。ところが、このところ連日、ヒヨドリ(鵯)がやって来て次々と啄んで行きます。今年は暖かくなっていたところへ寒さがやって来たので花が咲くのが遅くなっているようです。このままで花が咲かないうちにほとんど食べられてしまいそうです。野鳥にはかなり寛大な私も「これは何とかしなくては」と思うようになりました。いつもは他人にアドヴァイスするだけで自分ではやったことがなかったのですが、ホームセンターへ行ってテグスを買って来て張ってみました。夕方だったので効き目があるかどうかはまだわかりません。ともかく嫌われもののヒヨドリではありますが、棲んでいるのは日本とその周辺の少しの地域だけのようです。彼らも生きねばならないので少しの被害はやむを得ないと思うのですが、農作物を作っている人たちはそうは言ってられないでしょうね。

2015年3月24日(火)

 RS3PE症候群(16日掲載)を患っている人と話した時、「典子は、今」の主人公のことが話題になりました。この頃は思い出すこともなくなっていましたが、映画は観ました。最後の場面だったと思いますが、両手のない体で海で泳いでいた姿は今も脳裏に浮かんで来ます。「確か、熊本市役所に就職して結婚もしたはずだが、今どうしているのだろう」と思ったのでネットで調べてみました。すると熊本市役所は退職して講演活動をしているとのこと。『典子44歳 いま、伝えたい 「典子は、今」あれから25年』という本が出ているのも知りました。更に『典子50歳 いま、伝えたい 「典子は、今」あれから30年』という本も出ていて、両方とも市立の図書館にあります。でも、文庫本で安かったので後者を買いました。彼女は人前で話をするのは大の苦手だったそうですが、語ることが自分の使命だと思って訓練をしたのだそうです。足だけで運転して車にも乗っているとのこと。多くの苦しみや悩みは当然あったはずですが、「〇〇だからできない」なんて言葉は彼女にはないようです。他にも障害を持ったことで人生を諦めることなく、それを乗り越えて積極的に生きている人は彼女以外にもたくさんいます。芸術の世界で超一流になっている人もいます。本人の性質や努力や才能もありますが、そのように育てた親もまた強い人だと思います。強くならなければ生きてはいけませんからね。人生は自分の弱さとの闘いだと言っていいと思います。

2015年3月23日(月)

 また冬の寒さが戻って来ました。私たちだけではなくウグイスもツバメもサクラも戸惑っているでしょう。心が寒くなることも多いこの頃です。1週間前の新聞ですが、国弘正雄さんを偲ぶ記事が出ていました。初期の同時通訳の第一人者として活躍した人ですが、自民党の三木首相のブレーンとして、また社会党の参議院議員としても活躍した人です。テレビにもよく登場し、英語教育の面でも活躍されたので、かなりよく知っている人でした。でも、一度もお会いしたことはありません。ところが、ここ数年ずっと年賀状をいただいていました。そして報道されるよりずっと早く訃報も届いていました。更に「国弘正雄先生を偲ぶ会(国弘学級同窓会」の案内もいただいています。親しくなっていた永国淳哉さん(高知日米学院の創業者で『ジョン万エンケレセ』の著者、セルボーンにも関心の強い人)の勧めで国弘さんに『英語スピード・ライティング教本』を進呈したからでした。「はじめに」でシュリーマンの外国語勉強法と国弘さんの「只管(しかん)朗読法」も紹介していました。真似をしたわけではありませんが、その本で提唱した勉強法と中心点は重なっています。私はこのところ自分から年賀状は出さず返事のみにしていますが、それだけのご縁の国弘さんからは毎年いただいていました。この記事を改めて読んでみると、お会いする機会がなかったことが非常に残念に思えます。気骨のある人がまた1人この世からいなくなりました。かつては自民党も幅が広かったものですが、この頃は自由も民主も霞んでしまったようです。

2015年3月22日(日)

 また1つ年を取りました。「めでたくもありめでたくもなし」ですが、まずまず元気で楽しく暮らせていることはありがたいことです。昨日撮った写真ですが、3種類の鳥が写っています。それぞれなかなか優れた保護色を持っています。現場では野鳥に関心のある人には見えますが、あまり関心のない人たちになかなか見えない色です。それはともかく、これほどいい河口を持っている川も珍しいと言わねばなりません。汽水域(海水と真水の混ざるところ)が短くて植物も含めて生き物が実に豊富なのです。アサリ採りを楽しみにしている人も多いようですが、なかなか味がいいと言われています。だから渡り鳥もたくさんやって来るのでしょう。この川の水源地の1つは隣の和歌山県になるのですが、そこに1業者によって産業廃棄物埋め立て地が計画されています。地元の人たちは自分たちの生活用水も危険になるので大反対していますが、私たちも隣の県のことだからとは言ってられない状況です。ゴミ拾いでは片付かない問題が発生することになるでしょう。私たちも反対に立ち上がっているのですが、なかなか厳しい状況のようで心配です。

2015年3月21日(土)

 午前中はちょっと寒かったのですが、雨は降りそうにありませんでした。男里川の上流部で「生き物観察会」が予定されていましたが、先日の雨で増水しているということで中止になりました。楽しみにしていた小学低学年の孫がガッカリしているので、河口に連れて行くことにしました。干潟の蟹の姿は見えませんでしたが、たくさんの穴が開いています。彼は喜々としてその穴を掘って蟹を探していました。その子の父親も一緒に来ていたので、見守りは任せておいて私の方は蟹よりも鳥に気を取られていました。波打ち際で動いていたのはハマシギとメダイチドリの群でした。カモ類やカモメ類もまだいます。昼が近くなったので孫は父親の車で帰りました。折り畳み自転車を車に載せて来てもらっていたので私は別行動。今朝行く予定だった上流部の集落の元同僚に河口まで自転車で下って来てもらって、2人で昼食も兼ねてちょっとサイクリングをしました。私の自転車はもう古くなって買い替えを検討しているところですが、彼は買ったばかりの新車です。それを見せてもらうつもりもあって会う約束をしていました。彼は「素敵歩き」にも加わったのでその打ち合わせもありました。昼食もしましたが、家に帰ったのは4時ごろでした。走行距離は20キロほどでそこそこ疲れました。夕食まではもちろん昼寝となりました。

2015年3月20日(金)

 まだもう1回寒波が来るといわれていますが、この暖かさに庭の木蓮が咲き始めました。紫木蓮(しもくれん)ともいうそうです。白いのは白木蓮(はくもくれん)。花言葉は love of nature (自然への愛) だそうです。おもしろいことに、蕾は必ず北を向いて咲くとのこと。毎年見ているのにそんなことには気が付きませんでしたが、日がよくあたる南側が膨らむからだそうです。なるほど、この写真の開きかけの蕾がやや傾いている方角は北です。コブシやネコヤナギなども同様でコンパス・プラントと呼ばれるそうです。知っていたら方角がわかって助かることがあるかも知れません。中国の四川省や雲南省あたりが原産地のようですが、恐竜時代の地層から化石が発見されたということで「最古の植物」ともいわれているそうです。ヒヨドリがよく蕾を食べに来ますが、恐竜たちも食べていたのでしょうか。

2015年3月19日(木)

 朝から雨の1日でしたが、幸い移動中は傘は不要でした。帰りが遅くなったので夕食は外で。注文したのはこれ。「鴨なん定食」と出ていました。野鳥の捕獲が原則的に禁止された今も「鴨〇〇」というのがあるので、本当に鴨が使われているのだろうか、と疑問に思っていたからでもあります。ウエイトレスに聞いてみると自信なさそうに「本物です」と答えたので「ちゃんと知りたいから聞いて来て」と頼みました。すると、店の責任者らしい男性が来て「合鴨を使ってます」と答えてくれました。それで納得。田んぼでせっせと雑草を食べてくれて、役目が終わると食卓に上ってくれる鴨でした。これなら簡単に手に入るはずです。合鴨とはマガモかカルガモとアヒル(マガモを家禽化したもの)の交雑種なんだそうです。肉はやわらかくていい味でした。

2015年3月18日(水)

 昨日とは変わって午前中は曇っていて午後には雨になりました。かなり暖かくなって来たので、カモたちもそろそろ北帰行を始めるでしょう。でも、居着いているのも結構いるようです。餌さえ豊富なら危険を冒して渡りをすることもないわけです。何処で何が起こるかわからない時代になり、私たちの外国旅行も危険度が増しています。安全だと思われていた国でテロがあったり、大地震や超巨大モンスーンに襲われたり。国内でも観光客ではないけれど、温泉地で思わぬ死亡事故がありました。ところで、今年もまだイワツバメが姿を見せていません。異常に寒かったので遅れているのかもしれませんが、ひょっとするとまた川が氾濫する集中豪雨があるのでしょうか。「また2年続けて」なんてのは勘弁してもらいたいものです。

2015年3月17日(火)

 朝から暖かくていい天気でしたが、午後には雲が出て来ました。やっと墓地の掃除をしてきました。午前中で終えるつもりが、1時半ぐらいまでかかりました。いつもは3回位に分けてやるのですが、日程の関係もあって頑張ってしまいました。子供の頃からよく知っている墓地の下の家のにも寄ってきました。夫婦とも元気でしたが、夫の方は97才とのこと。脚も頭もしっかりしていて少し耳が遠いくらいでした。あやかりたいものです。帰宅して昼食後は昼寝。4時になっていましたが、またクサシギに会いに出かけました。タブレットで川の写真を撮っている人に出会いました。先日の私の発言を受けて上流部のゴミを調べに来たとのことで嬉しくなりました。私の方は更に上流に行き、期待のところを覗いてみましたが。やっぱりいてくれました。今日は三脚を使って飛び立つところまで撮ってみようと思ってたのですが、飛んで欲しい時には飛んでくれずうまくいきませんでした。その代わりに面白いところが観察できました。嘴で水?を飛ばして魚を誘き寄せているようなのです。そして獲物をキャッチしたところが撮れました。

2015年3月16日(月)

 梅に鶯ではなく梅に鵙♂です。昨日の小鴨と鷭のところから顔を上げるとこの木があります。モズも雌雄がよく姿を見せています。近くに巣があるのだと思います。先月に掃除をしたところのゴミがまた目につくので拾いに降りました。ほんの30分くらいのつもりだったのに1時間半ほどかかってしまい、大きなゴミ袋に2つもありました。下流にもまた溜まっていましたが、腰も痛くなって来たし後の予定もあったので中断。病名入院先知らされなかった長らく入院していた親しい人がやっと退院したというので久しぶりに会うことになっていました。まだ治療中だとのことですが、軽減はしているようです。病名は「RS3PE 症候群」(Remitting予後の良い Seronegativeリュウマチ因子陰性 Symmetrical対称性 Synovitis with Pitting Edema手背足背の圧痛浮腫を伴う滑膜炎)だとのこと 。初めて聞く病名。適切な日本名はまだない膠原病の1種で3万人に1人の難病だとのことです。調べてみると「血清中のVEGF(vascular 血管の endothelial内皮の growth増殖 factor因子)が異常増殖して関節痛部位に強い圧痛性浮腫を伴う」と書かれていました。痛みは減ったようでヤレヤレというところでしょうが、まだまだ気長い治療が必要でしょう。大変なことです。 

2015年3月15日(日)

 午後には止むかと思っていたのに、終日降り続けでした。乾燥注意報が出ていたので、いいお湿りではありました。大雨ではないので川の水は増えません。今日はヒクイナは見られませんでしたが、昼前からコガモの番(つがい)とバンが4羽やって来てしばらく食事をしていました。これは番ではありません。水の中にいるのはコガモの雌で、手前はバンです。バンは雌雄同色なのでどちらだかわかりませんが、仲良く並んで草を食べていました。バンは水掻きはありませんが、泳ぐのは上手で潜ることもできます。この後、コガモの雄もやって来ましたが、争いは起こりませんでした。ちょっと寒い日でしたが、心温まる光景でした。

2015年3月14日(土)

 午後1時前に遅い昼食の用意をしているとブザーの音。出てみると自治会長が「本日14時から川の改修の説明会があります。是非参加をお願いします」というチラシを配って歩いていました。村民にとってこんな大事な会議のことを今頃知らせるなんて。昨年の2回の大水で新しい放水路の建設計画が出ているとの話を聞いていたので、具体的な話が聞けるかと、村民ではないのですが、ともかく行ってみました。村民もかなり出席していましたが、会場の左手には国会議員を筆頭に国や県の関係者が多数来賓として出席しているのにびっくり。しかし、会議の内容は具体的な話ではなく、どうやら川の改修工事と新放水路工事が国と県の事業として認められそうだという祝い?の会のようでした。最後に質疑応答があったので、「過去に我が家を含めて浸水家屋は多くあっても、流失家屋は1軒もない。未だに土木工事関係者の多くは川の役目は上流の水を早く海へ流すことだとしか考えていないようだが、そんなことでは危険な川になってしまう。日本での近自然工法の発祥の県なのだから生態系にも配慮した川にすること。上流部になる隣町の部分にも農業用の袋などのゴミが目立っている。上流部の協力も求めないとせっかくの放水路がゴミでまた十分な機能をしなくなる」と言っておきました。県の担当者から「生態系には配慮する」という答はありましたが、あまり期待できそうにない感じでした。ゴミのことは「よく言ってくれた」という婦人からの声はありましたが、村のゴミ対策は鈍い返事でした。少しでもいい方に進んでくれたらいいのですが。

2015年3月13日(金)

 午後は風もなくてやっと少し暖かくなって来ました。裏にヒクイナがまた出て来ていましたが、ちょうど電話を受けていたのでカメラが間に合いませんでした。それから川沿いに上流へ散歩に出かけました。クサシギにまた会えることを半ば期待してでしたが、嬉しいことにいつものところで待っていてくれました。警戒はしているようですが、散歩の人が通っても逃げなくなっています。写真はかなり撮らせてもらったので動画に挑戦してみました。手持ちで超望遠なので画面が揺れていますが、ごく短いのを載せてみます。そして、帰りには散歩途中の小学校の同級生にも久しぶりに出会いました。「カワセミを見るのが楽しみだ」と言っていたので、野鳥に関心はあるようです。そこで、クサシギの写真や動画を見せましたが、毎日散歩していてもこんなのがいることには全く気がついていませんでした。普通はそんなものでしょうね。

2015年3月13日(木)

 まだ冬に逆戻りの天候が続いていますが、空は晴れてきました。ヤドリギがたくさん付いている大木があります。宿主の葉はまだでていないので目立ちます。この写真を撮っている時にホーホケキョという声が聞こえて来ました。もうちゃんと鳴けるようになってますが、この寒さでは戸惑っていることでしょう。ところで、ヤドリギはまふゆでも緑を保っているので西洋では特別視されるのでしょう。クリスマスの飾りにも使われるようで、その下に女性がいたら誰でもキスしていいとか、キスしたらそのふたりは必ず結婚する、とか言われているようです。しかし、日本のヤドリギとは種が違うそうですし、日本にはそういう言われもないようです。なかなか見事なのに、ちょっとつまらないですね。

2015年3月11日(水)

  今日も寒い日したが、午後は風がなかったので少しましになりました。あれからもう4年、早いものですね。しかし、原子炉は依然として Not Under Control のままです。被害を受けた人たちの苦しみも未だに続いているのに、復興もあまり進んでいるようには見えません。なのに、原子力発電所を是が非でも持ち続けたいのには別の理由があるのではないかと思いたくなります。私たちは安穏に暮らしているのが申し訳なくなりますが、こんなチラシを作成しました。「自然を楽しむ講座」は6年目を迎えます。最近何度か写真を載せたあの浜辺で4月4日に行う予定です。ここは遠浅でもあり子どもたちが泳ぐのにもいいところだと思いますが、最近はそんなことは許されなくなりました。こういう点では経済的には貧しかった私たちが子どもの頃の方がずっとよかったと思います。危険から遠ざけるだけでなく、何が危険かも教えておく必要があるのではないでしょうか。

2015年3月10日(火)

 天気予報どおり、また真冬がやって来ました。日があたっているかと思うと急に曇って来て雪が時折ちらついていました。老体になってくるとこの気温の急激な変化は応えます。が、どうしても行って来なければならいところがあって、雨は降らないだろうと自転車で出かけて来ました。向かい風だと辛いところですが、行きはほとんど追い風で樂でした。帰りに海をちょっと覗いてみましたが、暖かい日には霞んで見えなかった神戸や明石の方の山や淡路島も見えていました。でも風が冷たくて早々に引き揚げました。帰りは上り坂が多い上に、向かい風でローギアでやっと下りずに帰って来ました。元気のある時はこんなことも楽しいのですが、寒い日が続くと体調が悪くなるので困ります。早く本格的な春になって欲しいものです。ところで、アップルがまた新製品を発売するとのことで新聞もテレビでも取り上げられています。日本の開発力はどこへ行ってしまったのでしょう。シャープも元気がないし、ソニーもかつての会社ではなくなりました。早川・井深・森田という創業者たちは今のような会社を望んでいたのではないでしょうに。

2015年3月9日(月)

 天気予報のとおり冷たい雨になりました。最近では珍しく家から一歩も出ずに過ごしてしまいました。また毎日新聞ですが、3月6日の「この数字なあに?」というコラムに「5ミリ」というのが出ていました。「ごみとして海に流れ込ん後、紫外線や波により5ミリ以下の大きさに砕かれた微細なプラスチックごみが、多量に東京湾に浮遊しているとの調査結果を、東京農工大のお高田秀重教授(環境化学)がまとめた。これらは『マイクロプラスチック』と呼ばれ、最近、食物連鎖を通して生態系全体に及ぼす悪影響が懸念されている」と。調査した場所では約0.3mm~5mmになったレジ袋やペットボトルのふたに利用されるポリエチレンでできたものが多かったそうで、昨日のゴミが思い浮かびます。「残留性有機汚染物質に関する条約で使用が禁止されている」物質がなぜ食品を入れるものから出て来るのでしょう。便利と危険はほんとうに裏表です。大阪湾、いやもっと広く瀬戸内海だって、恐らく同様ではないでしょうか。昨日のゴミは氷山の一角。恐ろしいことですが、もはやレジ袋やペットボトルは全廃するくらいの政策がないと防げないでしょう。国民の命にはあまり目を向けていない国の政府ではほとんど望みがありませんが。

2015年3月8日(日)

 浜辺の清掃の日でした。昨日の雨は上がって暖かくていい日でした。明日はまた雨だそうですから、その間のちょうどいい日になりました。今日の参加者は23名。私たちの会以外にもいつものように港湾局の人たちと海上保安庁の人たちが来てくれました。海上保安庁の人たちの中には子ども連れで参加してくれた人もいました。すぐ近くの老人介護施設の人たちも協力してくれています。堤防の上から眺めたところではあまりゴミはなさそうでしたが、片隅の葦が生えているところへ回ってみるとこの有様でした。この下にもまだまだ埋まっていて大きなビニール系の袋などを引張り出すと、その下には小さなのが更にたくさんまだ埋まっていました。約1時間半、私はここから動かずに袋がいっぱいになりました。まだ少し残っていましたが、同じ姿勢でいると腰が痛くなってそれ以上はできませんでした。ともかく一応きれいにはなりましたが、ゴルフの練習場にされている件はまだ解決していません。多くの人が利用するところなので早くやめて欲しいものです。

2015年3月7日(土)

 昨日の毎日新聞の記事です。「関西テレビが制作した映画『みんなの学校』(1時間46分)が、7日から大阪・十三の第七芸術劇場で公開される。2013年5月、深夜のテレビドキュメンタリ-として放送し、発達障害のある子も同じ教室で学ぶ大阪市立大空小学校(住吉区)の1年を追っている」と最初に紹介されています。私もこのテレビ放送を観ていたく感動していました。「大空小学校は06年開校。特別な教育モデルを実践する学校としてではなく、一般の公立小学校として開校した。撮影時の児童数は220人、特別支援が必要な発達障害などのある児童は約30人。みんなが分け隔てなく同じ教室で学んでいる。木村泰子校長は<すべての子供に居場所がある学校をつくりたい>と教育の理念を語る。「それぞれの子供が自分の課題に向け、どれだけ努力したかに意味を見だしています。マイナス点を探すような今の社会への疑問もありました」と真鍋監督の映画に込めた思いも述べられています。「全国から問い合わせが殺到し、通学のため実際に引っ越して来る家族も多い」とも書かれています。しかし、本当はこれが義務教育段階の学校の本来の姿ではないでしょうか。隣の和歌山県には我が母校の教授が理想の教育を追求して創設した「きのくに子どもの村学園」がありますが、いろいろと制約の多い公立の学校でもトップにさえやる気があればこんな学校もできるということです。全ての学校がこうであって欲しいのですが、「残念ながら」という日本の現状ですが、我が市でもぜひ実現したい学校です。

2015年3月6日(金)

 今日はちょっと寒さが戻って来ましたが、用事もあって自転車で15キロほど回って来ました。風が強いと嫌ですが、汗をかかないのでちょっと寒いくらいが快適です。2階の部屋の外に置いてある沈丁花(ジンチョウゲあるいはチンチョウゲ)がそろそろ満期です。いい香りがします。名前もそこから来ているようです。原産地は中国南部だそうですが、室町時代には既に栽培されていたとか。雌雄異株だそうですが、日本には雌株はほとんどないそうです。従って挿し木で増やすことになります。田舎にも植えていたのに水に浸かったせいか、消えてしまいました。挿し木で苗を作って持って行こうと思っています。花の煎じ汁は歯痛や口内炎に効くのだそうですが、実は有毒だそうです。もう過ぎましたが、2月23日の誕生花だそうです。

2015年3月5日(木)

 昼過ぎまで会議でした。会議というものにはもう出たくないのですが、出ないわけにもいかないことがあって自由時間が奪われます。今日もそう寒くはなかったのでコンビニで昼食を仕入れて海辺に行って食べました。芽が出てもう花が咲いている植物もありますが、海岸にこんなものがありました。何に見えるでしょうか。なかなかおもしろい顔ですが、オニグルミ(鬼胡桃)の冬芽だそうです。花も実もまだ見たことがないのですが、雌雄同株で風媒花だそうです。実は食べられるそうですが、大変固くてリスにもなかなか割れないとのことです。もっとも、この場所は山ではないのでリスはいません。食べる人もいないでしょうから、ことで実を落として広がって行くのでしょうか。これからちょっと注意していたいと思います。

2015年3月4日(水)

 ちょっと時間ができて、天気もいいので午後はまへ行ってみました。河口の少し沖に砂利の島ができていて、ウミネコやセグロカモメやカワウが集まって休んでいます。ウミネコやセグロカモメの中に「カモメ(鴎)が混じっていないか」と期待しているのですが、なかなかいないようです。ウミネコやセグロカモメもカモメの1種なんですが、カモメという種もいて珍しいので写真を撮りたいのですが、そううまくはいきません。鵜は海辺にいてもたいがいカワウ(川鵜)ですが、白くなって婚姻色になっています。しばらく写真を撮っていましたが、風はあっても以前のような寒さはなくなりました。3月になればやはりもう春ですね。

2015年3月3日(火)

 私たちの「自然と本の会」では市内の海岸の2ヶ所の清掃を定期的に行っています。その1ヵ所「箱作自然海岸」(と称しています)で現場を見ながら大阪府港湾局の人たちとの話が午後予定されていました。雨が心配だったのですが、昼間は何とかもってくれて助かりました。そこでの話が終わってから、もう1ヵ所「ハマボウフウの浜」(と称しています)にも行ってみました。掃除をした後でも1週間もたつともうゴミがかなり流れ着いているのですが、今日はかなりきれいになっていました。私たちとは別に掃除をしてくれている人たちがいるようだと喜んでいたのですが、、、。ところどころに旗が立っています。最初は子どもが遊びで立ててそのままにしてあるのかと思っていました。ところが、私たちが保護しているハマボウフウのあるところには旗の横にカップを埋め込んで蓋までありました。そう言えば、ボールを打ち出すところも作られていました。どうやらゴルフの練習場にしている人がいるようです。選りによって一番大事なところをグリーン(ハマボウフウがあって私たちが守っているので確かにグリーンです)に見立てているようです。自分たちで撤去することも考えましたが、トラブルになってもいけないので別れて来たばかりの港湾局に担当者に連絡して善処してもらうことにしました。雛祭の日でしたが、こんなとんでもないことがありました。

2015年3月2日(月)

 朝からいい天気だったんですが、一時小雨が降っていました。でもまた晴れ上がったのでそう寒くはありませんでした。そこで久し振りに午後の一時、河口を覗きに行ってみました。干上がっていたので波打ち際の方へ歩いていると蹲っている鳥たちが目に留まりました。ハマシギ(浜鴫)の群でした。ハマシギはこんなに早く来ていたのは初めてではないかと思います。4月くらいになれば腹黒く?なって来ますが、ここでお腹が白い冬羽の状態で見るのは初めてです。全部ハマシギかと思ったらちょと右の群はシロチドリ(白千鳥)でした。この写真にも1羽写っています。シロチドリは年中いると思いますが、ハマシギは数が減っている渡り鳥です。ところで「浜千鳥」という歌があるのですが、残念ながらハマシギはいてもハマチドリという鳥はいないのですが、多分、こういう鴫や千鳥の類を指しているのでしょう。この歌は大好き、というより40代で亡くなった長姉を思い出す歌です。私とは10才違っていたので、半分は母親みたいなものでした。幼い頃、こんな歌を教えてくれたり字を教えてくれたのは母ではなくこの姉でした。

2015年3月1日(日)

 雨の一日でしたが、もうそれほどの寒さはなくなりました。関西では「二月堂のお水取りが終わらないと春は来ない」と言われています。まだ寒い日も来るでしょうが、やはり「春近し」は間違いないでしょう。以前にも出したのですが、よく通る道から見えるこの「気になる木」はホルトノキでした。「ホルト」とはポルトガルのことです。つまり、「ポルトガルの木」なんですが、それはオリーブのこと。「我が国の徳川時代の蘭学者達はヅクノキ 一名ハボソを間違えて軽率にもそれをオリーブだと思ったので、今日でもこの樹をホルトノキ(ホルトガルの木の略)と濫称しているが、それは大変な誤りだ。そしてこのヅクノキをオリーブと間違えるなんて当時の学者の頭はこの上もなく疎漫で鑑定眼の低かったことが窺われる。ヅクノキの葉は互生で鋸歯があり裏面が淡緑色あるから、オリーブの葉の対生で全辺で裏面が白色であることと比較すれば直ぐその違いが判るのではないか」とかの牧野富太郎博士は書いています。(『植物一日一題』)間違えたのは平賀源内だという説もあるようですが、鳥のブッポウソウのように間違いとわかっても一度つけられた名前は変えられないようです。

2015年2月28日(土)

 とうとう2月も最終日。かなり寒い日になるだろうと思っていたら、案に相違してかなり暖かい日でした。久しぶりに近くの里山と田んぼを歩いて来ました。知り合いが畑仕事をしていて少しお喋りもしました。山の方に行くとチャッチャッに混じってケキョ、ホーケキョという声が聞こえてきました。満開の梅の木もありましたが、「♪梅の小枝で鶯が・・・」という光景はなかなかないものです。梅の木によく来るのはメジロで、今でもメジロをウグイスだと思っている人もいるようです。ウグイスは色が地味で人前にはあまり出て来ないので、声は聞けても姿はなかなか見られない鳥です。先日も、田舎の村で生まれて暮らしている人が「ウグイスをまだ見たことがない」と言うのを聞きました。私と同年代で鳥にも少しは関心を持っている人なのでちょっと驚きました。春には木の上や電線で囀っていることもあるので、気をつけていれば見るチャンスはあったはずなんですが。

2015年2月27日(金)

 午前中はいい天気でしたが、昼ごろから曇ってきて気温も下がって来ました。また寒波がやって来たようです。が、気になっていた確定申告書を提出して、夜は「アルゼンチンタンゴの夕べ」というのに行って来ました。自由席だったのでちょっと右寄りでしたが、前から4番目に坐って聴いて観て来ました。演劇でもコンサートでも前の方の席と後ろの方の席ではおもしろさが全く違います。席の値段に差をつけるのはそういうことがあるからでしょう。写真を1枚くらい撮らせて欲しかったのですが、残念ながら禁止だったのでチラシから拝借。かなり有名な楽団とダンサーでした。タンゴはテレビやラジオなどで何となく聞いたり観たりはしていたと思いますが、生では初めてだったと思います。特にバンドネオンなんて楽器の音を生で聞いことはありませんでした。アコーデオンのような弾き方で形も似てはいますが、音は全く違いますね。楽器を全く弾けない者には、あれだけ多くのキーをよく間違わずに使えるものだと感心もします。曲は何となく馴染みのあるものばかりだったし、ダンスも素晴らしいものでした。楽しい夜の一時でした。

2015年2月26日(木)

 久しぶりの雨です。2.26事件を思い起こす日ですが、福島原発でまた困ったことが起こってますね。 "Fukushima is under control." なんてよくも言えたものです。そんなことはどこ吹く風で原発運転再開と戦争のできる国への準備が着々と進められてます。何もできない庶民は苛立ちだけが募って来ます。そして首相ともあろう人が日教組を使って民主党議員への野次。しかも、それは根も葉もないことでした。日教組は反保守の教職員の組合ですから、保守系の人たちは実際を知らなくても攻撃の対象にしてきました。労働組合ですから政治的活動もしないわけではありませんが、実態は教育について真剣に考える教師たちの交流と研究発表の場なのです。でもその組合員数が減り力も減って来たのが学校がおかしくなって来た原因の1つではないかと私は思っています。念のためですが、私は高校の教師でしたので日教組の組合員だったことはありません。日教組=日本教職員組合の組合員は小中学校の教師だけだということは世間の人たちはほとんど知らないのではないでしょうか。ところで教師生活から足を洗って久しい私ですが、最近は「英語を学び直したい」という人たちとの楽しい時間が増えました。英会話不要論者ではありますが、会話ができなくていいと思っているわけではありません。伝統的な方法にちょっと追加すれば会話でも困らなくなる方法があると思っています。教師生活の後半はそれを実践して来ましたが、学び直しの人たちにもそれを楽しんでやってもらっています。学校のように強制はしませんが、ちょっと刺激を与えるために名刺大でこんなカードを作ってみました。裏にはチェック表がついています。

2015年2月25日(水)

  かなり暖かい日が続いているので庭の木蓮の蕾が膨らんできました。冬の初めの暖かさで出ていたキーウィの葉は寒さに会って全部落ちていましたが、また少し出ています。まだ寒波がやって来そうですが、今度は持ちこたえるでしょう。ところで「1万時間の法則」という心が寒くなるような言葉が一人歩きをしているようです。「何をやるにもそこそこになるには1万時間かかる」と解釈されているようです。例えば、赤ちゃんが言葉を喋るようになるまでに、1日8~9時間はお母さんを中心とする人の言葉を聞いているとすれば、およそ3年で1万時間に達することになります。「英語など外国語の習得にもそれだけの時間が必要だ」というふうに解釈するとなかなか説得力がありそうでう。でも、「1万時間」と聞くと大概の人は諦めてしまうでしょう。日本での震源地は勝間和代さんの翻訳した『天才!』という本によるようです。残念ながらその本をまだ見ていませんが、「題名からして原著の意味を伝えていないし、翻訳も実に酷い」と何人もの人が指摘しています。原著者はカナダのマルコム・グラドウェルという人ですが、彼の説もまた元とは違っているようです。最初に「1万時間の法則」を唱えた人はフロリダ州立大学のK.アンダーズ・エリクソン教授だとのことです。それは「世界の超一流のプロの人たちがそのレベルに達するのにどれだけの時間がかかったか」ということを調べた結果だそうです。それが「伝言ゲーム」のように意味が変わってしまって「普通の人がそこそこのレベルに達する時間」となってしまったようです。そのことを徹底的に調べて「20時間集中してやれば誰でもそこそこのレベルに達することができる」と主張している人も現れています。これなら誰でも挑戦してみたくなるでしょう。これは外国語学習者にとっても春の兆しでしょう。が、これにも問題はありそうです。そのことについてはまた後日取り上げたいと思います。

2015年2月24日(火)

 つい最近まで知りませんでしたが、偶々聞いていたNHKラジオで英語教育に関心がある者には大いに興味があることが報道されていました。「河内長野」ということも聞こえたので、大阪だということもあって大いに興味を持ちました。河内長野では『なんで英語やるの』で有名になった中津遼子さんもかつて教えていたと思います。ネットで調べてみると、朝日新聞に記事がありました。本も朝日新聞出版から出ています。全く強制することなく英語が耳から入り、目からも入る環境を家庭で作ったことや彼女の夫は日本語で普通に接していたことも感心することです。両親が日本人でその子どもを完全なバイリンガルに育てたということは前例がないことでしょう。息子は今は中学生だそうですが、「英語を勉強した記憶がない」とのこと。「宝の持ち腐れに終わるかも」という母親のつぶやきに対して「どこが宝なのかわからん」と言っているそうです。「息子には感謝されないけど、だからこそ成功だったんだと思う」とのこと。他の人が真似のできることではないと思ったんですが、彼女の「ブログを見て真似てうまくいっている」という書き込みがあったのも驚きです。

2015年2月23日(月)

 2月も終わりが近づき、気温がかなり上がって来ました。でも、また心が寒くなる日本語に出会ってしまいました。以前とは別の偶に行くスーパーなんですが、一度も通ったことのない入り口から入ったらこんな看板がありました。「スロープの坂」とはどういう意味でしょう。この店の発注者、あるいは看板屋さんは「勾配」という言葉を知らなかったのでしょうか。「おきをつけてお通りください」というのも丁寧に書いたつもりでしょうが、これでいいのでしょうか。言葉というのは母国語でもなかなか難しいものです。なのに、小学校から授業に英語を導入して、国語は大丈夫なのでしょうか。「英語の耳ならし」とか「外国人に物怖じしなくなる」という点では悪くはないと思います。でも、その時間が他の教科の時間を減らして生み出され、英語を教える教育も訓練も受けていない教員やALT(外国人指導助手)に任せざるを得ない体制で効果が上がるのでしょうか。先進国と言われる国の中で、日本ほど母国語の教育を疎かにしている国はないように思います。学校から離れて久しい私ですが、こちらの方が心が寒くなることです。帰国子女と言われる生徒が多い学校で教えている若い友人から聞いたことですが、日本語のレベルが低い帰国子女は英語でもやはり低いままで留まってしまうということです。

2015年2月22日(日)

 てっきり雨の1日だと思っていましたが、夜のうちに降っていて昼間は降らずに助かりました。春一番が吹くと予報されていましたが、それもまた夜になってからでした。来年度も継続予定ですが、今日は5年間続いた「自然を楽しむ講座」の本年度の最終回。講師は会員の田村裕喜さん。家族でトンボと付き合いだして約10年。標本の数ももうかなりの数になっています。2人の子供たちは他に興味のあることが出来てきてトンボから離れてしまってちょっと寂しくなったようです。今日のタイトルは「阪南市のトンボ」。市内で確認しているのは44種だとのこと。我が家の池にいたヤゴを彼が育てたマユタテアカネも含まれていました。44種の中には絶滅危惧種がいくつも含まれています。聴衆は多くはなかったのですが、田村家の後継者のような親子が参加していて、終了後もヤゴの飼い方など熱心に質問していました。

2015年2月21日(土)

 阪南市と泉南市の間を流れる男里川水系の一斉清掃の日。特に河口は野鳥や塩生植物や水棲小動物の宝庫として貴重なところです。この行事のスタッフであることもあって、阪南市の住民なのに担当は去年に続いて泉南市側の支流の中流部。それはいいのですが、去年は地元の参加者はゼロでいい気分ではありませんでした。今年は1人でも来てくれたらいいくらいに思っていましたが、去年のことを散々言っておいたせいで今年は連絡が徹底していたようです。去年の区域を2つに分けていましたが、両方合わせると何と47名の参加。若い人たちもお父さんに連れられたボクちゃんもいました。私が担当した下流部も用意していたゴミ袋を全部使いましたが、上流部では足りなくて買いに行ったとのこと。気分も去年とは雲泥の差。天気も去年と同様によくて暖かくていい日でした。午後の反省会でも活発に意見が出ました。まだスタートしたばかりで基本的には川の中ができていななどの問題も山積ですが、今後に希望の持てる日となりました。

2015年2月20日(金)

 昨日取り上げた『英会話不要論』を読みながら、大学時代の教養課程の完全訳読式の英語の授業を思い出していました。試験もほとんどは和訳だったと思います。英会話の授業もありましたが、私の行った大学には外国人の先生はいなくて日本人の先生でした。発音とかイントネーションとかは習ったことを覚えていますが、会話の練習などさせられたことはほとんどなかったように思います。ところで昨日の本の著者は行方昭夫という東大の教養学部で教えていた先生。名前の方は「あきお」で問題なしですが、姓の方はびっくりしました。「なめかた」です。こんな姓は初めて出会いました。日本語の漢字の読み方はほんとうに難しいものです。これでなんでそんな読み方ができるのか不思議です。高校で教えている時も毎年のように「へー、こんな性もあるのか」というのに出会ったものでした。教師になって初っ端に面食らったのが「目」でした。出席を取っていて何度も聞き返したことを覚えています。この泉南地方では由緒ある姓のようですが、ここらに長年住んでいる人でも読めない人もいるようです。「さがん」と読みます。「眼という字の左側だから」かなと思っていますが、この解釈は正しいかどうかはわかりません。「小倉」という大先輩の英語の先生がいました。暇さえあれば本を読んでいる人でなかなかの実力者でした。「こくら」でも「おぐら」でもありません。「こごい」でした。鳥好きだったらおもしろい姓があります。小鳥も遊んでいるように見えても彼らは餌探しに必死なんですが、「小鳥遊」というのは何と読むのでしょうか。最近は名前の方もちょっと読めないような漢字を子どもに付ける人たちが増えているようです。戸惑いますが、難読漢字は一度覚えたら忘れられないという長所はありますね。

2015年2月19日(木)

 私も「英会話不要論者」ですので、あえて読む必要はないと思っていたのですが、市の図書館にこんな本があったので借りて来ました。著者は東大教授として現場で教え、英語英文学の専門誌であった『英語青年』で20年以上も翻訳指導を担当していた英語教育の第一人者です。まだ全部は読んでいませんが、ある紳士の憤慨の言葉として次のような引用がありました。「言葉っていうものは、読み、書き、話し、聞くものでしょう? それなのに、日本では、読み、書きしか教えてくれない。日本の英語教育は間違ってますよ! 私は、2年浪人しているから、中学3年、高校3年、浪人2年、大学前期2年と合計10年、英語をやったんですがね。アメリカ旅行した時、全然通じなかった。どう考えても間違っている!」と。「英語を学校で?年も習ったのに全然しゃべれない」と思っている人たちはほとんどこのように思っているのではないでしょうか。確かに従来の日本の学校での英語教育は読み書きが中心でした。でもそれが決して無駄ではなかったと思っているのは私もこの先生と同様ですし、日本の学校教育だけでも英語が喋れるようになっている人もたくさんいるのです。それは先生に恵まれていた場合もあるでしょうが、「音無し」で勉強した結果ではないかとも思っています。受験のために必要だからと単語はたくさん覚えていてもそれには「通用する音を付けていなかった」のではなかと思います。極端な例ですが sometimes を「ソメチメス」と覚えたりすることです。こんなところから「英語の前にローマ字を教えてはいけない」という主張も出て来ているのだと思います。自分のことで恐縮ですが、私は小学校でローマ字を習い、中学校で英語を習う前にローマ字で書かれた文章はスラスラと読めていました。そして、これまでに英会話など習ったことは全くないのですが、発音で話が通じなかったことはまずありません。いわゆる受験英語と実用英語の橋渡しのつもりで『英語スピード・ライティング教本』(大修館書店)というのをかつて出版しました。そして、20数年の間をおいて、今また、やりたいと思っていることは、いや、もう始めているのですが、『英語はダメだ』と思い込んでいる人たちに「せっかく勉強した英語を使えるようにする助けをすること」なんです。

2015年2月18日(水)

 モズの声が聞こえ始めました。モズは他の鳥たちよりずっと早く子育てを始めます。ゴミ集めをしている間はカモたちの姿は見えませんでした。きっと警戒してこなかったんだろうと思います。これは掃除をする前の写真です。3羽来ていましたが、全てメスでした。カモ類のほとんどのメスは地味でよく似ていて判別は容易ではありません。これまでは目立つオスに焦点をあてていましたが、これからはメスにも拘ってみようと思っています。これはコガモ(小鴨)のメスのようです。ガラス越しで逆光なので条件はよくありませんでしたが、首を伸ばしているところは珍しいかもしれません。

2015年2月17日(火)

 意外にも朝から快晴。しかし、昼を過ぎるとまた曇って来ました。気温も下がってきたようです。もうやめておこうと思っていたのですが、午後になってゴミとの格闘の延長戦をやってしまいました。ところどころに水があるのですが、硬くなっているところもあって、見えていた範囲のゴミは全て集めることが出来ました。今日も3時間ほど。スタートが遅かったし、休憩もしながらだったので暗くなるまでかかりました。大雨が降れば元の木阿弥ですが、しばらくはいい気分でいられます。昨日の写真はゴミがなくなったところでしたが、今日のはゴミ集めの前のです。

2015年2月16日(月)

 昨日の夕方から1人で裏の水辺を掃除してました。いろいろな鳥が来てくれるので、写真を撮る度にビニール系のゴミが目について仕方がなかったのです。でも、長靴がなかったし、楽しいことと家の片付け優先でもあってなかなかできませんでした。今回は長靴も買って来てあったし、雨が降らないうちにと思ってやっと取り掛かりました。昨日の夕方は暗くなるまで1時間20分ほど。今日は11時前から始めて昼食を挟んで3時半頃まで。合計4時間半くらいやったでしょうか。下流にはまだまだありますが、今回はこれくらいにしておきます。ここでもやはり農業用の袋や波板が大部分です。木の間に入り込んでいたり、水の中で土に埋まっていたりで時間も体力も必要でした。パイプやホースもありました。ご覧のとおりで、気分はよくなりましたが、腰も痛くなりました。

2015年2月15日(土)

 大阪では泉州マラソンの日でしたが、こちらでもマラソン。昨日行ったビニールハウスの友から突然の誘いがあって、「マラソンの折り返し点へ公務員ランナーの川内選手を見に行こう」とのこと。「村のマラソンにそんな有名選手が来るようなったか」と驚いていたら、「高知龍馬マラソン」とのこと。車で30分ほどの仁淀川の河口の近くでした。「河口の橋付近なら風景のいいところだ」と思っていたら、そのちょっと西の方で堤防が高くて殺風景な場所でした。30分ほど待つと川内選手が予想どおり1位でやって来ました。先導は女性警官の白バイ。なかなかいい格好でした。2位は去年の優勝者だったそうですが、1分ほどの差がありました。結局、川内選手のタイムは2:15:06で2位との差は3分50秒。ダントツの1位でしたが、痛めていた足の影響が出て目標タイムには達しなかったとのこと。しかし、世界的ランナーの通過時のスピードを初めて見て速さに驚きました。

2015年2月14日(土)

 13日の金曜日もヴァレンタインディも頭の隅にはありますが、「あっしには関係ないことでござんす」になってしまいました。今日も晴れてはいましたが、やはり風の強い1日でした。午後は友人のMさんのビニールハウスをちょっと訪問。気は合うのですが、私とは全く違う趣味の持ち主。これは彼が退職後に畑に建てたお遊び用。鉢植えの植物も回りにありますが、それらもギターも退職後に始めた趣味。それなのに弾き語り(歌い?)ができるので各地の老人施設などから引く手数多。今日のメンバーは他にもいるようですが、もちろん彼がリーダー。こんなところでの演奏会も楽しそうです。新聞にもテレビにも登場しました。練習していたのは「影を慕いて」でした。

2015年2月13日(金)

 朝から快晴で家にいるとかなり暖かかったのですが、西風が強くて外は結構寒い日でした。朝、カレンダーを見てビンを出す日だったのを思い出して慌てて持って行こうとしたら資源ゴミの袋がありません。子どもの頃は隣だった雑貨屋がまだ健在で歩いて数分なので買いに行きました。そしたら店主が我が父に子どもの頃に写してもらった写真がある、と見せてくれました。額に入った4つ切りでしたが、雪達磨と写したものでした。それも水に浸かったようで1部は剥げていましたが、嬉しい写真でした。私たちが子どもの頃はこのあたりでももっと寒かったのです。風は冷たくても日当たりはよかったので、3時半ごろから川沿いの散歩に出ました。クサシギはかなりの写真は撮ってるので、もうあまり期待はしてなかったのですが、また出迎えてくれました。大きなのは既に載せたので、今日は周りも入れた写真にします。

2015年2月12日(木)

 ジョウビタキ(尉鶲)♂が飛び立ったところです。今はもう珍しくない鳥でメスが可愛いと思っていますが、野鳥に強い関心を持つまでは身近にこんな綺麗な鳥がいるなんて知りませんでした。子どもの頃は野山を駆け回っていたので、メジロやウグイスは知ってたのに出会う機会がなかったみたいです。このようにオスの頭が爺さんのようなのが名前由来だとか。白い紋が見えるので「紋付鳥」と呼ばれたり、人を恐れないで近付いて来たりするので「馬鹿鶲」とも言われます。今はこの姿を見ると「冬が来たな」と思います。「繁殖期には日本にいない」と言われていた冬鳥ですが、日本でも繁殖しているのが数年前に発見されました。

2015年2月11日(水)

 薄曇りの天気でしたが、風はなくかなり暖かい日でした。10時から「野鳥超入門講座」と称しての私の初めての鳥見講座でした。集まってくれたのは男性4人・女性2人の6名。全員が「村の案内人」でした。女性2人は鳥見の経験はなさそうでしたが、男性の方は日頃見ている人たちでほとんど教えることはありませんでした。少し話をさせてもらって、後は一緒に池の畔を歩いて観察会でした。1人が池ではなく、反対側の国道の上の森に猛禽類がいるのを見つけました。残念ながら、私が知っている猛禽類はほんの少し。名前を教えること もできませんでした。非常に遠くて写真もこれが何とか見られるものでした。帰って図鑑と首っ引きで調べた結果はオオタカ(大鷹)かな、というところですが、どうでしょう。ノスリかな?

2015年2月10日(火)

 久しぶりに乗り越しをしました。「次の駅だな」と思いながらそのまま眠ってしまったようで、気が着いたら列車は停まっていました。「どこだろう」と思っているうちに発車。しまった。降りるべき駅でした。でも、乗り越してもどうということはありませんでした。1駅先でも料金は同じだし、家までの距離もほとんど同じ。基本的には朝散歩する川沿いの道を夕暮に歩くことになりました。これもまたよしです。土手が焼かれていました。ここは夏には葦が生えていてオオヨシキリがよく鳴いているところです。何だかわかりませんでしたが、鳥のかげもちらっと見えました。田舎の道はいつもホッとします。

2015年2月9日(月)

 また第1級の寒波がやって来たようです。寒さのせいではありませんが、器具類も10年以上使っていると故障が出て来ますね。水洗便器へ水が溜まるのに非常に時間がかかるようになっていました。簡単なことならたいがい自分で修理しますが、フィルターらしいものがどこにあるのか場所がわかりませんでした。実用上は差支えがなかったのでしばらく放置してありましたが、教え子の工務店主が来たついでに見てもらいました。彼も自分でやてくれるつもりでしたが、やはり場所がわからずお手上げでした。その修理担当者が来てくれる日でした。流石はプロ。さっさと部品交換で終わりでした。他のところも古くなっているので危ないと交換して行きました。それはありがたいのですが、後が恐いです。出かける予定もありましたが、それもあったし、仕上げねばならないものもあったし、風邪もまだちゃんと治っていないので出かけるのはやめて終日家にいました。仕上げねばならなかったのものの1つはこれまで敬遠していた「野鳥観察入門講座」その資料作りでした。そんな役目は敬遠していたのですが、11日にやるはめになったのです。A5版で4ページ作りましたが、その3ページ目を掲載してみます。野鳥にあまり関心のなかった方に見ていただければ幸いです。

2015年2月8日(日)

 先日(2月6日)の毎日新聞にちょっとうれしい「ひと」が出ていたのを思い出しました。この「ひと」は自身の第2作目の映画を高知でほぼ全編をロケ撮影し、ついには高知に(残念ながら高知のどこかは書かれていませんが)移り住んだ理由として「高齢化など多くの課題を抱える中、人が『生きている』エネルギーをどこよりも感じた」のだそうです。寡聞にして、安藤桃子さんという人も彼女が作ったという映画も知りませんでしたが、高知にとっては大変うれしく心強い移住者でしょう。私のように出て来る者だけでなく、どしどし移住もして欲しいものです。高知県の人たちは他所から移住して来た人たちに対しても「よそ者」とはあまり思っていようです。「3代暮らしていてもまだよそ者と言われる」という地域とは大違いだと思います。

2015年2月7日(土)

 曇り空でしたが、今日もかなり暖かでした。午前中にやっと準備完了で、14時から『昆虫記』と題した読書会のレポートでしたが、昆虫は趣味のうちにも入っていない私の「昆虫記」でもありました。会場のプロジェクターがちょっと不安定でハラハラしましたが、何とか無事終了。最近は原稿やレジュメを作らずパワーポイントで写真など見せながら話すことにしているので、パワーポイントが使えなくなるとしゃべれなくなってお手上げになるところでした。プリントも作っておくべきですね。それが終わってから海辺の喫茶店でジャズやフォークやゴスペルなど幾組も出演する盛りだくさんなライヴに行きました。真中にストーブがあるので聴衆は窓際でオデンを食べながら、(今日はマスターというより)オヤジが演奏中でも薪をくべているという何とも素朴な雰囲気でも、実に楽しい2時間半が終わりました。

2015年2月6日(金)

 干潮の波打ち際の浜に夥しい数のハマグリの貝殻がありました。しばしば行くところですが、これまではこんなことはありませんでした。ほとんどが7~8cmほどある大きなものでした。2ヵ月余り滞在していたミヤコドリたちの仕業ではないかと思います。もっといて欲しかったのですが、これでは食べごろのは捕りつくしたのではないでしょうか。最初は4羽、後には3羽になっていましたが、毎日せっせと食べていましたのでその数も相当なものになったはずです。これでは水の温むのを楽しみにしている人たちの分はなくなっていそうです。もっとも、アサリならまだたくさん残っているかも知れません。

2015年2月5日(木)

 最近はサボっている朝の散歩中にみつけた気になる虫でした。ハエだと思ったんですが、白い翅があります。初めて見たので友人の甲虫の専門家に聞いてみたのですが、「専門外だからわからない」との返事。昆虫は地球上で一番多い種だというのですから、何でも知っているというわけにはいかないようです。未だにおよそ50%は名前も付けられていないとか。そんなわけで諦めていたのですが、ある人のヒントで「白い翅の蠅」で検索してみると、写真と記事がありました。本当にネット上には何でもありますね。改めて感嘆! しかし、これでは若い人たちが書物にあたって自分で調べようとはしなくなっても当然ですね。かく言う私も、研究しようなどとは思っていないのでネットで得た知識でも十分です。それも交えての整理です。昆虫の翅は4枚が普通ですが、ハエやハチの類は後翅が退化しているので翅は2枚です。だから双翅目(そうしもく)と呼ばれます。ところがこのハエは白い翅が後翅として残っているのです。他の昆虫などに寄生するヤドリバエ(寄生蠅)というハエの1種らしいのですが、少なくても和名はまだつけられていないようです。こんなのを研究する気になれば「昆虫博士」も夢ではないですが、、、。

2015年2月4日(水)

 昨日も河口へ鳥撮りに行ったのですが、午後ちょっとの間、また河口へ行ってみました。今日は正に春立つ日で温かくてよかったのですが、他にも外で用事があったのでまた長居はできませんでした。目当ての鳥もまた見あたりませんでしたが、こんなに鳥が集まっていて近くで見られるところは他にはそうないと思います。野鳥にあまり興味のない人にもぜひ見て欲しい風景です。手前の浜は歩いて行けるところです。浮かんでいるのはヒドリガモ(緋鳥鴨)、砂の島になったところにいるのはウミネコ(海猫)・セグロカモメ(背黒鴎)・カワウ(川鵜)などです。その向こうは泉佐野から関西空港への鉄橋ですが、望遠レンズなのでかなり近くに見えています。実際は島までの何十倍もの距離があります。橋の下で左の方に見えているところは大阪市だと思います。左に振れば空港もすぐ近くに見えます。「遠くの方も機会があればぜひお出でください」といいたい場所です

2015年2月3日(火)

 相変わらずの寒さですが、今日も風はあまりなかったので久し振りに河口へ出かけてみました。ちょっと変わった鳥が来ているという情報をもらったからでもあります。鳥撮りは誰もいませんでしたが、鳥の方も残念ながら目的のものは見付けられませんでした。川の方を歩いていると浅瀬にイカルチドリ(斑鳩千鳥)が1羽いました。スズメより少し大きいくらいです。図鑑には「干潟や海岸には出ることが少ない」と書いてありますが、ここではそう珍しくはありません。白い首輪が目立ちますが、前向きだと額の黒も目立ちます。少し小さなコチドリ(小千鳥)もよく似ていますが、目のリングがあまり目立たないのと脚の色が違います。これくらいの大きさのチドリは他にもシロチドリ(白千鳥)やメダイチドリ(目大千鳥)もいます。ここらの違いは何とかわかるようになりましたが、識別するのは楽しくもあり、やっかいでもありです。

2015年2月2日(月)

 昼間は家に籠っていましたが、夜は出かけねばなりませんでした。風はあまりなくて助かりましたが、集まったところでも欠席の人もいて風邪を引いていない人の方が少ないくらいでした。私も先週はぶり返していました。気分はよくなって来ましたが、寒さが去ってくれないといつまでもこのままのような気がしています。帰ってから久しぶりでロフトから眺めた夜景を撮ってみました。星は全く見えませんが、大阪湾の夜景はきれいでした。関西国際空港の飛行機も無事発着しているのが見られますが、あの人の「いい恰好しい」でこれからは海外旅行も気楽にはできない国になってしまったのではないでしょうか。2人の命を救えなかったことが国民全部を危険に陥れてしまったことになったのではないでしょうか。まだ切実感はないとしても、暗雲が垂れ込めている感じは否めません。

2015年2月1日(日)

 以前にも載せたような気はするのですが、駐輪場の変な日本語です。恐らくこの状態で10年やそこらは経っているのではないかと思います。買い物をしない時でも近くを通ったら見に行ってますが、一向に変化なしです。看板屋に責任があるのでしょうし、これでも意味はわかるし、誰かが迷惑するわけでもありません。店の人だってこんなところの字なんて見てないし、見ても気が付いていないのでしょう。でも、噂ではこの店は客がだんだん減っているとか。それはこんなこととは関係ないでしょうが、こんなことも気にしない経営感覚は少しは影響があるのかも知れません。