2016年 1月31日(日)

 まるで春がやって来たような天気で、「早春賦」が口をついて出て来ました。屋内で過ごすにはあまりにももったいないので、午後は田んぼから海の方へ散歩に行きました。大阪湾もまるで「春の海」でした。海辺にある知人の家にも久しぶりで寄って来ました。地元の人で何代もそこで暮らして来た家です。写真はそこの庭からの夕方の眺めです。この市は海辺にも幼稚園があるのですが、他の幼稚園・保育園も耐震工事が済んでいないし老朽化もしているというので、撤退した量販店の建物と敷地に市内の全ての幼稚園・保育園を集めて「総合子ども館」なるものを造るということが多くの市民には寝耳に水のように発表されました。午前中はその説明会が私が住んでいる山手の住宅地でありました。この地区には山の上の幼稚園が現存で既に耐震工事は終わっています。それさえ、放棄して1ヵ所に集めようというのはどういうことでしょう。疑問を糺したかったのですが、あてられませんでした。自然豊かな市」だと自慢していますが、その場所たるや最も自然が破壊されている場所でもあります。現存のところを全て放棄して新しい土地を求めて新しい建物を建てる場合と量販店の建物と跡地を改修する費用と比較して集める方が格段に安くつくとの説明でもありました。既存のものはすべて木造で平屋建てですから、耐震改修工事をしても大した費用ではないでしょう。訪問したお宅は風はよくあたるそうですが、台風の時でも地震の時でも波や潮が家の敷地まで来たことはないとのことでした。幼稚園にいるのは昼間の僅かな時間です。地震に耐えられればたとへ津浪が来たとしても逃げる余裕はあるはずです。集中させれば経済効果は高まるかも知れませんが、教育効果はそれに反比例して下がることには思いが至らない市のようです。この案は住民のためなのでしょうか。

2016年 1月30日(土)

 私の部屋は2階ですが、部屋の内外に鉢植えのものがそこそこあります。枯れない程度に水はやりますが、ほとんどほったらかしです。見かねる状態になれば手を入れますが、それまでは己の力で生きています。そもそも小まめに世話をするのは得意ではありません。ほったらかしはシンビジウムもです。外に置きっぱなしでも -5℃くらいまで大丈夫なようです。手間のかからない蘭です。元の株はもう半世紀も前にもらったものですが、代が変わりながらも消えずにあります。数年前に古株も目立って来たし、鉢からあふれるほどになったので何度目かの株分けをしました。それで、株が小さくなり過ぎてここ数年は蕾を付けませんでした。ところが、1鉢に蕾が付いていました。1週間前に外の気温が昼間でも零度以下になったので、その鉢を部屋の中に入れていたら花が咲き始めました。ほったらかしでは見事な咲きっぷりというわけにはいきませんが、私にはこれで十分です。花言葉も「素朴」だそうで、それも好みというところです。

2016年 1月29日(金)

 一日中シトシトと雨が降っていたし、出かける予定もない日だったので、久しぶりにノンビリした気分で過ごせました。イギリスで見られる白鳥の種について調べていて、ずっと以前 (2004年)に湖水地方で撮ったのがあることを思い出しました。コブハクチョウでした。日本でも暖かい地方ではハクチョウは珍しい鳥ですが、オオハクチョウ(大白鳥)やコハクチョウ(小白鳥)はイギリスでも冬鳥で南の方ではなかなか見られないようです。しかし、このコブハクチョウ=Mute Swan(mute=無言の)は留鳥で全土で見られるようです。あまり鳴かないのでこんな名前です。オオハクチョウは Whooper Swan、コハクチョウは Bewick's Swan ですが、この2種の鳴き声はよく聞かれるようです。日本で見られる白鳥は主にこの2種です。コブハクチョウは日本には渡って来ない種です。しかし、城の堀や遊園地の池などで飼われていたり、逃げ出したものが野生化したものが各地で見られます。ところで、この写真はまだデジカメでなかった時のものですが、野鳥にもそれほど興味を持っていない時でもありました。今だったら、コブハクチョウの右にいるのはカワアイサ(川秋沙。ウミアイサのようにも見えますが、冠羽のように見えるのは波だと思います)のようです。今だったらこちらにピントを合わせて枚数を気にすることなく撮っていたことでしょう。

2016年 1月28日(木)

 幼い子どもたちの悲劇がまだ続いているようです。睨んだと言って虐待の上に殺されたり、親の留守に焼死したり。心の寒さはまだまだ続きそうですが、気温の寒さは緩みました。しかし、PM2.5の襲来とはありがたくないことです。一人っ子政策を廃止した隣国ですが、環境汚染も早急に手を打たないともっと大変なことになるでしょうに。明日は雨になりそうなので夕方少し歩いて来ました。枯れ枝に止まっている鳥たちが目に入りました。どうやらホオジロのようです。いい声で鳴くのはまだ先ですが、「一筆啓上仕り候」とか「源平ツツジ白ツツジ」という鳴き成しをされています。ツツジの方はともかく、「一筆啓上」などという言葉で手紙を書く人はもやはいないでしょうから、こちらはもう死語でしょう。現代的な鳴き成しが必要かも知れません。今度声を聞いたら考えてみようと思います。

2016年 1月27日(水)

 今度は寒波の被害が南の県で起こっていますが、いつものことながらこの地方はほんとうに自然災害が少ないところだと思います。しかし、こんなところも過去には思いがけない大災害があったし、今はどこで何が起こるかわからない時代でもあります。用心は怠らないようにしたいと思います。仕事はしてませんが、月1回の講座をいくつかやっています。その一番長くやっているグループの日でした。大学で教えたことはありませんが、レベルは高校生の域は超えています。ぶっつけ本番で私が用意した教材で約2時間、英語の訓練をしています。「英会話は教えません」が私のモットーですが、音は重視していますし、ちょっとハードな訓練もします。しかし、学校のように予習の必要はないし、宿題もありません。その時間だけ楽しめば、あるいは苦しめばいいだけです。以前には覗きに来ても恐れをなしてか、次からは来ない人が多かったのですが、何故か最近は参加者が増えています。最初は苦しくてもその時間だけのことなのと、日本語でもお喋りもかなり自由なのも続いている理由かも知れません。「続くかな」と思っていた人もいますが、その人は驚くほど力をつけました。学校で教えるのも嫌ではありませんでしたが、私にとっても今やいい刺激で楽しい2時間になっています。今日はそのグループの昼食会の日でもありました。「創作中華料理」のレストランへ行きました。別のグループで以前にも行ったところですが、まるで和食のような中華料理が出て来ます。目でも舌でも満足な品々でした。

2016年 1月26日(火)

 午前中は割と暖かくなって、今度の寒波ももう終わ年かと思っていました。でも、午後、出かけて帰りにはまた寒さが戻っていました。こんな急激な変化に付いて行くのはなかなか難しいのですが、それは人間ばかりではありません。庭のキーウィが暖かさが続いていたので新しい葉を出ていましたが、今回の寒さですっかり枯れてしまいました。他の植物も動物もなかなか大変なことでしょう。よく通る道の土手がきれいに焼かれています。この土手の上が散歩道の1つにもなっていますが、一時は葛や他の植物が蔓延って歩くのも困難になっていました。このようにちゃんと管理してくれる人がいることはありがたいことです。植物も人間の助けがないと生きられないものもあります。ちょっと殺風景ではありますが、こうして春を待てるのはありがたいことです

2016年 1月25日(月)

 今朝はかなりの積雪を予想していましたが、見事に外れました。昨夕積った雪もほとんど融けていました。しかし、池には氷が張っていました。この寒さのせいもあってか、またかというバスの事故が起こっています。友人がこんな写真を見つけたと送って来ました。『世界』という雑誌の1960年の7月号だそうです。「記事を読んでみると、現内閣のやり方があまりにも当時の内閣に生き写しの姿に驚き、感心?もしています」と添えられた手紙にありました。「感心」ではなく「寒心」でしょう。この時の首相は退陣せざるをえず、後と継いだ首相の指導による高度経済成長が始まりました。あの当時は学生であった私も連日のようにデモに行きましたが、今はあまりにも静かです。また、後を継いでこの国の経済を建て直す政治家の姿も見えそうにありません。掛け声だけで、このままずるずると沈んで行くのでしょうか。本当にお寒い限りです。

2016年 1月24日(日)

 とうとう昼間の外気温が0℃を下回りました。少し話したいことができて、午後は散歩を兼ねて知人の家に行きました。行く時も雪がチラついてはいましたが、30分ほどお邪魔して出て来ると白銀の世界になっていて驚きました。2年ぶりの積雪でしょうか。ところで、1848年の今日は現在のカルフォルニア州のコロマで水車工事をしていた大工のジェイムズ・マーシャル ( James Wilson Marshall) という人が金を発見した日です。そのニュースがたちまち広がって、翌1849年には一攫千金を夢見た人びとが押し寄せました。その人たちを フォーティ・ナイナー(forty-niner= 49 er = 49年の人)といいます。その1人の娘がクレメンタインだったわけです。歌詞の前半と靴のサイズの変換表を載せておきます。実は、その 49 er の中に1人の日本人がいました。ジョン万次郎です。彼はアメリカで短いながらも教育を受け、既に捕鯨船に乗り組んで大きな働きをしていました。その航海の途中で日本の近くへも来ましたが、鎖国中の日本に立ち寄ることは許されません。それでも望郷の念耐えがたく、帰国の資金を作るために金堀に出かけたのです。彼が生まれたのは足摺岬も近い中ノ浜というところですが、漁船に乗り組んで船出をしたのは現在の土佐市の宇佐というところです。そして、帰国後も一時身を預けられていたのも宇佐です。ハワイから彼と一緒に戻って来た宇佐の漁師2人の墓もここにあります。宇佐はローマ字で書くと USA。奇縁というべきでしょうか。

2016年 1月23日(土)

 今日は雪かと思っていましたが、濡れるほどの雨も降りませんでした。でも、かなりの寒さではありました。よく前は通っているのですが、一度も入ったことがなかった喫茶店で「フォークソング喫茶シングアウト」というのがあると耳に入ったので行ってみました。時間前でしたが、既に来ている人の中に顔見知りが何人かいて声を掛けられました。昔の若者たち8人のバンドが音合わせをしていました。「無料。但しワンドリンク制(コーヒー、紅茶280円です)」とチラシに書いてありました。えらく安いなと思っていたら、紅茶は400円でした。客はあまり増えず10人ほどでしたが、渡された2冊の歌詞集からリクエストなども受けながらバンド演奏で歌が始まりました。しかし、ヴォーカルが2人いてマイクを通して歌うので、自分の声も他の客の声もあまり聞こえませんでした。バンドのみなさんの演奏に付き合わされている感じでした。自分たちも楽しみながら参加者も楽しませることは、何によらず難しいものだと思いました。今日の歌ではありませんが『雪山賛歌』の元歌で気になっていることがあったので、帰って来てから確認してみました。ヒロインのクレメンタインの「靴のNo.9というのは23cmくらいだ」と主張する人に出会いました。1インチ=2.54cmで計算するとそうなるのですが、それでは普通の足の大きさです。念のために調べてみたらアメリカの女性の靴は普通は8.5までしかないようです。8.5は日本のサイズでは26です。No.9は26.5くらいでしょう。「彼女は妖精のように軽くて、靴のサイズはNo.9。蓋のないニシンの箱がサンダルだ」というのは、「体は小さいけれど大足すぎて履ける靴がなかった」ということです。最後は「クレメンタインが死んで寂しかったけれど、彼女の妹にキスしたら彼女のことは忘れてしまった」と結ばれています。この歌の内容は悲しいことですが、パロディ化されているので歌い方も滑稽になっているというわけです。

2016年 1月22日(金)

 結構寒い日が続くようになりましたが、明日はまだ寒くなって西日本でも雪になりそうだとか。暖冬ではなくて、1ヵ月ほど季節がずれた感じもします。午後はまた散歩に出ました。久し振りにアオジ(青鵐)に会いたくなって、しばらく行ってなかったところへ向かいました。しかし、そこは車も通らず舗装もされていない谷底の小道なので多くの人たちの散歩道になっています。アオジらしい姿は時々見るのですが、人が近づいて来てすぐに薮にかくれます。はっきりした姿は見ずに終わりそうでしたが、途中から引き返してみました。そしてやっと道に出て来たところが撮れました。2羽いたのですが、少し離れていたし、こちらからの距離も遠かったので1羽しか撮れませんでした。これはどうやらメスのようです。大きさはスズメ大。藁雀とも書きます。英語で Black-faced Bunting というとおりオスは顔の黒い部分が多くて小さいながら精悍な感じがします。何とか目的は達した散歩でした。

2016年 1月21日(木)

 今日も大型バスの事故が報告されていました。来る日も来る日も。というのはどういうことでしょうか。そして、長野の事故車ではギアがニュートラルになっていたとか。プロの運転手がエンジンブレーキを知らず、下り坂でフットブレーキを使い続けていたのでしょうか。そんなことはありえないと思いたいのですが、フットブレーキとは何なのかを知らずに運転している人もかなりいるようです。私が車を手放す前に、ずっと気になっていた山の頂上まで1人で車で行ったことがありました。車で行けることは知っていたからですが、対向車が来たらどうしようかと思うような道でした。幸い、対向車はなくて心配は杞憂に終わりました。下山して親しい自動車修理店に寄って、その話をしたら褒められました。「友達がそこへ登って、下りにブレーキが効かなくなって助けに行ったことがある」とのことでした。また、平地ですが「エンジンブレーキにしてたのに車が止まらなかった」なんてことを言ってた人もいました。自動車学校でもっと徹底的に命を守る運転の仕方を教え込んでおくべきでしょう。今日は締切に追われてパソコンの前に長時間坐りっぱなしでしたが、午後の散歩には出ました。寒さは続いていますが、風がなかったので楽でした。またイソヒヨドリに出会いました。昨日よりは遠くでしたが、今日のはオスでした。ここに長い間いたようで、新しい屋根が糞でかなり汚されていました。家主が知ったら追い飛ばすところだったでしょう。

 

2016年 1月20日(水)

 幸い事なきを得たのもありますが、バス事故が続発しているのはどうしたことでしょう。この寒さのせいではなさそうです。今日は時折日があたって昨日よりは少し寒さが緩んだかな、という日でした。近所の会員の家で会報誌の編集会議があったので歩いて出かけていると、目の前の家にイソヒヨドリが飛んで来ました。生憎カメラをカバンの中に入れていましたが、取りだしてもまだ間に合いました。以前には名前のとおり磯の岩場にいたのでしょうが、最近は身近でよく見かける鳥になりました。まだ野鳥の名前をろくに知らないころでしたが、その時も親しい人の家に歩いて行っている時でした。すぐ目の前の杭に青いきれいな鳥が止まっているところに行きかかりました。生憎カメラを持ってなかったので悔しい思いをしました。それがイソヒヨドリの♂でした。それ以来、外出する時はカメラを手放さないことになりました。去年、我が家に初めてツバメが巣をしましたが、6個産んでいた卵が1夜にして無くなりました。犯人(犯鳥)はイソヒヨドリかと疑ってはいるのですが、そんなきっかけを与えてくれた鳥えもあり、暑い時に涼しげな声を聞かせてくれるので憎からず思っている鳥です。

2016年 1月19日(火)

 朝から雪もチラついて昨日よりも一段と寒くなって、これぞ冬という感じです。この寒さはしばらく続きそうで、個人的には嫌ですが、いろいろな面で喜ばしいことが多いでしょう。先日の雷蔵寺の入り口の模様です。観音様は満願観音だそうです。積水ハイムは工事人の住居にあてられているようです。古くからある神社も大切にしているようですし、ここに新しい寺ができても悪くはないと思います。少なくても、この市の新しい名物にはなるでしょう。何の縁もなかったところに新しい土地を手に入れるには古の神のお告げがあったそうですが、由緒ある神社のすぐ近くでもあり、なぜここが選ばれたのかは気になるところです。また、次々と新しい像や建物が追加されています。ここまで来たら、この地にうまく溶け込んでくれたらいいのですが、、、。

2016年 1月18日(月)

 今冬一番の寒さがやって来ました。大雪に見舞われたところもあるようですが、こちらは朝の雨も昼前に止んでしまいました。スキーバスの事故も詳しくわかればわかるほど、過去の事故の反省も全く活かされていない信じられないほどの無責任さです。このところの一連の事件・事故すべてが、あまりにも目先の利益に走り過ぎて絶対に守るべきことが疎かにされてのことではないでしょうか。教育の問題でもそうで、最近は目先のことばかり考えて経済効率を優先しすぎています。それは教育の目的に沿うことでしょうか。行政はすぐ統合したがりますが、私の体験では教育の場が大規模になれば弊害の方が多くなります。今日は昼食会があって出かけましたが、そんな場ではなかったのにこの市の教育の問題が話題になりました。かつては学力でもかなりの高さを誇っていたこの市の小中学校はもうその面影もなさそうです。学術の世界から芸能界まで現在活躍している人たちがかなりいるのですが、これからはそんな人財もあまり育たないのではないかと私は思っています。写真は私の部屋のロフトからの北の眺めです。夜は風が強くなって更に寒くなりましたが、また出かけていました。電車にも乗りましたが、万歩計を見たら昼との合計で16000歩を超えていました。

2016年 1月17日(日)

 午後は天気が怪しくなって来ましたが、また出かけていました。最近、気になっているところがありました。国道脇の山裾が切り開かれて石の大きな観音像や石柱などが出現していました。「こんなところに寺があったかな」と思いながら、いつもは通り過ぎていました。まだ工事中のようですが人影はありませんでした。大きな道もできているので登って行ってみました。寺のようではありますが、ちょっと変わった石像や建物がいくつもありましたが、鳥居もあったりで、神社のようでもあります。ともかく行けるところまで登って行ってみました。するとこんな神社がありました。白蛇が祀られているようです。誰にも会うことなく下りて来ましたが、実は入り口に大きな自然石の柱が建てられていて「真佛宗住吉山雷蔵寺」と彫られていました。そして「チベット密教」という文字も見えました。そんなことを手掛かりに調べてみると、真佛宗とは「道教・密教・顕教を融合した台湾独自の新興宗教」だとのこと。雷蔵寺のホームページが既にあって、その中に次のようなことが書かれていました。「頂上にはこの地に生息していたと言われる白蛇を御神体に祀る白長大神、吉高大明神、豊美大善神の三体が合祀され、下方には福徳地藏尊がお祀りされている。この聖地は百年余りの間に度々所有者が変わり、その都度景勝地として住宅建設等の施工を試みたが、目的を果たすことが出来なかった。何をか況や、白長大神福徳地藏尊の力によってこの聖地を如何なる人といえども侵すこと無きよう守られ、一日も早く雷藏寺が建立されることを待っておられたのであります」。住職は台湾生まれの女性のようで、続けて次のようにも書かれています。「この日、奇しくも三神と地藏尊の守護者であられた白髪の老人が現れ、百数拾年前からの聖地にまつわる古文書数点を差し出し、今後の祭祀を依頼され、『先生のようなお方が何故もっと早く来られなかったのか。八拾数年お待ちしておりました』と告げ、この聖地を平成拾二年五月拾八日入手するに至った。雷藏寺の建立こそ、日本国内はもとより、世界各国から参詣され、阪南市の發展にも大きく寄与するものと思います。一日も早く雷藏寺が建立できますよう日々精進致します」。

2016年 1月16日(土)

 昨日もそうでしたが、今日もまた真冬らしくない天気でした。今日はパソコン操作に駆り出されたおかげで町興しでかなり興味のある話を聞けましたが、昨日の神事で書き落としたことがあるので忘れないうちに載せておきます。全くといっていいほど知識がなくて出かけたのですが、「粥占い」ではなく「粥占(かゆうら)」というようです。大阪府では東大阪市の枚岡神社の粥占神事が府の民俗文化財になっていて有名なようです。そこでは竹筒に入った粥で占うことは秘儀になっているとのことす。私が行ったのは泉南市の男神社(おのじんじゃ)で、ここでは「御管式(おくだしき)」というそうです。この神社は大阪湾を「茅渟(ちぬ)の海」と呼ぶことに縁の深い古い神社なのですが、儀式は開放的でした。粥炊きも屋外でしたし、竹筒を割って粥の量を見るのも公開でした。その前に白木の板の上に燠(おき)を12個(12ヵ月分)並べて白黒の割合を言ってました。これで各月の作況を判断するようです。枚岡神社のは黒樫の燠でやられるようですが、こちらのは特別なものではありませんでした。また粥も枚岡神社は小豆粥だそうですが、こちらは白粥でした。参拝者にふるまわれる粥が使い捨ての容器でなかったのも私にはうれしいことでした。そのお粥をいただきながら、氏子の1人と話しながら戴くことができました。見物客目当てではないこんな素朴なままの儀式がいいと思いました。

 

2016年 1月15日(金)

 昨日、やり残したことがあったので午後はまた出かけました。ところが、行った先からあまり遠くない神社で「粥占い」が行われると聞いてそちらへ。何だかひっそりとしていました。由緒ある神社の行事なのでそこそこ多くの見物客を期待していましたが、神職と法被を着た氏子7人で神事が行われているところでした。他にはビデオ撮りをしている1人のだけ。後で氏子の1人に聞いたところでは、いつもひっそりと行われているとのことでした。用意された釜の中に直径1cmくらいで長さ10cmくらいの竹筒が60本ほど束ねて入れてありました。釜の下の火が勢いよく燃えだしましたが、ピンという音が。地面に水が出て来ました。何と、釜が割れるという珍事でした。予備の釜を取りだして来て移し替えて続けられました。湯が沸騰して粥が竹筒の中に入る状態がしばらく続いてから竹筒が取りだされました。竹筒には作物の名前が書かれていて、氏子の人たちが交代で筒を割って中に入っている粥の量を報告して記録。「大根6割」とかいうふうに。柑橘類のできがいいような占いでした。それが終わると釜の中の粥がふるまわれました。氏子ではないので遠慮してましたが、「食べて行って」と言ってくれたのでご馳走になりました。具は何も入っていませんでしたが、結構いい味でした。体も少し冷えていたし、何だか幸せな気分になりました。

2016年 1月14日(木)

 かつては安全な国だったトルコやインドネシアでもテロ事件。だんだんと安全な国が減って来ます。まだ安全と言える日本では廃棄処分されたはずの食品がスーパーで出回っていたとは。期限切れの品ならまだ食べても安全でしょうが、異物混入の恐れがあった有名カレーだとか。日本の企業の良心はどこへ行ってしまったのでしょう。お寒い限りですが、気温もこれぞ冬という寒さになりました。頼まれていたことがあって今日も午後は出かけていました。よく通る小さな踏切の傍に小さな地蔵さんがあるのに初めて気が着きました。いつもは「電車が来ないうちに」と思ってサッと行ってしまうので目に入らなかったようです。ここでもかつて事故があったのでしょうか。気の毒なことですが、この地蔵さんは雨には濡れないようになっていますし、椿の花が飾られていました。ここにも毎日ちゃんと世話をしている人がいるようです。まだまだ日本人の心のやさしさを感じます。かの人がいうような戦争も平気な「普通の国」にはなった欲しくないものです。

2016年 1月13日(水)

 個人的にはうれしくないのですが、やっと本格的な冬がやって来たようです。あまりにも遅い冬の到来はやはりいろいろよくない影響が出そうで心配です。すでに春が近いと芽を出していたり花まで咲かせている植物たちもどうなるのでしょう。植物ではないのですが、気になるものが近所の散歩コースにあります。道からはちょっと離れた斜面にあるのですが、何度も見ていたのに気にしていませんでした。よく見ると特別な目的があった加工品であることがわかります。思いつくのは子どものころに家にもあった台唐臼(だいがらうす)です。手ではなくて足で踏んで餅などを搗く石臼です。これも消え去った村の住民がかつて使っていたものかも知れません。そう思うと、りっぱな文化財ではないでしょうか。

2016年 1月 12日(火)

 今日もまずまずの天気でした。いつもなら自転車で行くところを月1回の爺さんばかりの「素的歩き」。電車の駅の2駅半くらいの範囲でしたが、それぞれ由緒のある神社を大小6箇所巡ったことになりました。しかし、ハイライトはやはりこの滝。市内の人も3人いましたが、誰も知らなかったところでした。写真を予め送っていたのですが、「小さな滝を大きく見えるように写したのだろう」と言っていたとか。これが平地の地面より低いところにあるのですから、来たら誰でも驚きます。今日は人物を入れて撮ったので、滝の高さもわかると思います。海にも近いところです。全国的に見てもこんなところのこの規模の滝は珍しいのではないでしょうか。ここから海辺に出ましたが、淡路島も明石大橋も空港の向こうの六甲の山々もよく見えていました。海辺を歩いて帰って来ましたが、距離は15kmほどだったでしょうか。舗装道路が多かったので足腰はかなり疲れましたが、よく知っているはずの私にも発見があった「素的歩き」でした。

2016年 1月11日(月)

 また成人式が荒れだしました。あのような成人式のどこに意義があるのでしょう。そのエネルギーをもっと建設的な力に使う知恵がなぜ持てないのでしょう。ところで、私は成人式を知りません。高校の卒業式にも出ませんでした。それぞれ理由があってのことですが、儀式はあまり好きではないので残念だとも思ったことはありません。今日もまずまずの天気でしたので、午後はちょっと気になっていた喫茶店まで行って来ました。市内の外れにあってずっと以前に行ったことはあったのですが、最近は入ったことがありませんでした。「今日のコーヒー」というのを勧められたのですが、紅茶があったので飲んでみました。残念ながらここもコーヒーには拘っていて種類も多いのですが、紅茶はダメでした。でも、この店の売りは名前からして「音」です。入ったところにジュークボックスが置いてあって、それが作動しているようでした。ところが出ている音はジュークボックスにしては良すぎます。音の出所を探してみると、大きな Altec のスピーカーから出ていました。それに上の方からも聞こえて来ます。勘定を払う時に聞いてみました。音源はやはりジュークボックスだとのことでしたが、CDが使えるように改造してあるとのことでした。そして真空管アンプを通じてスピーカーに送っているとのことでした。JBLのスピーカーも置いてあり、鳴らしわけたりして聞かせてくれました。レコードもかけてくれそうなので近いうちにまった行ってみようと思っています。

2016年 1月 10日(日)

 やっと冬らしくなりましたが、まだそれほどの寒さではありません。夕方の西の空には黒い雲があって夕焼けにはなりそうにありませんでしたが、こんなきれいな「縁取り」が出来ていました。縁取りというより「裏打ち」でしょうか。雲の向こう側には太陽があって輝いているわけで、それが縁取りになってこちらから見えているわけです。こんな雲を見るとすぐ頭に浮かぶのが Every cloud has a silver lining. 「すべての雲に銀色の裏打ちがある」という諺です。「苦あれば楽あり」と辞書では訳されています。今日のは silver どころか golden ではないでしょうか。日本は自殺の多さでは世界有数の国になっているようですが、子どもたちもかなりの数を占めているのではないでしょうか。今年になってからも悲しいニュースが伝わって来ました。「楽しいどころか苦しみばかりの学校へ明日も行かねばならないかと思うと死んだ方がましだ」と思うのでしょう。そんな子どもたちは読書をあまりしないのではないかと言われています。同じような悩みを抱いていた人たちが今は幸せに生きているということがその種の本を読めばわかるでしょう。苛められる辛さもある時期だけだということを知るでしょう。ゲーム機やスマホではそんなことは学べません。もし屋上に行ったのなら、飛び降りに前に下ばかり見ずに、そこに寝転んで空を眺めてみたらいいのにと思います。かく言う私もそんな経験はあります。もっとも、自殺しようと思うほどは追い込まれていませんでしたが、来る日も来る日も憂鬱だったことがあります。そこで、ある日、誰もいない山の方に行って寝転んで空を見ていたことがあります。まだ夕方にはなっていなかったので、青い空を背景に雲が流れている様子を見ていました。するとなぜか心の雲が晴れて「楽しく生きねば損だ」という気になって来ました。それからは非常に前向きに生きられるようになりました。私が見ていたのは夕方の空ではなかったのですが、そんなこともあったので縁が輝いている雲を見ると先の諺がいつも浮かんできます。

2016年 1月 9日(土)

 「せんなん里海祭」があり、どんど焼の写真を撮ろうと出かけました。雲はあっても日があたって風もほとんどない状態でした。御陣乗太鼓の演奏があって組まれた竹の塔に日が点けられました。もうもうたる煙が上がって、それはそれで見応えがありましたが、期待した炎がなかなか見えません。少し風が出て集まっている人々を煙が襲いましたが、それでも炎はチラッと見えるだけでした。儀式が済んで人びとが解散して、塔が崩れてからやっと大きな炎が見られました。そんなわけでちょっと期待外れのどんど焼でした。他の催しをちょっと見たり聴いたりして昼過ぎに帰って来ましたが、途中でうれしいことがありました。家が近づいたところに携帯電話のかなり高い電波塔があるのですが、その上にいる鳥が目に入りました。チョウゲンボウ(長元坊)でした。この間、ハシボソガラス2羽に追われて逃げて行く姿を見ていましたが、やっとそのチョウゲンボウの写真を撮ることが出来ました。チョウゲンボウは小型で美しい鷹ですが、これはまだ幼鳥のようです。下の畑に出て来るネズミ類か小鳥を探しているのでしょう。もうちょっと粘っていたら見られたかもしれませんが、今日のところはこれで大満足でした。

2016年 1月 8日(金)

 やっと冬らしくなりました。午後は隣の市まで出かけたので久しぶりに関西空港がすぐそこに見える河口へちょっと寄りました。カモメたちが集合していて、時おり跳びあがって舞ってました。ウミネコ・セグロカモメ・ユリカモメが一団になっているようでした。別のところにはコガモやヒドリガモもいましたが、オオバンも1羽いました。珍しくはないのですが、ここで見たのは初めてのような気がします。三省堂だけかと思ったら、他の教科書会社も軒並みいいとは言えないことをしていたようですし、製薬会社も何十年にも渡って承認を得ていない薬剤の入った製品を出し続けていたとか。営利を求めねばならないとは言え、命や教育に携わる日本を支えて来た企業まで道を踏み外していたとは。企業にとっても冬の時代でしょうが、地道な努力で春を呼んで欲しいものです。

 

2016年 1月 7日(木)

 年賀状は何とか書き終わったのですが、また外での忙しさも戻って来ました。既に入っている予定もあるのですが、ちょっと余裕ができると嫌でないことは引き受けてしまうので、自縄自縛的になっています。「月1回だから」と引き受けたことが多くなって週によっては毎日になってしまっています。自分だけの目標としてやっていることがどんどん後回しになって行きます。基本的には嫌なことは引き受けないし、仕事ではない楽しいことばかりなのでイライラすることなどはありません。贅沢な悩みではあります。午後は「抒情歌をうたう会」の歌詞の編集を引き受けて、プロジェクターでそれを投影することを教えに行ってました。その歌詞の修正があって夜も時間を取られてしまいました。そんなわけで散歩はできませんでした。昼間はまだそう寒くはなかったのですが、夕方には気温も下がって来ました。部屋の窓から見ると冬空になっていました。個人的には寒いのは嫌いですが、冬はそこそこ寒くないと困るのでいいことです。でも政治や国際情勢での冬の到来は困ります。北朝鮮は水爆を作ったというし、中東紛争の争いは沈静化の気配も見えなくて難民は増えるばかり。それも大きな原因でヨーロッパの国々では右翼が台頭。アメリカの大統領候補でも超鷹派が人気を集めています。こんな冬は来て欲しくないのですが、、、。

2016年 1月 6日(水)

 明日は冬将軍の再来だそうですが、今日は終日曇天ながらまだ暖かでした。午後は自転車散歩でいくつかの神社巡りをして来ました。さすがにもう参詣している人はほとんどいません。しばらく行ってなかった滝も見て来ました。この滝は平地の田んぼの端にあります。その田んぼよりも低いところにあって普通では見えないので、市民でも見たことのある人は多くないと思います。名前の由来はわかりませんが、「遊来の滝」といいます。高さは10m足らずですが、小さな川で今日は特に水量も少なかったようです。でも、初めてだと「こんなところにこれほどの滝があるのか」と思うほどです。海にも近いところなので、なお驚きます。上に橋が見えますが、そこが田んぼと同じ高さです。本来はそこまで来て下りて来られるようになっているのですが、丁度工事をしていて道なき道を下流から回って行ったのでちょっと苦労しました。

 

2016年 1月 5日(火)

 今日は春霞がかかったような天気でいつも見ている淡路島などは全く姿を消していました。PM2.5でなければいいのですが。自国の民の命の問題でもあるし、他国にも迷惑をかけるこの問題は一刻も早く解消させて欲しいものです。オリンピックの時にはできていたのでやる気ならできないことはないと思うのですが。夜は外出する必要があったので、散歩には行きませんでしたので今日の写真ではありません。またセイタカシギですが、ごく近くから撮ったものです。池はフェンンスがありますが、通り道のすぐ下で休んでいました。目は空けていますが、安心しているようで1本脚で休んでいました。あまりにも近すぎたし、水面に映る邪魔物もあったのでわざわざ少し遠ざかって撮りました。羽の濃淡がわかると思います。図鑑によると手前がメスのようです。定住して繁殖してくれたらいいのですが。

2016年 1月 4日(月)

 官公庁の仕事始めだそうですが、私は年賀状書きをやっと終えました。国会も始まりましたが、閉会動議の声はユーモラスでいいのかも知れませんが、短時間で終わって高額の手当をもらえる議員たちには怨めしさを感じます。政活費なんてのも貰わずに活動している党もあるのですから、あんなものは早く廃止してもっと必要なところに回して欲しいものです。ところで、あまり見なくなっていたホシハジロ(星羽白)を最近はよく見るようになりました。先日の城の堀にも群で来ていました。あそこに通っていた頃は野鳥にそれほど関心がなかったので、冬にどんなカモたちが来ていたのか記憶にありません。野鳥の写真を撮り始めたころからホシハジロは見ていましたが、オスにばかり気を取られていてメスの姿は知りませんでした。写真を撮ろうと探していたのですが、オスは多いのに何故だかメスの数がどこでも少ないようです。やっと1羽見つけました。カモ類のメスの区別はなかなかやっかいですが、目のところを見れば間違わずにすみそうです。お昼寝タイムのようでオスたちは寝ていました。

2016年 1月 3日(日)

 今冬も超足長のセイタカシギ(背高鷸)が水の抜かれた溜池に来ています。国道のすぐ傍なんですが、カモたちもいろいろいます。セイタカシギは数年前まではこちらでは見られなかったし、全国的にも非常に珍しい鳥だったようです。でも今は東京湾などでは留鳥化していて繁殖もしているようです。とは言っても、こちらではまだまだかなり珍しいのです。これまでは1羽だけだったのですが、今回は2羽。いい傾向だと思います。手前のが羽の色が薄いので雌でしょうか。あまり人を恐れる風でもなく、岸のすぐ近くにもやって来ます。そして、何かに驚いたら池の中ほどに飛んで行きますが、また戻って来ます。かなりの枚数の写真を撮らせてくれたので飛び姿も撮りたいと思いましたが、うまくいきませんでした。

2016年 1月 2日(土)

元日2日目も穏やかな日でした。昨日、運動し過ぎたし年賀状書きもしなければいけないので散歩は休みでした。しかし、夕方は出かけて帰りはかなり遅くなりました。私はスポーツにはあまり縁がないように見られるようですが、テニスは40年近くやってましたし、バレーボールの監督も25年はやってました。10年間勤務していた高校でも趣味としてはテニスをやりながら、職務としてバレーボール部の顧問をやってました。そこの男女のバレー部の卒業生の4年に1回の同窓会があって呼ばれていました。顧問として関わっていた教師はたくさんいるのですが、呼ばれているのは私だけなので宴会は好きでなくても行かざるをえません。いや、喜んで行きました。でも、その学校に転勤すること自体が私の希望ではなかったのですし、着任したら望んでもいない男子バレーボール部の顧問にもさせられていました。私はプレーヤーとしての経験はありません。が、前々校では男女の部の顧問兼監督の経験があって全国大会とは行きませんでしたが、両方とも近畿大会には出場したことがありました。学校が変わってバレーボールとは縁が切れていたのですが、その時の事を知っていた体育教師がいたのです。そこで部別制になっていてその時は一番下の4部で低迷していた部の顧問にされていたのです。でも、中学校でかなり優秀だった選手が私と共に入って来たせいもあってトントン拍子(と言って2年かかります)で1部まで上りました。それでいい気になっていたら、今度は4部のままで低迷していた女子の顧問に変わるように言われました。一応は拒否したのですが、執拗にいわれるので「じゃ、両方やる」。そして、無謀にも「やるからには女子も1部にする」と宣言してしまいました。そして練習しているところへ行って「私のいうとおりにやるのなら顧問を引き受ける」と生徒たちに言いました。部員たちは躊躇なく「やります」という返事でした。そこで、「試合の時は仕方がないけど、日曜・祝日は練習してはいけない」と申し渡しました。短時間で能率を上げよというわけです。部員の数は足りていても背が高くてアタックができる選手は1人しかいない状態でした。そこで、戦術を授けたわけですが、私は実技はできません。できそうな選手を選んでやりかたを教えるのです。そしてできたら「そーら、できるだろう」と言うわけです。その後も背の高い選手はいませんでしたが、セッターには恵まれたこともあって、結果的には女子も1部にまで上げることができました。そして男女とも1部にいるという状況が生まれました。そいう状況は後にも先にもないようです。男子は賞状やトロフィーはいくつかありましたが、女子の方はそんなものは皆無でした。だから、実力はそれほどなかったと思うのに1部になれたのは不思議な気もしています。戦略勝ちというところでしょうか。クラブの顧問といっても名前だけの人も多いのですが、私は少なくも口出しはしてそれまで行われていなかった合宿もして、一応の成果はあげました。そういうわけで教師としてはただ1人呼ばれているのでしょう。密かな誇りでしたが、公表してしまいました。今日の写真はその学校の前にある城の夕陽です。同窓会の会場はこのすぐ近くでした。

2016年 1月 1日(金)

 いつもは初日の出も2階の自分の部屋からで済ませていますが、今朝はいい目覚めでだったので散歩に出かけました。結構いい眺めのところがありました。帰ったらもう年賀状が届いていました。年齢が高くなってくると「年賀状はやめた」と宣言される方もいますが、それは寂しいので私は暮に書くことはやめて新年になってからノンビリと書くことにしています。先輩の方々に先にいただくとちょっと気が引けてはいますが、お許しをいただいていることにしています。午後も実にいい天気だったので年賀状の印刷だけしておいて、自転車散歩で池・川・海を覗いて来ました。往復10kmほどでちょと疲れましたが、鳥たちとの出会いもあって十分に楽しめました。不信心者でまだ神社には詣でていませんが、元気でこういことができることを自然の神に感謝しています。今年も気ままに振る舞うと思いますが、ご寛容によろしくお願いします。

2015年12月31日(木)

 とうとう2015年も終わり。今年は風邪で寝正月のスタートでしたが、その後はまずまず元気で暮らせました。夕日を愛でて来たのですが、それは私自身も人生の晩年だからかも知れません、今日も親しい人の葬儀がありました。親しかった人たち、親しくはなくてもまだまだ生きていて欲しかった著名な方々もたくさん亡くなりました。2つも原子爆弾を落とされた戦争も、福島の原子力発電の事故も忘れたかのような方向転換もあった年で、そんなことに大きな警告を発していた方々も多く失ってしまいました。日本も世界も日の暮が近づいているような気もしますが、再登場して思うままにやっている点は彼を見倣って行動したいと思っています。今年中には完了したかった本の原稿の仕上げも年越しになってしまいました。新しい年の誕生日を迎えたらとうとう後期高齢者入りです。いくら遅くてもそれまでには仕上げるつもりです。勝手なボヤキも含めたフェイスブックを見ていただいた方々、ありがとうございました。新しい年もまたよろしくお願いします。いいお年をお迎えください。

 

2015年12月30日(水)

 夕方また散歩に出ましたが、まるで春の気分でした。とても12月末だとは思われません。残念ながら今日も期待の鳥には出会えずでした。どうも散歩に出る時間帯が悪いようです。久しぶりにずっと以前に鴛鴦がいた山の中の池に行ってみようとしましたが、そこに通じる道に「工事中 関係者以外立ち入り禁止」の看板。田んぼの方に戻って来るとここらでは珍しくはないのですがケリ(鳧)いました。この暖かさで彼らはもう巣をつくるところを物色中かも知れません。いつもの池も覗いたらコガモの数が増えていました。その後は近くの本屋へ行って来ました。昨日も行ったのですが、図書カードの磁気不良とのことで注文の本を受け取るのを延期していました。初めての体験ですが、そんな場合は封筒に入れて発売元に送ると新しいのを送ってくれるとか。本当は自分でやるべきだそうですが、「封筒を切らせているので送っておきます」ということで手間が省けました。現金で払ってもよかったのですが、家にもまだ図書カードがあったので出直すことにしていました。ちょっと立ち読みもして来ました。

2015年12月29日(火)

 今日も夕方、近所を少し散歩しました。実はまだいるという情報があって会いたいたち鳥がいるのですが、行く時間によるのかなかなか見つかりません。いつも覗く小さな池には今日もホシハジロとオオバンが1羽ずつ仲良く泳いだり潜ったりしていました。そして新しいのが3羽来ていました。コガモのメス1羽とオス2羽ようです。メスの1羽がこんな恰好をしていましたのがうまく撮れました。期待した鳥に出会えなかったので、ちょっと足を伸ばして昨日も行った浜辺の方へ行ってみました。そこでも鳥との出会いはなかったのですが、人との出会いがありました。DIYで拡張中の喫茶店の店主に伝えたいことがあったので行ってみました。工事はしていなかったので、入り口の戸を開けて話をしました。そのまま帰ろうとしましたが、「コーヒーでも」と誘われたので中に入りました。若い男女の先客ががいました。コーヒーを飲みながら更に店主と話をしていると、その1人は名前だけは聞いていた人だとわかりました。そこで名刺を交換。男性はグラフィックデザイナー、女性はダンスの振付師でした。2人とも遠くに住んでいるようですが、出身はこの市だとのこと。我が娘たちと同じくらいの年齢で同じ中学校でした。若い活気のある人と出会えたことは今日の特にうれしいことでした。

2015年12月28日(月)

 昨日の鷺は今朝、現地で仲間のTさんとKさんの2埋葬されました。そして3人で少しゴミ拾いもしました。こういう時も近くで畑作りをしているTさんが小屋に道具を置いているので助かります。帰りはその畑でよく育っている大根をもらって帰りました。かなり大きかったので我が家ではしばらく使えるでしょう。帰ったら、隣の家の訪問者が側溝に車の前輪を落として難儀をしていました。数人が助けてもどうにもならず、結局30分ほど後にJAFが来てくれて難なく脱出。何でもそれなりの道具があれば簡単です。JAFと言えば大学時代の友の1人が就職していたので思い出しますが、私は加入もせずお世話にもならずに車生活を終えました。夕方には散歩にも出ましたが、今日も夕焼けがきれいでした。電線に止まっているのはたぶんムクドリでしょう。彼らは嫌われ者になっていますが、こういう景色もいいものです。身の周りにもこんな美しい光景があるというのに、今度は友だちとの鬱憤を晴らすために祖父母を殺してしまった高校生が出現。人間としての感情は育まれてないのでしょうか。こんな光景を観ても感動しないのではないでしょうか。憶測でしかありませんが、幼児からバーチャルの世界に浸っていると人間らし感情は育たないのかも知れません。

2015年12月27日(日)
 北の方ではスキーがやっとできる状態になったそうですが、こちらの方はやっと少し冬らしくなったという程度。夕方、定期的に掃除をしている浜辺を覗いてみたら悲しい姿に出くわしました。堤防の上から見ていましたが、砂浜の中央部で少し大きめの白いものが目につきました。夏にバーベキューをした人たちが埋めたものが出て来たのかと思って行ってみると、、、。動物の死骸でした。最初はチワワのような小犬かと思いましたが、更に近づくと大型の鳥であることがわかりました。頭は潰れているようで血が固まったのか真っ黒でした。嘴も見当たりませんでしたが、脚の方は完全に残っていました。鳥が恐竜の先祖だというのも納得する脚です。いわゆるシラサギのようです。サギ類はよく見ていて写真も撮っていますが、こんなに間近で見たのは初めてです。しかも図鑑にも載っていない足の裏まで見られました。大きな吸盤のようなものがあります。これで湿った岩の上でも滑らずに歩けるのでしょう。色から判断するとコサギではないようです。羽が真っ白ではなく少し色がついているので、汚れではないとすればアマサギでしょうか。どうして命を失ったのか、また何故こんなところに横たわっているのか不思議です。日没も近かったし、今日のところはそのままにして帰って来ました。さて、どうしましょうか。

2015年12月26日(土)

 少し寒くはなりましたが、今日もまだ過ごしやすい日でした。湖北に出かけた時に、白いスズメがいるとのことでしたが、その時には見られませんでした。しかし、12月の初めのことだったのですが、もっと近くで見ていて写真も撮っていました。山里の民家の傍の木犀の木に止まっている集団の中にいました。もっと大きく撮ろうと思ったら飛んで行ってしまったのでそのままになっていましたが、ズズメの本を読んでいることもあって思い出して改めて写真を撮りだしてみました。残念ながら下の方にいるスズメにピンとが合っているで、はっきりしませんがスズメに間違いはないと思います。完全に白いのではなく頭は黒っぽいし、他のところにも色は残っています。読んでいる本では黒いスズメも報告されていますが、左の方には頭と頬の斑点が黒いのもいます。葉の影ではないと思うのですが、どうでしょうか。頭は葉の影の可能性も大ですが、頬の斑点の黒いのは違うでしょう。それはともかかく、メラニン色素の異常でどんな鳥にも時々異常が現れるようですが、昔から白いスズメは瑞鳥(瑞兆)と言われているそうです。

2015年12月25日(金)

 予報どおり天気は悪くなって来ましたが、昼間はまだ暖かでした。かつてはゴイサギのコロニーがあったり、他の鳥たちも集まっていて賑やかだった小さなた溜め池が近くにあります。もう農業用には使われなくなったようで、年中ほとんど水がありません。でも、雨の後などには少し水は増えていて少数ながら時々カモ類が来ています。小さな池でも道路から水面まではかなりの距離があるので見やすくはありません。今日はマガモの♂とカルガモ♀(だと思います)のペアが来ていました。平和な風景でいいのですが、こちらは困ることもあります。カモ類のオスはかなり違う色をしているので区別ができますが、メスとなるとよく似ているのがあってちょっと判断できない場合があります。彼らの間に雛が生まれるとハイブリッドあるいは混血ということになります。最近はそれががかなり増えているようです。そうなると私のような中途半端な鳥見は何だかわからなくてお手上げです。しかし、そんなこともちゃんと調べている人がいます。いい本が出ているのを知ったので買いたいのですが、同じ思いの人は多いようで手に入りませんでした。専門的な本としては予想以上の売れ行きだったようです。再版を待たねばしかたがありません。

2015年12月24日(木)

 午後からはまたいい天気になりましたが、暖かさ続きで黴が生えてしまうのではないかと心配していた干し柿が何とかそれらしくなって来ました。近所のTさんからいただいたので数は僅かですが、無精者の楽しみとしてはこれくらいでいいところです。クリスマス・イヴを楽しんでいる人も多いでしょうが、暗いニュースがありました。これからの人生だというのに、また2名の中学生が自らの命を絶ちました。関西電力が原子力発電を再開することに裁判所も後押しをしました。裁判官がそっくり変わっていたということですから、既定のことだったのかと疑いたくなります。安保法案またしかり。国民の目に見えないところで既に決まった方向にレールが敷かれている気がします。こんな不透明な社会が中学生たちの心も病ましているのではないでしょうか。クリスマスが過ぎると本格的な寒波が来るとのことですが、どうでしょうか。

2015年12月23日(水)
 天皇誕生日で天皇のお言葉が放送されましたが、日本を牛耳っているつもりの政治家たちに真摯に耳を傾けて欲しいお言葉でした。先の大戦の功罪を検証するという会議は外国メディアには非公開だというし、あの大事故のことを忘れたかののように原子力発電所も次々に復活させようとしています。やっぱり原子爆弾を作るために必要だからではないかと思ってしまいます。消費税を創設した時も、上げる時も、「福祉のため」と主張します。しかし、教育予算は削り、福祉・貧困対策は一時金のばら撒きでお茶を濁そうとしています。庶民はお真っ暗で、閉塞感をますます強めます。そうじ状況には英雄が待望されます。ナポレオンやヒットラーが出て来た情勢によく似て来たのではないでしょうか。ところで、この写真を今日の講座で見せたら女性だと思った人がほとんどでしたが、実は Percy Bysse Shelley というイギリス男性の詩人の肖像画です。馴染みがないと思われる人も「冬来たりなば春遠からじ」という言葉はご存知のはず。それは彼の ”Ode to the West Wind”(「西風に寄せる歌」)という詩の最後の1行 If Winter Comes can Spring be far behind? を訳したものです。普通の訳ではこれほど日本人の心に入りこまなかったのではないかと思います。あの名訳があってこそです。その訳者は確定できていませんが、かつては教科書にも登場していた上田敏ではないかとも言われています。この詩は結構ながくて難しいのですが、イギリス軍が Waterloo でナポレオン軍を破った戦争の後の政治不安の中で起こった1819年の「 Peterloo の大虐殺」を思って書かれたものではないかと言われています。長期にわたる失業問題や選挙権を求めるために集まっていた6万人~8万人の群衆を騎兵隊が攻撃した事件です。そんなこと、こんなこと、天皇のお言葉のように歴史から学ばねばならないことは政治家たちにはたくさんあるはずなんですが。「我が国は間違っていなかった」ということにしたいような会議にも思われます。

2015年12月22日(火)

 今日は冬至。庭に成っていたという柚子をたくさんもらったので、柚子湯に入ることが出来ました。そして、首を長くして待っていた直七もやって来ました。直七の名を初めて知ったのはもう何年も前なのですが、なかなか出会うことができませんでした。ボヤイていたら紹介してくれた I さんが会わせてくれました。直七といっても人ではありません。写真の上の方に並んでいる柑橘です。直七も無農薬だと思いますが、一緒に入れてくれていた生姜も無農薬のもの。両方ともたいへんうれしい贈り物です。高知県は柚子で名を売っている町がありますが、徳島でスダチと言っているものを酢蜜柑というのが普通です。柑橘類で料理に使うのはこの2種しか知らなかったのですが、直七という名のたいへんおいしい酢蜜柑が高知県の西の方にはあることを教えられたのです。でも、生産農家は少なくて高知県でも市場にはあまり出ませんので、私の故郷の村では手に入りません。村の人たちもほとんど知らないと思います。でも、私たちの仲間の中でも顔の広い I さんのところには生産者から毎年届くようです。今回は生姜と共にそのお裾分けにあずかったというわけです。しばらく楽しめます。

2015年12月21日(月)

 スズメが気になっています。減っていると言われていますが、それは町の家に巣をしなくなった、いやできなくなったからだろうと思っています。最近の住宅は巣をするような場所がない構造になっているからです。しかし、このあたりではちょっと歩いて田んぼの付近に行くとたくさんいますし、夕暮れには木の中にから鳴き声が聞こえています。でも、田んぼで雀脅しのテープが見られなくなったり、轟音が聞こえなくなったことから判断すると確かに減っているようでもあります。でも、ただそう思っているだけで、科学的に証明することはなかなか難しいことです。そこで、探してみたらこんな本が図書館にありました。ちゃんと調べている人はいるものです。手軽に読める本ですが、スズメについて知りたいことはだいたい出ています。今後はこれを元に自分でももっと注意して巣を探したり、観察してみようと思っています。

2015年12月20日(日)

 昼過ぎまでは家の中にいるのはもったいないようないい天気でしたが、午後3時頃には空はすっかり雲で覆われていました。かなり魅力的な催しのお誘いもあったのですが、何とか年内に仕上げたいことがなかなか進まず籠っていました。今日の昼食はちょっと珍しいうどんでした。名古屋のきしめんも霞んでしまうほどの幅の広さです。こんなうどんは初めて。桐生の名物で「ひもうどん」というだそうです。私には数少ないお歳暮にいただいたものです。これなどは序の口で幅が10cmを越すものもあって、長いというよりは正方形に近いのもあるとのこと。腰が強くてなかなかいい味でした。午後も籠っていましたが、パソコンの前に坐りっぱなしでは目にも体にも悪いのでまた少し散歩には行きました。雲の隙間からの夕陽の光が昨日とは違うきれいさでした。

2015年12月19日(土)

 午後は久しぶりで歴史の講座を聴講してちょっと学生気分に戻りました。その後に気になっていた人たち宛の礼状や挨拶状をやっと書き終えました。普通はパソコンのメールですませているので、ハガキや手紙を書かねばならない時はちょっと決心が必要です。夕方になっていたので近くのポストに投函しようかと思いましたが、少しでも早く届くようにという思いと運動を兼ねて自転車で10分ほどの本局まで行って来ました。帰りは西向きに走るので、嫌でも夕陽が目に入ります。夕陽を見ながら帰ることは冬でも楽しい気分です。今日は雲が多かったので眩しくもなく、ちょっと変わった光の様子が見られました。この市で眺める夕陽は何故かほとんどどこからでもいい光景になります。西の方の空気がきれいだからかも知れません。いつまでもそうあって欲しいものです。

2015年12月18日(金)

 あまり日はあたりませんでしたが、寒さもそれほど厳しくはありませんでした。普段はあまり使わない電話を朝からよく掛けた日でした。そしてパソコンの前にも長時間坐っていたので、夕方少しだけ近所を歩いて来ました。小さな溜池を覗いたら、琵琶湖にはたくさんいたオオバン(大鷭)とホシハジロ(星羽白)がいました。こちらは少数でホシハジロはオス1羽でした。ヒドリガモなどは水に潜れないので餌を採る時は「頭隠して尻隠さず」のユームラスな恰好になりますが、オオバンもホシハジロも潜水は得意なカモです。ホシハジロが正に潜ろうとしているところです。餌は魚ではなく藻などの水草のようです。

2015年12月17日(木)

 予報どおり寒波がまたやって来ました。でも明日くらいでもう終わりだとか。うれしいような悲しいようなです。夕方、散歩に出かけていましたが、近くの池に琵琶湖でも見たカンムリカイツブリが来ていました。しかし、遠かったので今日のもいい写真にはなりませんでした。話しておかねばならないことができて、帰りにTさんとこへ寄りました。用件の後の雑談の中でこんな図表を見せてくれたのでコピーをもらって来ました。運動会のシーズンではありませんが、問題になっている「組体操ピラミッドの荷重分布を計算してみた」とのことでした。私は幸いにもあんなことをやらされたことはないのですが、何段にもなると上に乗る者は恐いだろうし、下の者はその重量がかなりのものになるだろうと思います。しかし、具体的にどれだけの重量を各人が支えねばならないかなどは考えたこともなかったし、計算してみようと思ったこともありませんでした。その気になれば私にも簡単にできることですが、そいう方に頭が回転しなかったことが問題だと思いました。教師も生徒たちもそうでしょう。誰かがこんな計算をしていたら恐くなってとっくにやめられていたでしょう。体重が全員40kgと仮定しての計算ですが、たった3段でも最下段の真中の者にかかる重量は100kgにもなります。両脇はやや軽くなりますが、それでも70kg。5段になると下段真中の者は165kgの重さに耐えねばなりません。上の者の転落の危険は除外していますし、上の者が動いた場合に増加する重量も考えていませので、実際には危険度はずっと増すことになります。さすがは設計を仕事にしていたというTさんですが、遅まきながらこんな頭を持たねばダメだと思わされた日でした。

2015年12月16日(水)

 1年ぶりに山本山の婆ちゃんに会って来ました。人間で言えば60才以上だだというオオワシ(大鷲)です。今年は飛来が遅くて心配されていたようですが、1週間ほど前に湖北の山本山にやって来たことがテレビや新聞でも報じられていました。例によってかなり多くの人たちが巨大レンズを並べていましたが、私たちも加わってしばらく見上げていました。そのころから気温がだんだんと下がって来ました。湖岸に出てみると白波が立っていてそのうち時雨ても来てかなりの寒さになりました。でも沖合にはカンムリカイツブリやカワアイサなどもいて寒さがあまり気にならないほどでした。これまでに見たことにないほどの数のオオバンが浮かんでいたのにも驚きました。片道約4時間、1万歩以上歩き、1日早い寒波を体験しました。「自然と本の会」の仲間との青春18切符での楽しい遠出でした。

2015年12月15日(火)

 少し雨は降りましたが、今日も暖かい日でした。近所の元幼稚園の1室にずっと昔の幼稚園生たちが集まっていました。そして先生のピアノに併せて大きな声で懐かしい歌を次々と歌っていました。何か月か前から月1回の抒情歌を歌う「ひなぎくの会」というのができていました。伴奏には併せますが、合唱ではなく自分勝手に歌える会です。少々音が外れていても間違っても誰も気にしません。自由に大きな声が出せるので健康にもいいのです。私は知らなかったのですが、代表をしているTさんからお誘いを受けていました。私も以前にはこの元祖の会にしばらく参加していたことがあり、Tさんと一緒になった時もあったのです。しかし、お誘いの第一の理由は歌詞をプロジェクターで投影しているのですが、その編集と操作をしている人が来られなくなるのでやって欲しいとのことでした。1月から引き継ぐための見学でしたが、既に決まっている日程では私が参加できなくて引き継ぐのは2月か3月からになりそうです。ピアノを弾いておしゃべりも楽しませてくれている先生はかつて私が教えたことがあったとか。別のところで何度も会って話もしたことのある人なのですが、私は全然覚えていなかったし、彼女の方も私のことをいろいろ聞いて最近思い出したとのこと。これではますますやらざるを得なくなりました。また忙しくはなりますが、嫌いなことではないので楽しんでやろうと思っています。

 

2015年12月14日(月)

 夕暮れでしたが、すぐ近くに止まっている小鳥が目に入りました。色はわからないほどの暗さでしたが、写真に撮ってみるとちゃんとわかりました。デジカメはイライラすることもありますが、感心することもよくあります。これなどもその1例です。私の大好きなジョウビタキ(尉鶲)のメスでした。オスと違って地味な色ですが、この目がクリッとしたところが大好きです。オスもメスも白い羽に白い斑があるので紋付鳥とも呼ばれます。ヨーロッパのジョウビタキは白い紋がありません。人をあまり恐れないので、バカビタキと呼ばれることもありますが、これは使いたくない名前です。ともかくこの鳥も冬の使者です。ところが、この暖かさはこれまで以上ですね。夜出かけていましたが、手袋も不要な暖かさでした。ふたご座流星群も気にしてはいましたが、空が明るいこともあってか見られませんでした。もらった渋柿を1週間以上吊るしていますが、まだ干し柿になりません。夜もこう暖かいとカビが生えてしまいます。寒いのは嫌いですが、寒さも来て欲しいものです。

 

2015年12月13日(日)

 Cop21がやっと意見をまとめられて地球温暖化防止の第一歩が踏み出されたことは目でたいことで。しかし、これから各国がどれだけ真剣に取り組むかです。日本も加わってのことですが、首相はインドへの旅。新幹線はいいとしても、石炭による火力発電に加えて原子力発電も輸出がまとまったとのこと。広島・長崎からも抗議の声があがっています。かつての戦争や原子力発電の事故を忘れることが彼の言う美しい日本なのでしょうか。消費税値上げに伴う低減税率もやっと決着がつけられたようですが、食品を8%に据え置くだけのこと。そもそもこんなものは無税にしておくべきものです。消費税創設の時も率を上げるときも「福祉のため」というお題目でしたが、いつもそれは他の方に回されて「福祉のための財源が足りない」ということでまた国民は騙されるのでしょう。白木谷国際現代美術館の屋外展示で「無言の抗議」という作品(左下)がありました。潰さたれ街宣車が積み上げられたものでした。私たちの無言、有言の抗議はどこまで無視されて続けて行くのでしょう。

2015年12月12日(土)

 今日もいい天気かと思っていましたが、かなり雲の多い空でした。でも、相変わらず12月とは思えない暖かでした。鳥探しの散歩に行きたかったのですが、庭木が繁り過ぎていて日当たりが悪くなっていたので剪定をしました。ひろめ市場で出会ったグループを忘れないうちに載せておくことにしました。私たちの近くの席にいた若者たちの1人が、私たちのグループのTさん(中央)の目を惹いたようです。 彼は写真と共に似顔絵も得意です。その似顔絵をプレゼントすると大喜びで、私ともう1人も加わって写真を撮っていました。左側の人は彼らを連れて来た人。若者3人は滋賀県から来たJERRYBEANSというロックバンドでした。小学校高学年から中学3年生まで引きこもりだったそうで、彼らが人前に出られるようになったのが音楽との出会いだったそうです。自分たちの体験を歌にして各地の学校や施設で「講演ライブ」をして生きるメッセージを伝えているようです。何故だか、彼らのライブを聞く機会がありそうな気がしています。

2015年12月11日(金)

 よく降りましたが、朝方 には止んでいました。川の水はかなり増えていましたが、溢れるほどではありませんでした。12月だとは思われない暖かさでした。種類はわかりませんでしたが、トンボも飛んでいました。買いたいものあったので、午後は池の畔りを通って歩いて行きました。カモ類が増えてきましたが、特に珍しいと思うものは見られませんでした。これはオナガガモでしょうか。エクリプス(換羽前のオス)やメスは見慣れたものでないと未だによくわかりません。まだ数日は暖かさが続くようで嬉しくはありますが、こんな冬では多方面に悪影響がでるでしょう。

2015年12月10日(木)

 昨日の朝とは大違いでした。気温はそう低くなかったのですが、日の当たらない部屋の中はちょっと寒い感じでした。朝から風雨だったので窓は開けてなかったのですが、ちょっと開けてみると生暖かい風が入って来ました。湿度は高くなりましたが、部屋の温度も上がりました。冬らしからぬ大雨で、明日まで続きそうで川の水もかなり増えそうです。この空は昨日の夕方。家を出て川沿いに歩いてすぐの橋の袂の電柱に何か止まっていました。図鑑で調べてもよくわからなかったのですが、この道の先達のHさんにも問い合わせてノスリ(鵟)の幼鳥だと判断しました。ノスリの成鳥は遠くからは見たことがあるのですが、こんなに近くで出逢うとは。

2015年12月 9日(水)

 昨日の轟の滝は香南市の山の中。私が案内したのですが、下流の湖畔で昼食後に1時間ほどかかって行ったのは南国市の白木谷というまた山の中。 そこの谷川沿いの道脇に「白木谷国際現代美術館」がありました。今度は同行の1人のアマチュアの写真家の案内。外から見るとどうということはなかったのですが、コーヒー付き500円の入館料を払って入ったら驚きの連続でした。 まず、木片で作られた洞窟?に入りました。建物は谷川沿いに上に伸びていていくつもの部屋があり、彫刻や絵画やオブジェが次ぎ次ぎに現れました。案内してくれた人の写真も展示されていました。屋外にも自動車や自転車を材料にしたモダンアートがいくつもありました。谷川の向こうでは新たなものが作られていました。写真では面白さが全く伝えられないのが残念。この施設や大部分の作品の作者は武内光仁という前衛芸術家。私は知りませんでしたが、かなり知られている人のようです。こんな山の中にこんなものがあろうとは。何度でも行きたいところでした。

2015年12月 8日(火)

 今日も12月だとは思われないような風もなく暖かな日でした。昨夜の望年会の仲間と吉井勇(「♪命短し恋せよ乙女」の「ゴンドラの唄」でも知られる歌人)の記念館のある猪野々というところへ。よく知られたアンパンマン・ミュージアムの更に奥です。人生に行き詰まった吉井勇がここに隠棲して復活したところです。以前訪れた時は藁葺きのその庵「渓鬼荘」だけでしたが、今は記念館ができています。でも、残念ながら休館日でした。そこから更に山道を登って轟の滝を見にいきました。ここも以前に来ていますが、他の人たちは初めてでした。大概の人は上から眺めて帰るようですが、谷底まで下りて見上げると感動します。昼食は下流のダム湖の湖畔で楽しみましたが、それから行ったところは私には更なる驚きが待っていました。

2015年12月 7日(月)

 12月とは思われない暖かい日でした。移動日には勿体ないくらいの好天気でした。高速バスで移動して、久しぶりに姉に会ってきました。その後は「ひろめ市場」というところで、高知の仲間の「望年会」。「ひろめ」というのは家老名前。元はその家老屋敷があったところですが、その後は貧しい人たちが住む地区になっていました。そのころに住んでいたのが「間島パルチザン歌」で知られる反戦詩人の槙村浩(まきむらこう)の家もあったところです。そして今は「ひろめ市場」という県内の人たちにも観光客にも人気の飲み食い場。地元の名物も含めてたくさんの店があり、好みのところで好みのもの注文して中央のテーブルで気ままに食べて飲むことができます。その場で藁焼きした鰹のタタキも食べられます。

2015年12月 6日(日)

 曇空でしたが暖かい日でした。今朝は先月、「アドプト・シーサイド・箱作自然海岸」として大阪府港湾局から認定を受けた海岸の清掃日でした。10名の参加で1時間ほどでそこそこきれいになりました。最近は海上保安庁の人たちの顔が見えないと思ったら、やはり政情不安の影響のようです。警備に手が取られていてボランティア活動などしている余裕がないとか。目に見えないところで働いてくれている人たちの努力で今のところ日本の安全もそこそこは守られているようです。里海公園でヒマラヤザクラが咲いているとのことで見に行ってみました。標高1200m~1400mのところにある桜だそうで、日本では冬に咲くのが普通だそうです。でも、残念ながら、もうほとんど終わっていました。公園の事務所にも寄ってから、海岸沿いに帰りました。途中でヒドリガモが休んでいました。1本足で上手に眠っています。この前の山上ヨガで1本足立ができなくなっていることを痛感したので、毎日短時間やることにしました。彼らが手本になりそうです。

2015年12月 5日(土)

 昨日とは変わって風がなくて割と穏やかな日でした。10時からは恒例の「バード・カービングのバッジ作り」の講座。と、言っても私は主催者として挨拶をするだけ。講師は西宮からもう何年も来ていただいている日本野鳥の会の古くからのメンバーの有田八郎さん。本格的なカービングもされていますが、このような講座の見本用として400種以上を既に作製されています。参加者は自分の好みの種を選んでサンド・ペーパーで磨いてアクリル絵の具の色を付けれるだけ。その裏側にピンを付ければ出来上がりです。刃物は使わないので子どもでも危険はありません。今年はできるだけ多くの子どもたちに参加して欲しいと思って、一般募集に加えて「こどもNPOはらっぱ」の応援を得ました。でも例年より多いかなという程度でした。それはともかく、色付けをするのも大人は慎重ですが、子どもは大胆で結構いいものが早くでき上がっていました。2時間足らずで世界に1つしかない自分だけの野鳥のバッジができました。と、言っても私は落ち着いた気分になれずいつもやれないのが残念です。終了後はこれも恒例の講師を囲んでの昼食会。親しくいろいろ専門的な話も聞けるのが魅力です。その後は1人で「被爆ピアノコンサート」に行きました。既に始まっていたのですが、入れてもらえました。そのピアノがどこにあったものなのかなどは聞くことができませんでしたが、広島から来ていただいたソプラノの大島久美子さんと地元の中学生の演奏は聞くことができました。ピアニストは大島さんの教え子でもあるという森須奏絵さん。すばらしい子弟の平和の使節でした。忙しかったけど、今日も楽しい1日でした。

2015年12月 4日(金)

 午後はまた自転車で隣の市へ出かけねばなりませんでした。かなりの寒さで強い風も吹いていましたが、まだ真冬の寒さではありません。まともな向かい風ではなかったので助かりました。帰りは日の暮れになったので海辺の冬景色を撮ろうとちょっと回り道。鳥の姿はもう見えませんでしたが、冬の海というのも寒くない状態で眺めている分にはいいものです。ここから家まで30分ほどですが、ほとんどは上り坂で向かい風でもありかなり脚力が鍛えられます。家がだいぶん近づいて狭い道の踏切の手前で止まった時にちょっと油断してバランスを失って危うい時がありました。自転車を側溝に落としそうになりましたが、自分も自転車も何とか無事でした。ヤレヤレというところでしたが、北風に向かって自転車を漕ぐ気力と体力がなだあるのは幸せな気分でした。

2015年12月 3日(木)

 雨はあまり降らずに助かりましたが、午後からは気温も下がって来ました。冬の使者ともいえるツグミが今年も来ていますが、この鳥もほとんど姿を見ない年があります。まだこの1羽だけしか見ていませんが、今年はどうでしょう。今日は家でゆっくりしたいところでしたが、午後は貝塚市の国際交流協会(KAIFA)の日本語ボランティア養成講座の修了式に出かけました。創設に関わり未だに講師もしているので、他の用事と重ならねば出ないわけにはいきません。講座の修了者は無償で外国から来た人たちにほとんど1対1で日本語を教えています。講座の修了者はたくさんいますが、これまで教えて来た人たちも年々高齢化しています。新しい人たちに加わってもらわねばなりません。でも、講座の応募者はだんだん減って来ています。ボランティアをする余裕がない人が増えているのでしょうか。そもそも、こういうことは国がもっと金を使ってやるべきことだと思うのですが、この国はほとんど何もしないのです。定時制高校の生徒が減っているので廃止しようとしているようですが、日本語が不自由なままで日本で働かねばならない人たちにも高校としでではなく門戸を開くべきではないでしょうか。

2015年12月 2日(水)

 少し不安だった天気は夕方まで全く心配なしでした。偶然にも去年と同じ岸和田の神於山を今年は「素的歩き」の7人で散策しました。電車とバスを利用しましたが、河合というところから歩きで神於寺、神於山を越して愛菜ランドから蜻蛉池公園まで歩きました。去年はかなり寒くて紅葉も少し残っている程度でしたが、今年はまだあまり進んでいない状況でした。空を見てもまるで冬は感じない暖かさでした。柿の実が鈴なりになっていたり、このようにトウハゼ(唐黄櫨)もたくさん成っていました。残念ながら山を下りるまで鳥の姿は見られませんでしたが、鳥たちも餌に困らない冬でしょう。この山の整備をしているグループの人たちと会って話をすることができました。下山してからの楽しみにしていた農産物の直配所の「愛菜ランド」は定休日だったのがちょっと残念。蜻蛉池公園へ向かう途中の道で出会ったのがこのホオジロ♂。蜻蛉池公園にも人はあまりいませんでしたが、大池にはキンクロハジロとヒドリガモが来ていました。休憩時間も入れて5時間半ほど、適度な疲れの1日でした。

2015年12月 1日(火)

 昼間はかなり雲が出て来ましたが、朝のうちは雲一つない快晴で今日も風はありませんでした。三日坊主の典型の私としては朝の散歩が3日続いたので一応満足です。気分はいいのでもっと続けたいのですが、とりあえず明日は休まざるをえません。鳥の収穫はありませんでしたが、日の出の収穫がありました。この市は夕陽がどこから見てもいいところですが、朝日も場所を選べばそこそこいいところはありそうです。平和な風景です。しかし、平和な日本を代表する彼は国会も開かずに海外に出かけています。安保関連法案の強行もそうですが、内閣を改造して国会を開かないというのも憲法違反でしょう。既に違憲の判決が出ている1票の格差も早急に是正しなければなりません。なのに、そんなことを後回しにしておけるという日本はこれで民主国家なのでしょうか。地球温暖化防止でもいい恰好をしたいようですが、石炭による火力発電所建設を請け負ったり、原子力発電所まで輸出しようとしていて世界をリードできるでしょうか。それどころか日本の海外での評価はますます下がっているようです。

2015年11月30日(月)

 とうとう11月も終わりですが、今日も風のない日でした。昨日の昼間はあまり日があたりませんでしたが、今日は日がよくあたって暖かい日になりました。暖かくなったのはうれしいのですが、渋柿を少しもらったので少し恨めしい暖かさです。皮を剥いで吊るしたのですが、暖かい日が続くと黴が生えてしまいます。痛し痒しです。今朝も朝食前に散歩に出たのですが、2日目はうれしい出会いがありました。田んぼと小川の間のちょっと木が繁ったところを歩いていると、すぐ上から呼び声が聞こえました。写真はなかなか写せなかったキビタキ♂でした。車で山間部の道を通っている時に道の前方にいるのを見たり、死骸を拾って簡易剥製にしてもらったのは持っています。しかし、写真を写す機会がなかなかありませんでした。まだ日があたっていないところで、条件はよくなかったのですが、何とかそれとわかる写真にはなりました。夏鳥ということになっていますが、いついているのかも知れません。

2015年11月29日(日)

 昨夜、「早く目が覚めてもパソコンの前に坐っている」と書いたら、朝の散歩に行きたい気分が高まって来ました。それで今朝はパソコンはやめて散歩に出ました。幸い風がなくてそう寒くはありませんでした。昨日の写真にある方に向かいました。カラスが騒いでいるところがあって、電柱に止まっている鳥がいるのに気づきました。でも、かなり遠くて少し近づいたら飛んでしまったので何だかわかりませんでした。次の機会を待たねばしかたがありません。帰りかけたら、たくさんのドバトが飛んだり降りたりしていました。その中に白いのが1羽混じっているのに気づきました。これもかなり遠かったのですが写真を撮ってみました。違う種類かなと思いましが、拡大してみた結果はどうやらアルビノ(白化個体)のようです。アルビノだったらアオジに次いで私には2例目です。早起きはそれなりの収穫があるものです。

2015年11月28日(土)

 昨日のスズメたちがいたところです。我が家から5分も歩かなくてもこんな風景が広がっています。大阪湾と淡路島も見えています。田んぼの畦道や山の裾を歩いていると野鳥や昆虫、野草など、まだまだいろいろな発見があります。それも朝早いと意外な出会いが多いのですが、最近は早く目が覚めてもパソコンの前に坐っていることが多くてダメです。散歩はどうしても午後になり、出かける用事があるとそれが散歩の代わりになってしまいます。今日も市内の中心部で会議がありました。雨さえ降っていなければ自転車です。家はちょっと高いところにあるので「行きはよいよい帰りは恐い」です。ギアがあっても帰りはちょっと辛いのですが、歩くよりも太腿を使うので山登りの時にはいいようです。先日の久し振りの山登りも、息切れはしませんでした。

2015年11月27日(金)

 今日も寒かったのですが、太陽が顔をだしてくれていたので少し過ごしやすい日になりました。久しぶりで終日家でのんびりすることができたので、夕方ちょっとだけ近所の田んぼのあたりを散歩しました。残念ながら見かけた鳥はスズメだけでした。田んぼで落ち穂拾いをして、犬を連れた人たちが近づくと一斉に小屋の屋根に飛び上がっていました。が、そのうちに風に乗って遠くへ行ってしまいました。かなりの数の集団でした。「スズメが減った」ということはよく聞きます。多分事実でしょうが、ここらあたりにはまだかなりたくさんいます。ただ、私たちが子どもの頃のように、家の屋根に巣をしているのは見なくなりました。最近の家は屋根に瓦が乗っていても土を使っているのは稀になったので、巣をつくることはできなくなっています。だから、家の周りではあまり見られないのでしょう。日本のスズメも野にいることが多くなって英語の名前 Tree Sparrow がふさわしくなったようです。

2015年11月26日(木)

 まだ体に応えるほどの寒さではありませんが、空を見ると真冬のような感じでした。でも、夕方には何日ぶりかで太陽が顔を見せてくれていました。この頃は何だか忙しくて鳥撮り散歩がなかなかできません。近所にチョウゲンボウが来ていると聞いたのですが、出かけることがだきませんでした。また、散歩コースにしている池に何とアカガシラサギやサンカノゴイが現れているという情報も得ましたが、これも出かけることができません。それなりのところを歩かなければ偶然のチャンスにも恵まれません。ともかく今年中には仕上げたいこともなかなか進んでいませんので、時間ができたらそちらに集中です。


2015年11月25日(水)

 今日もうかなりの寒さでしたが、まだ部屋の冬支度はせずに過ごしています。「せめて12月になるまでは」と思っているのですが、、、。極端なことを言えば、私も変温動物なみに気温が下がってくると体温も下がるので冬は苦手です。意外な暖かさに冬眠を送らせていた蛇やカエルたちも大慌てで土の中に潜ったのではないでしょうか。先日の大滝山の登り道で見つけたカエルです。ヤマアカガエル(山赤蛙)だと思います。ニホンアカガエル(日本赤蛙)が平地にいますが、それとよく似ています。これも平地にもいるようですが、山にもいるからというのが名前の由来だそうです。これに限らず、最近はカエルたちにとっても環境が厳しくなって、数を減らしているようです。子どもころからの馴染みのカエルたちの姿が春になっても見られなくなるなんて淋しいというだけではない問題です。減っているのは鳥たちだけではなく「沈黙の春」がだんだんと現実になって来ているのではないでしょうか。

2015年11月24日(火)

 午後中はまだ暖かったのですが、午後になると急に冬将軍の到来となりました。日中にこんな変化は以前にはなかったように思いますが、これも異常気象の1つの現れでしょうか。ともかく、衣服で小まめに体温調整をしないと風邪を引いてしまいそうです。今日の写真ではありませんが、土間にこんな蝶々が落ちていました。これは隙間から入って来たというようりは、戸を開けていた日中に入って来たのを閉じ込めてしまった結果だと思います。体は何かに食べられてありませんでしたが、翅はほとんどきれいに残っています。ヒカゲチョウ(日陰蝶)かなと思いましたが、色が黒っぽいし、その他の特徴からも多分、クロヒガケ(黒日陰)だと思います。自信はありません。これらの蝶は止まったら翅を拡げないので、表側を知るチャンスでした。左下に挿入したのはそっと翅を広げて形を整えたものです。表と裏ではこれだけ模様が違います。蝶と蛾の違いはいろいろ言われていますが、翅の表と裏の模様や色が違っているのが蝶で、同じだのが蛾だと私は思っています。素人考えで100%ではないかも知れませんが、写真を写していて導き出した結論です。

2015年11月23日(月)

 隙間だらけの田舎の家にいると、夜は時々珍客があります。久しぶりで名前がなかなか出て来ませんでした。カマド?、カマド?、カマド? そう、カマドウマ(竈馬)でした。最近の子どもだったら「竈って何?」というかも知れませんが、薪で米を炊いていた時代にはそんなものがあって、こんな昆虫が土間の竈のあたりに出て来ていました。名前はそこから付けられたようですが、ベンジョコオロギ(便所蟋蟀)なんてかわいそうな異名もあって、人間には危害を加えないにもかかわらず見つかればたいがい殺されてしまうようです。コオロギに似てないこともありませんし、きれいな昆虫だとも言えません。でも、この逞しい後ろ足を見てください。物凄い跳躍力を持っていて、入れられた容器の中で逃げようとして激突して死ぬこともあるそうです。そのままにしておいたら、どこかへ消えてしまいました。

2015年11月22日(日)

 天気がちょっと心配でしたが、雨は降りませんでした。村では「茂平マラソン」という催もありましたが、私は大滝山のヨガに参加。指導は毎年インドへ行って修行を続けているという檀家の女性。主催は麓の寺の若い住職。この山は戦前までは修験場にもなっていたところなので、その復活も意図しているようです。宗教・宗派を問わずですから、参加者は檀家でない人達もいました。子ども2名を含めて17名。30分ほどで登れる山の岩場の上の広場で1時間半ほどのヨガでした。このポーズは満足にできませんでしたが、木漏れ日の中での素晴らしい体験でした。昼食後は下の岩場を散策しましたが、いくつもの石仏あり、洞窟ありで、そこにいるだけでも癒されるところです。この山に何度か来たことがあっても、知らない人が多いところだし、初めての人達もいて感激していました。ここでの瞑想も指示されてましたが、私は親しい人とお喋りで時間を過ごしてしまいました。下山後は住職夫人の手作りのクッキーのお土産までありました。単に山に登るだけでなく、素晴らしく爽やかな気分の1日になりました。

2015年11月21日(土)

 今年は全く期待してませんでしたが、畑の渋柿の実が8個だけ残っていました。甘柿は裏年もあまり関係なく何百個も成っていたのに、見事にゼロです。でも、全然剪定もせずに放ったらかしだったので、ちょっと切り詰めてみようとは思っています。蘇るかも知れません。別のところにあるもう1本も去年枝を切り過ぎてそちらもゼロなので、楽しみにしてくれている友達のとこへ行く分もありません。さて、わずか8個の渋柿でしたが、6個はもう柔らかくなり過ぎていました。吊るせるのは2個だけ。後はジャムになります。こちらの方が手間はかからず楽ではあります。

2015年11月20日(金)

 雲はありましたが、小春日和。背丈が伸びたタンポポ?から時折の微風に種子が少しずつ旅立っていました。川沿いの散歩に出たら、刈り跡の水が少し溜まった田んぼで蛙の声も聞こえました。また春が来たと思ったのでしょうか。上流でまたクサシギに逢いたいと思って注意深く歩いていましたが、きょうは姿が見えませんでした。長らくいたので、飽きて居場所を変えたのでしょうか。人間の移住はなかなか厄介ですが、その点では彼らは身軽です。

2015年11月19日(木)

 いい天気になったと思ったら昼前に山の向こうと上に横一直線の雲が出ていました。飛行機には気がつかなかったけど、飛行機雲でしょうか。こんなに青空が広がっていたのに、3時頃には黒雲に覆われてしまいました。こんなに急に変わるとは驚きました。それはともかく、4日ぶりの雨なしの日だったので、出かけることができて、いくつものことが片付きました。その1つが自転車のペダルの交換。やはり専用のスパナがないと無理でした。買っても1000円前後のようですが、そう使うものでもないので諦めて自転車店に寄って依頼。道具があってもちょっと苦労してました。500円でやってもらって正解でした。

2015年11月18日(水)

 予報のようではありませんでしたが、終日雨で薄着だと寒さを感じる気温でした。草が茂って水面が見えなくなっていたところが冬が近づいてまた見えるようになりました。カルガモとバンが来ていましたが、彼らは留鳥になっている鳥たちだと思います。平和な眺めでしたが、吹き矢が刺さったオナガガモや首を切られたドバトが見つかったりしているところがあるようです。一生懸命生きている鳥たちを欲求不満の捌け口にしている輩がいます。線路に自転車が投げ込まれたり、車道にコンクリートブロックが置かれていたり。日本にもイライラが募っている人たちが相当増えているようで、大いに心配です。

2015年11月17日(火)

 〇〇〇心に秋の空。大した雨にはなりませんでしたが、昨日の好天が嘘のようでした。こんな実が気になりました。私はきれいな花や実を見つけても写真を撮るだけで、触ったり嗅いでみたり、ということはほとんど忘れています。名前や特徴がわかって、後から「しまった」と思うことがよくあります。これもその1つです。かなり強い臭いを持っているようですが、乾燥すると臭いはなくなるそうです。薬効もあるそうですが、花もかなりきれいなのに、その臭いのためにかわいそうな名前がついている植物の実でした。「鬼も十八、番茶も出花」は知ってましたが、その後に「⭕️⭕️⭕️も花盛り」があったとは。

2015年11月16日(月)

 いい天気になりましたが、今度は長続きしないようで残念です。海辺の岸壁にこんな花が咲いていました。キク科であることはわかりましたが、名前は知りませんでした。イソギク(磯菊)のようです。ハマギク(浜菊)というのもあって名前を間違えそうです。ハマギクは花弁が開くのに対して、こちらの花は花弁が開かずこんな状態で開花のようです。千葉県から静岡県の海岸部に自生しているとのことですが、園芸種としても栽培されるそうです。従って、これは近くで植えられていたものの種が飛んで来て根付いたものでしょう。スベリヒユと同じように乾燥には強いそうなので、これからここでどんどん増えて行くのではないでしょうか。外来種ではないから心配することはないでしょうか。ともあれ、こんな花のように逞しく生きたいものです。

2015年11月15日(日)

 大雨が降ったところもあったようですが、こちらは大した雨は降らずに天気は回復に向かいました。何ヵ月もかかっていた課題にやっと見通しがついて少し気が軽くなりました。散歩に出ようかと思っていたら、市のホールで市内の小学校の生徒たちの夏休みの宿題の書と絵が展示されているとのこと。孫の「絵が入賞している」というので爺馬鹿で行先を変更。親子連れで結構賑わってました。1年生でも驚くような字や絵があって、そんなのは入賞でも特別な〇〇賞なんて名前が付いてました。孫のは案の定、昆虫の絵でした。一方、市役所の玄関ホールでも市内の小中学生の環境美化ポスターが展示されています。私も関係している団体が主催なので、昨夕は展示の手伝いに出かけてました。こちらは競争はさせない主義で賞はありません。全員の絵を入れたカレンダーを作成して、それがもらえるので好評ではあるようです。「数が多くなってもカレンダーができるのか」という心配はしていましたが、どうやらそれほどの数にはならなかったようです。こちらにも市のホールにも多くの絵が出ている学校もありましたが、孫の学校の絵はありませんでした。夏休みの宿題で絵を2枚というのも苦しいかも知れません。そこは担当の先生の方針にもよるのでしょう。

2015年11月14日(土)

 雨の1日はほとんど終日パソコンの前に坐っていました。早く仕上げたいことがあってのことですが、途中でうれしい訪問もありました。若い友人のTさんが我が家にはとても珍しいセコガニ(ズワイガニのメスだそうです)を自ら調理して届けてくれました。私も料理のまね事はしますが、蟹などが食卓に上ることはまずありません。大変おいしかったのですが、写真を写すのを忘れて食べてしまったのが残念。そして、急ぎのことをやっていても、つい脇道にそれてしまうのが私の常。ランドサットの大阪湾の写真を見つけました。「せんなん里海公園」もはっきり見えています。『土佐日記』の「和泉の灘といふ所より出でゝ」が気にもなっていました。具体的にどこから船出したのかはわかりませんが、「和泉灘」とは大阪湾の元の名前です。この日、大阪湾に入って現在の黒崎(岬町の淡輪)や箱の浦(阪南市箱作)の海辺を北上したということでしょう。ここまで来るのでも大変な旅だったようです。土佐を出てから1ヵ月以上かかっています。タイムスリップして紀貫之が海岸部のこの変り様を見たら驚くでしょうね。今は「綱手をひく」必要などありませんが、それができる白砂青松のところなど残っていません。

2015年11月13日(金)

 「ひまわり」の画像を見ると日本列島全体を雲が覆っているようです。ちょと鬱陶しい天気が何日かは続きそうです。端から端までかなりの距離がある「せんなん里海公園」と「箱作自然海岸」を Google Earth を利用して文字を入れてみました。里海公園は何と広大なことでしょう。中央部にあるのが11日に写真を載せた「人工磯浜」です。そこらあたりまでが阪南市、その左手が岬町になるようです。その陸側にある住宅地が今は「箱の浦」と呼ばれているところですが、実際の「浦」はこんな状態です。私たちが掃除をしているのは「自然海岸」の矢印の先の僅かな部分のみです。せめて右側の漁港の手前までをできる限り自然の状態で保全できないものでしょうか。かつて隣の泉南市に「砂川の奇勝」というのがあり公園になっていたそうです。「砂川」という地名は残っていますが、そこのほとんどが住宅地になっています。その奇勝は申し訳程度に残されていますが、僅かな良心がそうさせたのでしょうか。この海岸も同じ状態であることがよくわかります。しかし、その僅かな自然海岸も砂浜がどんどん減少しています。このままでは浜が無くなりそうです。一方、里海公園の砂浜は減少していないようです。その理由がわかってきました。

2015年11月12日(木)

 天気がまた下り坂のようです。世界最小のネズミ=カヤネズミの本を読みたいと思いましたが、市立図書館にはなくて府立図書館から2冊目を借りてもらっていました。読了したので返しに行ったら、何年かぶりかで元同僚と遭遇しました。同じ市に住んでいたのですが、今はちょっと遠くに住んでいます。でも、時間がある時は図書館のハシゴをしているとのこと。これもいい時間の過ごし方だと思います。今日の図書館もそうでしたが、外へ出ると思い付きも含めて何ヵ所にも寄るのが普通です。それで、人との出会いは多いのですが、鳥撮り散歩をする時間がなくなって鳥との出会いは減っています。でも、偶には思わぬ出会いもあります。昨日のことですが、珍しくごく近くでハシブトガラスと出会いました。5mも離れていなかったと思いますが、自転車を停めてカメラを向けても逃げませんでした。ハシブトガラスでした。ここらよく見るのはハシボソガラスです。そしてヨーロパにも同種がいます。ハシブトガラスは東南アジアだけのようなので、セグロセキレイと共に鳥好きのヨーロッパ人に見せてやれたら喜ぶでしょう。実は私もまともな写真を撮ったのは初めてではないかと思います。ハシボソガラスは濁った声で鳴きますが、ハシブトガラスは澄んだ声で鳴きます。額になるところがポコッと出ていて、上嘴が孤を描いているのも大きな特徴です。きれいな鳥ではありませんが、うれしい出会いでした。

2015年11月11日(水)

 また秋らしい天気が戻って来ました。午後は「せんなん里海公園」に行ってきました。車で行くと駐車代が600円と高めですが、自転車や徒歩は無料で通行自由です。公園内は山手の道も海辺の道も舗装されているので自転車も快適です。散歩やジョギングにもいいところです。しかし、いい天気でも夏が終わると遠くからやって来る人は少なく、近くの人が利用しているだけのようです。出会うのもそんな人たちで、釣りをしている人も少しはいました。人工の砂浜てはビーチバレーもできますが、どういうつもりで造ったのか、こんな岩石が敷き詰められてコンクリートの柱が林立しているところもあります。これはこれで造形美として眺めればなかなか面白いとは思いますし、嫌いな眺めではありません。でも、海の植物や動物にはあまりやさしくないところです。どうせなら人口の干潟も作っておいてくれていたら、餌になる小動物も住みついて渡り鳥たちも喜んでやって来たでしょうに。残念ながら野鳥の姿はあまり見られません。

2015年11月10日(火)

 天気はよくなくて、また冬の気配がして来ました。家でやりたいことがあるのに、この頃はそれがほとんどできないのが悩みです。しかし、近くでも出かけると思わぬ出会いがあったり、意外な情報が得られたりします。最近知った2人の人が実はずっと前から縁のあった人だということがわってうれしくなりました。そして、こんな夕景にも出会いました。我が市は中心部に近いところでもまだこんな風景が残っています。夕陽だけは「どこから見ても」と言っていいほど、きれいだと思うところです。ところで、ミヤンマーではスーチーさんがやっと政治の表舞台に登場することになったようです。政権を握れるかどうかはまだわからないようですが、国民の期待は非常に高いようです。しかし、その期待が高ければ高いほど心配もあります。我が国で日の出の勢いで政権交代をした政党は勇み過ぎて失敗を重ねて、またたく間に日没を迎えてしまいました。スーチーさんが表に立ってあの国が順調に発展してくれることを願っています。残念ながら行ったことはないのですが、かなり読んだジョージ・オーウェルの小説で何となく親しみを感じて来た国です。

2015年11月 9日(月)

 今日も雨がちの1日でした。11月5日に出した「アドプト・シーサイド・箱作自然海岸」は気に入ってもらえたようで、シェア(share) を何人もの人たちにしてもらえたようです。そして、僅かに残された貴重な海岸であることを改めて認識してもらうきっかけにもなったようで、うれしく思っています。しかし、ここには醜いコンクリートの堤防はなくてもすぐ隣は里海公園の擁壁のコンクリートがありますし、両脇をテトラポッドにも挟まれたほんとうに狭い場所です。隣の里海公園は広大なりっぱな施設で、楽しんでいる人たちもたくさんいます。しかし、大きな自然破壊の産物でもあります。元々は自然の岸壁に波が打ち寄せるところでした。それが埋め立てられてまるで街中の公園のようになっています。浜辺にはコンクリートの柱や海にはないような石がごろごろしています。それでもダイドプールも作られているのですが、コンクリートで固めた浅い水泳プールのようなものです。もう少し、自然に倣ったものができなかったかと思います。設計者がほんとうの磯の風景など知らなかったからでしょう。せめて子どもの時代にほんとうに自然に接しておくことがいかに大切なことかも示している公園ではないかと思います。また、ここは紀貫之が土佐での任期を終えて京へ戻るときに通ったところです。「・・・今日は箱の浦というふ所より綱手ひき行く。かく行くあひだにある人の詠める歌、「玉ぐしげ箱のうらなみたゝぬ日は海をかゞみとたれかみざらむ。・・・」。「箱の浦」という名前は公園の山手の住宅地として残っていますが、由緒ある場所が風前の灯だとは何と哀しいことでしょう。

2015年11月 8日(日)

 昨の雨は濡れるほどではありませんでしが、今日は傘が必要でした。小さな音楽会に行こうと、友と待ち合わせで久しぶりに岸和田へ。まずは、料亭「うおり」で腹ごしらえ。「(たまにしか行かない、いや、行けない)馴染みの店」です。料亭と言っても私の懐でも大丈夫な値段で食べられます。午後の予定もあるので初めて1階の椅子席でしたが、上の座敷は今日もなかなか忙しいようでした。まだ、時間がかなりあったので町歩きをしました。駅前の商店街がなかなか賑わっていましたが、特別な行事があったからだとか。「うおり」のお婆さんの姉である小篠綾子さんの店にも久しぶりで立ち寄ってみました。1階はしゃれた小物を売っていて、2階がギャラリーのようになっています。何度か来たことがあるのですが、有料になっていました。店の女性と少し話をしましたが、「うおり」のことは知らなかったので小篠綾子さんとの縁を伝えておきました。まだ時間があったので、元同僚のところへも寄って元気なことを確かめて安心。近くになぜか、「高知のアイスクリン」を売っている店があったのですが、消えていて残念。それから音楽会の会場へ。入場は無料で、行ってみるまで誰が何を演奏するのかわからないのがおもしろいところ。今日はクラシックばかりでした。すばらしい歌声も聞けましたが、大学で教えていたという82才の女性のピアノ「テンペスト」は若々しいすばらしい演奏でした。その後に立ち寄ったのが、これも久しぶりの坂村真民の詩碑。「念ずれば/はなひらく/苦しいとき/母がいつも口にしていた/このことばを/わたくしもいつのころからか/となえるようになった/そうしてそのたび/わたしの花がふしぎと/ひとつひとつ/ひらいていった」というは彼の代表作。詩碑は全国に、また海外にもあるそうです。結局、岸和田の町歩きは1万歩を超えていました。歩いているときはほとんど降っていなかったのが幸いでした。

2015年11月 7日(土)

 「はなてぃカレッジ」というのが昨年から行われていますが、今年はあまり参加できていません。少しは自然保全にも関わって来たおかげで親しくなった和歌山大の養父教授の「泉州人の暮らしと里地里山の力」という講座があったので出かけて来ました。つい最近フィリピンやミヤンマーやタイなどの農村で現地の人たちと共に生活しながらの調査研究から戻られたばかりです。日本は経済発展と共に地域社会の絆が失われてしまって、今、だんだんと酷い社会になりつつあります。貧しくても精神的には豊かな里山・里地の暮らしが東南アジアにはまだたくさん残っています。そんな国々からの産物で私たちの生活のほとんどが成り立っているのが現状です。輸出を止められるだけで今の日本はお手上げの状態になるだろということも数字で示されました。武器では守れない構造に日本自らがしてしまっているのです。豊かだった日本で生活困窮者が増えています。今は生活に困っていなくても、いつ誰がそういう状態になるかも知れない社会です。豊かさを知ってしまった私たちは後戻りはできないでしょうが、経済的貧困を防ぐと同時に心の豊かさも取り戻せる社会にしていかなければならないでしょう。競争がなければダメだという人たちがいますが、そればかりではやさしさや心の豊かさは生まれません。さて、私はどうすべきか。大きな宿題をいただいたようですが、答えは出せないかも知れません。昼食を共にとお誘いを受けたのですが、午後も予定が入っていてお断りしなければならないのが残念でした。

2015年11月 6日(金)

 我が身と同じく、物も古くなって来るとあっちこっちにガタが出て来ます。よく開け閉めする網戸の動きが悪くなっていました。調べてみると戸車の1つに欠けているところがありました。自分で修理しようと思ってホームセンターへ行ったのですが、同じようなものはありませんでした。そこで、この家を増改築した工務店の店主に連絡。かつての教え子なので、そこは気楽なものです。それを今日持って来てくれたのですが、その時に渡されたのが「DIYの家」というパンフレットの原稿のようなもの。「今、こんなことを考えているので見ておいて」とのことでした。自分で丸ごと家を建てるのは誰にでもできるものではありませんが、これは「今増えている空家を借りて自分で思うように直して住むのをプロが手助けをする」というのが趣旨のようでした。私も大賛成です。空家がいっぱいあるのに、新築しなくても上手に改造すればより安い費用で快適な住まいもできるはずです。プロに助けてもらっても自分でやればもっと安く上がるし、愛着も増えるでしょう。また、市町村の空家対策や人口増加にもつながるでしょう。ぜひ、応援したいと思います。その書類の上に置いたのは自転車のペダルです。愛用の自転車の左側のペダルの具合が少し前から悪かったのですが、出かけていた途中で更に具合が悪くなったので通りかかった自転車店で交換してもらいました。両方でセットだといわれましたが、時間的余裕がなかったので傷んでいる方だけ交換してもらいました。その時、自転車のペダルは右用と左用があるのだと、初めて知りました。これは交換しなかったので残った右用です。実は、田舎で乗っているマウンテンバイクもペダルの具合が悪くなっていたのですが、どういうわけだか、1組が家にあったので交換しようやってみました。ところが、全然緩めることができず、自転車店に行かねばダメかと諦めていました。右と左では違う方向に回さねばならないのに、どうやら反対に回していたようです。もう一度やってみる気になりました。手に負えないものは仕方がありませんが、DIYは時間がかかっても楽しいことです。

2015年11月5日(木)

 もう何度も取り上げていますが、阪南市と岬町に跨る府営「せんなん里海公園」の東側に少しだけ残された浜は大阪府では唯一と言っていい自然の状態の海岸です。里海公園の砂などは他所から運んで来たものですが、ここの砂浜の砂は自然の状態のものです。陸側にコンクリート堤防もないことも貴重です。「自然と本の会」が初期のころからハマヒルガオを守るために清掃をして来ました。しかし、そんな貴重な自然の状態の浜辺であることはあまり知られていません。ここに水上スクーターを乗り上げてバーベキューをして、その網などを放置したまま帰っている人たちもいました。私たちには「アドプト・シーサイド・ハマボウフウ」というのが既にありますが、「自然海岸」ということをもっと知って欲しくて2つ目のアドプト申請をしていました。今日は調印も済ませてその看板が取り付けられました。放置されていたボートも港湾局が既に撤去してくれていました。掃除をするのにも少し励みが出て来ました。

2015年11月 4日(水)

 自転車散歩の帰りに12才も年上で元気にしている知人を訪問しました。いろいろ話していると珍しいものを見せてもらえました。タバコを吸わない私も名前だけは知っていたブライヤーのパイプです。ブライヤーというのは地中海産のヒース科のエリカ・アルポリアという落葉植物で、固くて熱にも強いのだそうです。3本のパイプは自作だそうですが、左端にあるのがまだ加工していないブライヤー片。右端のが一番最初に作ったものだということですが、なかなか見事な彫刻が施されています。パイプと言えば思い出すのがシャーロック・オームズです。タバコと共に常用していたのがコカインですから、今だったら探偵どころか彼自身が犯罪者です。ホームズのパイプはキャラバッシュのパイプということになっているようですが、ホームズの時代にはそれは使われていなかったとのことです。大きくて目立つので舞台で俳優が使ったのが始まりで、映画にも登場し、イメージとしてはそれが定着したようです。キャラバッシュというのは瓢箪なのだそうですが、軽くて大きなものが作れるので舞台でも目立つのが使われた理由のようです。ホームズが被っていたのがディア・ストーカーという帽子ですが、あれは田舎で使われていたもので、ロンドンのど真ん中に住む紳士が愛用するものではなかったとのことです。もっとも、常人ではない探偵だったんですから、それもありでしょうか。そしてホームズは今も生きていて、田舎で養蜂をしていることになっています。彼の住所 221-B, Baker Street, London, UK に手紙を出すと返事がもらえます。私も持っていたのですが、どこかに仕舞い込んでしまって行方不明です。

2015年11月 3日(火)

 今日も結構いい天気でした。午後は近くに散歩に行きましたが、まだツリガネニンジン(釣鐘人参)が咲いていました。「人参」なんて言葉を付けない方がよりかわいい感じがすると思いますが、根が朝鮮人参に似ているからだとのことです。残念ながらまだ根を掘ってみたことはありませんが、漢方では紗参(しゃじん)というそうで、鎮咳や去痰などの薬効があるとのことです。釣鐘に似た花はイングランドのブルーベル (bluebell)がありますが、そちらは春の花です。日本のと同じく秋に咲くのはスコットランドにある「スコットランドの釣鐘草」(Scottish Bluebell) で歌の名前にもなっています。花もよく似ているようですが、残念ながら秋にスコットランドへ行ったことがないので実際に見たことはありません。

2015年11月2日(月)

 雨は朝のうちだけで止んでほっとしてました。夕方から出かける予定があったからです。もう降らないだろうと傘を持たずに出かけたんですが、帰りに駅を出たら、何と雨が降っていました。「阪南砂漠に雨が降る」というところでした。大した雨ではなかったので濡れて帰りましたが、少々の雨ならこれもまた楽しい気分になります。撥水性のあるハーフコートを着ていたし、帽子も被っていたので目的地が家なら濡れても全く困りません。今日の写真は借りものです。インターネットにTEDというプレゼンテーション番組があって、NHKでも週1回紹介しています。NHKの方はめったに見ませんが、インターネットの方は興味のあるのを探して時々見ています。使用言語は英語です。「日本人で出演したのは茂木健一郎だけだ」と本人がどこかで語っていましたが、今や東京や京都からも発信されていて様々な人が登場しています。しかも、日本語でやられているのもあります。楕円形の建物の写真が目を引きました。これを設計した建築家が英語でプレゼンテーションをしています。これは幼稚園の園舎の屋根です。この下が部屋になっていますが、仕切りの壁はないそうです。ほぼ楕円形になっている屋根は板張りなので子どもたちが走り回っているそうです。1周約200mだそうですが、元からあった大きな木が突き抜けているところが何ヵ所もあってそこにも子供たちは登って遊んでいるそうです。園児が600人もいる大きな幼稚園だそうですが、遊具は1つもないとのことです。子供たちが考えて遊べるようになっているのです。この幼稚園の子どもたちは平均して1日4000mも走っているのだそうです。雨の日でも濡れて喜んでいるのでしょう。まさに「建物が人を作る」ですが、この幼稚園が実践しているのは「子どもは自らを成長・発達させる力をもって生まれてくる。大人はその要求を汲み取り、自由を保障し、子どもたちの自発的な活動を援助する存在に徹しなければなならい」というモンテッソーリの考えなのだそうです。イジメなど起こりえないのだそうです。

2015年11月 1日(日)

 今年ももう11月。セーターでも着なければ寒いくらいに気温が下がりました。短期間で気温の変化が激しくなると体調維持がなかなか大変です。インフルエンザの予防注射もしておかねばならないようです。先日行った堺市郊外の里山でちょっと珍しい蝶を撮っていました。クロコノマチョウ(黒木間蝶)でした。この蝶はあまり明るい時には行動しないし、花の蜜ではなくて樹液や腐った果実を好む蝶だそうです。翅の表はもっと黒っぽい色なのが飛んでいる時はわかりますが、止まったら翅を閉じてしまうので裏しか撮れません。ヒラヒラと飛んでいると見えますが、あまりにも地味な色なので枯葉や草の中に入ると消えてしまいます。この写真を撮るのにもそのあたりだとわかっていてもなかなか目に入れられませんでした。小石を投げて何度も飛ばしてやっと止まったところがわかりました。鳥ほどは飛んで行かないのですが、蝶の写真もなかなか苦労する時があります。写真は少し明るく修正しています。この蝶は年数回発生し、夏型と秋型があるようです。秋のは成虫で冬を越すとのこと。冬でも暖かい日には見られるかも知れません。

2015年10月31日(土)

 かなり気温が下がって来ましたが、いい天気でした。午後は「せんなん里海公園」の事務所へ出かけました。近くのようでも、自転車で行くと最短距離でも20分ほどかかります。毎年9月第1日曜日に行われるようになった「せんなん里海さくらフェス」の本年度の反省会と来年度に向けての会議でした。今年は雨の1日でしたが、来場者数は去年の倍以上になりました。遠くから来ていた人たちもいるようですが、地元の人たちも気楽に参加できるようになった効果だと思います。いくつもの団体が実行委員会を構成して始まったのでギクシャクしていたこともありますが、いい方向に向かい始めたと思います。せんなん里海公園は大阪府の施設なのですが、府内にこんなすばらしい海の公園があることはあまり知られていません。「海岸をきれいにすることと音楽の結びつき」というユニークな行事を通じてでも、もっともっと多くの人びとが知るようになってくれたたと思っています。そしてもっと多くの人々がこの公園を利用するようになれば、地元の人たちの長年の夢である南海電車の駅もひょっとしたら話題に上るようになるかも知れません。帰りには海岸沿いで私たちが掃除をしている2つの浜も見て来ました。こんな写真にすると実にきれいですが、残念ながら時々の掃除では追いつかない状態が続いています。

2015年10月30日(金)

 昨日は1人で街歩きをしましたが、今日は「自然と本の会」の仲間と堺市まで遠出をして植物観察会でした。野鳥も期待していましたが、今は一番少ない時期でジョウビタキを見かけたくらいでした。植物もあまりいい時期ではなかったようですが、それでも名前を知らなかった植物をいろいろ教えてもらいました。メモを取らないのでその半分は右から左ですが、印象に残ったのは写真は撮ってあって少しは覚えています。これはその1つのヤブムラサキ(薮紫)の実です。ムラサキシキブ(紫式部)と実はよく似ているのですが、「ヤブムラサキの葉はビロードのような軟らかい感触がある」と教えてもらいました。アップダウンはありましたが、気持ちのいい森林浴でもありました。ところで、「三省堂よお前もか」ということが報道されてます。日本だけではないですが、歴史のある優良企業と思われていたところも信用できなくなりました。いづこもしっかりと建て直して欲しいものです。

2015年10月29日(木)

 かつては愛用していた一眼レフが調子が悪くなってそのまま置いてありました。メーカーから時々無料点検とクリーニングのメールが来るのですが、いつも「満員になりました」でした。今回はやっと予約ができたので大阪市内へまた出かけて来ました。早めに出たので街をぶらつく余裕もありました。昼食をどこでしようかと思って、思いついたのが知ってはいたけど入ったことは一度もない小さな手打ち蕎麦屋。しかし、蕎麦は夕方からのようで、昼は定食屋になっていました。覗いてみると狭い店内は満員。先週行った店よりももっと狭い店でした。前に椅子が置いてあって、1人の男性が坐っていました。席が空いたら呼んでくれるとのことで、しばらく待っていました。先の人が入って、やがて呼ばれて入りました。カウンターで全部で9席でした。席が空いてもすぐに埋まります。女性たちもよく利用しているようです。こんなところは年配の人がやっているのかと思ったら、若い人が2人でした。10人限定という「だし巻たまご定食」がまだあったので注文しました。お茶はペットボトルから、ご飯は土鍋からセルフサービスでした。最近はめったに口にできないオコゲも入れました。お代わりも自由のようでした。ご飯の味はまずまず。だし巻たまごはなかなかいい味でした。これで500円はありがたい値段です。次はいつ行けるかわかりませんが、帰りには次回に利用できる100円のサービス券までくれました。まだ時間があったので、久しぶりに御堂筋も歩いてみました。イチョウはまだ色づいてはいませんでした。ボーリーズの建築だという心斎橋大丸も間もなく改築されるとのことで、そこも改めて見ておきました。カメラの方はちゃんと手入れをしてもらえたのでまた使えるようになりました。

2015年10月28日(水)

 今年は冬が来るのが早そうです。まだちょっと早いのですが、秋もそろそろ終わりかと思う日も出て来ました。秋の楽しみの1つは母が植えてくれていた柿の収穫でした。始末に困るほど成っていて友だちも楽しみにしてくれていたのですが、ほとんど実を付けなくなってしまいました。もう木が古くなって来たからか、世話を全くせずに放ったらかしのせいなのか。ともあれ、毎年、嫌というほど食べてジャムにもしたり、味噌汁に入れて思わぬ味の発見をしたりしました。でも、今年は買ったのと貰ったのを少し食べただけで終わりそうです。自分で植えようかとも思うのですが、「桃栗三年、柿八年」ですから思案してしまいます。残念ながらこれは他人の家の柿です。桑を植えたいとも思っているのですが、さてどうなりますか。


2015年10月27日(火)

 昨日の続きです。これがいつもきれいにされている地蔵さんです。そう思って見れば墓石だったらしい石も1つあります。舞村が消滅したのは大正期だとのことですから、そう古いことではありません。舞という名前が示す如く舞をする人たちの集落だったかも知れません。時代が変わって生活が成り立たなくなったのでしょうし、住む人も多くない小さな村だったのでしょう。村が消えれば墓も消えてしまうことになります。身分の高い人の大きな墓でも時代の変遷で消えてしまいます。ましてや庶民の墓は世話する人がいなくなればすぐに消えてしまいます。それを考えれば死んだ後のことにあまり拘る必要はない気がして来ます。ともかく、舞という名前は昔とは少し位置が違いますが、地名としては復活しました。もう1つの消えた村は金剛寺畑といったようですが、これなどは復活する望みはまずないでしょう。貝掛という地名もきれいな響きがするからか、私たちの地区の名前の候補にあがっていました。舞が選ばれたわけですが、その地名は有名な伝説と共に地名としても残っています。浜の方には波有手(ぼうで)という村もあったようです。民俗学者の宮本常一が2度もここを訪れたことがあるとのことですが、地名としても消えてしまいました。でも、祭の組として残ってはいるので完全に消えたわけではありません。東京の弥生もそうですが、由緒のある地名は何らかの形で残して欲しいものです。

2015年10月26日(月)

 昨日は気温が下がって風も吹いていましたが、どうやら初木枯らしだったようです。でも、今日は風もなくまた暖かくなりました。午後は近所を回ってみました。この写真の上の方に見える住宅地が私が住んでいる「舞」というところです。地元の人はもちろん知っていることですが、これはずっと昔にあった消えた村の名前でした。それが住居表示を改めることになって名前が復活したのです。でも、その位置は現在のところとは違っています。この写真の左手の林があるところあたりから手前の方にあったのが舞村であったようです。林のあるところの斜面の下に小さな親子のような2体の地蔵さんが立っています。いつも花が飾られていて帽子やマントのようなものを身に付けています。ここを通る時には信心気はあまりない私もいつも手は合わせます。しかし、何故こんなところにあるのだろうとずっと不思議でした。傍に小さ目の溜池もあるのですが、その土手に小さな五輪塔もあります。先日読んだ『男里川は二つあった』によると、地蔵さんが立っているあたりは舞村の墓地だったとのことなので、その名残のようです。そしてこの谷にはもう1つ消えた村があったことも知りました。伊方原発の再稼働が本決まりになってしまったようです。村や町が消えてしまうことにならないことを祈るのみです。

2015年10月25日(日)

 ハロウィーンもクリスマスやバレンタィンディと並んですっかり日本の行事になってしまったようです。本番の日はまだですが、今日は朝から公民館で恒例の「親子カーニバル」という行事で子どもたちが扮装して楽しく過ごしていました。私たちの会も「自然(素材)工作」で子どもたちに奉仕。その手伝いで出かけていましたが、市内のいくつかの場所で他の行事もありました。近所の I さんが写真を出している展覧会にまだ行ってなかったので、子供たちがまだ来ないうちにちょっと抜けさせてもらって出かけて来ました。I さんはまだフイルムを使って風景写真を撮っている拘り派。雲海の見事な写真を出していました。腕もさることながら、大きな画面になるとフィルムの良さが伝わって来ます。しばらくIさんと話していると、後ろから突然声を掛けられました。Tさんでした。彼も近所と言えば近所なのですが、少し離れているところなので知らないままで終わっいた人かも知れません。高知との往復をまだ自分の車でしている頃に、和歌山のフェリー乗り場で偶々顔を合わせました。フェリーの中では顔を合すことはなかったのですが、四国へ渡って池田のSAでまた出会いました。そこで話をしてみると何と近所の人でした。彼は高知の友達のところへ行くところだとのことでした。それから時々会うことにもなったのですが、最近はご無沙汰していました。現役の時代から始めたという木彫ですが、今日はダンスの彫像を2つ出していました。1つ手に持っているのがTさんですが、台座にボルトでくっつけていると他の人に説明しているところです。手前に置いてあるのは台座も含めての1木作りの作品でした。その苦労話も聞かせていただきましたが、Tさんは85才。こんな人を見ると70代ではまだまだ年を取ったなどとは言ってられません

2015年10月24日(土)

 メキシコで観測史上最大級のハリケーンが襲ったとのこと。エルニーニョ現象で海水温がこれまで以上に高くなっていることが原因だろうといわれています。日本にも超巨大台風や竜巻が襲うようになりました。世界中でこれまでになかった災害が起こっているのも地球温暖化を少しも食い止められていないことでしょう。このままで行けばもっと酷いことが起こることは認識していながら、いつまで経っても話がまとまらず先送りされています。日本が主導してまとまった京都会議でも日本自体が守れないという有様でした。鳩山政権の時も世界に宣言したことが反古にされています。侵略国を想定して備える以上に早く手を打たねばならないことです。だのに、自国の経済活動最優先ではどうにもなりません。国を動かす政治家たいも経営者たちも余りにも目先の利益しか考えらえなくなっていて温暖化防止で経済活動をより活性化さす方法を考えようともしないようです。原子力に頼らなくても温暖化防止になり、経済活動も活発にできる道を見つけられないことはないと思います。また、今のように労働者を使い捨ての道具にしているような状態では経済の先行きも危ういでしょう。1億総活動というのなら、まず誰もが安心して働ける社会にすべきでしょう。経営者も株主最優先の経営ではなく、労働者が安心して働ける賃金と身分の保証しておかなかければ国際的にも太刀打ちできなくなって行くのではないでしょうか。また、愚痴ってしまいました。

2015年10月23日(金)

 鳥撮りを主目的に時折出かける男里川は河口からほんの短い距離で名前が変わってしまう川です。ずっと不思議に思っていましたが、『男里川は二つあった』という郷土史の本でその理由がわかりました。今は消えてしまっている川があったのです。また、新住民である私が住んでいる住宅地あたりもその昔はどういうところだったのかもこの本でかなり詳しく知ることができました。それを知ったからと言って今の生活が変わるわけではありませんが、歴史を知るということは先人の想いを知ることでもあるし、これからどう生きるかという指針を与えてくれるのではないかと思います。政治家は特に歴史を無視しない心を持って欲しいものです。106歳でも元気で秘密保護法廃止を訴えている人がいることをテレビで知りました。若いころに治安維持法で2回も逮捕された経験をお持ちだそうですが、最近までそのことを公の場で語ることはなかったそうです。秘密保護法が治安維持法を同じになる危険を感じて行動せざると得なかったとのことです。貝塚市にお住いの西川治郎という人ですが、すぐ近くの貝塚市にそんな人がいるとはついぞ知りませんでした。テレビで拝見する限りでは106才とは思えない元気さでした。その心意気が認知症も無縁にしているのでしょう。

2015年10月22日(木)

 昨日は大同生命本社ビルからそう遠くないところで本来の用事があったのですが、時間もまだあったし、ちょっと腹に入れておこうと思って食べるところを探しました。ここらに来たら寄るところは MUSICA という紅茶の専門店だったのですが、紅茶好きには知られたところだったのに昨年閉店してしまいました。そこも行ってみましたが、後は空いたままのようでした。行きついたところは食べ物屋が並んでいるところでした。どこも庶民的な値段のところでしたが、こんな看板が出ている店を見つけました。懐にはなかなかやさしい店です。覗いてみるとカウンター席だけでしたが、3人ほどの客がいました。食事時間には早かったせいか余席はかなりありましたが、客は次々と入れ替わっているようでした。ウドンかソバでいいと思っていたので、もちろん入りました。量は少な目かなと思いましたが、味は十分満足でした。それにしても繁華街ではなくても、そこそこ人が集まるところだからこんな値段でもやって行けるのでしょう。さすが大阪だと思いました。

2015年10月21日(水)

 NHKの朝ドラをいつの頃からかほとんど観ています。前回の『まれ』も「何でこんんなにおもしろくないのだろう」と思いながら観ていました。今回の『あさが来た』はそこそこおもしろいと思って観ています。『花子とアン』や『マッサン』のように実在のモデルがいて、そちらにも興味が出て来るせいかもしれません。正に、「こんな女性がいたのか」という人物のようです。モデルの広岡浅子とはどんな人だったのだろうとネットで調べてみたら、丁度今、肥後橋の大同生命本社のメモリアルホールで特別展示「加島屋と広岡浅子」をやっているのを知りました。今日は別の用事でその近くへ行くことになっていたので寄って来ました。大同生命本社ビルの場所は浅子が嫁いだ加島屋のあった場所なのだそうです。展示でもらった資料の中の写真をその隣に挿入してみました。激動の時代を何度も過ごしていますが、ずいぶん変わるものです。ドラマの元になったのは埼玉県所沢市在住の作家・古川智映子さん(83) が昭和63年に出した『土佐堀川』という小説だそうです。資料が少なくてずいぶん苦労したそうですが、今ごろ朝ドラになって驚いてもいるそうです。大阪の人々の記憶からも消えていた広岡浅子を知ったのは高群逸枝の『大日本女性人名辞典』だそうです。その後に行った本来の目的のところよりも、こちらがずっと得るところがありました。

2015年10月20日(火)

 今日もいい天気でしたが、気温はちょっと高め。柿や梨のシーズンになりましたが、午後、最近できたスーパーに寄ってみると新高梨が出ていました。今年は天候不順であまり品数も少ないらしいのですが、消費税抜きで1個498円の値札が付いていました。普通の梨よりは高めですが、そこそこの値段でしょうか。大きいほど値段が高くなりますが、これは普通の梨よりはかなり大きいというところです。「高知県産」は大きく書いてありますが、シールを見たら「日高村コスモス農協」でした。「お!我が村だ」というわけで1個買って帰りました。「針木産」や「黒岩産」だったらブランド品なのでこんな値段ではないでしょう。これよりずっと大きいのでは1個4000円も5000円もするものもありますが、私の懐具合では手が出ません。さて、我が村の新高梨は「まずは合格の味」でした。

2015年10月19日(月)

 台風が気になりますが、今日もいい天気でした。数日前に部屋で邪魔になっている物を仕舞おうと思って物置に入ったら、全く記憶にない物を見つけました。かなりの枚数のレコードです。45回転のいわゆるドーナツ版が25枚、同じ大きさで33 1/3回転のが2枚ありました。33 1/3回転の大きなLP版が8枚。ソノシートが10枚という数です。この中には自分が買ったとしてもおかしくはないものも数枚はありますが、田端義夫なんて買うはずもありません。自分で買ったレコードはちゃんと別に置いてあります。叔父の形見にともらったレコードもあるのですが、この内容からすると叔父の世代のものではありません。うちの家族がこんなものを持っているはずもありません。ここ数日、出所を思い出そうとしているのですが、未だ五里霧中です。

2015年10月18日(日)

 今日も実にいい天気でした。午後はこの地方で歴史を研究してたくさんの本も出している会の代表と事務局長の話があったので聞きに出かけました。講師の1人が30年以上も会ってなかった元同僚であったこともあります。何十年会っていなくても少しは覚えているだろうと思っていました。ところが、まだ始まっていなかった会場で談笑している講師らしい2人の顔のどちらにも見覚えがないのです。2人の方も私の顔を見ても何の反応もありません。戸惑って一旦部屋を出てしまいましたが、予定されている話の内容からしても同姓同名の他の人だとは思えませんでした。結局はあちらは眼鏡を外していたので少し離れた人の顔は見えていなかったということですが、こちらも昔とはかなり変わって見えていたのかも知れません。これでは偶然出会っても知らずに通り過ぎるところでした。2人の話は私も興味を持っていることだったのでいつもの居眠りもせず楽しめました。出版したたくさんの本の展示も同時に行われていて読みたいと思うものも何冊かありました。資料として貴重な本もあり、また評判を呼んだ本もあるとのことでした。ところがそのどれにもISBN出版者記号も書籍JANコード(本の裏表紙にバーコードと共に付いているもの)もありません。出版の部数が少ないのでしょうが、これでは貴重な資料が国会図書館にも収まっていないでしょうし、流通面からももったいないことだと思いました。個人でも簡単に取得できるものなので今後の本には付けることを勧めておきました。夕食後、部屋から見た夕暮れの色が実にきれいでした。肉眼では電柱や電線も意識せずに見られますが、写真に撮ると実に邪魔です。屋根の上から撮ると目立たなくなるのですが、もうあまり上がりたくありません。建てる時に天窓を付けて部屋の中から覗けるようにしておいたらよかったと、写真を撮る度にちょっと後悔しています。

2015年10月17日(土)

 今日もいい天気でしたが、台風が2つも発生してるのはやはり温暖化の影響でしょうか。それで水没の危険がますます高まっている国もあり、日本でも台風より恐ろしいとも思える竜巻が頻繁に起こるようになりました。なのに、先進国も発展途上国の政治家たちは自国の経済発展優先で温暖化防止にはあまり熱がないようです。いつも行く河口でもこれまでとは違う現象がいろいろ見られます。温暖化とは関係ないかも知れませんが、ハママツナと共にかなり目立つ存在になっているハマゴウ(浜栲)に元気がありません。実は漢方薬の原料にもなるそうですが、芳香があって鎮静・安眠効果があり枕に入れたり風呂に入れてもいいものです。今年も実は成ってはいますが、数がかなり減っているようです。病気なのか害虫のせいなのか葉に小さな膨らみがたくさんできていて元気がありません。ちょっと心配な状況になっています。

2015年10月16日(金)

 昨日の雲はどこへやら、今日もまた素晴らしくいい天気になりました。家にいるとテレビもよく見ていますが、相変わらず嫌なニューズばかりです。家に籠っているのはもったいないので、少し期待して河口行ってみました。今日は釣り人の姿も見えませんでしたが、ウミネコたちは相変わらずちょっと沖に浮かんでいました。でも、潮が引いて広くなっている浜辺にも波打ち際にも何も見えません。川の流れのあるところにウミネコが1羽浮かんでいましたが、その先に何かいるのに気付きました。どうやらイソシギです。よく見るともう1羽いましたし、シロチドリももっと遠いところでウロチョロしていました。最近はこんな鳥たちも珍しくなって来て寂しい限りです。そこで、ちょっと坐り込んで撮ってみました。この写真はトリミングはしていませんが、かなり遠かったし他に人はいなかったので彼らもノンビリ気分でいるようでした。イソシギもいつものようにヒョコヒョコ尻を振りながら餌捕りをせず坐りこんでいました。

2015年10月15日(木)

 今日は雲の多い日になりましたが、日があたっている時もありました。もう10月も半ば。秋もだんだん深まって行ってますね。ホームセンターなどへ行く時によく通る池の端の道があります。かなり大きな溜池で土手は道路よりもかなり高くなっていて見晴もいいところです。誰が草刈をしてくれていたのか知らないのですが、いつもありがたいと思っています。その道は自転車でもよく通っていたのですが、この頃は歩いていてもちょっと難儀な状態になっています。散歩している人も減ってしまいました。その代わりに野鳥や蝶々などの写真を撮っている時に邪魔されないという利点もあります。久しぶりにこんな蝶々に出会いました。後翅の後ろに髭状の突起があります。突起があるのはツバメシジミ(燕小灰蝶)が代表のようなものですが、これはウラナミシジミ(裏波小灰蝶)です。翅の裏側(閉じた時に見える側)が波模様になっているから付けられた名前でしょう。蝶々は翅の表と裏の模様が違うのがおもしろいところです。

2015年10月14日(水)

 今日もいい秋らしいいい天気でした。昨日と同じ男里川の河口部にはハママツナ(浜松菜)の大群落があります。種類がいくつかあるようですが、それは私にはわかりません。常時水に浸かるところには生えませんが、このように干潮時には干上がるところを選んで生えています。そんな条件で広い場所はそうないので、これだ広がっているところはあまりないと思います。今年はぜひ紅葉を見たいものだと思っています。ともかく、この川は汽水域が非常に短くて自然の状態が多く残っているので塩性の植物や野鳥だけでなく貝類や水生の動物も豊富で大変貴重なところです。水源地の1つに持ち上がっている産廃施設建設は隣の県であっても何としてもやめてもらわねばなりません。

2015年10月13日(火)

 あまりにもいい天気になったのでまた出かけて来ました。渡り鳥の姿を求めて河口へ行ってみました。関西空港もよく見えて、ウミネコたちも浮かんでいていい景色でしたが、渡り鳥は期待外れでした。どうも今年は種類も数も例年より少ないようです。川を遡ってみました。カモたちの姿が少し見えました。年中いるカルガモの他にコガモやヒドリガモの姿が見えました。ちょっと違うのがいると思ったらオカヨシガモ♀? 。そこへムクドリの群がやって来て水浴びを始めました。いや、このカモはムクドリと大きさがあまり変わらないのでコガモ♀みたいです。カモのメスの見分けはまだ迷います。ともかく、ムクドリたちを気にするようでもなく、せっせと餌取りをしていました。平和な光景でした。あまり平和な気分でないのが私たちの国です。国会議員はどうも筋を通すということを忘れているようですが、沖縄の翁長知事が筋を通そうと勇気ある行動に出たと思います。沖縄選出の大臣はどうするのでしょう。また、ユネスコの拠出金を減らすなどという政治家も現れました。それで日本の国益が守れるのでしょうか。そんな貧しい心では外交の成果もあげられないのではないでしょうか。

2015年10月12日(月)

 午後にはまた曇りましたが、午前中は昨日とは打って変わっていい天気でした。この市にはもう半世紀近く住んでいますが、祭好きではないこともあって見ていない行事がありました。そもそもこの時期にはたいがいいなかったせいもあります。「神輿洗い」ということで神輿が海に入るとのこと。午前中だということなので、またとないチャンスだと出かけて来ました。既に多くの見物客が集まっていましたが、カメラマンもたくさん来ていました。最初は堤防の上にいて豊中から来たという三脚にカメラを据えた人と話していたのですが、浜のテトラポッドの坐り心地のいいところに場所を移しました。しばらくすると女性の1段が私の後ろの高いところに座を占めました。かつてはお転婆娘と言われた人たちでしょう。ところが彼女たちを狙って浜にいた数人が近づいてきてカメラを向けました。年配の女性たちが危なっつかしい高いところにいるのが写欲をそそったのでしょう。アップで写すんですから了解を得なくていいのかなと思っていましたが、彼女たちは嫌でもないようでした。ところがカメラを向けた1人が私に「邪魔だからどいて」というのです。邪魔者は排除して撮りたい気持ちはよくわかりますが、ちょっとムカッとしました。真ん前にいたわけではないので、私を避けて撮ることはできたはずです。やがて3台の神輿が御旅所の広場に到着。以前には本物の神輿も海に入っていたようですが、興奮した担ぎ手たちがそれも海に漬けたので大きな損傷を与えたとのことです。それで最近は喧嘩神輿という質素で小さ目の2つの神輿が海に入ることになったのだそうです。担ぎ手は各地区で回り持ちのようです。名前のようにぶっつかり合うようなことはなく、水の掛け合いをしていたくらいでした。神輿を水に漬けることは全国的にはそう珍しくもないようですが、海に入るここの由来はわかりません。

2015年10月11日(日)

 夜の間に雨が降って朝は止んでいましたが、どんよりとした曇り空の1日でした。祭の真っ最中ですが、私たちは海岸の清掃日でした。会員ではないのですが、母になったかつての教え子が息子2人を連れて電車に乗って来てくれたのはうれしいことでした。かなりのゴミが堤防の上からでも見えました。あまりして欲しくないバーベキューが度々やられていましたが、見かけた場合は後始末をちゃんとしてくれるように伝えてありました。しかし、今日はバーベキューで使った金網が7枚も置いてありました。どんなところでも、自分たちが使ったものは全て持って帰るのがマナーではないでしょうか。漂着したであろうプラスチック類のゴミだけでなくて、ハマボウフウとハマヒルガオの群落の中に生えた困りものの植物も除かねばなりません。特にハマヒルガオの群落の真ん中にアメリカネナシグサが広がっていました。外来種の寄生植物です。名前のとおり根がなくて他の植物に巻き付いて栄養分を吸い取って成長します。これを取り除くのにもかなり時間がかかりました。1時間半ほどで切り上げましたが、ゴミは18袋になりました。

2015年10月10日(土)

 終日曇り空でしたが、雨は降りませんでした。9月の岸和田祭りが終わって10月の連休は岸和田の山の手から泉州一帯の祭です。山車(だし/だんじり)の形はところによって違いますが、この市では大八車の大型のようなもので2輪です。私の住むところは新興住宅地なので山車はないので静かなものですが、それでもどこかから山車を引く声や囃子が聞こえてきます。午後、夕日の写真展と親しい人たちの鳥や蜻蛉の写真もを観に行って来ました。途中で出会ったのが山車と休憩中の人たち。子どもたちも法被を着て楽しそうです。小さい頃からこういう雰囲気の中で育ってこそ、祭が待ち遠しくもなるのでしょう。私は何十年この街に住んでも特別な感情は湧きませんが、故郷の祭ではやはりワクワクしていたのを思い出します。今日は故郷も祭でした。ふと「♪更け行く秋の夜・・・恋しや故郷 懐かし父母」という歌が浮かんで来ました。アメリカのOrdwayという人の 'Dreaming of Home and Mother' という歌です。アメリカではもう歌われることもないようですが、犬童球渓(いんどうきゅうけい)の名訳もあって日本では今も歌われている「旅愁」です。最近知ったことですが、中国でも「送別」という題になって歌われているそうです。作詞者は日本に留学していたそうですから、日本の「旅愁」を聞いて中国語版を作ったのかも知れません


2015年10月 9日(金)

 今日もいい天気でした「9の日の行動」に久しぶりに参加してきました。私が生まれた年に戦争が始まりました。しかし、幸いにも我が家で戦死した人はいないし、祖父が農業をしていたおかげで食糧が厳しい時代にも餓えることなく育ちました。学校へ入った時には教科書も生徒の数に足りないほどでしたし紙質もお粗末なものでしたが、少し年上の人たちのように教科書の文を墨で塗りつぶしたという体験はありません。その後は日本が一番民主的であった時代を過ごし、「岸を倒せ!」のデモにも体験しましたが、高度経済成長も体験しました。日本が一番平和な時代を過ごせた幸せな世代ではないかと思います。「戦争に行く」なんてことは考える必要もありませんでした。ところがいわゆる「バブルが弾けて」からはかなりおかしくなって来ました。これでは子どもの代はともかく、孫の代には私たちの親の代のようになってしまうのではないかと心配です。夕方の毎日テレビ(TBS)で辻憲太郎さん(近所のテニス仲間の息子)が鴻池参議院議長にインタビューをしていましたが、鴻池氏は信じられないようなことを言ってました。「あの法案は2国会くらいかけて審議すべきものであった」というのです。自民党から相当な圧力があったそうですが、それにしてもそういう思いがあるのなら、どんな圧力があろうが、その思いを通すのが真の政治家ではないでしょうか。原発反対を唱えていた河野洋平氏が閣僚に取り込まれて、ホームページを封印しているとか。彼がまだどうするかはわかりませんが、信念を通す政治家はもういないのでしょうか。

2015年10月 8日(木)

 午後には曇って来ましたが、今朝もいい天気でした。昨日の疲れは少しありましたが、朝食前にパソコンの前に坐ることはやめて久しぶりに散歩に行ってみました。やはりいい気分です。残念ながら鳥とのいい出会いはありませんでしたが、秋らしい景色が広がっていました。彼岸花はすっかり枯れていましたが、実った稲の傍でコスモスが咲いていました。昨日の淀川や大川端の散策もよかったのですが、ここらではまだこういう風景が見られるのはうれしいことです。帰りに元酒屋の主人に出会ってちょっと立ち話をしました。昨日行った大川の近くで育ったとのことで、あそこにも一層親しみがわきました。昼食に寄った小さな喫茶店も好感が持てたし、また行ってみたいと思います。

2015年10月 7日(水)

 久しぶりに「素的歩き」をして来ました。もっとも、誰もステッキ=ノルディック・ウォークのポール)を持っていなかたので、厳密には単なる歩きでした。目的地は毛馬というところ。大阪市内で淀川の畔です。近くに住んでいてここらをいつも散歩しているというHさんに案内をお願いしました。地下鉄の天神橋筋六丁目駅集合し、まず近くの「大阪くらしの今昔館」へ。「かなりたくさんの人が来ているな」と思っていたら、聞こえて来るのはほとんどが中国語でした。着物姿の人たちもいましたが、その人たちもすべてそうでした。少し前までは閑古鳥が鳴いていたそうですが、最近は外国人で賑わっているとのことでした。入場料は600円でしたが、着物は200円で貸してくれるようでした。これは外国の人たちにはうれしいサービスでしょう。そこを出て街歩きをして淀川の畔の毛馬公園へ行きました。今は大川と言われている旧淀川が大水の度に街が洪水になるのを防ぐために、新しい淀川を作り海の方に直接流れるようにした分かれ目です。毛馬洗堰(けまあらいぜき)という水位調節の役目を持つ古い閘門(こうもん)も残されていてそれも見たかったのですが、毛馬は蕪村の生誕地です。私は蕪村が生まれたのはどんなところだったかも見たかったのです。長らく大阪に住んでいておおよその場所も知っていたのに行ったのは初めてでした。もっとも蕪村はここらあたりで生まれたというだけで、住んだことはなかったようです。私も生まれたのは海辺の町だということですが、全く記憶がありません。蕪村も多分、そんな状態だったのでしょう。しかし、蕪村生誕の碑が出来ていて「春風や堤長ごうして家遠し」という句が彫られています。私たちはここから淀川沿いに少し歩いてから新しい閘門を見て大川沿いを天満橋駅まで歩きました。天気がよくて気温はかなり上がっていましたが、気持ちよい川風に吹かれながらで汗は搔きませんでした。「秋風や堤長ごうして駅遠し」。約15000歩で少々疲れましたが、楽しい歩きでした。

2015年10月 6日(火)

 またいい天気が戻って来ました。昨夜の大村智さんと今日の梶田隆章さんのノーベル賞受賞はうれしいことですが、またも大きな反対もある中でTPPの協議が概ね妥結だとか。首相は「国内農業を守る」と言ってますが、これでますます食糧自給率が落ちねばいいのですが。今の状況では食糧輸入の道を遮断されるだけで日本はお手上げになるでしょう。そしてまたもう1つ、進んではならない方向に日本は更に踏み出そうしているニュースが伝えられました。同じ四国でも高知県では2度あるいは2ヶ所で原子力施設建設を断念させましたが、愛媛県では伊方原発の地元町議会が「再稼働陳情を採択」とのこと。あの近くを震源地とする地震が最近もあったところです。さすが、教職員の賃金を下げるために日本で初めて勤務評定を採択した県だ」と皮肉も言いたくなります。経済的なことはもちろん大切です。しかし、まだ福島原発の処理も苦慮しているというのに、そんな方向にやすやすと進んで行くことはどう考えてもおかしいと思います。原子力を使わなくても、化石燃料を使わなくても、ノーベル賞受賞者を次々と出している日本の技術力を持ってすれば、新たな道は開けるはずです。もっとも、現在の学校事情では近い将来どこかの属国になってしまわなければ存在しえない日本になってしまうかも知れません。「風の谷のナウシカ」の世界がだんだん現実味を帯びて来て不気味です。

2015年10月 5日(月)

 今日もいい天気が続くのかと思ったら、終日曇空でちょっとガッカリ。また新聞の切り抜きですが、毎日新聞の「オピニオン」欄に高校生のこんな意見が出ていました。正に「さもありなん」というところです。子どもが学校へ行っていなければ、外からはなかなか見えない学校の内部です。収賄事件で逮捕されて晩節を穢してしまった田中角栄ですが、彼は「先生は大事だから」と僅かであっても教師の賃金を上げました。かつては東京も大阪も教師の賃金はそう悪くなかったはずです。教師になる人も人の子。やはり賃金のいいところに就職したがるのが常です。今のように賃金は下がるばかりで勤務条件はますます酷くなっている状況では人財はなかなか集められないでしょう。「でもしか先生」と言われていてもかつての方がもっと教育を真剣に考えて生徒たちと接していた教師が多かったのではないかと思います。教師がダメだということは生徒もダメになるということです。学校の運営まで目先の経済効果優先で運営していては、いくら教師の数を揃えたとしても次の日本を背負う人材の育成も難しいのではないでしょうか。こんなことではますますかの大国の属国化の道しかなくなるのではないかとほんとうに心配です。

2015年10月4日(日)

 ここ数日はいい天気ですが、今年は雨が多かったせいかキノコがよく生えています。こんなきれいなのがありました。ベニチャワンタケ(紅茶碗茸)というようです。茶碗ではなく皿になっていますが、出てから少し時がたっているからのようです。食べられるか食べられないかわかりませんが、「きれいなものには毒がある」と思っておいた方がよさそうです。「触らぬ神に祟りなし」です。でも、人生はそればかりでは面白くありません。時には冒険もしてみたいし、海外へも足を伸ばしてみたくもなります。しかし、世界情勢もありますが、「日本人だから」ということで安心して行けた海外も最近はそうではなくなりました。バングラディッシュで日本人が殺されるという事件が起きました。ヨーロッパではシリアからの難民が溢れていますが、アフガニスタンでは国境なき医師団の病院がアメリカ軍によって空爆されて多数の死傷者が出ているとのこと。この国も平和な時があったでしょうか。架空の人物ですが、シャーロック・ホームズの助手のワトソン博士はアフガニスタンで軍医だったという設定です。コナン・ドイルがそのシリーズを書いたのは100年近く前です。その当時もアフガニスタンは戦場だったわけです。今も情勢はあまり変わっていないようです。かつて『アフガニスタン褐色の日々』という本を書いた人が身近にいました。その国の平和のために活躍してくれるかと思っていましたが、なかなか手出しはできなかったようです。

2015年10月 3日(土)

 今日もいい天気でしたが、雲が少し出ていました。第6期「自然を楽しむ講座」の3回目の「夜空の楽しみ」の日でした。講師はさる大学で講師をしている市内のTさん。まずは屋外で高価な望遠鏡で昼間の太陽と金星を見せてくれました。太陽のは活動が停滞期に入っているそうでしたが、2つの黒点と炎のようなフレアを見せてもらい、金星にも食現象があるのを初めて見せてもらいました。Tさんの解説は専門用語も遠慮なく出て来て、知識のない者にはかなり難しいのですが、絵に描いている子どももいました。次いで室内で写真なども見せながらの講義。これも去年のよりはかなり易しくはなっていましたが、子どもたちには難し過ぎたのではないかと思います。でも、終わってからも再度、望遠鏡のところへ行って見せてもらっている親子が2組ありました。子どもの知識も好きなことにかけては侮れません。IT技術者になっている私の甥も小学生からの天文ファン。頼もしく思いました。IT技術者になっている甥も小学生の時から天文ファンでした。私が土星や木星を初めて観たのは彼の望遠鏡ででした。彼は今も趣味として素晴らしい星の写真を撮り続けています。興味のある方は彼の ”Photographics Workshop in Staralight” というホームページ(私のホームページの「リンク」からもどうぞ)がありますのでご覧ください。夜も場所を変えて観察会がありましたが、私は都合で行けませんでした。

2015年10月 2日(金)

 昨夜は台風なみの風雨で大したことはないのですが、我が家に少し被害がありました。夏の日陰を長年作ってくれたキーウィの木ともお別れになりそうです。朝はまだ雲がかなりありましたが、やがていい天気になりました。午後は隣の市まで出かけていたので、帰りに夕方の河口を覗いてみました。潮が満ちていて干潟は水の中で、鳥たちの姿もアオサギとコサギが目についたくらいでした。アメリカではまた学校で銃撃事件で多数の死傷者が出ましたが、オバマ大統領があれほど声を大にして銃規制を叫んでも実現は難しい国のようです。武器は人の命を救うよりも失わせることが多いのではないでしょうか。ボブディランの歌がいつまで歌われねばならないのでしょう。[ "How many deaths will it take till he knows/ That too many people have died?" どれだけ多くの死が必要でしょう/あまりにも多くの人々が死んだということを知るまでに。]


2015年10月 1日(木)

 昼間は大したことのない雨でしたのでちょとした用事と散歩を少しすることができました。しかし、夜になると雨混じりの強い風が吹き始めました。日本の社会もこんな状態になって行くのではないかと恐ろしくなります。新聞のこんなコラムが気になりました。派遣労働制が採用されてから一生懸命に働いていても希望が持てない人たちが増えたのではないでしょうか。公務員の社会でもほとんど同じようです。大阪市も相対評価で勤務評定の最低が続いたということで2人の職員の分限免職がなされたとのことです。相対評価では誰かが最低ランクにならざるを得ません。かつては全国で上位だった賃金も最低の域に入っています。これでは採用試験に集まる人数も減って来るでしょう。それでも採用試験に合格させて職員にしたのですから、その人たちを育てていくのが職場や上司の役目でしょう。人にはそれぞれ得手不得手があります。その人に向いた分野を見ぬいて力を発揮させるのも上司の役目でしょう。日本の社会はもう少し暖かいところがあったのではないでしょうか。最近は毎日のように何かで追い詰められた人による殺人事件が起こっています。世界一安全な国はどこへ行ってしまったのでしょう。競争ばかり煽って弱者を切り捨てる職場や社会では助け合いや学び合いは起こりにくいでしょう。政界や財界を背負う人たちも、もっと暖かい社会を生み出す努力をしてくれてもいいのではないでしょうか。

2015年9月30日(水)

 今日も朝はいい天気でしたが、雲が増えて来て気温も少し下がって来ました。昨日の池にヒツジグサ(未草)がありましたが、私の頭の中では「琵琶湖周航の歌」と結びついている植物です。「琵琶湖周航の歌」は長らく小口太郎という人の作詞・作曲だと思われていたのが、吉田千秋という人の「ヒツジグサ」のメロディーだということがわかったということをいつからか知っていたからです。この歌は大好きで、かなり以前に「♪今日は今津か長浜か」の今津にある琵琶湖周航の歌記念館も訪れたことがあります。見たことはあったのではないかと思いますが、ヒツジクサの花を意識して見たのは初めてのように思います。改めて両方の歌を聞いてみました。元歌は「♪おぼろ月夜の月明かり・・・」で始まります。

2015年9月29日(火)

 またいい天気でした。植物に詳しい人に案内してもらって午後ちょっと山歩きをして来ました。樹木に囲まれた池にたくさんのミズオオバコが咲いていました。近くの田んぼで数年前に見つけて親しい人に教えてちょっと得意になっていたのに、こんなにたくさんあるとはうれしくもありちょっとガッカリでもありました。他にヒツジグサ(未草:「未の刻」に咲くからとか)というスイレン科の花もヤナギスブタ(柳簀蓋)の小さな小さな花も水の上に姿を現していました。コオロギラン(蟋蟀蘭)はありませんでしたが、それよりももっと小さくて自分では絶対探せないだろうと思う絶滅危惧種の無葉蘭もありました。短時間でしたが、有意義な山歩きでした。こんな平和な時代が孫の代もその先も続いて欲しいものですが、彼はアメリカへ行って国内では言えないようなことをまた言ったとのこと。無理やり通した法案で胸を張って「積極的平和」どころか積極的に国民を危険に導く言動をしているのではないでしょうか。後藤健二さんがISに捕まったことを知りながら、彼の命を救うことよりも自分が国際的にいい顔をすることを選びました。戦争を知らない世代の彼は戦争をゲームのように考えているのではないでしょうか。

2015年9月28日(月)

 昨年もスーパームーンが出る夜が2回あったと思いますが、8月11日の夜、いつもとは違う大きさに驚いて知らずに山から出たところを田舎で撮りました。昨夜も知ってはいたのですが、他のことに夢中になっていて見ずに寝てしまいました。幸い、今夜は出かけたので行く途中でちゃんと見ることができました。でも、すぐに雲が広がって来て隠してしまい、時折顔を見せるという状態になりました。目的のところは池の傍の建物の3階だったので、なかなかいい風景を見ることが出来ました。この建物はかつてバレーボールの日紡貝塚も使っていた体育館です。あの鬼の大松さんと東洋の魔女がいた時代も遥かな昔になりました

2015年9月27日(日)

 朝は曇っていましたが、雨は降らないだろうと男里川河口の清掃に出かけました。行事の多い日だったせいか、多くはない釣り人よりも少ない人数でした。大きなゴミはあまり目に付きませんでしたが、波打ち際近くに打ち上げられている海草の中に混じっている小さなプラスチック類が気になって主にそれを拾いました。「今、瀬戸内海で異変が起こっている。香川では讃岐うどんに欠かせないイリコの原料、カタクチイワシの漁獲量が半減。広島ではアサリが激減し、今年初めて漁が禁止に。全国有数の海苔の産地、兵庫県でも海苔の成長が悪化。廃業に追い込まれるケースもある」とのことです。NHK四国出放送された番組の説明なのですが、ここらも瀬戸内海のうちです。地元の漁師さんの話はまだ聞いていませんが、同じことが起こっていることは十分に予想できます。ここにやって来る野鳥もめっきり少なくなっています。餌になる貝類や蟹その他の生き物が減っているのかも知れません。そのテレビは予告篇を観ただけで本番は観ることができなかったので原因が追究されていたのかどうかはわかりません。しかし、細粉化したプラスチックゴミが生態系に大きく影響していると言われています。それほど小さくなくてもこんな海草の中にあると黒や透明のものはよく見ないと区別が付まません。鳥たちや魚や他の動物たちが餌と共にあるいは餌と間違えて飲み込んでしまっても不思議はありません。少々拾っても追いつきません。どうしたらいいのでしょう。


2015年9月26日(土)

 家で何か夢中でやりだすと外へは行きたくなくなって1日中外出しないこともあります。今日もそんな気分でしたが、雨は降っていなかったので1時間ばかり田んぼの中を歩いて来ました。鳥は残念ながらキジバトが目についたくらいでした。ちょっと派手な蝶々が稲の中に入って止まりました。姿は完全には見えませんがそう珍しくはないツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)のメスのようです。この蝶は表面の方がより派手な模様で、メスの方が名前にもなっている褄黒です。毒を持っていて鳥にあまり食べられないカバマダラ(樺斑)に似せているのではないかと考えられています。日本語の教授法を教えている友からメールが来ました。私も時にそういうことをするので、だいたい同じことを感じています。日本という国は研修などと名目を付けて外国人の労働者を安く便利に使うことを平気でやるのですが、彼らの日本語教育にはとんと無関心なのです。国立や府立あるいは県立の日本語学校があるでしょうか。それを担っているのは私立の学校か市民のボランティアがほとんどです。殺人鬼になってしまったペルー人も日本語でのコミュニケーションが取れなかったことが大きな原因になっていたのではないかと思えてなりません。生徒が減ったから定時制高校を無くして行こうともしているようですが、潰すことだけを考えずに活用することをもっと考えるべきだと思います。

2015年9月25日(金)

 ルリタテハ(瑠璃蛺)がいました。これもあまりお目にかかれない蝶々です。昨日のヒカゲチョウは翅を閉じたままなので、表面は飛んでいる時しか見られません。ルリタテハは止まった時は翅を閉じていますが、直ぐに開いたままで両面が静止状態で見られます。英名は Blue Admiral (青い提督)ですが、もっと派手な Indian Red Admiral(インドの赤い提督)というのもいます。その和名はアカタテハです。 
 散歩の途中で宅急便を出しに八百屋に寄りました。偶にしか行かないのですが、縁があって親しみを持っている夫妻がやっています。ところが、10月末で閉店だとのことで驚きました。年齢は私よりも上なので引退しても不思議はないのですが、年齢のせいばかりではなく客も少なくなったからのようです。かつては賑やかだったこの住宅地も高齢化で空家も増えているし、通る人も少なくなって客が減ったからのようです。書店も薬店も酒屋も姿を消してしまいました。スーパーやコンビニやなども割と近いところにあるので実質的にはそう不便になるわけではありませんが、だんだんとゴーストタウン化しているようでうれしくない気分です。

2015年9月24日(木)

 故郷の方では豪雨で国道が浸水したところもあったようですが、家にまでは入らなかったようでヤレヤレでした。こちらも雨ではありましたが、大したことはなし。朝は公的には初めての市長との面談。「自然と本の会」のメンバー3人とJ市議付添で出かけました。我が市と隣の市との間を流れる自然豊かな川の水源の1つで和歌山市になる山中に計画されている産業廃棄物処理場に反対の要望書を提出するためでした。既に反対運動もかな進んでいて我が市としても反対の声を上げているのですが、自然に関わって活動している団体が正式には1つも声を上げていないということで私たちの会が名乗りを上げることになりました。午后は和歌山市長と会うということで、私たちの会報誌『自然ふれあい便り』も持って行ってくれるということでした。その他、市内のいろいろは問題に関しても話が噛みあった面談だったと思います。それらを如何に実現してもらえるかはまだわかりませんが、「自然豊かな街」が名前だけで終わらないように期待しています。夕方は雨が止んでいましたので、近所の散歩に出かけました。まず目の前に現れたのが珍しくヒカゲチョウ(日陰蝶)でした。日本の固有種だそうです。地味だけどなかなかきれいです。日中は林の中などにいて、名前のとおり日のあたるところには滅多に出て来ません。大阪市内では見られないということですから、ナニワトンボと共にこういう蝶も私たちの市がいかにまだ自然が豊かであるかを証明していると思います

2015年9月23日(水)

 いい天気は連休と共に終わりのようで、また台風が発生して近づいて来るようです。また各地に大きな被害が出ないといいのですが。久しぶりにホタルガ(蛍蛾)を見ました。頭の部分が蛍に似ているのが名前の由来のようで、蛍のように光るわけではありません。昼間に行動する蛾です。「蝶々はきれいで蛾は気持ちが悪い」と思っている人もいるようですが、これなどはきれいな蛾だと思います。幼虫には毒があるそうですが、成虫にはないそうです。ところで最近はミニマリスト (minimalist) という人たちが増えているようです。生活に必要な最低限度の物しか持たず、部屋の中にもほとんど物がない暮らしをしている人たちです。なかなか捨てられない世代で困るのですが、少しは彼らの暮らしを見習いたいと思いました

2015年9月22日(火)

 今日もいい天気でした。これも昨日のと同じ大きさでアカネ属だそうですが、オスも赤くはなりません。むしろ青ざめています。メスは他のアカネ属のトンボとよく似た色です。ナニワトンボ(浪速蜻蛉)です。発見されたのが大阪だからだそうですが、棲息は瀬戸内海周辺の地域に限られているとのことです。最近はかなり珍しくなっているようですが、かなりの数が見られました。せっせと卵を産んで数を増やして欲しいものです。

2015年9月21日(月)

 今日は少し雲が多い時もありましたが、まずまずいい天気でした。トンボに詳しいTさんからお誘いがって、今日もちょっと出かけました。まずいたのがちょっと小型のアカトンボでした。アカトンボといってすぐ頭に浮かぶのは「♪夕焼け小焼けの赤とんぼ」という歌ですが、あれははどんなアカトンボだったのでしょう。これはマイコアカネ(舞子茜)のオスだと思います。顔がちょっと青白いところがから舞子の名前が付けられたのでしょう。よく似たのにマユタテアカネがいるので素人には判断が難しいところです。他にナツアカネ、アキアカネ、ウスバキトンボ、ショウジョウトンボなどもいるので飛んでいるを見てもなかなかわかりません。秋風が吹き始めたのでトンボたちも子孫を残そうと頑張っているようでした。水辺では連結して盛んに産卵をしていました。


2015年9月20日(日)

 ちょっと遠出の一人歩きをして来ました。実際は友だちのグループに飛び入りで歩くことになっていたのですが、天気もいいし今日だと思い込んでいた結果が一人歩きになってしまいました。後で確かめたら来週でした。最近増えて来た失敗です。でも、一人もまたよし。何十年か前に行ったことがあった場所だったんですが、覚えているところは全くありませんでした。昼食を挟んで3時間ほど歩いてそこそこ疲れました。ちょうどそこに「古民家カフェ・レストラン」というのがありました。表に出ているメニューに紅茶も数種類出ていて味まで書いてあります。数少ないバスの時間までに1時間以上あったし「これはいい紅茶が飲めそうだ」と入ってみました。土間と座敷があって雰囲気は悪くありません。抹茶のケーキとのセットで頼んだのですが、出て来たのを見てガッカリ。容器で茶葉はしっかりと抑えつけらえて出て来ました。これではジャンピングは起こりえません。ケーキの方は美味しかったのですが、紅茶の方はやはりちょっと物足りない味でした。お代わりするような味でもなかったのですが、こんなものでは「お湯を入れてください」というわけにもいきません。料理もおいしそうでしたが、紅茶は何でこんな淹れ方をするのでしょう。いい店だと思ったんですが、残念でした。

2015年9月19日(土)

 とうとう数の論理で憲法違反の法律ができてしまいました。立法府で道理の通らないことをすれば司法の出番ではないでしょうか。そのニューズをちらっと聞いたのですが、気をつけていてもその後は報道がされません。でも、それがなければ三権分立の国家とは言えないでしょう。今日は大阪市立大空小学校をとりあげた映画「みんなの学校」が上映されたので観て来ました。かなり以前にテレビで観て知ってはいました。午前は100名くらいの人たちが来ていたそうですが、午後もかなり多くの人たちが来ていました。教育員会の人たちや小中学校の先生たちはどうだったでしょう。こんな時代だからこそ、少しでも見習うところを見つけて欲しいものです。あの映画を観たら「とても我が校では無理」と思われたかもしれません。でも、そうできるようにバックアップするのが行政や教育委員会の役目だと思います。今、日本の教師が世界一忙しいといわれています。賃金も低くなっている上に、授業や生徒に直接関わること以外で忙しくいのでは生徒と向き合う時間がないでしょう。大規模校でないことも重要です。教師には精神的余裕も時間的余裕も必要です。それをタイムレコーダーで管理するようなことが今も続いているやに聞きます。却って能率が悪いと生産現場ではやめていることではないでしょうか。ましてや、先生たちは人間が相手なのです。「時間が来たから終わり」ではできない仕事です。ところで、この体育館の看板?はもう何年もこの状態です。これも職員に余裕がないからでしょうか。こんなところに使う金はないのかも知れませんが、それほど金をかけなくてももっときれいにできるのではないでしょうか。かつて、ここの歩道に段差があって車椅子やシニアカーでは通行が困難という話を聞いて申し入れたことがありました。その時は「ともかく応急手当」ということでアスファルトで段差を少し埋めてくれましたが、その応急手当のままでもう何年たったでしょうか。段差がまた大きくなってもいます。こんなことこそ場所は違え、行政や管理職が気を配るべきことではないでしょうか。

2015年9月18日(金)

 国会前に飛んで行きたいところでしたが、いつも気ばかりで情けないことです。政府と与党の議員たちは相変わらず国民の声を聞く耳を持たないようです。「平和の党」といっていた党も存在感はゼロになってしまいました。ただ、テレビを見ていると、野党の方はやっと先進民主国なみになったかなとは思う場面がありました。1時間40分ではまままだですが、委員会や本会議での長演説はかつてなかったものでしょう。政治家は演説が上手でなければなならないと思いますが、国民全体が相手を説得する術を学ばねばならないのではないでしょうか。日本の学校教育でもかつてはあった校内弁論大会なんてものはもう存在しないと思います。授業でも「ディベィト(弁論とか討論)」などやっている学校がどれだけあるでしょうか。英語、英語と喧しく言われてますが、英語以前の問題があります。日常会話もできればいいですが、それ以上のことが必要でしょう。母国語でも議論や... もっと見る

2015年9月17日(木)

 青空が見えて日があたったかと思うと雨が降ったりで目まぐるしい天気でした。何だかこの国の現状を象徴しているようでした。「国民の命を守るため」という名目の法案のごり押しで国会は混乱していますが、もっと先に手を打たねばならないことがこの国には山積しているのではないでしょうか。天災とは言い切れないような堤防の決壊に、またもせっかく拘束していた殺人鬼を野放しにしての殺人事件が起こってしまいました。小学生の同級生への暴力事象もこれまでにない数に上っているとのこと。全く違うことのように見えるこれらの事の根は1つのように私には思えます。競争や数の論理だけで国民が幸せになるわけではないと思います。ところで、これは何という虫でしょう。台所の網戸に止まっているのを見つけました。気持ちはよくありませんが、こんな虫も生きる権利を認めたいと思います。ただし、私たちに害を与えなければですが。

2015年9月16日(水)

 終日雨模様でしたが、大した降りにはなりませんでした。ミカンの木に黒いアゲハチョウが止まりました。ナガサキアゲハ♀でした。オスはほとんど真っ暗。名前はシーボルトが長崎で見つけたからとか。後翅に尻尾のような突起が唯一ない種だそうですが、メスにはあるのもいるそうです。南方系の蝶で温暖化の指標になっていたそうですが、今はもう東北でも見られるようですから役目はほとんど終わったでしょう。それだけ温暖化が進んだ証明でしょうし、数々の異常気象もうなづけます。その間、我々人間は有効な手を打って来なかったということでもあります。哀しいことです。政治家たちも力を注ぐ方向が違っているのではないでしょうか。

2015年9月15日(火)

 隣町へ行くのにいくつかの手段があるのですが、日曜日のコンサートは歩いて行ってました。小学生のころ1度か2度は歩いたことがあるのですが、それ以来でした。約9000歩で1時間20分で着きました。スタートに決心は必要だったのですが、歩き始めると結構楽しいものです。コンサートで居眠りも出ず体力的にもまだ大丈夫なようで安心しました。今日も用事があって行ったのですが、いつものとおりマウンテンバイク。行きはほとんど上り坂なので約40分。帰りは約20分。こんな人たちとちょっと話もして来ました。

2015年9月14日(月)

 3時頃から散歩に出たんですが、小学校から運動会らしいプログラムの案内のアナウンスが聞こえていました。4時半になってもまだ続いていたので覗きに行ってみました。しかし、帰っている生徒もいます。おかしいな、と思ったら練習でした。本番は今度の日曜日のようです。私も通った小学校なんですが、当時の校舎は平屋が3棟だったと思います。ガラス戸もあったと思いますが、障子が入っている教室もありました。もう昔の面影はありませんが、2本あった校門の石柱がなぜか1本残っていました。ここで、何故とも知らず、登下校の際には敬礼をしていたことを覚えています。後で知ったことですが、敗戦までは天皇陛下の肖像に対してだったようです。でも、私が入学した年は既に戦後でした。天皇陛下の肖像はもうなかったでしょうに、上級生に教えられていたのでしょうか。特に意味はなかったわけですが、登下校に校門で気分を改めるということは悪いことではなかった気がします。


2015年9月13日(日)

 趣味でマンドリンをしている娘からの知らせで、今夜、マリオネット(ポルトガルギターとマンドリンのデュオ)のコンサートが隣町の佐川であることを知りました。急なことでもありホールでの演奏なら行かないところでしたが、場所は竹村家とありました。江戸時代からある古民家です。当主の竹村さんとは旧知の仲で、セルボーンへも一緒に行った仲。時々伺ってもいるお宅です。予約制になっている様でしたが、電話して特別に入れてもらうことにしました。1時間ちょっとの演奏でしたが、ポルトガルギターは初めて見た楽器でした。300年は経つ商家の土間の響きは素晴らしく大変いい時間を過ごせました。写真は表の通りからの入り口です。

2015年9月12日(土)

 今日も昨日の続きのいい天気かと思いましたが、だんだんと曇って来ました。秋らしい天気が続きません。午前中に食料の仕入れに行きました。地元で採れる野菜は産直でまだ安いのですが、キャベツなど高くて買う気がしませんでした。私は虫食いでも平気なので、友だちのところで捨てる葉っぱをもらおうかと思ったら、全部虫にやられて処分してしまったとのこと。虫害だけでなく日照も少ないと作る方は大変ですが、非生産者も高値で辛くなります。そんな気候のせいか、庭のスズムシバナがまだ、というべきか、またというべきかわかりませんが、よく咲いています。そこにスズムシならぬウマオイがいました。ウマオイはウマオイだと思っていましたが、ハタケウマオイとハヤシウマオイがいるそうです。これがどちらなのか私にはまだわかりません。夜、声を聞いてみようと思ったらスズムシの声ばかりしています。

2015年9月11日(金)

 久々の青空でしたが、台風18号は関東・東北の人たちは気の毒です。命を失った人たちは無念でしょうし、変わり果てた我が家に途方に暮れている人たちも多いことでしょう。本当に我が身にも明日は何が起こるかわからない日本になりました。台風や大雨に関してはこちらは今のところまだ無事ですが、前回の台風は風がかなり強かったようです。カーポートの横にある栴檀の枝が何本も折れて垂れ下がっていました。今日はその始末をしました。高いところへはもう上がりたくないのですが、やってくれる人はいないのでやむをえません。折れていたのだけでなく、屋根の上に被さっていた大枝も切ったので結局7本の大枝を切り落としました。落としたのは短く切りましたが、自分では使うあてがありません。誰か薪にでもしてくれたら無駄にならなくていいのですが。


2015年9月10日(木)

 青春18切符の通用最終日でしたので、残りの1枚で帰省しました。乗り継ぎが多くても途中までは快速があるので楽ですが、多度津からの各駅停車のワンマンカーになると待ち時間も多く客もパラパラになります。そこへ大きなリュックと自転車の袋を持った若者が乗って来ました。話しかけてみると、大雨の栃木を昨夜出て来たとのこと。彼もまた青春18切符の最終日なので途中で終わっていた四国遍路の続きをやりに来たとのこと。話が弾んでいましたが、彼は阿波池田で待ち時間に風呂に入りたいと降りました。50分ほどの時間はありましたが、その
ワンマンカーには間に合わなかったようです。発車間際に乗って来たのが福岡にいたことがあって、今はタイに住んでいて9年ぶりの日本だというオーストラリア人の若者(というにはちょっと年を取っていたかもしれませんが)。四国は初めとのことで彼も青春18切符の旅でした。サーフィンが好きだというので黒潮町を教えてやると、高知宿泊予定を変更して窪川まで行くことになりました。日本語もできることがわかったので英語とチャンポンで話していると、今度は大田口という大歩危の隣の駅からアフリカ系らしい若者が2人乗って来ました。サンフランシスコからだとのことでしたが、昨日は新宿にいたとのこと。次は台湾で世界中を回るんだとか言ってました。彼らは日本語は挨拶の言葉を知ってる程度でしたので会話はまた英語に戻ってしまいましたが、お陰で高知まで居眠りもせず楽しい時間を過ごせました。どこの国の若者も冒険心に富んでます。

2015年9月9日(水)

 台風でまた大被害が出ていますが、大阪も高知も被害がなさそうで私はヤレヤレです。
 「やったこと、やって来たことをちゃんと検証しない」というのは日本人の特性でしょうか。先の戦争でも敗戦ではなく終戦ということで、うやむやのまま過ごして来た付けがあっちこっちに出ているようです。小学校で必須化される英語もまたしかりです。戦前に英語を学んだのは特定の人たちで、戦争中は敵性語として排斥され、戦後も必須科目ではなかった時期がありました。全員が学ぶので何となく「日本人は英語ができない」ということになり、「外国語は早期教育が望ましい」ということになってしまいました。異を唱える方も統計学的にちゃんとした根拠を示せなかったからだと思います。こんな本が出ているのを知って府立図書館から取り寄せてもらってやっと読むことができました。私が思っていたことがほとんど証明されていましたが、その中でこんなことが特に印象に残りました。
 「ところで日本には他国には見られないユニークな特徴がある。それは英語の案内表示や商品のラベルがわかる程度の人の割合が他国と比較してもかなり多いことである。・・・日本には英語運用能力がある人が少ないのと対照的に、ごく基礎的なリテラシーを持った人ならば多数いることになる。逆に言うと、国際的に見ても日本には英語が全く理解できない人が特に少ないということである。・・・ つまり、英語がまったくに理解できないという日本人の回答者の割合は23.6%であり、英語が公用語のシンガポール(17.1%)と同程度である」と。
 これまでは中学校でも高校でも音の訓練は疎かになっていたので、「聞き取れない、話せない」は仕方がないとしても、英語を必須にした目的は十分に達せられているのではないでしょうか。この基礎を整理して更に少し上手に積み上げれば日常会話くらはすぐにできるようになると私は思っています。

2015年9月8日(火)

 昔から空中に浮かんだり飛んだりすることは人間の憧れ。海で飛び上がっているのはフライ―ボードという新しいスポーツだそうです。靴のようなものを履いています。水上スクーターのジェット噴射をホースで受けて足に固定したボードから出し、その水圧で空中に浮き上がることができるそうです。海上で空中散歩ができていい気分だろうと思います。既に世界選手権もあるスポーツだそうです。割と簡単なようですから、私もやってみたい気はします。でもこんなスポーツは限られたところで楽しんで欲しいと思います。水上スクーターでもところ構わず走り回る人たちがいます。その音は2キロは離れている私の家にまで聞こえて来ることがあります。また海水浴はしていなくても、水に入っている人の近くまで来たりすると大変危険です。陸上でもモーター付も含めてマウンテンバイクで文字通り山に登り下りする人たちも増えています。それも、登りはともかく下りは爽快だろうと思います。しかし、歩いて山登りを楽しんでいる人たちにとっては危険この上なしです。登山道にもかなりの被害を与えます。こんなのも、それが許された山やコースで節度を持って楽しんで欲しいものだと思います。

2015年9月7日(月)

 昨日の「せんなん里海さくらフェス」が毎日新聞に出ていました。他の新聞にも載っていたようなので、3年目にしてやっと少しは知られるようになったようです。しかし、この書き方は地元の私たちとしてはちょっと不満ではあります。「大阪海さくら」が呼びかけた行事で彼らが中心になっていることは事実ですが、彼らだけでやっているわけではありません。新聞の報道というのはそのまま信じてしまうのが常ですが、自分のことや自分が関わっていることが報道されると正しいとは限らないということを知ります。8月30日の集会の報道でも実に様々なようです。同じ新聞にー「最大デモ」の扱い 各紙で割れる 〔安保関連法案反対運動〕ー という見出しで扱われていました。そのことに関して夕刊では河野洋平氏の意見が ー 安保法案「はっきり意見」ー と出ています。これなどは疑う余地はないと思いますが、自分が好んで読んでいる新聞に出ていることはやはり信じてしまいます。国際政治学者の藤原帰一という人の発言が ー増強すべきは外交力ー という見出しになっていてその中で「大事なのは国際情勢を冷静に分析する力。その分析に基づいて戦争回避に向けて外交力を駆使すること。その対応策を常に考えるのが政府、国会議員の役割です」と出ています。これなどは私もいつも思っていることなので、「そうだ、そうだ」と大拍手です。

2015年9月6日(日)

 朝から生憎の雨でしたが、「せんなん里海さくらフェス」(音楽と自然保全を結び付けた催し)は予定どり実施。そこで、最寄の駅でNさんと共に参加の高校生を出迎え。顔見知りの校長さんも来てくれていたのには感激。大阪府で唯一残された自然海岸の説明をして『箱作自然海岸の植物』を配布して出発。幸い小雨でしたが、海岸沿いの道は舗装されていないので足元はかなり悪いところもありました。注意をしてもらったはずなのに革靴で来ている生徒もいました。20分ほど歩いて到着すると、会員たちと一般参加の人たちとケーブルテレビの職員たちで掃除はかなり進んでいました。ともかく高校生たちにも参加してもらって主にハマヒルガオを覆っているコマツヨイグサを取ってもらいました。そこから出てくる小さなバッタを「きもい!」などと言って恐がっているのにはガッカリ。そういう生徒も清掃に参加するからこそ意義があるですが、そのままでは将来も自然の大切さをあまり理解できないのではないかと思います。今日の体験で彼らの心に何か残ってくれたらいいのですが。掃除は早めに終わりにしましたが、彼らは更に歩いて演奏会場へと向かわねばならなかったのはちょっと気の毒でした。私もその後にメインの会場まで行ったのですが、雨にもかかわらずそこそこの人たちが来てくれていました。でも、今年から駐車も入場も無料になったのに、この天気はちょっと残念でした。


2015年9月5日(土)

 弁舌の歯切れがよくて威勢のいい人が人気があります。ころろも豊な人ならいいのですが、心が貧しいそんな人を国や行政のトップに選んでしまうと不幸な結果になってしまうことは歴史が証明しています。昨日まで仲良くしていた隣人同士が民族間の対立を煽る指導者のせいで殺し合いをしてしまった国もたくさんあります。また新聞記事ですが、この彼は幾つの文化施設や自然保護施設に打撃を与えたことでしょうか。財政の健全化を口実に次々と先人が築いて来たものを潰していますが、その一方で不要なところでたくさんの無駄遣いをしています。経済とは経世済民(世の中を治め、人民の苦しみを救うこと)から出た言葉ではないでしょうか。国のレベルでもそうです。時に法律を非民主的に解釈してうまく運営されていた民主的な方式を潰し、自分たちの都合の悪い場合には無理な解釈をしてでも合法化しようとします。こんなことが続くと私たちの経済も心はますます貧しくなって行きます。安保法案でもついに元最高裁長官まで「違憲」だと声を上げています。まだ押し通そうとするのでしょうか。

2015年9月4日(金)

 日中はいい天気でしたが、朝早くには一雨ありました。淡路島で竜巻があったというのは多分その時でしょう。ロフトの窓からだったら見られたかも知れません。滅多に災害のないところに住んでいるつもりですが、危険が段々と近づいているのかも知れません。昨日載せた第2室戸台風の直後に写した写真がありました。線路を歩いて下宿に帰ったら、こんな有様でした。カラーはまだ滅多に使わなかった時代ですから白黒です。その日には写していないと思うので、翌日か数日後です。多分、こちら側の平屋の屋根に上って撮ったものです。2階が完全に吹き抜かれていますが、そこが私の部屋でした。反対側にもう1部屋あって別の学生がいたのですが、風はそちら側の窓に抜けて行ったのです。そのために、屋根は何とか姿をとどめていたわけです。私の部屋は廊下があって床の間付の8畳でした。下宿探しが遅かったので、その部屋しか残っていなかったのです。本来は2人用だったのですが、相部屋は嫌なので交渉して1人で入っていました。結局はここに大学の4年間と就職してからの2年間の6年いました。その部屋の机の傍に置いていた本棚が前や後ろにではなくて真横に倒れていたのも忘れられないことです。丁度、大学の定期試験の前でしたので教科書がなければ一大事です。探したら庭に飛んでいるのもありましたが、幸いにも全部見つかってホッとしたものでした。でも1週間以上も電気が来ないので、大学の図書館で勉強してから帰ったものでした。下宿人は他に4人いたと思います。試験が終わってからはみんなで家の修理の手伝いもしましたが、今、自分の家がこんな状態にでもなれば途方に暮れてしまうでしょう。

2015年9月3日(木)

 止み間もありましたが、阪南砂漠としては大雨でした。でも被害が出るほどではありませんでした。今朝の毎日新聞に「れとろ探訪」として「第2室戸台風」が出ていました。高校生までは高知にいたので洪水も台風も毎年のように体験していました。中学生のころに今も残っている家に引っ越して、その小さな2階が私の部屋になっていました。いつの台風だったかは忘れましたが、風が強くて2階はかなり揺れていました。眼は覚めていたのですが、平気で寝ていました。それから母に呼ばれて降りて行ったのだろうと思いますが、それは覚えていません。そんな体験があっても台風が恐いと思ったことは一度もありませんでした。そんな私が台風が恐くなったのが、この第2室戸台風です。土曜日だったははっきりと覚えています。高知での体験から、朝は風も吹いていなかったので昼までに帰れば大丈夫だろうとフランス語の授業を受けに大学へ出かけていました。授業が終わるころから風が吹き出して、仁徳天皇陵の傍の乗り換え駅で電車がストップ。駅のホームで風もあまりあたらなかったし、特に恐ろしいとも思わずに風が止むのを待っていました。2時間ほどして台風が過ぎ去ったところで、線路を4駅分歩いて下宿に帰りました。家は屋根がやっと乗っかっている状態でした。それを見て、その時の様子も聞いてから台風が恐くなったのです。下宿にテレビもあるにはあったように思いますが、今ほどの情報は入りませんでした。しかし、大阪市内も水浸しとの情報は入っていました。田舎の家に電報を打ったので母がびっくりしたといつも言っていました。18号も6日も覚えていませんでしたが、今年もまだその時期は過ぎていないので安心はしていられません。

2015年9月2日(水)

 夕方少し雨が降りましたが、昨日よりもずっといい天気でした。午后は私がテニスをやめてからもテニスを続けているNさんを訪ねました。積る話もあったし見せたいものもあったのですが、Nさんのコーヒーも目当てでした。今日はエスプレッソを淹れてくれました。奥さんも在宅でしたが、両方と親しいので話もはずんでつい長居をしてしまいました。帰って夕食を風呂をすませた後はこんなパンフレットを作っていました。9月6日(日)に「せんなん里海さくらフェス」という音楽と環境保全を結びつけた催しがあるのですが、「自然と本の会」は出演の軽音楽部の高校生たちと海岸清掃をすることで協力しています。原稿は私が作ったのではありませんが、去年、別の学校の高校生に配ったのがありました。それに新しく写真など加えて作り直しています。まだ完成していませんが、2つ折りにして表紙になるページと内側になる1ページ目はこんなところかなと思っています。後の2ページで写真付で代表的な植物の解説を載せる予定です。他にしておかねばならないこともある上に遊びにも出かけるので、相変わらずの泥縄作業の日々が続いています。

2015年9月1日(火)

 青春18切符が残っているので友を誘って遠くの街歩きをして来ました。大阪駅から約1時間半の街です。雨は覚悟して出かけたのですが、途中では日もあたって来て「晴男健在なり」と思っていましたが、なかなかそうはいかず土砂降りも遭いました。でも、そんな時は建物の中にいることができたのであまり濡れはしませんでした。見どころの1ヵ所だけ「息継ぎ井戸とカラクリ時計」を見てからちょっと戻ってこんな店に入で昼食にしました。どこの街へ行ったかもおわかりだと思います。テーブル席は座敷で1つ。後はカウンターという店でした。せっかくだからと、めったに味わえない10割蕎麦をおろしではなくザルで注文。私たちのいつもの昼食に比べるとっちょと高めでしたが、腰がある蕎麦はいい味で鱧の天麩羅もおいしく量も多くて満腹になりました。後の歩きが苦しくなってしまったほどの満足の昼食でした。後の報告はまた。

2015年8月31日(月)

 しばらく雨がちの天気がづづきそうです。夕方から出かけていましたが、幸い雨には会いませんでした。行った先で見かけたのがこの掲示。「戦後70年を記念して」ということのようですが、70年経っても戦後は終わっていないということではないでしょうか。なのに、日本をまた「普通の国」にすることによって新たにこういう弔慰金を出さねばならないような戦死者が出るのではないでしょうか。昨日は近くで集会があれば出ようと思っていたのですが情報が入らず、結局はボランティアで頼まれていた仕事をする時間になってしまいました。一応は名前を連ねている「九条の会」に期待をしていたのですが、「検討中」という返事が来ただけでその後は連絡なしでした。意志があれば遠くも厭わずに行くべきで、「他人をあてにせずに自ら行動せよ」ということなんでしょうね。FBの友の中に国会前の集会に参加した人がいたことはうれしいことでした

2015年8月30日(日)

 雨の1日でしたが、止み間もありました。家にいる時も頻繁に喉を潤します。だいたいは日本茶か紅茶です。「茶葉を入れて熱湯を注げば、後は3分ほどほっておけばいい」ので紅茶が私には向いています。コーヒーのドリップ式もやってみたことはあるのですが、飲めるようになるまでずっと手を取られるのが敬遠する理由です。また、より新陳代謝がよくなる気もするのが紅茶を愛用する理由でしょうか。ティ―バッグを使うこともありますが、だいたいは茶葉を使っています。品種には拘っていません。ポットはいくつか持っていますが、4つ並べてみました。一番左のはちょっと大きめの磁器です。これは気に入って買ったものですが、この頃はこの部屋に客を招き入れることもなくなったので長らく使っていません。一番右のも磁器で1人用です。以前に割とよく行っていた喫茶店のをもらいました。中の2つは耐熱ガラス製ですが、右のも別の喫茶店でもらったものです。1人用に丁度いいと思ったのですが、期待外れでした。蓋にフィルターが付いているのですが、口に茶葉が詰まってしまって最後まで注げずよくありません。茶葉の始末も面倒です。フィルターの目も細かすぎるようです。そこで最近買ったのがその左の少し大きいもの。これも蓋にフィルターが付いていますが、使い勝手はかなりいいと思います。磁器のポットを使った方が気分はいいのですが、ガラス製は茶葉の踊り(ジャンピング)が見られるという楽しみがあります。ジャンピングがだいたい終われば飲み頃ですので、タイマーも砂時計も不要です。もっとも、これは中が見えなくても同じことです。でも、マグカップに口いっぱいになる茶漉しを入れておいて、それに茶葉を入れて熱湯を注ぐという手抜きもよくしています。これならティーバッグ並の手間です。

2015年8月29日(土)

 天気は下り坂のようです。同じ場所で別の用事もあったので午後は「ウクレレコンサート」というのに顔を出してみました。ハワイはほとんど興味がないところで、行きたいと思ったこともありません。それでもフラダンスは何度か見たことがありますし、ウクレレについても少しは知っているつもりです。でも、コンサートは初めてでした。会場は元は小学校の教室。演奏する方もたくさんで窮屈そうでしたが、聴衆も60人はいたと思います。今は生徒数が減って100年以上もたつ学校が消えて行く時代ですが、ベビーブームと言われた子どもたちの時代は教室が足りず、学校も増えていました。1教室に60人も詰め込んで授業をしていましたが、そんな時代を思い出しました。それ以上の窮屈さでしたが、演奏する方も聴く方も和気藹々の楽しいコンサートでした。その後は隣の部屋で家では使っていないWindows8と格闘でしたが、雨が降りそうになって来たので早めに引き上げて来ました。Windows8は慣れていないので、やらねばならないことが一向にはかどりません。

2015年8月28日(金)

 午後になってやっと少し余裕が出来たので、部屋が一番暑いときは外で過ごそうと自転車散歩に出かけました。ちょっと欲しいものがあったので、2ヶ所の100円ショップ入ってみました。残念ながら目的のものは見つかりませんでしたが、こんなものが目に付いたので買ってしまいました。砂時計です。白木のもありました。飾りのようなものですが、3分計なのでポットで紅茶を煎れるときの目安にはなるでしょう。ストップウォッチで測定してみたらかなり正確です。何ヵ月か前ですが、たまたま入った喫茶店でポットで出るというので紅茶を頼みました。ところが「色つきのお湯」というところでした。ポットの中を見たら葉っぱがありませんでした。どうやらティーバッグをポチャポチャとして持って来たようです。こんなのは詐欺です。ティーバッグでも熱湯を入れてちゃんと蒸らして出してくれたらまだ文句はなかったのですが。最近はまともな紅茶が飲める店がなくなって寂しく思っています。

2015年8月27日(木)

 今日もいい天気でしたが、朝からほとんどパソコンとにらめっこで散歩に行く余裕がありませんでした。明日、28日発行予定の『自然ふれあい便り44号』の仕上げにかかりっきりでした。入力の大部分はやってくれているのですが、体裁を整えて仕上げて印刷するのが私の役割。取り掛かったのは昨日の午後でしたが、午後4時ごろには一応完成していました。自分で見直してから他の人にも点検を依頼したですが、次々と修正すべきところが出て来て意外と時間がかかりました。今夜中に完成させて、とりあえず40部ほどのカラー印刷は明日の朝ということになりそうです。何事も締切が迫って来ないとなかなか取り掛かれないのが私のよくないところ。いつもギリギリになってしまいますが、間に合わなかったことはまずないのでなかなか改まりません。こういう性格だから仕方がないですね。

2015年8月26日(水)

 まだ暑さが続いていますが、風は少し涼しくなったような気もします。相変わらず泥縄の作業が続いています。家にいる時はパソコンでいろいろやっていることが多いのですが、立ち上がってふと窓の外を見たら1階の屋根に飛んで来てすぐ近くでこちらを見上げている鳥がいました。頭と背しか見えなかったので何だかわかりませんでした。急いでカメラを用意しましたが、残念ながら飛び立ってしまい、隣の家の戸袋の上に止まりました。見なれた鳥でイソヒヨドリの雌でした。雄の色がきれいなのですが、雌のこの斑模様も見事です。住宅地でも増えているのでカラスと共にツバメたちの天敵になっているようです。

2015年8月25日(火)

 8時前から雨が降り始めて、思っていたよりひどい天気になりそうだと思いました。でも、空は半分以上を黒雲が覆っていましたが、雨は時折落ちてくるくらいであまりひどい天気にはなりませんでした。40年ほど前の元同僚2人と昼食を共にしました。2人とも私よりも10近く若いのですが、久しぶりに楽しい時でした。しかし、まだ現役の人もいて、話の内容は「経済性を大学を含めて学校にまで持ち込んだ政策のために、学校があるべき姿を失っている」というふうな暗い話も出ました。教師も、従って生徒たちも、思考停止にだんだんと追い込まれているのではないかという話です。丁度、数年前に私の手に入っていた絵の額装を頼んでいてもらって来たところだったので、その絵も話題になりました。日本画のスケッチなんですが、中国のどこかの湖畔の風景だと思います。左下に「湖畔寂映 五臺」と書かれていて落款があります。五臺=五台というのは画家の名前で本名は北村秀馬という高知県出身の人です。五台は高知市にある五台山(「坊さん簪」の僧のいた竹林寺や牧野植物園があります)から取っていると思います。この絵からは戦争の匂いなどは感じられませんが、橋本明治に師事して研鑽を積んでいる途中で戦場に送られて36才で帰らぬ人となっています。私たちの年代は戦争のことを少しは覚えているにしても、戦場に行かされるなんて心配はない時代を生きて来て幸せでした。「子や孫の代にはまた」なんてことはあってはならないことです。そのための憲法第九条のはずです。

2015年8月24日(月)

 今日もまだいい天気でしたが、明日はどうやら台風15号の影響が現れそうです。田舎でのんびりしてくると、戻ってからかなり忙しくなってしまいます。これからしばらく泥縄状態で予定に入っていることの準備をしなければなりませんが、いつものことでだいたい何とかなっています。そんなこともあって、予定では今頃は印刷に回っているはずの『「セルボーンのは博物誌」の鳥たち』の改訂版はまだ原稿の修正作業が終わっていません。目下はこれを仕上げたいのですが、個人的な趣味のレベルのことなので後回しになってもやむをえません。この本は一般書店でも取り扱える形にはしたのですが、事実上は自費出版(2008年)で少ししか印刷しなかったので書店のルートには乗せていませんでした。ところがどういうわけかネットで検索してみるとジュンク堂、TSUTAYA、Amazon などには出ていました。不思議なことです。もう残りはほとんどないので、今はさすがに新本は出ていませんが、Amazon には中古書で何と1万7千円台でいくつか出ていました。本体価格1500円なので10倍以上になっています。稀少価値というところでしょうか。一方、私のもう1つの本『英語スピード・ラィティング教本』(本体価格1200円)は大修館書店(1995年)の出版なのですが、まだ新本も手に入るようです。中古の最低価格は24円です。この本も内容的には決して古くはなってませんし、今の「スピード〇〇」という本の先駆けのような本なのです。まもなくこれも絶版だと思いますが、そうなっても中古書が値上がりすることはまずないと思います。こちらの出版権は私にはないので、再販も改訂版もだせません。これも不思議なことです。

2015年8月23日(日)

 朝から雲1つない快晴。しかし、ひたすら移動に時間を費やした日でした。若かりし頃は電車の中は読書の時間でしたが、最近は本を開くことがほとんどなくなってしまいました。それどころか半分以上は眠っています。乗り降り自由の切符なんで、途中下車で見物でもしたらいいとも思うのですが、それも思うだけで終わっています。家に帰ればまたすぐ眠れます。最近は眠るのが一番得意なことになりました。どこででも目をつむっていたらすぐに眠ってしまいます。

2015年8月22日(土)

 まずまずの好天気でした。朝から出かけて仲間と出かけていましたが、夜は3年越しの希望が叶って山奥の集落の「棚田の火祭り」に案内してもらえました。毎年かなりの人出のようです。狭い山道を登らねばならないので、会場へはシャトルバスが運行されていました。でも、私たちは特別優待で入れてもらえました。明るいうちは太鼓の演奏や独特の獅子舞がありました。「子どもたちが獅子に食べられて、その獅子を神の使いである天狗が退治して子どもたちは獅子のお腹から生還する」という物語になっていました。来賓にはチベットのお坊さんの姿も有りました。まだ明るい6時から松明の点灯がありましたが、希望者は点火をすることも可能でした。美しかったのはやはり暗くなってから。松明の煙があって写真を撮るのはちょっ難しかったのですが、まずまずのが撮れました。ここ数年は天気が悪くて延期になったりもしたようですが、晴れ男を自称しているわたくしはニンマリでした。長時間運転したり、案内をしていただいた皆さんに感謝です。

2015年8月21日(金)

 雲の多い日でしたが、雨は降りませんでした。夕方にちょっと出かけていましたが、川沿いの風景も昔とは変わっています。これはこの家に長らくある絵ですが、昭和30年ごろ描かれたものだと思います。作者の名前は聞いてませんが、父の同僚だと思います。 今は川幅も広がってコンクリートの橋になっていますが、私が小さい頃は欄干もない板の橋だったと思います。毎年のように洪水で流されていました。でも思い出深い場所です。普段は浅い流れでしたが、橋の下は少し深くなっていたので夏はここで子どもたちがよく遊んでいました。私もまだ泳げないころから毎日のように行ってました。そして深みに入って溺れそうになり、それがきっかけで泳げるようになったのもここです。夕方にはギンヤンマの群が川を上ったり下ったりしていたので、橋の上で姿勢を低くして待っていて網で捕るのが楽しみでした。今は川で遊んでいる子どもの姿など全く見られくなりました。子どもの頃のそんな体験がないからでしょうか、千葉県から来た女子大生が四万十川で溺れて亡くなっという悲しいニュースがテレビで流れていました。

2015年8月20日(木)

 やっと雨が止んで青空が見られましたが、そうなると気温も上がって来ます。暑さには強い方なので、昼間に暑いのは私にはそう苦痛ではありません。写真で見えてる範囲の田んぼは私の散歩範囲です。もっとも、どちらに行くかはその時の気分次第ですので、いつも行くところというわけではありません。気になるのは左手の山の土が見えているところです。行政的には隣の町になるのですが、去年氾濫した川の上流になります。近くに行って看板を見ると県の許可は得ているようです。立ち入り禁止になっているし、近くの家の人に聞いても、町会議員だった知人に聞いても何のために山を切り崩しているのか誰も知らないのです。産業廃棄物を埋め立てるつもりではないかと、疑ってもいるのですが、、、。しかし、山の保水力にも大きく影響しているはずです。何とかしたいけど、何にもできないでいます。

2015年8月19日(水)

 涼しくていいのですが、雨の1日でした。欲しい物があったので、止み間に自転車で買い物に行きました。「行きはよいよい、帰りは怖い」で、買い物が終わって外に出たら小雨。雨具の用意はしていましたが、濡れるほどでもないと思って帰りかけました。すると何百メートルも走らないうちに大降りになってきました。よく利用するJRの駅の側の国道の陸橋の下で雨宿りすることにしました。なかなか小降りにならず30分ほど濡れない範囲でウロウロしていましたが、ふと、小さな石碑があるのに気がつきました。長年、手すりのあるところを通って列車に乗っているのに、足元にこんな物があるとに初めて気付きました。文字を読んでみると、昭和38年に9才で亡くなった子どもの墓碑?でした。私が子どもの頃は国道はまだ砂利道で、ここを踏切で渡っていました。大叔父もここで自転車に乗っていて撥ねられて亡くなったのを思い出しました。何故か祖母と一緒に行って道端に横たえられていた大叔父の最後を看取ったのです。今も列車事故は絶えませんが、当時は踏切での人身事故も少なくありませんでした。

2015年8月18日(火)

 午前中はいい天気だったのに、午後はまた雨になってしまいました。国の内外でまたまた信じられないような事件や事故が続発していて暗い気持ちになります。政治家たちが国民の目を外にそらそうとせず、声なき声を上げている国民のことをもっと考えていてくれたらと思います。ところで、畑でホオズキ(鬼灯/酸漿)を見つけました。この袋の中の実に種が詰まっていますが、実を揉んで柔らかして種を蔕(へた)に開けた小さな穴から取り出します。私はうまくできませんでしたが、母や姉たちは口に入れて上手に鳴らしていました。今の子供たちは鬼灯笛を知っているでしょうか。

2015年8月17日(月)

 午前中は大したことはありませんでしたが、午後はかなりの雨になりました。コガネグモは今朝はせっせと網を修理していましたが、午後には姿を消していました。お腹がいっぱいになったからか、雨に濡れるところは嫌で逃げ出したようです。これは昨日の朝の写真です。アブラゼミの頭や翅は切り取られているようです。昼頃戻って来た時には蝉の姿はありませんでした。今度はたった1日で消化したようです。クモは獲物に消化液を注入して液状にして飲み込むとのこと。これを「体外消化」ということを知りました。

2015年8月16日(日)

 午後は雨という予報だったので、草刈りは午前中に終えて来ました。休業日のガソリンスタンドの前でゼッケンを付けて車に手を振ったり頭を下げたりしている人がいました。近くでゼッケンを見ると「伊方原発再稼働反対」と書いてありました。伊方原発は四国電力の原子力発電所です。たとえ事故があってもここからは安全と言える距離があります。しかし、そこは中央構造帯が走っており、ついこの間も小規模ながらごく近くを震源地とする地震があったばかりです。最も危険なところにある原子力発電所かもしれません。「村の方ですか」と聞いてみると、そうだとのこと。住んでいるところと年と姓を聞いて納得しました。私よりも7才も上なので一緒に遊ぶこともなかったはずです。向こうも、私のことは知りませんでした。いつもは別のところで数人で横断幕を持って立っているそうなのですが、「盆で他の人たちは休みなので、今日は1人で」とのことでした。私などはその気持ちはあっても、1人ではできません。80才を過ぎてもこの意気と行動力に感動しました。

2015年8月15日(土)

 今日も暑い盛りに少し草刈りをしました。戻って来てテレビのスイッチを入れるとまた実のないスピーチをしている彼の姿がありました。庭を見ると網をかけているコガネグモがアブラゼミを捕まえていました。12日にはコガネムシを捕まえていましたが、翌日の夕方には無くなっていました。何日くらいで次獲物が網にかかるのだろうと思っていたら意外に早く大物がかかっていました。体液を吸っているのだと思いますが、自分の体の倍以上もある蝉を何日で消化するのでしょう。一度退陣せざるを得なかったのに、再登場して思いを達しようとする彼の粘り強さと執念には、網が破られても何度も何度も作り直すコガネグモも敵わないでしょう。平和を守ろうとする側もこの粘り強さと執念に負けない強さを持たねばならないと思います。8.30の国会を取り巻く10万人集会、100万人の全国集会が計画されているようです。

2015年8月14日(金)

 お盆で仕事は休みの人が多いでしょうが、年中休みの私には盆も正月もどうということはありません。助っ人が来てくれたし、午後は気になっていた畑(といっても今は野菜類は何もなくて果樹が数本あります)の草刈りに出かけました。草刈り機でやれば労力も時間も大幅減で済むのですが、敢えて使わないことにしています。かつてはチェーンソウも持っていたのですが、1人で作業していて怪我をすると困るので寄贈しました。ほとんど放ったらかしですので、人の背よりも高くなった草が茂っていました。慣れぬことは1時間もやればもうクタクタ。まだ半分以上残っていますが、本日は終了にしました。かつては田んぼが並んでいたところで、家は周りにほとんどありませんでした。しかし、ここは宅地としてもいいところなので、どんどんと家が建って来ました。いつまでもこんなしんどい目もしてられないので、ここをどうするかを考えねばならなくなっています。

2015年8月13日(木)

 また暑さが戻って来ました。もう盆に入ってしまいましたが、午後になってやっと墓地の掃除をして来ました。春やってあったので短時間で済んで楽でした。面談の約束もあって、その後に食料の買い出しにも行ったので忙しい午後でしたが、これも楽しいことです。コピー機がない環境なのでデジカメで撮影したものですが、昭和33年の大阪発行の讀賣新聞のこんな記事のコピーをもらいました。写真の人物を孫に替えれば、他のところはそのままで今の状況なってしまいます。明日、その孫はどんな談話を発表するのでしょう。

2015年8月12日(水)

 庭のスズムシバナが咲いています。『セルボーンの博物誌』を英文学者でもないのに翻訳した西谷退三も好きだった花です。朝から久しぶりの雨で作物を育てている人には恵みの雨だったでしょう。よさこい鳴子踊りは最後の日で「全国大会」とか。入賞したチームと県外からのチームが出演できるようだ。県外からの参加者にサービスというところだろう。踊り子たちは汗と雨の両方でちょっと辛かったかもしれません。でも、そんなことは物ともせず、最後の日を楽しんだことでしょう。四国の祭りはこれから徳島の阿波踊りです。有朋自遠方来不亦楽乎。

2015年8月11日(火)

 今日の午後の暑さは家の涼しいところにいてもちょっと堪え難いほどでしたが、扇風機で我慢していました。ちょっと出かけても来ました。早稲田の刈り取りはもう終わっているところもあります。そこでカルガモの群が落ち穂拾いをしていました。去年は2つ続きの台風で大変な時期でしたが、今年はこのままで過ぎてくれることを願っています。テレビでは今夜もよさこい鳴子踊りの中継を観ていましたが、田舎の室温は27℃で扇風機で十分過ごせています。節電も行き渡り電力は何とか賄えているのに、ついに原発が再始動されました。表だっては言えない本当の理由があるのではないでしょうか。

2015年8月10日(月)

 去年の今頃は2つ目の台風で大変でしたが、今年は目下のところその気配はなしでホッとしています。これは昨夕の写真ですが、自転車で会場に向かうところでしょうか。昨夜から高知市は「よさこい鳴子踊り」で賑わってます。今日は昼間は民放が、夜はNHKがテレビ中継してました。盆踊りもしたことがない私ですが、真夏の太陽に照らされて踊り狂う人たちのエネルギーには感心して見入ってしまいます。県外からも海外からもたくさんの人たちがに踊りに来ているようです。こんな平和を守らねばなりませんが、それは戦前のような状態に戻すことではないでしょう。広島や長崎や沖縄、福島の苦しみがまだ続いているというのに、オリンピックで早くも60数億円という無駄遣いをし、原発も復活するとは。

2015年8月9日(日)

 甲子園の高校野球は熱戦が続いていますが、「民家の甲子園全国大会」というのを観戦に行きました。北海道から沖縄まで、県予選で優勝した24高校のチームが集まっていましたが、大阪や東京からの参加はありませんでした。主体は「民家や町並みの写真コンクール」のようですが、今日はプレゼンテーションの部。オープニングに県内3校の和太鼓部と 珍しい三味線部の演奏がありました。本番はスクリーンに写真などを投影しながら衣装にも趣向を凝らして各7分間で30/100点を競うということでした。その結果、今年の優勝は香川県の多度津高校でした。高校野球の方は観客席が超満員ですが、こちらはまだ関心の度合いが低いようで残念ながらパラパラの状態でした。ここまで持って来た裏方の人たちの努力を少し知っています。資金の面、労力の面で大変なようですが、こちらも100回を目指して欲しいと思います。「古民家を大切にする文化」を育てるために私も雀の涙でも応援せねばと思いました。

2015年8月8日(土)

 まだ青春。久しぶりで「青春18切符」での旅。真っ白になった姫路城も望遠することができましたが、乗り換え、乗り換えの電車・列車の便利なのはどれも超満員でした。でも、どこかで席が空いて立ちっぱなしにはならずにすみました。時間の節約のために途中で2区間だけ特急にも乗りました。自由席は立っている人がかなりいました。ところが空いているように見える席があって行ってみると、体調がよくないようで男の子が横になっていました。その前にはもう1人のもっと幼い子を横に坐らせた母親が。車内販売が回って来たので私たち立っている客はどこかの席の間にでも入って通すか、先に行ってしまうかです。そんなことにはお構いなしに、母親はジュースなど買って子どもたちに与えていました。「デッキにいるけど倒れそうだ」と飲み物を買いに来た人もいました。料金は1.5人分しか払っていないはずです。小さい方の子を膝に乗せるか、横になっている子と入れ替えて膝枕でもしてやればもう1人の席ができると思ったのですが、そんな気は毛頭ないようでした。こんな母親に育てられた子どもの将来が恐ろしい気がしましたが、私も注意する勇気はなくその場を離れました。特急から各駅停車に乗り換えると今度はガラ空き。途中にまだ残っているスイッチバック方式の様子もよく見られました。線路を2本通す幅もなくて普段は人の見えない狭いホームに今日は撮り鉄君?の姿がありました。

2015年8月7日(金)

 真昼間に隣の市まで出かけねばならなかったので、ちょっと早めに出て河口を覗いてみました。散策するほどの時間はなかったのですが、堤防の上から見ると潮がかなり満ちていて川の流れのある方にはウミネコの群が浮かんでいました。しかし、この間はいたチュウシャクシギの姿は見えませんでした。入江になったところにではハママツナの群落が復活していました。こんなに塩水に浸かるようなところで育つ植物は限られているのでちょっとした見ものです。自転車で走っていると割と涼しかったのですが、止まるとやはり汗が噴き出してきます。暑さには割と強いと思っているのですが、片道30分を往復するとやはり少し疲れます。雲も出ていますが、こちらの方は夕立もありません。ろそろ一雨欲しいところです。

2015年8月6日(木)

 70年前の広島もこんなに暑かったのでしょうね。今年も出席してましたが、14日に彼はどんな談話を発表するでしょうか。世の中は時代と共に便利になっていますが、人類が幸せになっているとは限りません。ダイナマイトと原子爆弾を発明してしまったことが人類の最大の不幸ではないでしょうか。後戻りはできないので、それを制御できるのは理性だけでしょう。生物学でもひょっとしたら、期待されている研究の中からそういうことが起こるかも知れません。現代の生物学の発展にはダーウィンが大きく関わっていると思いますが、昨夜のEテレの「100分de名著」でダーウィンの『種の起源』が始まったので興味を持って観ました。その中で「様々な色や形をしている飼いバト(=イエバト)が実はカワラバトただ1種から出たものである実験をした」ことも取り上げられました。気になったのでテキストを買って来て確かめましたが、ダーウィンに影響を与えた人々が何人も写真入りで取り上げられているのに、期待どおり?私が大いに関心を持っているギルバート・ホワイトは名前すら出ていません。以前にも「ダーウィン協会」の会長という人の文章を読んだことがありますが、その人もギルバート・ホワイトの『セルボーンの博物誌』のことには全く触れていませんでした。実はダーウィンが学生時代に愛読書したのがこの本で、この本から然観察の方法を学んだといわれています。ダーウィンの研究者たちはどうやらこの本のことを知らないのではないかと思ってしまいます。セルボーニアンとしてはこれは非常に残念なことです。イエバトの起源がカワラバトであることも18世紀の末に出版されたこの本にちゃんと記述されています。ダーウィンの頭にはこれがあったに違いありません。また、「ミミズが大切な生き物であり、研究論文を期待している」ことも書かれていますが、およそ100年後にその論文を書いたのもダーウィンです。改訂作業中の『「セルボーンの博物誌」の鳥たち』のその箇所を載せてみます。読めるといいのですが。

2015年8月5日(水)

 今日もいい天気すぎるくらいでしたが、ハクセキレイの幼鳥の訪問がありました。親子で来ていましたが、ここが気に入ったのか親が呼んでもしばらく留まっていました。住宅地で今一番よく見る鳥がハクセキレイではないでしょうか。路上にいたり、溝にいたりで、近づいてもなかなか逃げません。スズメは身近にいてもカメラを構えるとすぐに飛んで行ってしまいますが、この鳥はごく近くで写真を撮れるので野鳥写真入門にもってこいです。「こい」と言えば「恋」。この鳥は「恋教え鳥」とも言われます。日本書紀に出ているそうです(未確認)が、我が国を造ったという伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなぎ)の2人の神に恋の行きつく先、つまり、どうしたら子どもができるかを教えた鳥だとのことです。神話時代から身近にいた鳥だということでしょうね。神も恐れなかったのだから人間を恐れないのも当然ですかね。

2015年8月4日(火)

 私たちがよく目にするハトはかつては寺や駅で人に餌をもらって増えていたものです。餌をもらえなくなった最近は橋の下などに巣をつくっているようです。あのハトは家禽化されていたカワラバトが野生化したものだそうです。野鳥とはみなされていません。私たちがよく目にするもう1種がキジバト(雉鳩)なんですが、これは野鳥です。かつては山鳩と呼ばれていたようですが、最近は私たちの身近でよく見られるようになりました。ドバトよりは羽の色がずっときれいです。首の飾りも洒落ています。声もドバトよりはずっと好ましいと思います。ヨーロッパでハトが平和の象徴になったのはノアの箱舟にオリーブを咥えて戻って来たということに以来するようです。そのハトはどんな種類だったのでしょうか。ともあれ、日本でもハトが平和の象徴と考えられるようになっていて「ハト派」とか「タカ派」なんて言葉もよく使われます。最近は与党の若手議員のタカ派というのもタカに失礼な発言が目立ちます。今度は戦争に繋がる法制に反対のデモをしているのは「自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうが、非常に残念だ」とツイッターで主張しているとか。この言葉はそっくり発言者にあてはまります。政治家とは言いたくないようなこんな議員を生み出してしまったことこそ、「戦後教育」の至らなかった点ではないでしょうか。

2015年8月3日(月)

 庭の池の傍の低い紅葉の木にアシナガバチ(脚長蜂)がかなり立派な巣を作っていました。朝夕、水やりをしていたのに全く気がつきませんでした。虫好きの孫が来ると蝉の抜け殻集めなどにしょちゅうその近くへ行っています。一度刺されたことがあるとか。私は子どものころ農作業に付いて行っていて、畦に腰を下ろしたらそこに巣があって刺されたのが一度。大人になってからは川端の草刈をしていた時に、それも巣があるのに気付かずに刺されました。ミツバチと違って針は残らないし、スズメバチと違って毒も大したことはないので目の仇にするほどのことはありません。それに庭木の虫などを餌にしているので益虫でもあります。孫が今日は部屋の中にいて見つけました。できればそのままにしておいてやりたかったのですが、あまりにも低いところにありました。可哀そうでしたが、夜になってから撤去させてもらいました。

2015年8月2日(日)

 この暑さの中で庭のユリが咲きました。残念がながら園芸種で何ユリなのか知りませんが、白い花も清楚な感じがしていいものです。市立図書館から電話がかかって来て「『泉佐野の祭りと盆踊り』が見つかったので取りに来てください」とのこと。散歩を兼ねて出かけて来ました。今日は少し風があって気温が下がっていて昨日ほどの暑さではありませんでしたが、無駄足でした。薄い冊子状の本で「佐野くどき」の項目はあっても期待した歌詞はありませんでした。この間、何を期待してその本を見たいと思っているのかは説明してあったので、泉佐野の図書館に問い合わせてくれるくらいの手助けをしてくれないか、と期待していたのですが、、、。やはり泉佐野まで足を運んで来なくてはダメなようです。

2015年8月1日(土)

 このところ「今日が一番暑い」と思うような暑さ続きですが、午前中は約2時間、親子40人ほどの昆虫採集のお付き合いでした。誰も熱中症にならずホッとしました。しかし、昆虫を捕まえるなんてことは初めてだったようで、1時間たっても虫籠の中が空っぽの状態だった子どもも数人いました。最初は池の畔でしたが、次は神社へ行きました。ここには影があってヤレヤレでした。私は「見守り隊の1員」として写真を撮りながら付いて回っていただけですが、それでもかなり疲れました。そして昼食を挟んで午後は自分が捕った昆虫で「標本つくり」でした。親子が真剣に取り組んでいました。身近ではまた平和な1日が過ぎましたが、御巣鷹山に日航機が墜落して30年。今度はフェリーで火災というまた信じられないような事故が起きた日でした。